2011/11/18 微エロ

最近性的なことを書いてなかった。ということで、久しぶりに。
僕はあそこが比較的大きいようだ。と自覚している。それは自分がどうこうというよりも、他の人からそのように言われる。たしかに息をのむほどではないけど、平均よりは多きいみたい。
そして僕は早漏です。これはもう残念なぐらい。
しかしなんでもいい方向に考える僕なので、この大きさと早さはとても僕にとってすばらしい特徴だと考えているのである。
確か初期のころに書いた話で、「大きいから入らない」と言われることがあると書いた。そのときは、ちゃんと慣らせば入る大きさだし、気持ちよくなれるぎりぎりのサイズだとも。
しかし当然、それでもなかなか入らない、もしくは入っても気持ちよくなれない人、痛がる人もあたりまえだけど存在する。そういうときに、僕は2つの選択を迫られる。がまんしてもらうか、入れることをやめるか。(ちなみにこの考え方は女の子に対してもまったく同じ)
僕はそこまで絶対入れたいっていう感じでも無いので、そしてMの気質もあるので、相手がいやがっている表情や態度は好きじゃ無い。むしろ嫌い。だからあまり無理してもらうっていう気はしない。
だから相手があまりにも痛がる場合には、それ以上はしないこともある。
しかし相手に多少の我慢を伴っても続けることが妥当だと考えられる時もある。例えばそれは、相手が経験的に慣れていない場合。サイズが原因というよりも経験不足が原因であれば、それはやっぱり苦痛を少し与えることになっても最後までするべきだと考えている。
逆に考えれば、僕が少しでも相手の苦痛をやわらげられるように、バックは気持ちいいんだと思ってもらえるようにがんばる!
このとき、相手の苦痛は短時間であったほうがいいと思う。だから僕は「ちょっと我慢してね」が、ほんとにちょっとの時間になるのだ。だから相手がやっぱり無理!って言い出す前に、僕はちゃんといける。そしてあまり慣れていない相手だったときに、「バックで相手がいったのめずらしい(or 初めて)」と。
僕はバックをしないから正直分からないが、それでもバックをしたときに相手がいってくれるというのは、たぶんうれしいことだと思う。気持ちよかったっていう、なによりの証明だし。
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バックをしない選択の時、イクことによってプレイは終了になるので、手や口を使うことになる。そのときにもこの早さは重要になると考えている。
男性の場合いったあとは、もう放っておいて、、、となる。これは仕方のないことだ。一緒にいくことが難しい場合、どうしてもどちらかは、いったあとの「放っておいて」という時に、なんとか自分を奮い立たせて相手をいかせなければならない。この面倒くささっていったら!
僕は相対的に、すぐいくことには自信があるので、このときに相手に負担をかけない。だから僕はだいたい、相手を先にいかせることが多い。その方が面倒だと思わせる時間が相対的に少ない。
もちろん、そうはいってもお互いの合意や、そのときの雰囲気もあるので、一方的なことは言えませんが。
口でイクというのも、時には大切な意味を持つことがある。それぞれに、個人差があって、例えばバックが好きとか、手がすきとか口が好きとか。
相手ががんばって口でしてくれているとき、相手がどこまで考えているのかにもよるが、口でかせてくれようとしているとき。口でいくまでするというのは、だいたいにおいて結構大変なことだと思う。
だから僕のように早いというのは、そういう意味でも相手の思惑と実際がちゃんと伴う。もちろん口に出すかどうか、っていうのはまた別の話ですよ。
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もちろん、ダメなことも多い。
まずはじっくり楽しめないってこと。
相手がそこそこ慣れている人の場合、そしてじっくり時間をかけて楽しみたいと考えている場合、この早さというのは、非常に大きな問題となる。
