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2011/03/14 考え(自分関連)

※寄付について、僕は今年の最初に記事を書いていました。今回東北の地震があって、改めて寄付・義援金について考える機会ができたので、その時に書いた文章に追加しつつ、色々とまとめたいと思います。
----- 年初に書いた文章 ここから-----
僕は今年になってから、突然寄付をしたいなぁと思うようになりました。
いくつか理由はあるのですが、外出をしたときに教会を結構目にします。もちろん神社やお寺のほうが圧倒的に多いと思いますが、なんとなく教会は存在感がありますよね。で、キリスト教などでは収入の○%を寄付するのが一応の目安。などという話を聞いたことがありました。とてもではありませんが、そういう○%という目安を簡単に受け入れるのは難しいことです。でもそういう考え方はすごいなぁと思います。
20代でこの金額だけ稼ぎたい!そのように考えていた無理だと思うような目標がありました。あまりに高すぎる目標とはまでは言いませんが、平均値を考えたり僕のその時に考えていた将来だったりから考えると、夢のまた夢のような収入でした。が、なんとその目標が去年叶ったような感じです。(正確な数字は本年の確定申告までハッキリしません)
まさか僕のような人間が、そのようなはるか夢の収入を達成できるとは考えていませんでした。(注、あくまで目標が達成したという話です。決して高い収入ではありません。これは強調しておきます)
ギリギリ20代ということで、これは目標の達成ということにします。
達成したからには、さらなるステップアップを目指します。が、そのまえにやはり貢献出来る何かをしたいなぁと思うようになりました。
寄付については考えていることがあります。
・身近であること
・できれば子供に関連させたいこと
今のところ「交通遺児育英会」というのがあるようで、これがいいかなぁと思っています。
ユニセフについては、世界が対象なので僕の寄付はやはり国内で活用してほしいと思っています。
で、金額ですが、年間(=1回)で2万ぐらいでまずは、と思っています。収入の○%という比率はわかりませんが、まずはこの金額からはじめて、ある程度したら金額や寄付の方法を見直しながら探っていきたいと思います。
----- 年初に書いた文章 ここまで-----
以下今回追記
東北地方太平洋沖地震が発生しました。僕は上記に挙げたように、今年は自分の出来る範囲で寄付するつもりでした。
今回のこの地震が発生し、今寄付しないでいつ・どこに寄付するんだ!ってことですよね。幸いなことに、僕や友人たちは地震で直接的な被害にはあいませんでした。家族や恋人、会社など、こうやってブログを書き続けることも出来ていますし、地震後早々に安全を確保出来ました。
僕も彼も帰宅困難者にさえならずに済みました。帰宅困難者はブログを書かれている方でも何名かいるようですし、会社の人や、彼の学校の人など、身近なところで本当に沢山の方が、帰るという当たり前のことさえ出来なかったのです。
そして寄付の方法や手段については、年初に書いた文章でも表明しているとおりですが、身近であることを優先させたいと思います。
寄付について、僕は以下の事に注意したいと考えています。
・信頼できる団体であること
・寄付金控除を利用できること
・なるべく使途が限定されていること
個人的に、企業に寄付をするのは避けたいと思っています。信頼していない訳ではありませんが、僕 → 企業 → 団体 ということで、経由が増えると事務的な問題もあります。
寄付金控除の事もあります。せっかく寄付をするわけですから、用意されている制度を最大限利用するべきです。また、決して安くない金額を寄付するわけですから、十分に制度を活用したいと思います。なおいわゆるアルバイトとしての収入(100万以下を一つの目安)である場合には、寄付金控除は基本的には関係ありません。また寄付金の総額が、2000円以下の場合もあまり意味がありません。
※すごくざっくりとした目安で、1割ぐらい税金が減ります。1万を寄付すると1000円ぐらい。詳細については各々で計算をお願いします。
