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2011/06/15 考え(ゲイ関連)

学生のころ、、、それはすべての学生時代、、、小中高大と、僕はまったくもてなかった。転換期といえるようなできごとは、高校生の頃に訪れたが、恋人などは夢のまた夢であった。
小学生時代、僕は非常におとなしかった。今でも人見知りでおとなしい片鱗というのは強く残っている。(もちろん後天的なトレーニングで、人見知りっぽい雰囲気は隠せているかもしれませんが)
中学校時代も高校の途中までも一緒であった。プライドが高かったと、客観的に見ればそうかもしれない。単純にいうならノリが悪かったということかもしれない。
高校や大学ごろになって、いくつかの転機があった。たとえばそれはノリに関することかもしれないし、プライドの高さが解消したことなのかもしれない。もちろん子供の頃からくらべて顔がかわったことも要因かもしれないし、ファッションや髪型などかもしれない。
いくつかの転機を迎えて、以前よりモテるようになったように思う。しかしそれは、今まで年間を通して恋愛がゼロだった状態から、年に何回かは、恋愛ができるような状態になれた。という程度の変化でもある。
しかし人見知りの片鱗が未だに残っているように、モテに関する考え方というのは、小中高の間にだいぶ固定されてしまったように思うし、それがまた矯正するのが大変難しいと考えている。
僕は恋人がいても、ほかの人とつきあうような、そんなバカげた事をしようなどとは思わない。しかし「つきあうような状態」の直前ぎりぎりまでは許容してしまうような、そんな考え方なのである。もちろん同様のことを彼がやっていたら絶対にいやなので、それとは違う。理性としてそれをしないのはもちろん規律的な行動である。しかし考え方としてはそんな感じ。
おそらくこれは、かつてもてなかったことが非常に大きいのではないかと思うのである。
一人の人と、長く一途な信頼関係を築くような恋愛関係ができていた場合や、一世一代の告白で、OKをもらえた場合など、恋愛を信じるに値すると判断するような出来事は数多くある。
しかしそれは幸せなごく一部の人しか得ることができない。
大多数は、数多くの人に告白してはフラれ、せっかくつきあえた人とも、短期間で、裏切られるような出来事ともに破局を迎える。そのような例はごまんとあるのだ。そして僕は完全にここに所属していた。
だとすれば、告白が成就しても、次の保険を探すという行為には、さも合理的であるように考えてしまう。もちろんそのような考え方や行動が、破局を早める事になるのだと思う。しかしこれはかつての恋愛の経験則とでもいうべきだろうか。
彼のおかげで、そのような考え方がばからしいことに気づくことができた。そしてもちろん僕は理性もある。しかし根本の考え方を矯正していくには、まだまだ時間がかかるのではないかという心配もしているのである。
2011/06/12 考え(ゲイ関連)

以前に比べて、おならがよく出るようになった。一日に何回もぶーぶーやってしまうのである。
そしてこのおならの問題。あなたはどのように考えるだろうか。親しき仲にも礼儀あり。恋人とのおならの問題は深刻なのである。
僕は、そしてまたいつもの通りではあるが、大変一方的な意見を持っている。非常に単純ではあるが、自分のおならはいい。彼のおならはダメ。というものである。まあもちろん大まじめにこんな意見を主張するわけではないが、いくつかの気持ちを書きたいと思う。
おならがよく出る。それは当然自宅で一人の時も出るし、彼と一緒の時にも出る。もちろん外出中でもでる。ただ相対的に、彼と一緒の時か一人の時が多い。なぜか会社ではあまり出ている印象はないし、電車に乗っているときなども同様である。もちろん彼によっておならが誘発されることなどとうていあり得ないので、とても不思議なことでもある。
