「 考え(自分関連) 」 一覧
2011/04/20 考え(自分関連)

僕は昔からすごく気になっていることがあります。それを自覚し始めたのは高校生の頃からです。
高校生のころ、ほとんどの先生たちは黒板に字をびっしりと書き、僕達学生はそれを一生懸命ノートに書き写していました。
僕の感想では、綺麗にノートをまとめている人はやはり勉強も出来ていたように思いますし、高校生ぐらいまでは、なぜか字がきれいな人は勉強が出来ていたように思います。(ちなみに大学生になると、字の綺麗さと成績はあまり関連しないように思います。社会に出たらもっと関連しません)
オリジナルの方法でノートを取る人もいましたが、ほとんどは黒板のとおりにノートに写していました。そして僕もその一人でした。
テスト期間になって、ノートを見せてあげることがよくありました。僕は比較的真面目に出席していたので、少なくともそういう材料は揃っていたのです。休んでいて、その授業を受けてない友人にノートを貸してあげたりなど、よくありました。
そしてあるとき友人に言われたのです。「そういえばかお。からこないだノート借りたけど、○○さんと書き方が全然違ったよ?」と。「まじ?んでも内容は一緒でしょ?」と聞いたら「いや、内容もなんか違った。」と。
僕は真面目に黒板の内容を書き写す事に関しては、問題なく出来ていると考えていました。だって写すだけだもん!
真偽を確かめるべくノートを見せてもらうと、たしかに僕の書いている内容と全然違うのです。そしてやっぱり、僕の書いている内容に問題があったようです。何故か僕のノートは、黒板に書いてあったことが抜けていたり、逆に黒板に書いてないことが書いてあったりするのです。
今でも人の話を聞いていないとよく言われますが、このころからその片鱗があったのかもしれません。
会話のこと。友人と電話をしているとき、突然「あのさ、いま(俺以外の)誰かと話ししてる?」と聞かれることがありました。電話をしながら他の人と話をすることなどできませんから、なんでそのようなことを聞かれるのか不思議でなりませんでした。理由を聞いてみると、どうやらちゃんと同じ話題で話をしているのかわからないというような事を言っていました。
当たり前ではありますが、ちゃんと友人とのみ話をしていましたし、その話題について話をしていました。
にもかかわらずそのようにいわれてしまうことがありました。という話。
コメント。僕はいただいたコメントには基本的にすべて返信を行っています。(一部抜けていたらそれは僕の見落としです・・・指摘してください)
そしてやはりこれも、ちゃんと「コメントに対する返信」ができていないように思います。ちゃんとコメントを読み、それを理解した上で返信を行っているつもりなのですが、どうやらそれも行われていない時があるようです。
ちゃんとコメントを読んだ上での返信です。それは間違いないのですが、時に、適当に返信しているのではないかと思われるほどの、意思の疎通がなされていない場合もあるようです。
これら、コミュニケーションがチグハグになってしまうしまうように思えるのは、どうやら僕の性格上仕方のないことなのかもしれません。よく勘違いされてしまうのですが、このような時に、読者の方には全く問題がないということです。僕が勘違いしてコメントを読み取ってしまっても、それはコメントの書き方や、会話の内容が悪かったのではなく、僕自身に理解力がないか、もしくは飛躍した受け取り方をしているだけだということです。
2011/04/18 考え(自分関連)

僕は電話での印象は普段とぜんぜん違うと言われることがあります。特に初めての人だったり、まだ関係がちゃんと構築出来ていない人の場合。僕もぶりっ子声をするわけではありませんが、優しいトーンの声を意識することがあります。
特にこれは、後輩との電話などでも同じ事です。特に仕事や技術的な話の場合、早口でしゃべることがあり、これはコールセンターの時にも何度か注意されたのですが、やっぱりそれは相手にとって好印象にはなりにくいのです。