使途については、僕はとても重要に考えています。それは上記に書いた通りです。何にどのぐらい使うのか。寄付する立場としてはとても大切な事です。もちろん困っている人たちに利用されるのは当然のことですが、できれば何で困っているのかについてもできれば限定されて欲しいとさえ僕は考えています。
寄付する場所については、以下のサイトを参考にしました
東北地方太平洋沖地震にWeb/携帯から募金する方法まとめ:nanapi
※少額の寄付の場合、グルーポンが一番メリットが大きいと思います。1000円を寄付した場合、グルーポンが同額を拠出し、2000円が実際に寄付されます。ただし、拠出額は1億円が限度となっています。現在のところ、5600万が寄付されていますので、後5000万ぐらいで締め切りとなりそうです。
ただし寄付金控除にはならない感じなので、ご注意ください。
なお、寄付した金額は日本赤十字社を通じて利用されるようです。
今回寄付について、色々と調査をしました。なかなか寄付したお金が正しく利用されているのか、とても難しい事だと、初めて当事者として考えさせられました。
阪神淡路大震災で義援金は、一部使途が不明になってしまったのがあるようです。新潟中越地震、宮城の口蹄疫では、結構しっかりと使途の報告がされているようにおもいました。
また、死亡等でもお見舞い金が少額(20万ぐらい)、建物が全壊しても200万までしか援助されないことなど、そこにはとても辛い現実がありました。
とりあえず僕は今回は日本赤十字に寄付をしたいと考えています。
※終日サイトに接続がしにくくなっており、もう少し情報収集に努めたいと思います。
※ボランティアの方法や手段は色々あるかと思います。が、何が最適なのかについて、とても難しいところです。物資を提供するのもまた方法かもしれませんが、Webなどを調べると、迷惑になる可能性が多いようです。心配をしている方ができる、唯一にして最も効果があるのが、寄付だと考えています。
2011/03/10 考え(自分関連)

ブログを書いている中で、今まで考えもしなかった意見に触れるのはとても刺激的な瞬間です。また、考えを巡らす事もなかったようなことに、考えを巡らす必要が出てくるとき。それはとてもすばらしい体験ができていると感じる瞬間でもあります。
今日は創作ブログについて。
一部の方は「創作」された「事実に似せたブログ」が大変キライだということを知りました。それは女性が嫌っているのか、男性が嫌っているのか、性別によるのかわかりませんし、その創作を行うのが男性だと想像できるからなのか、女性だと想像できるからなのか、そういうのは分かりません。
確かに男性は女性の同性愛者を傍観することについて、ほとんどありません。しかし女性は男性の同性愛者を傍観することが多いように思います。たとえば腐女子や腐男子という表現は、基本的には男性の同性愛を好むとなっています。(腐男子は男性同士の他、女性同士も含むようです)
そして男性。特にゲイの場合は、ブログでの現実を書くことはよく見かけます。それはameblo でもそうですし、FC2でもそうです。そしてそこには腐が好むような表現はなされていないことが多いのですが・・。当事者だから、そこに書かれているのが事実なのかは結構判断が付きやすいところでもあります。
一方で、男性の作るゲイの創作サイトというのは非常に少ないように思います。僕の性範囲は漫画から小説にもおよびますが、ゲイの作るゲイ作品はラグビーのようなイメージが多く、これもまた腐の方は望まないのではないでしょうか。
そして女性。女性も同様にブログというのは比較的よく書かれているようです。僕はもっぱらゲイのそれしか読みませんが、全体的に女性の書いているブログは多いと思います。女性の書くブログは、デザインがきらびやかで、文中にもハートが踊っているようなイメージですw
さらに女性は創作サイトも多いのが特徴のように思います。それは小説などの創作サイトで、ゲイ向けのも多くあります。ここには美男子・美少年が考え得る様々な方法で乱れているのです。腐がつくる腐のための創作サイトっていう感じでしょうか。

さて、ここで上記に挙げた物は、ブログであれば基本的には事実。創作サイトであれば基本的には創作、と。ハッキリ区別されています。