(おそらく)最近だったら、昔に比べればずっと感度も落ちてきたので、きっと長く続けるようなことも、少しはできるようになったかもしれない。それにきっと過去の経験から、自分がいきにくい体位とかも少しは分かるようになっていると思うし。
だからよく失敗も起きていた。最初のうちはがんばって役割を果たしているんだけど、すぐにいきそうになる。そして動きが止まる。相手は「いきそうでしょ?」そのように言うのだ。そして実際僕はいきそうだから動きを止めて少し休憩。そうしないとすぐに終了を迎えてしまう。
だからかつては、いかないための努力を色々考えていた。一番よく使ったのが、不謹慎なことをや汚いことを思い浮かべるとか。特に僕の場合は知り合いなどで亡くなった方がよく頭の中にでてきていたw
まあもちろん、そんなことを頭の中で必死に想像しても、たいした効果はなく、やっぱり相手には、「早い」と言われてしまうのです。いきそうになると、ホントに不思議で、もう何をしても、いくという道をただひたすらまっすぐ走ることになってしまう。
時々、されている相手が積極的なこともある。例えば上に乗ってきて、主導権を握るような。僕の体制的にいきにくいのは事実だが、それでも相手が主導権をにぎることになるので、そしてMという気質とも相まって、思いがけずいってしまうこともある。特に、やばい!と思って休憩するようなタイミングで、僕の動きが弱まったからといって、腰を動かすような時がある。このときはもう無理。「ちょっとまって!」そのようにいってももう遅い。惨劇としかいいようがない。
たくさんのメリットを感じている中で、唯一この部分だけ、そしてそれが最大のダメなところだと思う。
2011/11/17 考え(自分関連)

むだ毛というのがある。僕にとっては毛髪以外は、すべてむだ毛ではないかと考えてしまう。主立った部位としては、ヒゲ、胸、腹、腕、股間、お尻、もも、すね。と、様々なところに、一見必要無いと思える毛は存在している。
ワキなどは今まであまり気になったことが無いけど。。
僕も当然ももとすねには毛が生えている。そしてそれは、やや濃いぐらい。毛をくるくるとやって、アリが作れないぐらいの濃さ、だけどそれをチャレンジしてみようと思うぐらいの濃さ。
僕は足の毛は、相手は無毛であれば当然うれしいが、自分自身は無毛はイヤで、ほんのり生えているぐらいが、ちょうどいいと思っている。決してうすい量ではないけど、濃くもない量。
理想の状態と比べて、今の僕はちょっと濃すぎる。だから理想に近づくためには何らかの処理をしなければならない。
さすがに脱毛をするほどではないけど、切るのか剃るのかして、自分が理想とする毛の状態を維持したいと考えるのである。
僕自身の手入れの方法として、かつてははさみで切っていた。手間がかかるのがかなりの難点だけど、うまく手入れをすれば、僕が理想とする状態を作り出すことができた。
ちなみに、剃ってツルツルにするのは、理想の状態ではない。適度に無いとだめだ。
そして今はバリカンで切っている。最近のバリカンは長さを調整するアタッチメントがついており、5mmだか3mmだかで切るとちょうどいい。ツルツルでもないし、長すぎもしない。一度それをすれば、数ヶ月はもつ。
そのためだけにバリカンを買うのは確かにちょっとためらわれることではある。しかし僕にとってはそれは十分払う価値があるものだと考えている。そして今は彼と一緒に定期的に(そして結果的に彼の方が圧倒的に多く)使っているのである。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/16 日常

「ほら。あの人そうだよ」そういって、他のゲイを見つけることにたけている人がいた。僕がまだこの業界の右も左も分からなかったときのことである。
だから僕は「そんなこと言っても確認できないし、実際はどうかわからないじゃん。それに、僕からみればあの人は、全然普通の人となんら変わらないように見えるよ」と。
しかし友人は言うのであった。「確かに確認はできないけど、でも絶対間違い無い」と。そして独特の雰囲気があるというのだ。確かにそのときは、中央線で新宿に向かう時だったと思う。だからその人も、新宿に向かっている可能性が高く、見た目以外のそういう意味で、可能性が高いということならわからなくはない。