さて、そうしておならがしたくなると、僕はところかまわずブー、と。2回や3回連続になることもざらで、そのときにはブー、ブー、となる。
おならが出てしまうのは仕方のないことである。なんだけど、やっぱり節度ある回数が理想でもある。今のような状態は、必ずしも適切だとは思えない。だけどやっぱり仕方がない。
ということで、僕はところかまわずブーっとやってます。という話。
さて、彼の場合。彼は滅多におならはしない。「アイドルはおならもうんちもおしっこもしないもんね」と、僕は冗談で言うことがあるが、本当におならをいつしているのだろうか。などと、思っているとたまにブー、としてくる。非常に少ない回数、そして遠慮がちなブーだ。
そして僕は必ずいう。「こら!おならするんじゃない!」と。彼は「かおのしている回数と比べればたまにするのぐらい別にいいでしょ」という。本当にその通りだと思う。だけどNo!といいたい。
どんなに親しくなっても恋人とのおならはダメという話を聞いたことがある。僕はおそらく友人関係のころからおならをするだろう。そして恋人関係になってもおならをするだろう。
そして恋人のおならも別にいいのではないかと思う。もちろん、ダメ!という主張はするが、全然気にしていないという、なんとも微妙なことなのである。
2011/05/28 考え(ゲイ関連)

若いうちのに○ヶ月フリーだという話を聞くことがある。一方でモテる人なのか、運のいい人なのか、浮気性の人なのかわからないが、フリーな期間がほとんど無いという話を聞くこともある。
僕としては「適度な空白期間」が必要だと考えている。
空白期間がない場合は、色々と問題があるように思う。それはすぐに付き合うことが問題かもしれないし、ひょっとしたら、恋人と別れる最後のほうは、すでに次の恋人候補と知り合っている可能性があるからかもしれない。
空白期間は、その人のいい部分を引き出す絶好のチャンスだと考える。以前の恋愛を反省するのは数日では難しい。数カ月でようやく。という感じ。なかなか次の人がみつからない、もしくは見つかるかわからないという状況では、反省どころか次を探すのに必死になってしまう場合もあるだろう。もちろんそれでいい。
しかし反省の度合いや次に活かそうと考える度合いと、早く次の恋人が欲しいという積極性のちょうどいい時間が、半年から1年ではないか。
たしかに数ヶ月も恋人がいないと、ちょっと焦ってくると思う。ちなみに僕もそうでした。そして1年を過ぎたぐらいで、もういいやというあきらめの意識。そして諦める覚悟を十分にしたころに、付き合い始めたという変な感じです。
その焦りもまた、とても重要だと思う。別れてすぐの場合には、次を探す気持ちにはならないかもしれない。しかし数ヶ月もすれば、新しい恋人をさがすようになるだろう。3ヶ月ぐらいしてから、徐々にそろそろ・・・という気持ちが出てきて、半年もすれば、ちょっと焦ってくるのではないか。
若い時期の1年ぐらいの空白期間は、そこまで焦る必要も無いと考えている。だって出会いは無数にあるのだから。(いい人と出会えるのかは別な話)
ちなみに、年齢がある程度いってからの空白期間は非常に恐怖であるが、それはまた別の話題。
友人でそろそろ1年近く?以上?シングルの人がいる。たしかに色々焦っているという発言は多いし、そろそろ見境なくアタックしそそうな所まできているのが怖いとも思う。しかし自信を持って自分を磨いていれば必ず出会いはやってくるはず。
2011/05/24 考え(ゲイ関連)

男性のみが好きだと言う、ゲイの人がいる。
女性も大丈夫だという、バイの人がいる。
そして僕自身は、自身はバイに所属していると考えている。このことについて、少し書きたいと思う。
先日の記事で、徐々に割合が変化したという話を書いた。それについて。
高校生ぐらいのころ、自分の中で性的な変化に対する無視できないと思える片鱗があった。もちろんこのときは具体的に行動を起こすほどでもなく、そういう感情が芽生えていること、しかし通常の生活を、なんのストレスもなく遅れる状態にあった。そのため、バイといっても、いわゆるノンケに限りなく近かった。1:9とか 2:8ぐらいだっただろうか。
