過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 考え(ゲイ関連) 」 一覧

  2011/08/06    考え(ゲイ関連)

見た目が若い人。僕からすればとてもうらやましいが、一定数存在している。僕が仕事で取引のある、友人は僕よりも1-2つ年上だったと思うが、非常に若く見える。幼く見える。他にも今まで出会った人の中でとてもでは無いが、同年代には見えないという人が何人かいた。

僕はこの記事を嫉妬の気持ちとともに書きたいと思う。

この業界では若さが非常に重要であるというのは、もうさんざん書いてきたことである。しかし今回は若干矛盾することになる。
年齢に相応さも必要ではないかと思うのが、この幼く見える場合なのである。

若作り・・・であれば、それを否定的に考えるのはとても簡単である。若作りをしている人は、どうやって他人にアピールしたいのか、正直分からない。年寄りも若く見えることが重要であれば、別にそれでもいいと思う。だけどなんか目的と手段がごっちゃになっているように感じる。

結局相応な見た目というのがあって、各年齢ごとに若干のプラスマイナスはあっても、標準に落ち着くことが重要だと思う。それは結局本人の魅力につながると考えているから。30代で20代に見える場合、「それがいい」と言う人はいるのだろうか。
本当は20代がいいけど、とりあえず20代に見える30代でいいか。という妥協にならないのか。年上が好きと言う人がいる場合、若く見える年上をタイプとしてくれるのか。

しかし特に若作りじゃなくても若く見える人もいる。僕の友人はだいたいここに該当する。こういう時、たとえば恋人探しなどはどうなるのだろう。すごく興味がある。
上記に挙げたように、なかなかストライクになることって少ないんじゃないかなぁと勝手に心配してしまうのです。
30代でかわいい・幼い顔の場合、競合するのは20代。少なくとも肉体的には20代は強敵だ。もちろんだからこそ、こちらは性格で勝負することになる。

僕自身は、昔と今とたぶん色々顔も雰囲気も変わってきていると思う。それが交友関係やモテに変化を生じているのかは分からないが、それでもやっぱり未だに昔のような幼い感じだったらちょっと違和感を感じてしまうかもしれない。

まあそうはいっても、やっぱり若く見えるのはうらやましいなー。
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  2011/07/07    考え(ゲイ関連)

ゲイの出会いをする中で、あまり業界に慣れていない人がいいという話を聞くことがある。慣れている人=遊んでいる人という図式なのかもしれないし、慣れている人=友達が多い=浮気が心配
ということかもしれない。

しかし非常に微妙なことがある。たとえば何を理由として慣れていると判断されるのだろうか。2丁目に行く人?友達が多い人?サークルに所属している人?

確かに染まっている人というのは、ちょっと異質なところがある。たとえば僕の場合、社会生活をしっかりと営むことができるのか。というのは重要な指針である。しかしあまりにも染まりすぎてしまっている人は、どう考えても社会生活を営むことができないであろう人も一定数存在する。(その場合、マイノリティ向けの仕事に就ければ、幸せなのかもしれない)

そういう場合は別として、普通程度に染まっている人ならば問題ないと思う。

2丁目で遊ぶことを指標にするのはどうなのだろうか。確かにお酒を飲む場合、飲まない場合に比べて、出会いのチャンスは広がるかもしれない。しかしそれは交友関係が広まるいい意味でのこととして考えることもできる。これをいやがるのはあまり説得力が無いように思う。

結局のところ、処女信仰に近いものがあるのかもしれない。

昔に比べて、2丁目の存在は身近になっているように感じる。それは僕のようなあまり積極的に他者との交流を持たない僕でさえも新宿で飲むことがあるからかもしれないし。ツイッターなどで、比較的簡単に誘ったり・誘われたりできるからかもしれない。

確かに昔に比べれば、染まってない人という条件をつける人は少なくなった。しかしまだまだ根強く、この染まってない人というあいまいな条件は存在しているのである。
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  2011/07/05    考え(ゲイ関連)

カミングアウトについては、三部作で終わりにする予定でした。が、いくつかの興味深いお話を頂いたこともあって、今回もちょっと言及したい。

誰かに何かを伝えるとき、その情報が正しく伝わる保証は全く無い。だから例えばビジネスの世界では、最低限の内容については契約という形で、書いて約束を結ぶわけだし、社会を生きていく中では、それは常識をよりどころにするかもしれない。