確かにゲイらしい、、、それは[いかにも]と表現されるが、、、体型やファッションのセンスをしている人は一定数以上いる。だってもてるし。当時はその人たちについて見分けがつかなかったが、今となっては、比較的見分けるのか簡単な部類だとも言える。そしてそういう人は、新宿にめちゃくちゃ多い。
一方で、友人が言っていたように、何となく分かるというのは、どういうことから言っているのだろうか。
僕が彼と一緒に出かけているとき、そんなに多くは無いけど、それでも「ほら、あの人たちそうだよ」と、僕が彼に言うときがある。そして彼は、かつての僕と同じような言葉を「そんなのわからないでしょ」と、いうのであった。
僕は自分でも不思議だと思う。見た目で区別がつく人というのは、当たり前過ぎて特に「ほら」といって、彼に伝えたりしない。そういう人は思い出せないほど無数にあったはずである。
しかし相手に伝えるからには、見た目以外の何かがあったということで、その何かというのは何なのだろうか。(だから彼がそんなのわからないでしょというのは非常によく分かるのである。だって見た目では判断できないし。) しかし僕は、絶対間違い無いと、妙な確信がある。
今まで強烈だったのが2回ある。一つはスキーの時。一つは先日、自由が丘にいったとき。スキーのときは、男性だけの5-6人のグループが近くのテーブルに座った。まずそのぐらいのグループで、男性だけというのは、比較的珍しいように思う。そして若い人から、30代半ばぐらいまでの人たちがいた。おそらくどこにでもあるようなグループだと認識していたら、そのグループをみても特に何も思わなかっただろう。ゲイであるかどうか、というのは最初の印象では判断できなかった。しかし男性だけという珍しさ、さまざまな年齢層が参加しているという珍しさ、おそらくこの2点で僕はそのグループが、ほんの少しだけ気になった。
近くに座っているグループなので、会話が何の気なしに聞こえてくる。そしてそこからは、オネエ言葉が所々に聞き取れるのであった。そして僕は「あぁ、やっぱり」そのように思った。あくまでこの言葉遣いは、疑惑が確信に至っただけであり、疑惑を持つ時点で、多分そうだろうなという感じはあるんだけど。。
先日の自由が丘、男性の2人組が歩いていた。年齢も同じぐらいで、友人同士だろうことを考えれば、別によくある光景である。しかしよくある光景の中で、そのグループだけ、妙に目にとまった。
普通の友人同士より、ほんのちょっと二人の距離が近いような気がしたのである。別にくっついているわけでもないんだけど、なんとなく、友人の距離というよりは、より親密な感じというか。。。。
そしてこのときは、しっかしりとオネエ言葉が聞こえてきたわけじゃないけど、ずいぶんと中性的な感じの会話の雰囲気があったので、確信ではないけど、まず間違い無いだろうと思っている。
どこから判断できるのか、とても複雑な要素だと思う。その見分ける方法というのが分からない限り、僕自身は他人からみて、「それっぽい」と思われるのだろうか。それとも・・・。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/15 考え(ゲイ関連)

「ねぇかおさん。ちょっと聞いてよ。」そのように始まった会話だった。
このての会話は、悲劇であることが多く、ノロケ話であったら石の一つでも投げつけてやりたいが、悲劇は僕にとって喜劇であることは多い。よほど深刻なそういうことは、まったく望まないし、もちろん気の毒にも思う。
しかし軽いそういうことは、人生を有意義にするためのちょっと苦しいけども、とても重要なことではないかと考えている。
友人の話はこうだった。
1ヶ月ぐらいの期間だけ、単身赴任のような形で仕事をしなければならなくなった。普段は東京に住んでいながら1ヶ月間大阪で働くような。
そして1ヶ月の間に出会いがあり、そして親密な関係になったというのである。当然仕事の終了とともに、地元に戻る必要がでてきた。