しかしここで、「創作ブログ」という存在が出てくるようなのです。そしてそれが嫌われると。ゲイの視点で創作ブログを読むと、確かに事実とは違うだろうと思われる表現は多々あります。それはまず、僕が年齢や身体の誘惑に対してさんざん書いているように、それらを無視することはなかなか難しいハズです。が、いとも簡単に純愛が成立していたり。
常識的に考えても、難病など縁遠い世界でしょうし、生や死についての出来事などまずまずありません。金銭に関することも、出来事として少ないでしょうし、あまり露骨には書かないでしょう。
しかし創作ブログで、創作であることを示していない場合、それは大変巧妙に書かれています。だますと言ってしまえばそうかも知れないですし、そもそもブログには事実が書かれているか確認のしようがありません。だからこそ、真実が書かれているという根底を共有したいのかも知れないですし、おもしろければいいじゃんっていう考えもあるのでしょう。
巧妙に書かれた創作ブログというのは確かに存在している、もしくはそのように感じることはあります。どちらにせよ僕は別になんとも思っていませんでした。ってことはブログがおもしろければいいじゃん。っていう考えなんでしょうね。
そして創作を見分ける方法・・・それは分かりません。しかし経営者とか美少年とか、体毛が無いとか年齢差とか、ようするに現実的かもしれないけど、ちょっと大げさだなぁ・・・という場合に、そして特に腐が望みそうな内容の場合、それは創作であると疑ってもいいのかも知れないです。ちなみに僕はリアリティが無いブログについてはほとんど読まないので、あまり創作を感じたことはありません。ただし、改めてそういう気持ちで読み返してみると、確かに一定数は存在しているような気がしてきました。
※僕のブログは、事実を誇張して書いています。そしてすでに何人かのブロガーの方とはお会いしていますから、それらについては現実ってことで大丈夫ですね!
2011/03/02 考え(自分関連)

最初に断っておきますが、僕は彼を大切にしているのでこの記事は僕の考えとして読むことはおすすめしません。
カードをよく使います。カードというのは考え方が非常によく現れるもので、お金を使い過ぎるから持たない、もしくは滅多に使わない。という考えの人。出金の管理がしやすくなるので、またはポイントなどの付加もあるので、積極的に利用する人。このカードは、○○関係の支払いに使う、このカードはこの支払・・・。という感じで色々な利用方法があります。
僕は出金の管理がしやすくなるのでカードはとても便利だと思っています。最近では edy へのチャージなどもカードから行えるので、携帯電話さえ持っていれば、ちょっとしたコンビニでの買い物などでも現金を持つ必要がありません。またそういった細かい買い物もカードからedyにチャージしているので、ある程度把握することができます。(ちなみに僕は月に5000円~1万円をチャージし、コンビニやスーパーでの支払いに当てています)
結婚をしている夫婦の場合、もしくはゲイの場合であれば同居なども該当するかもしれません。相手の支払状況というのは、お互いがなんとなく知っているものではないでしょうか。例えば僕は、同棲しているわけではないので、積極的にそういった明細を開示することはありません。
ただテーブルの上に明細が出ていれば、彼のを見ることがありますし、また僕のを見せることがあります。
そして僕は(場合によって)彼の洋服などへの支出について、「あーでもない、こーでもない」と言い、彼は僕の居酒屋への支出が多いことを指摘するのです。
という状況が夫婦生活であれば、もう少し強いかも知れません。財布まで一緒になることが多いでしょうから、もっと節約して!という感じでしょうか。
また、当然カードでの購入はそうやって明細が出てしまいます。「ゲイショップ-エロDVD 1万」などという明細が出ていようものなら、ちょっとこれは何!という話になってしまうのです。(ちなみに通常はカードの引き落し会社の明細がカードに出ることが多いので、明細から何を買ったのか、詳細までわからないことがほとんどです。)
今回は浮気の話なので。
商品の購入は明細がわからない・購入したお店がわからないのですが、例えばホテル。ホテルはまずいのです。○○ホテル と、しっかりと出てしまいます。繰り返しますが、僕は出張でのホテルか、彼と一緒にしか利用しません。しかし浮気の場合のホテルの利用。この時にカードを利用すると明細に出てきてしまうのです。