僕は電話があまり好きではないので、友人と電話をすることは非常に少なく、たまに電話をするのは、飲み会などでの現地での待ち合わせの時ぐらいです。
ほとんど僕と電話をしない友人は、この時にとても驚くらしいのです。普段の僕はやや攻撃的で早口です。この印象のまま電話をかけると、電話では非常におとなしくて穏やか、そして落ち着いた声だと言うのです。(やや誇張してますが・・)
間違ってかけたのかと思ったとか、普段からそんな感じにしゃべればいいのにとか。好印象といっていいのか、普段が相対的に残念だってことを言いたいのか、、、とにかくそういう事みたいです。
また、僕の電話の様子をとなりで聞いていた友人には「すげーぶりっ子してる」と言われたこともあります。
電話の状態をぶりっ子と表現されるのは別にかまいません。しかし重要なのは「声のトーンを高くしない」ということです。妹や母親、、、(女性?)は特に顕著ですが、電話口での声のトーンが何オクターブも高くなることがあります。
僕はこれが非常にイヤなので、絶対にそういうことはしません。なのですが、仕事で同僚は女性を含めても高くならないので、人によるのかもしれません。
僕の場合は、喋り方がゆっくりになる、使う言葉が穏やかになるなどです。例えば遅刻の連絡でも、会ってる時は「○分も遅れるの!まじっすか!いそいで」のようなイメージです。が、電話では「待ってるんでゆっくりおいで。気をつけてね。」という感じ。
※もちろん会ってる状態で遅刻の連絡はできないので、あくまでイメージです。
2011/04/01 考え(自分関連)
※画像は地震前です。今はおそらく節電でもっと薄暗いと思います
今さらあえて主張するほどのこともありませんが、僕は自分勝手です。他人のことを考えず、自分のことばかりで、自分の思い通りにしたい。そこにはおそらく思いやりや優しさ、相手の立場になって考えるという発想が欠如しているのではないかと思っているのです。
先日大きな地震がありました。そろそろ3週間が経過しようとしています。もちろん被災地は未だに大変なことでしょうし、原発の問題もまだまだ解決までには時間がかかりそうです。東京でも停電が毎日のように行われていますし、節電のため昼間から施設は薄暗いですし、電車の本数も少ない。お店にも入りにくいような状態が続いています。これらのことからも、まだまだ日常に戻るというのは難しいことなんだと実感させられます。
一方で、僕は地震の前後で生活に変化が無いように極めて務めています。もちろん節電などは都民として他人ごとではありません。空調を控えたり、照明を消すのは当然です。そして外食を積極的に行ったり、友人と一緒に遊び楽しむことも積極的でありたいと考えています。
僕は地震に関する記事というのは、数日(地震当日に安否を掲載、翌日に自分の地震体験、翌日に地震で思ったこと最後に募金に関する記事)しか書きませんでした。他の方のブログを読むと、いまでも地震のことについて書いている方もありますし、頑張ろう・必ず復興する。という力強いメッセージを発している方もいます。
僕は地震が発生したときからそのような記事は一度として書いていません。それは何よりも僕自身は想像力が欠如しており、どうにもそのような言葉が出てこないのです。とは言っても、あれだけの大惨事ですから、地震後にいつもの記事を掲載するような気持ちでもありませんでした。色々考えた結果、僕自身に関連する地震のことを書きました。
東京の現状を見ていると、このままでは来年あたりに様々な形で影響が出てくると思います。それは現在のようにお店の営業時間が限定的であったり、人々が自粛ムードだと、当然企業の業績はガタガタになります。例えばデパートなどの業績では、○○年度は営業日が○○日でした。今年度は○○日のため、営業日が1日少ない影響で実質○○円の減収です。という記載があります。1日営業日が違うだけで、年間の業績が変動するのです。今のような状況はそれどころの話ではありません。