そのときに、今までの関係をしっかりとするのか、それとも地元に戻ることをキッカケとして終わりにするのか。相手に判断を迫ったというのである。
そして相手の人は、「遠距離はできない」という判断であった。
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僕はこの話を聞いたとき、おそらく友人が期待しているような回答はできないと考えた。そしてその考えを伝えた。
もし相手の人の年齢が、20代後半から30代前半であった場合、そのような回答というのは、むしろ責任を持った考えだと僕は考えたのである。僕自身の考えとしては、2つの問題がある。一つは、自分を考えたとき、20代後半というのはある意味で非常に残酷な時期にさしかかっている。その時にチャンスを逃してしまったら、長期的な幸せを築くことが難しいのではないかと。もしくは幸せを築くのに、もっとも適した時期なのではないかと。
そして若い人の場合、若いうちの1年は年齢が過ぎてからの1年と同じではない。もっともっと密度が濃いと考えている。そういう濃い体験ができる時期だと。
その、双方の大切な期間、、、20代後半以降は20代前半までの経験が試されるような意味を持つし、若い人はより充実した時間を過ごして魅力を磨く必要がある。
そういった大切な時間を、遠距離恋愛という形で拘束してしまうのは、非常に厳しいと思ってしまうのである。
それであれば、まだ恋愛に発展していないその状態で、早い内に結論を出すというのは、ある意味で非常に勇気のいることだと思う。
もちろん遠距離で続けるということも可能だろうし、いずれは仕事の関係などで近くに住むことも十分に可能だと思う。しかしそのような将来を語ることがどれほど難しいのかは、おそらくよくご存じのことだ。
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じゃあ。そういって友人は言う。「じゃあ、最初からこんな親しくならなければいいじゃん」と。
確かにそれは一理ある。遠距離をしない、、、恋愛に発展させないのが責任だとしたら、そもそも、(場合によっては)肉体だけの関係に留めることも責任なのではないかと。
これについて、僕は明確な意見を持たない。ただいえることは、会えるうちは好きなんだってこと。そして会えない状態だったら、心を鬼にして(もちろんそれは付き合いたいという気持ちをを我慢して) 破局させるという事なんだと思う。
もちろんどのような行動が正解だとか、より責任のある行動かなんて、誰にも分からない。そうなんだけど、僕はやっぱりそう考えてしまうという話。
2011/11/14 日常
日の出を見に行ったのでその記事を書く予定です。。。。
2011/11/13 日常
すいません。本日はお休みです。
仕事が忙しいです。
2011/11/12 日常

シャワーヘッドについて、僕自身は昔から妙なクセがある。しかもそれはゲイ業界からの相性ということもあって、なんとも変な評価をされてしまう。
シャワーヘッドについて、僕は昔からヘッド部分を取り外して使っているのである。
おそらく高校生ぐらいの頃だったと思う。シャワーの調子が悪くて、取り外して使っていたのがたぶんキッカケだと思う。もともとお風呂では、シャワーに切り替えるのが普通だと思う。レバーをひねるとかで。
ヘッドをはずすと、たしかにシャワーが使えない。シャワーコードの先から出てくるのは、シャワーのような細かい水ではない。
1本で勢いよく出てくるだけである。たんなるホースと同じ。
そしてこれがゲイの世界ではとても重要な意味を持つ。するときは、当然お腹をキレイにしなければならない。そのときにはシャワーヘッドをはずし、ホースとなったシャワーから出てくるお湯を使って浣腸をする。いわゆるシャワ浣とよばれる行為である。
僕はタチという、男性役、、、いわゆる入れる方、、、であるため、このお腹をキレイにする行為とは直接的には関係無い。
そしてゲイの友人が僕の家に遊びに来て、シャワーヘッドの取れたお風呂を見て、こういうのである。「準備万端だね」と。