カミングアウトについても、同種の問題が発生する。

ゲイであることを伝える時に、それが誤解が無くすべて正しく伝える・伝わると期待することは一種の無謀では無いかと考えている。

いくつか思いつく部分というのはある。例えば僕の説明するゲイと、ゲイのほとんどが感じるゲイというのは違うかもしれない。そう言う意味でも僕自身がそれを説明するために口を開いた瞬間から誤解は生じる可能性がでてくる。

もちろん僕自身の気持ちや考えを、より忠実に慎重な言葉を使ってそれを説明しても、まだ誤解は生じる。例えばそれは言及していない部分での誤解かもしれないし、すでに持っているイメージからくる誤解かもしれない。

例えばゲイと宣言することによって、それを聞いた人は「女性言葉を使ってないじゃん。家族の前では使ってないけど、ホントは使ってるんだよね?」という誤解かもしれない。
極端な場合であれば、それって病気なの?とか、治るの?とか。

これはもう仕方の無いことだと思う。

そしてこれは派生した別の問題を生む。僕→友人→友人 という伝達が行われる可能性である。僕から友人に説明するとき、それはなるべく事実を伝えるし、そこから生じる誤解というのは、そこまで大きくならないだろう。しかし友人が友人にそのことを伝える時、そこには恐ろしいほどの誤解が含まれる可能性がある。

一つは、おもしろ半分という人がいるであろうこと、事実をよく知らない人が噂をすることによって広まる話。それが、僕の無視できる範囲であれば、問題無いと思う。しかしそうも言ってられない状況になる可能性もある。

それについて、僕としては友人を選んで伝えるので、そこから広まることは基本的には無いと考えている。しかし「それは絶対に無い」という意見もある。であるならば、そこから広まるのは仕方が無いのではないか。思いつく具体的なデメリットというのがあまり想像できない。
※ちなみに今まで伝えた数名から他に漏れたことがない(漏れた事実を知らない)ので、今後もそれを想像してしまう。

僕は他人の行動をコントロールしたいとは思っていないし、できるとも考えていない。だから僕が友人たちに伝えた後、その友人がどのような行動を取るのかについては、友人にゆだねるしかない。そしてその考えは今までにおいてはうまくいっていた。

これからは職場でもある程度はオープンにしていくことも視野に入れているので、(少なくとも部下には伝えた方がやりやすいような気がするし)
意図しない形で、伝わることもしっかりと考えていきたい。

  2011/07/04    考え(ゲイ関連)

友人へのカミングアウト。
非常に難しいと思う。今まで書いた、兄弟や親へのカミングアウトについては、受け入れる・入れないというのはあっても、それが原因となって、疎遠になることは基本的にはあり得ないと考えている。だって家族だもん。逆にそれは僕が、今の僕の価値観では受け入れることが難しいような告白を家族から受けたとしても、それが法律で問題がなければ、ある種のあきらめかもしれないが、その事実を受け入れるだろう。

一方で友人は、価値観の違いは距離感につながると考えることもできる。もちろんそんな人が多数ではない。だけど、一部そういう人がいるし、そういう悲劇は聞いたこともある。「言わなければよかった」と。もちろん大多数は「言ってよかった」となるのかもしれない。

僕の場合。
僕は今つきあいのある友人にはそれを伝えてもいいと思っている。今まで、「伝えない」「伝える」であったが、今回は「伝えてもいい」

もちろん伝えれば友人の全員はそれを受け入れると思う。
今まで僕はつきあった人には、男性とも女性とも付き合ったことがあると伝えてきた。そして今まで全員がこういうのであった「かお。らしい」と。

よく分からないのだが、僕はどん欲らしく、そういう意味で男女関係なくそういうことを追求しそう。という、いいことなのか悪いことなのかよく分からない理由を言われたことがある。また「かお。は男でも女でも何でもいいんでしょ。たとえ動物でもね(笑)」とも。

恋人関係、もしくはそれが近くなるときに告げるのは、毎度のことになっていた。僕は今までの恋人の履歴を開示したいとも、して欲しいとも思わない。だけど、まあそういう会話は普通なので、いちいち隠したり置き換えたりするのが面倒。それに僕とつきあうぐらいなので、相当な常識とは違う数々の行動は受け入れてもらわなければならない。