企業の業績の悪化は、僕達の給料に直結します。地震の被害が軽微であっても、経済活動の停滞のせいで、消費が萎縮していまします。楽しむ気分になれないというのであれば仕方ありませんが、その控えた結果が、失業や給料の減収を生んでいます。
僕は職を失いたくないですし、まだまだ頑張らなければなりません。しかし頑張ろうにも仕事が無い状態というのは非常に辛いことです。
ということで、話が脱線してしまいました。
僕は思いやりがありません。それは最初に書いたように、幸いにも僕自身は大きな被害がなく、また想像力も乏しいため自粛しようという気持ちが芽生えないからそのように考えています。
一方で、だったらたくさんお金を使って経済を回すぜ!!という、思いやりの欠如は決して悪いことばかりではないと僕は信じています。
2011/03/29 考え(自分関連)
かねてより、僕はビールが大好きであることを書いてきました。
得意な料理はなんですか。に対する僕の考える模範的回答。
好きな食べ物はなんですか。ビールです。という冗談でもなんでもない本気の話。
ダイレクトにビールが好きだという事も書いていますし、得意料理はビールのあてになるような料理だということも書きました。ビールがよほど好きなんだろうという皆さんの僕に対する印象はおおむね間違っていません。が、これはプライベートでもよくあることなのですが、僕が考える好きと、皆さんが印象を持つ好きのベクトルは、ことビールに関しては大きく異なっている可能性が高いのです。
今日、これから書く記事は、僕が普段から自己弁護に励み、また歪曲や誇張をしながら、自分の意見を伝える手法の一部かもしれません。しかしながら一度あなたの主観を捨てつつ、読み進める事によって僕の考える好きの一端を感じてもらえれば幸いです。
と、いちいち大げさな書き出しで始まる記事。まるで顔射の時を思い出します。が、これもまた僕の考える事実です。
本題に入ります。ビールとケーキの相性が抜群だと僕が考える理由です。
ビールと合う食べ物は、脂っこいものや、味付けの濃い物、水分の少ないものだと考えています。たとえば唐揚げやハンバーグなど、ポテトフライもそうですし、枝豆などもそうでしょうか。お新香も意外と合います。餃子もそうですし。無数に挙げられると思います。
もちろんビールはノドが乾いている時には、単体で非常においしく頂く事もできます。
ケーキの場合、脂っこくて、味が濃くて、水分が少ないというパターンにすべて合致しています。ケーキには、コーヒーでももちろんいいのですが、コーヒーの役目がもし、その苦みで口の中を一度リセットさせる事だとすれば、ビールも同様の効果が期待できます。しかもコーヒーとは違って、のどを潤すこともできます。
同じ理由から、甘い物、、、、要するにお茶やコーヒーが必要になるような場面。ここではすべてビールに置き換えることができるのではないかと考えています。とりわけ、お茶やコーヒーが必要になる場面というのは、限定的な一部の状態を除き、すべてビールでの代用が可能です。
さて、ここでありがちなミスに陥らないように注意しなければなりません。どんな種類のビールが好きなのか、という話。
僕はビール、もしくはビールテイストであればすべての種類が好きです。それは国産のビールでも、通常価格帯のビールもあれば、やや高級志向のビールもあります。もちろん発泡酒もあれば、第三のビールと呼ばれる種類もあります。トマトジュースの嫌いな僕は、レッドアイはともかくとしてシャンディガフも好きです。もちろん黒ビールなども。(※念のため飲んだことのある種類でキライなのはありませんでした。また第三のビールに関しては、リキュールなので、全体的にそこまでおいしくないと感じているのも事実です)
飲み方にもこだわりはありません。ただし一つだけこだわりがあって、それはコップを利用することです。プラスティックでも、冷えてないグラスでもなんでもOKですが、缶のまま飲むのは避けたいと強く考えています。最近では、コップ酒を購入し、それを飲みきって、そのコップにビールを注ぐという手法もマレに使います。(僕にとって締めがビールの方が都合がいいのです)
冷えてないビールの時は、氷を使うことさえもあります。