もちろん誤解である。そもそもお腹をキレイにすることは、全体のシャワー利用からすれば、ごくわずかだと思う。しかしそのために、わざわざヘッドを常時取り外しておくのはおかしいと思う。
またもしそういうシチューエーションになったり、もしくはなることを期待してヘッドを取り外しておくのはいくらなんでも露骨すぎるだろう。枕元にゴムがおいてあるような感じだろうか。
もうシャワーヘッドは取り付けないのが僕の日常になっている。だから友人を招くことを理由にして、ヘッドをわざわざ取り付けたりしないし、そもそもそういう発想がない。
だからもし僕の家を訪ねてきて、その状態を見たとしても決して準備万端だとは思わないで欲しいのです。
2011/11/11 考え(自分関連)

いつからだろう。物覚えが悪くなった。もちろん加齢による衰えということよりも、生活習慣による強化という側面が強いように思う。
僕は仕事柄、「何かを覚える」必要というのは、意外と少ない。ほとんどの場合はその場で調べることによって解決するし、覚えたところでそれが役に立つとは限らない。たいがいにおいて、IT関係の仕事の場合「概念」を理解することの方がよっぽど重要だと僕は考えている。
だから仕事でも何かを覚えていることは少ない。せいぜい現在進行している案件やしなければ行けないことを頭の中に覚えておけばいい。まあそれでも最近はわすれがちなんですが・・。
例えば「メールの設定」について聞かれることがある。手順をすべて記憶して説明することができれば一番いいのかもしれないが、もちろんそんなことは僕にはできない。メールを設定するパソコンだって多岐にわたる。マックということもあるし、Windowsのこともある。それもバージョンの違いによって全然違うし、使うメールのソフトによっても違う。最近はそこに iphone や android も出てきた。
だから仕事上、調べて案内できればいいのであって、覚えている必要は無いということ。
さて、それが生活に影響を及ぼす場合がある。それが記憶力の悪さである。例えば僕は友人たちの年齢や名前がほとんど分からない。そして恋人の誕生日もつい先日まで覚えていなかった。
ど忘れというレベルならいいが、覚える気が無いと思われてしまうほど覚えられないのは、おそらく何か病的な問題が発生しているのではないかと思っている。
覚えることが苦手ということに関連し、いい加減という印象を持たれることがある。そしてこれは事実でもある。
しかしやっぱり仕事では、どちらかといえばきっちりしている。というのもこれもやっぱりIT関係の仕事の場合は、きっちりしていることだけが求められる。「たぶん」なんて絶対ダメだし、何となくとか、やってみてから。ということは最低の発想である。少なくとも僕はそのように教わってきたし、自身も強くそれを感じている。
仕事では絶対にいい加減ではないと思っているし、実際取引のある方からは、いい加減という印象は無いと思う。
しかしプライベートでは自分でもいい加減さを感じる。いくつかパターンがあるんだけど、恋人がいるっていう話を聞いたときに「いいなー」って言うこと。写真を見たときに「かっこいい・かわいい」っていうこと。住んでいる場所を聞くときに「いいところにすんでる」っていうこと。恋人が年下だって聞けばかわいいって姿を見る前から言うし、年上だって知ったらかっこいいって言う。背が高いと聞けばかっこいいっていうし、低いと聞けばかわいいっていう。
これはもう一連の流れみたいなもので、ほとんどといっていいほど例外は発生しない。たまに、かなりフライングしてしまい、恋人がいるっていう話を聞いただけでも、「いいなー。(恋人は)かわいいじゃん」と言ってしまうこともある。もちろん相手は「??見てないじゃん?」って感じ。
自分で言うのもアレだが、僕は仕事ではどちらかと言えば細かく、キッチリやっていると思っている。しかしプライベートでは、かなり重度ないい加減だと思っている。そしてそれは共存しづらいだろうと思っている。