結婚した友人が言っていました。
浮気や堂々と言えない時にカードを使うのはバカだと。そういう時には(足がつきにくい)現金で支払をするべきだというのです。それがどこまで本当なのかはわかりません。でも僕は妙に説得力を感じました。
2011/02/20 考え(自分関連)

僕はスタバがとても好きです。しかしスタバを利用している客層がどうも好きに慣れません。これはスタバができた最初の頃から感じているなんとなくの疑問です。
スタバは非常に面白い客層を開拓しました。大学の時に僕は経済を学びました。そのとき授業では、各企業がどのように自社のブランドを構築していくのかということに焦点が当てられることがありました。そしてスタバというのは当時いわれていた、ブランドの構築セオリーを忠実に守るような方法で自社のブランドを確立させました。スタバの成功はみなさんがご存知のとおりです。
スタバは1杯のコーヒーが結構高めに設定されています。その理由として、セレブリティというのか、お金に多少余裕がある人の余裕やその生活をコーヒーを通して、いわゆる一般人にも提供したい。という目的があるそうです。日本の場合は貧富につてあまり大きな格差が無いので正直なところ、その理念に対する実感というのはありません。しかし、外国だったらその企業理念というのはとても有効なのかもしれません。(なーんもわからないので想像ですが)
そしてスタバの成功を見ると、その企業としての考え方と、実際の客層がマッチしたのだと感じます。
なんとなくスタバの客層のイメージは、人目に付くような場所で読書をしているような人だったり、犬を連れて道を行き交う人を眺めているような人だったり、ノートPCを広げている人だったり。。。
僕の勝手なイメージなんですけどどうにも客層の大半が上品といえばいい表現。悪い表現をすればプライドが高そうとかそんなイメージなんです。もちろん僕もスタバ好きですし、すべてのお客がそういうわけじゃありません。(というよりもそんなお客はいないかも。。。)
スタバの企業理念が好きだった僕は、(特に禁煙がいい!)、昔からスタバのことが好きで、昔から客層が苦手でした。関連して僕は下品だっていう記事も書いているぐらいです。そんな上品さとは無縁な僕だから苦手としているのかもしれません。
今でこそタリーズとか、競合が出現しイメージも柔らかくなったし、客側の意識も変わったように思います。そしてゲイには、ベローチェとスタバがとても重要なんです。深夜はデニーズかジョナだけどね。
2011/02/18 考え(自分関連)

スキな食べ物を聞かれる事はよくあると思います。誰もが答えることのできる、とても良い質問です。そして僕はその時に「スキな食べ物はビールです」と答えています。
ずいぶん前から僕はこのように答えることにしています。そしてこれは冗談でもなんでもなく、すごく本気です。
「いやいや。それは食べ物じゃなくて飲み物だよ」という指摘を受けることがあります。が、ちょっとまってください。そのように答えています。
好きな「食べ物」を挙げることはもちろん容易です。ラーメンだったりチーズだったり、焼肉だったり、ポテトフライだったり。僕は好きな食べ物が多いのでそれを答えてしまえば、期待したとおりの答えを返していることになると思います。
しかし僕の中ではそれでは釈然としません。なぜならそれら好きな食べ物は、すべてビールによってより引き立つと考えているからです。どれだけ好きなたべものであっても、どちらか一方しか選べないのであれば、ビールを選択します。それほどまでに僕はビールがすきなのです。色々な食べ物を含めて考慮に入れたときにビールが一番好きな食べ物だと、しっかりと認識しています。
僕は焼肉が好きです。胃もたれのこともあるので、昔ほどではなくなりました。そしてビールと焼肉というのは最高の組み合わせです。このとき僕はビールを飲むばっかりで肉をほとんど食べないことは多々あります。
逆に肉ばっかりでビールを飲まない事がありえないのです。このことからもビールが一番であるといっても差し支えないと思います。
2011/02/15 考え(自分関連)