2011/03/28 考え(自分関連)
日々書いているブログからも垣間見ることができると思いますが、僕の考えは偏見に満ちています。そして極端なのが、理系の人は真面目だ。という偏見です。
僕は経済を学んだので、一応文系というジャンルになります。ここでは学生時代に何を学んだのか、どのような教科の勉強が得意だったのかによって、文系・理系というジャンルに区分することができます。そして彼は理系です。
彼と付き合うようになってから初めて知ったのですが、理系は僕が思っているよりもずっと忙しいということです。
僕が大学4年生の時には、アルバイトに精を出しました。つまり学校などはほとんどおまけのような場所だったのです。そのとき、大学の理系といわれる友人たちは、とても忙しそうにしていました。やれ研究だと。やれ大学院に行くための勉強だと。
制度として、通常大学4年生は単位の取得がかなり終わっていることがほとんどなので、学校に毎日行く必要も無いほど、学校とは希薄になることも多いのです。
しかし彼は4年生になって、単位の取得が終わっても毎日学校にいって、研究をしています。学会などの準備もあるようですし、教科書や論文を読むことも多いようです。給料がでないだけで、学校の職員なのではないかと思うほど拘束もされています。
僕が大学生だったこおろ、アルバイトなどを通して知り合う理系の友人はずいぶん真面目で合理的だなぁと思っていました。
僕は自分の仕事遂行能力よりも、仕事の上でのコミュニケーション能力で成果をあげる方です。これはアルバイトの頃もそうでしたし、今となっても大きく変わっていません。そんな僕なので、理系の人たちというのは仕事の遂行能力で結果を出そうとする人が多く、僕のようなタイプとは交わることが少なかったのです。
ミスがあっても、理系の人は「あぁ自分が悪い。もっと注意しなければ」と考えるのに、文系は(というよりも僕は)「そのようなミスが起こる仕組みが悪い」と考える場合が多いのではないかと。もちろん極端な例ですが。
彼とつきあってから僕の偏見はある意味で正しかったのかなぁと思っています。もちろん全員がそうだとはいいません。言いませんが、中にはドがつくほどの真面目な人がその中には混ざっているのではないかと。
もちろんそのような偏見は、なんらメリットは生みません。しかし、僕はその偏見のおかげで、今の彼と付き合うことが出来ました。(おとなしくて静かな人と僕は付き合いたかったのです)だから僕はこの彼と知り合うことのできた偏見を、これからも大切に心の奥に閉まっておきたいと思います。
※ちなみに僕が考える理系の性格というのは、細かい事に気がつく、コミュニケーションの方法がやや違う、考え方が合理的、発想がマジメ。等でしょうか。たとえば割り勘をするときに、1円単位で計算するとかそんな印象です。
2011/03/26 考え(自分関連)
僕の年齢、30代は特に恋愛について相当弱気になっている人が一部で存在しています。ブログを読んでいてもそれを感じることがありますし、友人との話の中でもそれを感じることがあります。会社で働いている友人などを見ていると、30代でもまだまだだという印象である。これはゲイ特有なのか、やっぱりゲイの寿命は20代までなのか・・。非常に難しいところである。
僕もどちらかと言えば、30代を弱気と共に迎えました。今でこそ体型が少しはマシになったのでまだそこまで弱気にならなくても大丈夫ではないかと信じるようにしている。何かあったら水戸黄門の印籠じゃないけど、脱げばいいのだ!と。
仕事で最初に部下に指導することがあります。負け癖を捨てろと。僕が働いている会社は中小企業なので、大手に比べると全然ダメです。本当にダメなんでそれはもう仕方がないことだと諦めています。だけど、例えばその新人が「オレはダメ人間だからこんな中小企業で働く事になったんだ」とか「勉強できないからこんなこと覚えられない」とか、そんな弱気なことばっかり言ってます。で、これって結構大多数の人がそうで、謙遜だったら別にいいと思います。しかし「オレみたいなもんが」っていう弱気の意識は常に頭にあるようで、これは困ります。