しかし大学生になって、高校の時よりも少し男性に対する気持ちが大きくなってきた。このころは、3:7とか4:6で、まだ女性のほうが相対的に大きかったとはいえ、それでも行動を起こすには十分であった。
このころ知り合った友人に、そのような話をしたところ、「最初はそうでも、徐々に男性の割合が大きくなってゲイになるよ」そのように言われたことがあり、とても印象に残っている。
今までの出会いを通じて、たしかにバイと答える人でも様々な人がいた。例えば女性に対する欲求はゼロでも、「頑張れば性的に興奮する」と、おそらく常識的にはゲイに分類されるのだろうが、そういう人もいた。もちろん、多分興奮しないけどわからないからバイと答える人もいた。
彼女がいながら男性との欲求を満たす人ももちろんいた。その逆もあったと思う。もちろん肉体的なことだけではないので、今までは彼女がいたけど、別れたから今度は男性。というパターンもある。
そしてたしかに言えると思えることとして、最初に僕自身が言われた、「いずれゲイになる」という話である。たしかにほとんどの人は、最初はバイであっても、徐々にゲイになる。だからバイと答えるのは、比較的若い人が多いように思う。
色々な可能性として、男性・女性のどちらを好きになるのかについては、自由でいいと思う。しかしバイとしての立場を維持することは難しそうだ。
僕自身は先日書いたように、7:3とか8:2ぐらいである。そしてそれは、もちろん証明することなどできない。そうなんだけど、例えば一人で処理するとき。おかずはなぜか普通のAVで、しかもちゃんと女性を見て興奮している。ということで、やっぱり僕はやっぱりバイなんじゃないかと思っているのである。
2011/05/22 考え(ゲイ関連)

書きたいと思っていた記事ではあるが、なかなか進めることが出来なかった。理由は単純で意見が固まってないからである。
でもある方からコメントを頂いたことによって、それを考えるようになった。
バイというのは、おそらくその言葉からくるイメージとは違って、意外と悩みが多いのである。一部もしくは大多数の考えを代弁しているなどという大層なことを言うつもりは無い。そこに所属している者として意見や考えをまとめておきたいと思う。
バイのイメージってどういうものがあるだろうか。きっと結婚までの寄り道とか、どっちつかずとか、いい加減とか。そういうイメージがあるのではないか。ある意味では正解で、ある意味では間違っているように思う。
僕の友人でバイの人がいる。その人は、かつて女性とつきあいながら、男性とも遊んでいた。(女性とつきあっていて男性は遊び)
その友人はいずれその女性と結婚するだろうと言っていた。正直なところこのような考え方はいまいち理解できない事であったが、大多数でそのようなことが起きているのかもしれない。
このような例をみても、性的なことに関しては特にバイは信用できない部分が多い。最終的には結婚というゴールがあるし、なによりも性的にただ遊んでいるだけのようにも思える。女性が大丈夫なら女性だけにしておけよ!どうせ結婚するんだから、と。
ただ難しいのは、結構な人数が途中バイという道を通ることだと思う。例えば学生のころまでは社会的なこともあって、女性と付き合ったりする例は結構あるし、「もしかしたら」と感じる人も思春期には多いと思う。若い時には、「学生の頃まではどっちもイケると言ってても、だんだんゲイになって女性は無理になるよ。」そのように言われた。確かにまだ確立していない場合には、4:6で男性がいいとか、7:3で女性がいいとか、そういう話をしたことがある。そうやって(大半は)最初はバイといいながら徐々にゲイになっていく。