血液型による性格の分類って信じていますか?僕は、先天的な性格の分類は信じていません。さすがにそれはそうでしょう。しかし後天的な要素によって性格がある程度その方向にブレることはあり得るのではないかと考えています。
他のブログにも書かれていましたが、B型というだけでふられてしまったことがあるそうです。さすがにそれは極端な気がしますが、それぐらい血液型という理由だけで、振るほどの理由になり得るのがB型なのかもしれません。(ちなみにブログはこれです(B型であるがゆえ:ひとり、六畳半で雑念まみれ) 僕はそれを読んだとき、むしろ小さな男だと知れてよかったじゃん!って思いました)
B型は性格の悪い部分を凝縮したような性格です。自分勝手だったりわがままだったり、細かいところがあったと思えば、いい加減だったり。変人とか。とにかくB型という血液型でいいように言われることは絶対にありません。
僕はB型です。そしてこのブログを読んでいれば、B型が全開になっている事がわかるのでしょうか。大体の場合、B型であることを伝えると、「あぁやっぱり」そのように反応されることが多いです。
ゲイの中での血液型の分布に偏りはあるのでしょうか。ただ結構みんな几帳面な人が多いように思います。僕が好んで好きになる人が、みんな几帳面なのかもしれません。家に遊びに行っても、汚い部屋というのをほとんど見たことがありません。むしろ、○○の置き場所はココ。という感じで、むしろ几帳面すぎると感じることがほとんどです。
きれいな部屋はとても気持ちがいいですし、置き場所が決まっている事はとても素晴らしいことです。しかし僕にはそのマネが出来ません。僕の家は決してキレイではないですし、置き場所などは全く決まっていません。都度変わります。
しかしキッチンと風呂だけは異常なほどキレイにしているという、へんなこだわりがあります。このへんがB型らしいのでしょうか・・。
2011/02/14 考え(自分関連)

何をもって真面目というのでしょうか。僕はとても難しいことだと考えています。
例えば「遊ばない」ことを真面目といえるのでしょうか。「遊べない」のかもしれません。
真面目というのは決して褒めていないということを僕は示しているように思うのです。
真面目という言葉は肯定的な意味を殆どの場合で含んでいます。しかし言われた方はその自覚に乏しい場合が多いように思います。
結局のところ、真面目と評価される人の殆どは「遊べない」ことを指しているように思います。だからそれはその人のことを「つまらない」と婉曲に表現していることになるのではないかと。
僕はこれでも真面目です。と、自分でいうあたりから疑問が生まれるのですが、まあそういうことにしてください。そしてなぜそのように思うのか。それはまず遊ばないというのは大きな要素です。楽しいことというのを判断するのはとても労力のいることで、遊ばない・遊べないというのは僕自身が真面目と考える理由の一つです。
性的なこともあります。(すごく残念な事に)だいぶ衰えました。だから昔のようになびくこと、間違いが起きることが非常に少なく・なくなりました。性的な真面目というのは、真面目ということを示す重要な指標の一つだと考えています。
ここは非常にデリケートで、もしたとえば顔が、肉体的な理由で、ということで、性的な要素が平均よりも少ない場合、それは「できない」のであって、マジメだから性的なことを避けていることにはなりません。しかし往々にして、できない人というのは、結果として性的な要素が少ないわけですから、それをマジメという場合があるのです。
色々なことを考えます。ストレートだったり直接的なことはとても素晴らしいと思います。それと同じぐらい僕は考えを巡らすことも素晴らしいと信じています。時に考えすぎることもあるかも知れません。それがデメリットをもたらすこともあるかも知れません。という考え方は真面目だといってもいいのではないでしょうか。
そして会話力。僕は性格が真面目だと自分でも言ってもいいのではないかと考えているのですが、会話に関してはかつても書いたように下品で、浅薄なんです。これがすべての真面目という評価をくつがえし、僕は適当である。という決定的な評価を受けることになってしまいます。あぁ。残念。
過去に頂いたコメントで、返信を飛ばしていたようです。
2011-02-08 kunntaさん
2011-02-09 嵐さん