このスタイルが長いので、特に問題は感じていないが、どちらがより自分らしいのか考えるときは確かにある。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/10 考え(自分関連)

僕は背が低い。
確かに色々なことを色々に加味したら、もっと伸びて欲しかった。でもあまり気にしてはいないけど。
普段の生活の中で、自分の背の低さを感じることは少ない。少ないどころか、無いかもしれない。天井の低い施設で、彼や友人が身をかがめているときに、僕は全然問題無いというシチュエーションぐらいじゃないだろうか。
しかしそんな中でも、たまに気になることがある。そしてそれは僕自身のなかでは、恐怖という感情とともにわき上がってくるのである。
隣同士で歩いている時はほとんど気にならない。しかし相手が少し後ろに下がって、僕の後ろをついてくるような並びになると、僕はすごく怖いのである。
かつて抱きしめられると、拘束されている感じがして怖いっていう話を書いたが、それに近く、まるで後ろからガバッと覆い被されるような感覚がして、すごく怖いのである。
ちなみに彼の身長は173cmだったと思う。彼が後ろを歩いてもほとんどそんなことは無いので、おそらくそれ以上の背の高さから、そのような感情が出てくるのだと思う。
拘束されるような感覚や、閉塞した感覚がなぜ恐怖なのかは僕には分からない。少なくとも閉所恐怖症のようなことは無いし、何か閉じ込められたようなトラウマがあるわけでもない。
ただ、人よりもちょっとだけ狭さには抵抗があるのもまた事実だと思う。僕は一人暮らしする家を決めるときには、何よりもまず広さが重要だったし。
だから背の高い人はなるべく僕のすぐうしろを歩くことをお控えください。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/09 考え(ゲイ関連)

遠距離恋愛について、個人的にはあまりポジティブな感情を持っていない。と、そんなことを書くと、また「うまくいっている例もあるのに、なにまた一方的なことを。」なんて言われてしまいそうだけど。
彼もそこについては、同じように考えているみたい。「遠距離なんて絶対無理」そのように言っていた。(もちろん彼が会話の中で適当に言っていることなので、それがどの程度無理なのかは推し量るしかないのですが)
ちなみに、この発言があると、彼は就職で都内にとどまることが、確率として非常に低く、県外に出ることも十分以上にあり得るので、実際に遠距離になる可能性を考慮するととても心配なのです。
遠距離がうまくいかない可能性をはらむのは、どういうことなのだろうか。僕はネガティブな感情を持ちつつも、何かこれ!といった理由で厳しいという意見を持てていない。
例えば、何をしているか分からない・わかりにくいというのは、一つの考え方としてはあり得る。出会いをしていたり、飲み屋などでの交流を通じてきわどい行動があっても、それには気づきにくい。
活動している場所が近ければ、例えば東京なら新宿とか。そういうことで必ず誰かの目に触れ、それは気づかれることにつながるし、それが抑止になる可能性はある。
誰かと交流したいと思うことも、そもそも近くに恋人がいないからかもしれない。
会いたいと思う時に、会えないということもあると思う。片道で1万かかるような場所だったとき。会いに行くのに数時間かかるとき。会いたい・会わなければというときに、つらいのではないか。
会わない状態の継続というのは、恋愛に対する感情を変えてしまう可能性がある。やっぱり定期的に会うことによって、愛のメーターは変化するのではないか。会わなければ枯渇の危険がある。
そしてなによりも、つらい。会えないのはやっぱりつらいように思う。
その考えが、「じゃあ恋愛を終わりにすれば、この会えないつらさからは解放される」という流れになる可能性は否定できない。
もちろん遠距離が成立している数多くの例もある。だから必ずしも厳しい結果になるとは限らない。限らないんだけど、やっぱり乗り越えるべき壁も多いのではないかと僕は考えてしまうのである。
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