かくいう僕もそうであった。最初は3割ぐらい男性が気になっていた。もちろん男性に目が行くことは多かったけど、目が行くぐらいだったしそれ以上の何かなんて想像ぐらいで行動など考えてもいなかった。
少しずつ自分の中でその存在が大きくなって、どっちかを選ぶときにはきっと男性を選ぶかなぁと思うようになった頃、僕はこの状態を6割ぐらいゲイよりだと認識していた。かつて言われたように、このままいくといずれは女性はダメになるんだろうなぁと、安心とも不安とも言えないような気持ちであった。
今となって、7割を少し超えたぐらいまでは来た。しかしもう30歳になった。このまま固定されるように思うし、今更完全なゲイになったところでという考えもある。
もちろん2割は女性が気になる気持ちを持っているので、女性というのが性の対象になるのは事実である。事実なんだけど、なんとも言えない気持ちがそこには存在しているのである。
2011/05/21 考え(ゲイ関連)

ゲイの人で、ネガティブな人がいます。何があっても「俺(僕)みたいなもんが」という発想につながるようです。
楽しいことがあっても、一時的なことであり、すぐに例えば恋人であれば破局を想像し、遊びであれば終わりを想像するような。
一方で僕自身。僕は相当にポジティブです。あまり気にしない性格もそうですし、後ろを向く姿勢よりも前を向きたいというか、そういう考えだからなのかもしれません。
今までの恋人との別れも、もちろん別れは悲しくて不幸なことですが、次のいい人が見つかるチャンスだと考えるようにしていましたし、当時の若くてまだ市場でも存在感が会ったときのことを考えると、どうせ別れるような人と、貴重な時間を過ごすのは、長期的な不幸につながります。そのため悲しい別れであっても、なるべくそちらに気持ちを向けるのではなく、次・将来に目をむけるようにしていました。
僕の彼のようにネガティブな人というのは不思議です。例えば可愛くないから恋人ができない、とか、性格が悪いから恋人ができない。という考えはわからなくもありません。僕ももっとかっこよければ、、、もっと他の友人のように活発なコミュニケーションができたら・・・いつも想像しています。
僕はネガティブな性格は基本的に好きです。それは優しさにつながるからです。フラれることが心配なら、ふられないための努力をすると思いますし、「一緒にいてつまらないかも?」と思っているのならば、面白くするための努力をしてくれると思います。事実僕の周りにいるネガティブな友人は、そういう性格を持っているように思います。
しかしネガティブが基本的に好きだと考えるのはこの気遣いの部分までです。大体において、ネガティブな人は、この先の部分があるのです。そしてこれは僕であっても受け入れることがしにくい部分です。
端的なことを言えば、1000回の好きという言葉をかけても信じないネガティブさんは、1回の嫌いという言葉を信じます。僕にはこれがどうにも受け入れられません。もちろんネガティブな言葉のほうが相手にとって通じやすいのは事実だと思います。しかし、しかし、と思ってしまうのです。
「ネガティブゆえに相手のことを思いやる」ならば1000回の方を汲みとって欲しいと考えてしまいます。
いろいろな性格がある中で、ネガティブというのは、別にそれが嫌な部分とはなりません。少なくとも僕はそうですし、むしろ好きな部分です。しかしあまりにも行き過ぎると、恋人ではなく、友達止まりという事になるんじゃないかと、少し心配しています。
2011/05/17 考え(ゲイ関連)

※画像の色味が変になってます・・。
姫は大変だ!という話。
友人との会話の中で、彼氏に「お前はいつでも俺のそばにいてくれるだけでいいんだよ。だから働かなくていいから、つねに一緒にいてくれ。」などということを言われたらどうするか、という夢物語の話をしたことがあります。そんな感じのことを言われたらどうする?と。
その時に、その友人はそんな夢みたいなこと言われたい!。そしてもし言われたら、「あなたのためだけにたくさん着飾る!」と答えると言っていました。