2011-02-10 道草さん、ゆず茶さん
大変失礼いたしました。
また先日「彼と年齢差を感じるとき。」という記事を書きました。この中でご批判を含むようなコメントを頂きました。これについてその後に追加でコメントを頂きましたので、気になる方は参考にして頂ければと思います。
2011/02/08 考え(自分関連)

僕は小説をほとんど読まないという話を昨日書きました。
そんな僕ですが、げんやさんのブログで勧められていることから、江國香織さんの本を購入したのです。そしてそれはとても面白い、引き込まれる内容だということを知りました。
しかしここで非常に初歩的で、僕にとってはとても重要な事を感じました。それが感情移入をどのように処理すればいいのか。ということです。
正直なところ、最初に江國さんの本を選んだのは正解でもあり失敗でもあると思いました。ゲイに関して触れられているこの作品は、僕の感情をあまりにも簡単に、そして大きく揺さぶってくるのです。理性のなかでは、それがあまりにも現実離れしており、時には浅薄であるように感じる事もあります。しかしそれがゲイに関わることだからなのか、理性で制御できない感情が、とても揺さぶられるのです。
この時に僕はその感情をどのように処理していいのかわかりません。
いくつか考えたのですが、
・そもそも感情が動かない
・感情が動くのも著者の意図として楽しむ
・それ以外
というパターンがあると思います。もし「それも楽しむ」のだとすれば、僕にはまだとても酷だなぁと思いました。
そういった感情が出てきた時、先日読み返した田口ランディさんの本にもそれを感じたように思いました。大学の時に初めて読んだその本は定期的に読み返しています。今までのほとんどは単純に、純粋に作品として楽しめていました。しかし最近になって読み返したその時には、自分ならこう考えるということで、今まで読んでいた感覚とは明らかに違ったのです。今までは受け入れるように読んでいたのが、最近では考えながら読むようになったというか、反発しながら読むようになったというか。少なくともそうやって考えることが「いいこと」という感覚は持てていません。
自分が意図していないところで大きく感情を揺さぶられる場合。いたたまれなくなって僕は一度本を閉じるのです。そして深呼吸をして、冷静になったところでまた読み始めます。
正解は無いと思うのですが、ぜひ読書のプロの方々には、読み方の指針や目安を示してほしいなぁと僕は切に願うのでした。
※この記事を書き上げてから、参考にしたブログの記事を読み返してみました。するとやっぱり感情が揺さぶられる旨の記述がありました。
十年後の僕のとなりには、それでも彼がいるだろうか?[2011/01/20]※本文およびコメント欄
げんやさんおよびkunntaさんがあまりにも的確な描写をしていることに改めて驚きました。
なんだやっぱりみんな感情移入しちゃうんだなぁこの作家さんは、と。
2011/02/07 考え(自分関連)

ブログというのは活字のメディアあだけあってなのか、本を読んでいる方が多いように思います。
そして僕、僕は本当に活字に触れることはありません。今小説を読むような事があっても、それは高校の時、大学の時に購入した本を読み返す程度です。
例えばそれは高校や中学の時に一度は通過するであろう、夏目漱石や筒井康隆であったりとか。大学の時であれば友人に進められた田口ランディであったりとか。本当に僕がちゃんと読んだと言えるのは、その程度です。(彼からのプレゼントで千年樹というのも読みました)
新聞も今は読んでいませんし、週刊誌も読みません。(新幹線での移動がある時には、ゴシップ誌か新聞を読みます。あとジャンプを少々。)ブックオフなどで購入する本のほとんどは技術書です。この技術書も、たくさん買うわけではなく、3ヶ月に1冊程度でしょうか。
去年末には精神に関する本をいくつか紹介されました。その本を去年末から今年の初頭にかけて、時間がかかりましたが読みました。
そういう事なので、おそらくちゃんとした小説というのは、ほとんど読んでいないのです。
ブログを始めてから、げんやさんは本のプロフェッショナルだということを知りました。そこでは江國香織という著者の小説が紹介されていました。僕は人の意見を受け入れる事をなかなかしない性格です。しかしプロが勧めるそういった事の一つ一つには大きな敬意を払っています。そして試す事にコストがかからない、もしくは非常に小さい場合、なるべくそれに触れてみるように意識しています。