恋愛では30代になると、やはり20代のころとは種類が変わります。すると20代の考えのままだと、どんどんマイナス思考になってしまいます。だけどそのマイナス思考は自分の魅力をさらに下げてしまうことにつながります。だって自信ない人と一緒にいても楽しくないよ。
年齢と共に、偉そうになるというか教育したいというか、アドバイスしたいというか、たいしたことない人がたいしたことないアドバイスをする事はよくみかけます。それは恐らく経験とか実績などに自信があるからだと思っています。
それに比べれば、弱気というのは形を変えれば謙遜でもあるので完全にそれがダメとは言いません。それは強気よりはマシだとも思います。
でもやっぱり弱気はダメ。少しずつ自分を磨いで弱気の気持ちは捨てましょう。僕も頑張ります。
まずは今よりも1kg痩せたいと思います。
2011/03/22 考え(自分関連)
自炊をしているという話をすると、得意な料理を聞かれることがあります。もちろん他の人で自炊している人が入れば、僕もとても興味があります。
そしてこの時、どのような回答をするかによって、その人の料理のレベルが分かるのではないかと僕は考えているのです。
もっともダメな回答は、お腹がいっぱいにならない料理や、和食、妙に手が混んでいる料理です。
ありがちなのは、肉じゃがとか豚汁とか。僕は肉じゃがは嫌いではありませんし、むしろ好きです。が、ここまでお腹がいっぱいにならない、ご飯のおともにならないオカズもめずらしいのではないでしょうか。それならば、焼き魚とか、別にそれって料理してないじゃん!ってことですが、逆に料理をするようになって、焼き魚は片付けなど比較的手間がかかるので、「おぉなかなかやるな」と僕なら思うかも知れません。
難しいのは、「家庭的な」というアピールをするために、そういう回答をする場合があるということです。
卵料理も判断が難しいところです。卵料理はお手軽ですが、その手間を考えると得意料理としている場合の判断は難しいです。
逆にお腹が膨れる料理というのを回答した場合、僕はすごいことだと思います。例えばそれは簡単なところで言えば生姜焼きとか。肉を焼くだけで簡単ですから失敗もないですし、なによりご飯が進みます。こういうおかずを得意料理として挙げてるなら、きっとその人は料理がうまいと思います。
ちなみに、自炊する人でもっともちゃんとしている人の、この質問に対する回答は、「レシピがあれば、何でも作れる」です。これは僕自身も彼もそうだと思いますが、本当にそのとおりなので、なんの反論もありません。こういう人が答える得意料理は結局、その人が好きな料理となってしまいます。
つまり手のこんだ、お腹が膨れない料理で特に和食を得意料理とする場合、ほんとに料理してるのか!って疑ってしまうと。
逆にお腹がふくれる料理を挙げた場合、なかなやるな。と判断するという話です。
ごくまれにお腹が膨れて、手の込んだ料理を答える人もいます。例えばグラタンとかでしょうか。こういう場合は、おそらくその人は一人暮らしをしていないのではないかと。日々作る料理のことなので、あまり手のこんだものを得意料理として答えるのか?という疑問が出てきます。
そして僕。
僕の得意な料理は、餃子と豚の角煮です。どちらもビールに合う。僕はご飯に合うおかずよりも、ビールに合うおかずが相対的に得意です。
2011/03/19 考え(自分関連)
顔を見るとある程度性格は判断できるように思います。。もちろん主観が多すぎるんだけど、それでも目安にはなるのではないでしょうか。あとは、イメージを抱くにしても、抱きやすくなります。
じゃあと。声はどうでしょうか。僕はかつて声を公開したことがあります。その時は、読者の方はどのように感じたのでしょうか。
ブログを読むときは、自分の想像する思い思いの声でこの記事を読み上げていると思います。みなさんがこの記事を読むときの声ってどんな感じなのでしょうか。いつもの文章から感じる僕の声って、低くてダンディーって感じなのでしょうか。かつて公開した僕の声を聞いた人はその声で脳内再生されているのでしょうか。