友人たちも同じ。僕と懇意にしてくれる友人たちは僕の常識外れの行動はもう理解してくれている。だから今更好きの対象を伝えたところでいちいち驚かないと思う。で、だからこそ、いちいち報告することなのか。と僕は考えてしまうのである。

「かお。のことだから、いちいち驚かない」そのようなことを言われるために僕はカミングアウトする必要があるのだろうか。

とりあえず友人に対してのカミングアウトは35歳が目安だと考えています。が、早まりそうです。
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  2011/07/03    考え(ゲイ関連)

兄弟へのカミングアウト。僕には妹が二人いる。そして一人の妹への軽いカミングアウトはすでに行っている。

というのも、僕がバイであることはすでにずいぶん前に伝えていた。大学生時代だったと思う。女の子とつきあっていた時にはそのように報告したし、男性とつきあっている時にはそのように報告した。

妹はいわゆる腐女子なので、特にそれには抵抗が無いようである。ただし現実のそれには全く興味も無いようで、話を聞かれたことはほとんど無い。「今は男の子とつきあってるの?それとも女の子?」ぐらい。質問が淡泊なところをみると、単純に興味が無いのか、嫌悪しているのかのどちらかなのかもしれない。

親へのカミングアウトについて、僕はしないと書いた。そして妹については、した方がいいと考えている。
それはやっぱり年齢によるものが大きい。別に僕にとって、妹の存在というのは人生において大きな意味を持たない。家族だけど、仕事も関係ないしそもそも妹の一人はすでに結婚しているし。

しかしゲイとかバイについて、妹はそれを知って考えることができるだろうし、受け入れることだってできるかもしれない。もちろん受け入れられないのであれば、それはそれ。
一人の妹は年齢が僕と一つしか違わない。だから告げることは何ら問題も無いし、日常会話の中で、それを伝えるチャンスというのは大いにあった。

しかしもう一人の妹。こちらが問題である。
何よりも問題なのは、二人で話すことが全くないということ。10歳も離れている妹は、今は20歳。もちろんゲイのことは知っているだろうし、おそらくすんなりとそれを受け入れると思う。
しかしどうやってそれを告げるのか。わざわざ呼び出すなんて絶対無理。でもこれからもきっとっ二人になることは無いだろう。

現実的なのは兄弟3人で会うタイミングを作って、(妹の卒業祝いとか就職祝いとかでね)そのときに、しれっと言うのが現実的だろう。

ということで、兄弟にはカミングアウトしますよ。という話。
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  2011/07/02    考え(ゲイ関連)

いくつかの記事に分割して書きたいと思う。カミングアウトというのは、その対象者によって、考えるべき場所があると思うからだ。

避けて通れないのが親へのカミングアウトだと思う。
ということで、今回は親へのカミングアウトについて。他には友人や(元)恋人へのカミングアウトについても書きたい。

まずカミングアウトについて僕自身が思うのは、そこには自身のエゴが含まれているのではないかという事である。
もちろん嘘偽りのないありのままの自分を表現し、それを家族や他者から受け入れてもらうことは非常に重要なことだと思う。
一方でそれは、オープンにしたいという自身の気持ちが強くなりすぎないように、僕は注意したい。それを言われた方にも、新しい価値観に対峙しそれを受け入れるのか拒否するのか、今までの価値観との葛藤は少なからず生じることになるのではないか。

カミングアウトは容易ではないだろう。それは簡単に想像できる。相手が嫌悪を示した場合、否定的・批判的だった場合。告白することが引き金となって、それまでの関係を維持できなくなる可能性もある。そこまでのリスクを冒してまであえて告げる必要はあるのだろうか。

そして一番身近で一番大きな存在なのが親であると思う。

僕の話。
僕は「親に対してだけはカミングアウトをすることは無い」と考えている。いくつかの理由がある。別に親が受け入れないからとか、否定的に考えているからという理由で告げない訳ではない。きっと親は戸惑いながらも、僕の主張を半ばあきらめながら聞くだろう。そして、たとえ理解できない・受け入れない状態だったとしても、今まで通りに生活は行われていくと思う。親はいい意味でいままでそうだったし、悪い意味でもそうだった。

僕はこのような親の態度をむしろ肯定的に考えている。僕は自由が与えられた方が、うまくやっていく自信がある。自由にした結果がいわゆる親が考える昔から続く常識とは違ったとしても、それが違法でない限りは、親は僕の行動を咎めたりはしないと思う。そんな親なのである。