僕は意見を聞き入れることが非常に少ないことを自覚しているのでせめてもの手段としてそのようにしています。例えばバイクであれば、バイクのプロ=バイクショップの人の意見を相当参考にしますし、精神に関することを今まで何回か触れましたが、それもまたとても参考にしている人がいます。
小説に関しては誰を参考にしているというのはありませんが、ブログを通じて、色々な方が(例えば)げんやさんもそうですし、たまにjugonさんという方も本を紹介しているので参考にしたいと考えています。
自分にとって重要な判断というのは仕事に関することで十分です。そのため特に本については他の方の意見に流されてみようと思っています。
※げんやさん:さみしくても残酷でも、僕たちはそのような世界に生きている[2011-01-22](コメント欄)
この記事を書き上げてから、掲載する前に参考にしたコメントなどを確認しました。
すると、「赤ちゃんと僕」に関するコメント(ミカリンさん)が載っていたのでびっくりしました。これは確かに名作です。確かお祭りの場面で、藤井君?がお兄ちゃんに対して、「いくらもってる?」「ビンボーだよ50円」「じゃあきなこ棒買って一緒に食おうぜ」のくだりには惚れました。※ずいぶん前の記憶なので違ってたらスイマセン
また、らがわまりも?さんだったかな・・は、ゲイの漫画も書いているんですよね。こういう流れは赤ちゃんと僕もひょっとしたら・・・。
Jugon さん:Jugon的自己満足、考察日記
「本」というカテゴリを作っています。いろいろなジャンルを読むようで、僕が読みたいなと思うもの、なかなか選ばないだろうなぁと思うもの。色々紹介されていて興味深く読んでいます。
※本日は完全に無断リンクしています。(コメントに対する言及も)
問題がありましたら修正・削除いたしますので、ご連絡を頂ければと思います。
2011/01/30 考え(自分関連)

去年の11月ごろだったでしょうか。ウツっぽい時期だという記事を書きました(→こんにちは、元気ですか。オレはウツです:2010-11-12)。それからしばらくして、ウツを脱することが出来ました。まあ以前にも書いたかもしれませんが、僕の場合これは周期なので、やり過ごすことしかないのですが。(とは言っても、以前に比べて山と谷が大きくなっているような気がするので、いずれかのタイミングで治療が必要かもしれません。)
そして今まではあまり意識していなかったのですが、ソウの状態というのも最近は出てくる用になりました。とはいっても、躁鬱(ソウウツ)と言われるぐらいなので、これらの症状はセットで出てくるのでしょうか。
ちなみに僕の場合、昔はソウというのはあまりありませんでした。ここ数年でうっすらとそれが出てきて、ハッキリと自覚したのは今回が最初かもしれません。ソウになると、色々活動的になります。そして集中ができません。例えば約束とかは全く出来ないのです。約束をするための常識的なプロセス・・・連絡して、日程を調整して場所を決めて・・・が、もう大変です。連絡をして日程を調整する段階で、メールが終わってしまうのです。
食事の量が減って、睡眠時間が減ります。2時に寝て6時に起きるとか。もちろん身体がしんどいので、それが1ヶ月も続くような事はありませんが、5日続いて土日で調整する感じでしょうか。
結局のところ、普通の~軽いウツの状態が一番社会的にはいいように思います。自分が一番楽しいのは、普通~軽いソウの状態です。箸が転んでもおかしい年頃という言葉がありますが、まるでこのような感じです。
続けて別の話題。
彼が豆乳の鍋を作ってくれました。「そういうキワモノはやめてよ!」と、食事にうるさい僕は言ったのです。そもそも飲み物としての豆乳もあまり好きではありません。
で、しぶしぶ食べました。すると美味しいのです。完敗です。
僕と彼の食事の好みはあいません。それは確か前にも記事にしたとおりです(外食での好み。:2010-12-26)。だから日々の食事でも心配でした。しかし今回のそれはとても美味しくて新しい発見でした。まあ自分で作るようなことはありえないんだけど。