声を聞くと性格はわかるのでしょうか。僕はある程度わかると考えています。ただ声だけで判断するというよりも、言葉の語尾とか、使う言葉の種類がより重要です。例えばちょっとしたことで地方出身なのかわかると思いますし、強い口調なのか、優しい口調なのか、まくし立てるようにしゃべるのか、おっとりしゃべるのか。それだけでもだいぶ印象は変わってきます。
過去僕はメール交換→画像交換→電話→会う というプロセスの中で、電話をした段階で断ったことがあります。その人はメール交換から色々あって、正直めんどうに感じていたのは事実です。しかし自分に自信が無いことと、面倒な人とというのは、結構紙一重なところがあります。そのときは自分に自信がないだけで、性格までは。という期待がありました。
しかし実際に電話をしてみると、単純にその人はわがままなだけであった。いくら顔が大丈夫だとしても、声や性格など、実際に話して分かることは多い。
2011/03/18 考え(自分関連)

僕の性格を想像する中で、このブログを読んでいただいている方は、ブログを通して僕の性格を想像することになると思います。
Twitter を見ている方は、Twitterから僕の性格を想像しているかもしれません。もちろん両方を見ている方は、その両方が入り混じって想像していると思います。
とても重要なことですが、マジメだという僕の性格はしっかりと誤解なく伝わっているのでしょうか。念のため最初にこれを推しておきたいと思います。
僕はあまりキャラを使い分けていません。おそらくブログやTwitterで想像できる僕のキャラと、実際の僕のキャラはそう大きく変わらないと考えています。しかし微妙に違うのもまた事実です。
例えばブログでは、一つのテーマに焦点を当て、それについて書いています。そのため恐らく実際の僕よりも、より細かくて神経質だという印象を持たれているかもしれません。またTwitterでは、もう少し性的な要素も強く出しているので、(というよりも出ちゃうというか・・)なので、軽い印象をもたれるかもしれません。
しかしながら、細かいことでもいちいち色々考えるような、そういうマジメな部分というのは、恐らくTwitterでもブログでも共通しているのではないかと考えています。
で、ココから勝手に引用。
Twitterから
[うめきち]さん 「ベースがいっしょならなら最終的には繋がるのでは?」 / 「確かにTwitterの方が砕けた印象ではありますが、同質なものはかんじますよ?」
[あかまんま]さん 「日常会話や、口語体で書くTwitterが外面だとしたら、考えをまとめて書くブログは、内面なのでは?印象が違って当たり前だと思うんですけど・・・」
というつぶやき(ツイート)を頂きました。
確かにたとえば友人でも、携帯のメールや、実際に書く手紙などの印象と、会って話をするときの印象は違います。根底は一緒なのかも知れませんが、微妙に印象が違うというのはあると思います。
僕の場合もそれと同様です。ただ気になるのは、友人とのメールなどのコミュニケーションと違い、会ったことの無い人が多数を占めるということです。つまり本当の僕のキャラではなく、Twitterやブログからのみ僕の印象を形作ることになります。
そうなると、実際の僕(会ったときに確認できる) ・ ブログの印象 ・ Twitter の印象という様々なキャラができあがります。
もちろんどれも僕自身です。根底は共通です。でもたとえばブログでは細かい部分が何となく強調されるような気がして、Twitterでは軽い部分が強調されるような気がしています。
実際の僕は・・・以下自賛する文章が100行ほど続くため(略)・・・という感じです。これからも皆さんが自由に僕の性格を思い描いて楽しんでください。
※明日から京都に行ってきます。ということで、明日と明後日の記事は予約投稿です。
2011/03/15 考え(自分関連)