そしてそれが想像できるが、一方で僕の親は高齢である。今更それを告白されて新しい価値観に触れることの意味を考えてしまう。もちろん親は結婚を期待している節があるし、僕は長男なので、親の常識から考えると、常識的な道を歩まない不安というのがあるだろう。
だけどそれは最初に挙げたとおり、親は僕の好き勝手にさせてくれている。だからそっちの方で(恋愛はしつつも結婚までは至らないんだろう)と考えてもらえれば十分。

十分に高齢の親にとってゲイという新しい価値観を受け入れることは可能なのか。そういう疑問がある。僕の環境においては自分の親には告げないということなだけで、特に親には黙っていなければならない理由は無い。念のため。

だから僕は親にはカミングアウトをしないと考えている。

一方で彼の場合。彼の親はまだまだ若い。たぶんこのブログを読んでいる方で婚姻している人がいれば、きっとあなたと同じかやや上ぐらいの年齢ではないか?(一般的な年齢で結婚し、大学生の子供がいる年齢・・・)そう考えると、まだまだそれを受け入れられる余地は十分にある。
※ちなみに僕の親はもう60歳とか70歳とかですが、彼の親は50前ぐらい??。

40代とか50代であれば、子供がゲイであることを考える時間は十分にあるし、それができると思うし、するべきなのかもしれない。

だから彼には何かのタイミングで、それを伝えて欲しいと思っている。きっと彼にも相当な勇気が必要だと思うし、覚悟も必要。そしてそれは告白する側だけではなく、親の側も相当の覚悟とともにそれを受け入れなければならないと思う。

だけど、きっともう薄々気づいているのではないか?という期待(恐怖)も若干ある。

いろいろな人へのカミングアウトというのは、おそらく最終的な仕上げとして、とても大きなことだと思う。だからこそ慎重に考えたい。

もちろん言うことが重要であれば、言わないことも重要なのではないか。
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  2011/06/28    考え(ゲイ関連)

なんだかんだ書いたけど、怖い。検査は怖い。身に覚え・・・そいういうことじゃなくて、やっぱり緊張はする。
前に受けたのは今の彼とつきあいはじめてからなので、もう3年?がすぎているということになる。

そろそろ検査をしたい・しなければと思った。ということで今回僕が行った検査の流れ。

検査の結果はだいたい翌週にわかるところが多い。検査所の一覧のようなパンフレットがあり、色々調べてみたが、どれもだいたい検査をしてから結果は1週間後であった。

思い立ったらすぐにでもやりたい。そう思っていた。今回検査を受けたのは、6月の上旬であったが、来週・再来週という日程では忙しさのピークであったり、出張の予定も入っていた。やもすれば、結果を聞けるのは7月の半ば頃になってしまうのではないか。それがとても心配であった。だって1ヶ月もヤキモキするなんて!

僕が住んでいる場所の最寄りの検査所、、、そしてそれは前回も僕が検査を受けたところだった。そこに電話をして聞いてみる。すると検査はその週の木曜日にあるというのだ。これならちょう出張前に結果が判明する。万が一の時はいろいろな精神状態で出張を迎える事になるが、まあそれも運命だろう。

電話をかけて、「HIV検査をしたいのですが」と先方に伝える。「わかりました。一番近い検査日は○日の木曜日になります。よろしいでしょうか。」「はい大丈夫です」「それでは○番で受付を行いましたので、当日は受付にその番号をお伝えください」という流れ。

検査の当日、受付にいって番号を伝える。すると受付表とアンケート用紙をもらう。「匿名でかまいませんので、お名前を記載してください。簡単なアンケートがありますので、お答えください。」と。

その紙を提出して、番号札をもらう。「○番でお呼びしますので、検査室までお入りください」と。

検査室に入ると、まずはコーディネーター?の人から簡単な説明を受ける。「行為があってから60日以上経過していないと、検査結果が正確に出ません」とか、「もし陽性であってもこちらでは治療についてのお話はできませんので、検査結果を持って改めて病院で検査をしてください。もちろん必要であれば病院は紹介いたします。」とか。「検査結果は翌週の金曜日になります。そのときにはこの受付表を持ってきてください」とか。

そして一通り説明を受けたら次の部屋へ。そこでは先生から血液を採られる。血を抜いたらあとは基本的なこと、、、ガーゼを腕に当てて5分ぐらい安静にするとか。。をして、その日は終了。