絵に書いたような、模範的回答だったのでしょうか。僕は大変関心するとともに、方向性の違いや、恐怖感さえ覚えました。
いわゆる男性側、例えば僕の場合であれば、僕はあきらかに「常にそばにいてくれ」と、言う側です。少なくとも言われる側ではありませんし、もし言われても窮屈に感じてしまいます。
言う側として、欲しい回答っていうのはどういうものだろうか、と考えてしまうのです。
たしかに、いつも可愛い状態でそばにいて欲しいという欲求が無いわけではありません。しかし当然のことながら、見た目だけの魅力でもないわけで・・。
そして言われる側。結局言われる側としては、洋服とかアクセサリに浪費したいだけじゃん!と。もちろん、日々の努力は重要ですし、その努力におしゃれも含まれるのだと思います。しかし。しかし。と複雑な気持ちなのでした。
ちやほやするという話。
僕は、「みんなにかわいいと言う」という記事を書いているほどですが、基本的にみなさんを褒めます。褒めるという表現んでもいいですし、もう少し俗っぽく言うならばちやほやする。ということでしょうか。
「かわいい」と自覚がある場合には、ちやほやされてとても喜ぶ場合があります。僕もそうやって褒めるのが好きですし、喜んでくれれば僕も嬉しいです。
しかしこの手法には問題があります。
かわいい感じの人が複数人いる場合に、ちやほやが分散すると言うことです。例えば飲んでいる席で、冗談で「友達紹介するのはいいけど、もしそうなったら、俺は誰を一番ちやほやすればいいのかわからないよ」と。
大体の場合において、そのようなときは、「僕が一番じゃなきゃイヤだ」と、みんながみんな口をそろえていうのです。そしてたまらなくその瞬間はかわいいと思えるのです。
もちろん彼氏がそういう事をいうようなのはイヤなのですが、なんというか、たまにはそういう刺激もいいですね。というはなしでした。
2011/05/15 考え(ゲイ関連)

年上が好きだという人と話しをすると、魅力的な年上がいない、少ないという話を聞く。一方で、魅力的な年上は、すでに恋人がいる。という話も聞く。だから少ない魅力的な年上で、フリーな人というのは貴重だと。みんなが群がるので競争力も高いと。
大変興味深い話だと思う。
かつて書いたと思うが、30代というのは、精神的な魅力と、まだぎりぎり残っている肉体的な魅力の両方を持ち合わせているように思う。30も半ばをすぎたあたりから、肉体的、性的な衰えというのは抗うことが難しい。もちろん精神的な充実はますますあると思う。しかし30代前半であれば、この精神的な部分と肉体的な部分がちょうどいいバランスなのではないか。
そしてそれを魅力として捉えるということは、何ら疑問ではない。
同年代の友人を見て、たしかに30代というのは非常に魅力的だ。友人としても面白い。例えばそれは社会的な地位と責任からくる考え方や態度かもしれない。もちろん肉体的な衰えからくる、無茶をしない落ち着きかもしれない。
お酒を飲んでいても、会話をしていても年下の子がそれらに魅力を感じるのだとすれば非常によくわかる。
しかしいくつかの問題もある。一つは30代、もしくは20代後半ぐらいだと、やはりまだ年上を好む場合がある。例えば僕の年齢で、年上がいいってなると、結構な年齢を覚悟しなければならない。なんだけど、僕の友人はそれでも年上の、、、もはや幻想だとさえおむのだが、、、追いかけている。これにはとても不思議な感覚である。
またニートやもしくはそれに近い友人もいる。いろいろな事情はあるにせよ、いたずらに年齢を重ねた場合については、魅力の醸成が正しく行われているのか、難しいところである。
僕の何人かの同年代の友人は、とても魅力的なのにフリーな人ばかりだ・・。これもまた市場のミスマッチなのだろうか。
※すいません。明日は気合を入れた記事を書き下ろす予定です。今日はいろいろ予定があったため、こんな感じで失礼します。
2011/05/11 考え(ゲイ関連)