※本日より通常更新に戻したいと思います。また最後に簡易に寄付をする方法について掲載しましたので、ご参考にしていただければと思います。
最近はランキングが(恐らく一時的に)上がっています。にほんブログ村から僕のサイトに来てくれる方は、毎日一定数ありますし、逆に僕のサイトからブログ村に行く方も一定数いるでしょう。
もちろんそれ以外にも、文中にあるリンクで他のサイトに行く場合もあるでしょうし、左側のメニューからリンクしている、友人たちのサイトに行くかも知れません。
そしてある意味ではとても残念なことに、僕のサイトはおそらく一方通行もしくは、出て行く方が多いと思っているのです。
例えば僕が色々なサイトを紹介したとき、僕のブログの読者の方はそちらのサイトもある程度読むと思います。しかし紹介先の読者の方は僕のブログの存在さえも知りえない場合もあると考えています。
もちろん僕自身のブログに魅力がなくて、他のサイトを紹介したときに「かおの書くブログよりこっちのほうが面白いじゃん!」っていうことで、どんどん読者が流出している可能性も否定できません。(というよりも事実だと思います)
じゃあ僕は他のサイトにリンクを貼らないほうがいいのでしょうか。そのほうが少なくとも流出はしないわけですから。
しかし僕は違うと考えています。残念なことに一方通行だとしても、僕は僕の読んでいるサイトや、参考にしたサイトをぜひ読者のみなさんと共有したいと思っています。もちろん僕が好きなサイトが、必ずしも読者の方が好きになるとは限りません。だけどその判断をするのは僕ではありませんし、僕が着想を得たサイトもぜひ併せて読んでほしいと。
逆に他のサイトで、僕のブログから発想を得ても、リンクを張っていただけない場合があります。ほとんどはいきなりリンクをするのは失礼だから。という相手の事を考えての事だと思います。しかし僕の場合は、少なくとも気を使っていただけるのでれば、リンクをする方で気を使ってほしいと考えています。問題がある場合には、リンクされている状態を見て、削除をお願いします。少なくとも、リンクされていない状態をみて、リンクをお願いするよりはよっぽどいいことだと考えています。
もちろん場合によっては、その方の読者が一方通行になる可能性だってあります。しかしそこは持ちつ持たれつですし、切磋琢磨です。そしてなによりも一方通行の最大の被害者は僕ですよ!
最近は僕のブログに発想を得ている場合、積極的にリンクをしていただいています。これからもそれをお願いしつつ、僕の方からもどんどんと積極的に(失礼になるぐらいまで)リンクを勝手に貼って、僕と一緒に読者の方も楽しんで欲しいと思っています。
東北地方太平洋沖地震について寄付は以下の方法で行えます。
■携帯電話から
NTTドコモ: iMenu > お知らせ > 企業情報 > 社会に対する責任 > 被災遅延チャリティサイト
AU: EZボタン → トップメニューまたはau oneトップ → 災害用伝言板 → 被災地支援義援金サイト
SoftBank: 「Yahoo!ケータイ」トップページ→「お知らせ」→「東北地方太平洋沖地震義援金受付」
■余っているポイントを寄付
Tポイント※余っているポイントなどがありましたらおすすめです。
Yahoo※運営がすべてボランティアなので、拠出した金額=寄付金となり、ありがちな団体職員の給料に使われません。また、Yahooポイントが余っていたらおすすめです。
■そのほか
グルーポン
上記で記載しているものは、寄付金控除の対象になりません。しかしながら控除はまとまった金額の場合にのみ有効です。
少額である場合には、事務処理を軽減するためにも、ぜひ上記サイトをご利用ください。
※何もしない=日常生活をいつものように送ることもとても大切な事です。このブログを読んでいる方の中でも、寄付どころで無い方もたくさんいらっしゃると思います。決して無理する必要はありません。
また、未成年・学生の方も無理をせずに、たくさん勉強して、将来の災害の時に技術的・金銭的に助けることができるように頑張ってください。(そしてその時おじさんになった僕を助けてください)