過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

親の不仲。

   


オレは家族円満だった。もちろん今も円満。とはいってもすべてが順調ではなく、家族は5人もいるし、大なり小なりのトラブルは経験をしてきた。これはどの家族にもあるだろう。そのトラブルの中では、今の自分の性格を形成するのにすごく重要だと思うような出来事もあったし、またそういったトラブルは家族と共に、そして自分の意識の中で乗り越えてくることができた。もちろんこれは他者の関わりなくては乗り越えることができなかっただろうし、第三者からはたいしたことが無いように見えても、オレや家族にはとても大きな試練でもあった。

とはいっても、振り返ってみると結果的には円満だったと言えるような環境だと思う。なぜならそれは、社会人になってから家庭や家族のあり方次第ですごく影響を受け、また受けすぎているように見える人が相当数いると知ったからである。

当然のことながら、不仲で育った家庭の壮絶な出来事をオレは知らない。話を聞く限りの中から想像することはできるが、こういう場合においてありがちな、想像の範囲を脱することはできないし、また深刻さも理解はできない、もしくは限界があると思う。

どうにもよく分からないのだが、そうして影響を受けすぎることについて、前向きな状態になることはできるのだろうか。これが思春期や養われる年齢の範囲であればまだ理解できる。お金を稼いでない立場というのはどうしても弱く、稼いでいる親にたとえ精神的な問題点が大きかったとしてもそれに頼らざるを得ない。生きていくためには、精神よりも金銭の方が優先されるのは仕方が無い。
もちろん頼らない方法もあるが、人それぞれで頼るのも頼らないのも(苦渋だと思うが)選択だと思う。

しかしいい年齢になって。自立することも可能な環境になったときにも、相当な影響を暗に受けているのである。ある種のトラウマとして。
そしてその人が抱えている精神的な部分は他人に伝わりやすいという問題がある。

いろいろなトラブルを乗り越えて自立した人は、もちろんそれですごいことだと思う。しかしその方法論が世間の中で本当に受け入れられているとは限らない。そして親の不仲の場合に、そのことでとても強く出るのが、「甘え」に関する部分だと考えている。

甘えてはいけない。誰がそんなことを言うのだろうか。むしろ社会に出てからは、甘えることによって世の中をうまく渡っていけることは多いし、甘えはむしろ活用するべき部分であるように思う。オレの場合だと「優しさに頼る」とか「優しさに甘える」もしくは「優しさにつけ込む」っていうのもあるかもしれない。

みんな優しい。だから甘えても大丈夫だと思う。逆にオレに甘えてもらってもいいし、もちろん協力できる事とできないことはあるから、無条件というわけには行かない。でも自立や対等という立場の他に、甘えながら、へりくだりながら下からというつきあい方もあるのではないか。

結局のところ、親の不仲が与える影響は問題が多い。それは直接的なそのとき(幼少期)だけではなく、むしろ成長してからの方がより強い影響を気づかないうちに受けることになる。
そしてそれは不信という、とても大切な部分に闇を落とすのである。
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