いわゆる “普通” っていうのは、至る所に存在している。ゲイも例外ではない。一般人が考える「普通のゲイ」って女性言葉を使う、いわゆるオネエという認識が広まっていると思うしかしゲイが考える一般的なゲイってなんでしょうか。っていう話。
僕が友人とか知り合いとかのゲイを通して感じていること、それはやっぱりどこかで女性的な部分があるということ。
ゲイは必ずしも女性になりたいってことではなく、自分は男性のまま男性を恋愛対象としていることが多いと思う。
だから性同一性障害というのはゲイの中では結構珍しいと考えている。
しかしいわゆる一般的なゲイを考えたとき、その「一般」は、どうしても2つに別れる。やはりそれが男性的か女性的かという話。
男性的なゲイと女性的なゲイというのはやはりどうしても存在している。それらが入り交じった人というのももちろん一定数いるが、比較的どちらかにポジションをおいている人が多い。
男性的か女性的かを見極めるひとつとして、女性の友達の多さ。ということが挙げられる。
ゲイに限ったことではないと思うが、ゲイの女性的な人の多くが女性の友達が非常に多い。普通と言っていいのかわからないが、男性にとって仲の良い女性の友人というのは、恋愛関係への第一歩になりかねず、友人関係の維持はそこそこ難しいことだと思っている。そんな考えだから、たくさんの女性と仲良くなるのは難しいだろうとも思う。
それに第一、仲良くなるために女性特有の世界に足を踏み入れようとも思えない。
しかし女性的ゲイの場合、いともその世界に簡単に入り込むから驚く。
男性的なゲイの場合、おそらく社会生活は完全に男性的なのではないだろうか。僕自身はそれに該当するのだが、実はこれに該当する他の人をほとんど見たことがない。ゲイの世界ではネコが多いが、女性的なゲイが多いのも事実である。
そしてこの女性的なゲイの一部がオネエという存在になるように思う。僕自身の知り合いでの生粋のオネエという人は数少なく、飲み屋で会う程度の人しかいない。だからよく分からないのが事実のところである。
そしてオネエは女性を嫌う・苦手意識を持っている人もいるし、すっかり溶け込んでいる場合もある。
何を持って、普通とか一般的と表現していいのか難しい。だけど、少なくともゲイにとって、性格で分けるなら男性的・女性的の2つになるのではないか。もし特徴として分けるのであれば、会話の方法が男性的・女性的となるのだろうか。
2011/05/08 考え(ゲイ関連)

別れた恋人と連絡をとったりますか?僕は完全に切れる場合とほそぼそと連絡を取る場合に分かれます。といっても、そんなに付き合った人がいるわけではないので、相当に限定的ですが。
そしてやっぱり気になるのが元彼の今彼の話です。別れた恋人であっても当然友人関係が続いていれば、僕ではない誰かとの幸せな生活を願っています。
願っているのは事実なのですが、ここでカッコイイ・かわいい恋人を見つけた場合と、相対的にそうじゃない恋人を見つけた場合。これが非常に微妙で、僕はどちらの場合にも嫉妬心とはいいませんが、なんとも表現しがたい感情が芽生えるのです。
もし新しい恋人が、ぐうの音もでない程にカッコイイ場合。僕はおそらく嫉妬心に近い感情が芽生えます。と同時に、(ブサイクな)僕との別れを迎えてよかったのじゃないかとも思います。少なくともフリーのおかげで、今のカッコイイ彼を見つけられたのだと。
逆にブサイクな恋人を見つけた場合。このときはなんとも言えない感情です。こんな人と付き合うのかぁ・・・と。性格とかわからないし、いい人なんだろうけど、もっと見た目も優先すればいいのに、と。もちろん顔は些細なことなのでしょうが、やっぱりそのような感情が出てきてしまいます。
ゲイの世界では恋人になったとしても、すぐに別れを迎えることがよくあります。恋人を作るのはやっぱりとても大変なことだと思いますが、色々な部分に妥協せずに頑張ってほしいですし、素敵な恋人が見つかるように願っています。