そして神頼みの毎日が始まるのである。

本当にこの1週間は緊張・緊張・緊張だ。くれぐれも繰り返すが、それは身に覚えがあるからとかではない。大丈夫な事を確認するためであっても、やっぱり緊張する。このような恐怖があるなら、「もう誰ともやらない」という発言を聞いたこともあるが、非常によくわかる。ある意味で、セーフですることの重要性を考える意味では、必要な時間なのかもしれない。

検査結果を聞く日。。。受付の時間の1時間ぐらい前から、あらゆる事が手に付かない。冷や汗をかき、呼吸が速くなり、口の中が乾く。気が気じゃない中で、結果を聞きに行くのだ。

受付に行って前回の受付票を渡す。そして番号札をもらう。○番でお呼びしますので。と。

「○番の方お入りください」と言われて、先生の前に座る。このとき緊張はピークに達する。
「○番の方ですね。受付票に間違いはありませんね」と念を押される。

そして検査結果を伝えられるのである。
「今回の検査結果で、HIVは陰性でした。」と。以上ですが何か質問はございますか?と言われるが、僕は「安心しました」と答えるのが精一杯であった。

こうして、毎回の事ではあるが、やっぱり緊張する1週間をすごしたのでした。
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  2011/06/26    考え(ゲイ関連)

ゲイから見て、バイがゲイと女性に接する時の態度が違うという意見を聞いた。これはあるように思う。
僕の場合、男性を精神的に魅力と感じる事が多く、女性には肉体的な魅力を感じることが多い。これは例えば気を使わないから男性が好きとか、そのように考えていることもある。気を使わないわけだから、男性と女性に対する態度が違うと見られるのはあるのではないかと思う。

もちろんバイの都合のいい解釈でしか無いんだけど、僕の場合にはそういう事だった。女性はちょっとしたことで気が変わるし、常にチヤホヤしないと怒るし・・・と、すごく気を使う。プレゼントの内容や発言など。

しかし男性の場合、そこまでは気を使わなくて大丈夫。考えていることも同性だからなんとなくは理解できる。それが男性の魅力だし恋人になった場合の魅力でもあると思っていた。男性を女性と同じように扱うのはすごく難しいことだし(なんとなくスイッチが変わるというか)その逆もまたしかりだと思う。おそらくギャップとしては、女性を男性のように扱う事のほうが難しい。

別に女性に接する態度を変えるのは性的なアピールをしているわけではない。そうなんだけど、もう自然とスイッチが切り替わるのである。かつてお酒を飲んだ時にどんなおばさんであっても女性がいると、男性たちの雰囲気が変わる、と言っていた人がいた。これはまさに本当のことだと思う。おばさんだし誰も狙っていないのは事実だし、むしろ困るんだけど、でも女性がいるだけでやっぱり場の雰囲気というのは変わる。なんとなく男性としての本能がそこにはあるのかもしれない。バイの僕はそれが2-3割だけ存在している。だからどうしても態度の変化がでててしまうのである。

指摘を受けて、確かにそのとおりで申し訳ないという気持ちが芽生えた。と同時になんでなんだろうと改めて考える機会になった。とりあえず今の段階では僕は上記のとおり考えている。しかし恐らくこれには性的な問題も作用しているかもしれない。無い無いといっておきながらも、少しは性的なことを意識しているのかも。だからもし近い将来、性欲が今よりももっと衰えたときには、また態度が変わっているかもしれない。
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  2011/06/23    考え(ゲイ関連)

一言で言うなら絶望感。まるで破滅への道を着実に進んでいるかのような緊張と虚無感。ゲイにとって検査というのは、必要である一方で非常に怖い事でもある。

そしてこの検査について、いくつか考えていることを書きたい。
・検査を受ける必要性
・検査を公開すること
・まわりのこと
・セーフセックス

他のブログでも、また友人たちに話を聞いても、検査の話というのは定期的に出てくる。そして幸いなことに僕の周りの友人はまだ陽性という話を聞いたことは無い。もちろん僕自身にカミングアウトしていないだけかもしれないし、その友人が検査を受けていないだけかもしれない。それはわからないが、とにかく僕の周りはそういう感じ。

検査について、「受けるべき」としかいいようがない。受けない理由というのは全く存在しない。遊んでいても遊んでいなくても、検査は必要だし受けるべきだろう。そして受けるべきだなんて書いている僕自身がいざ検査を受ける時、非常に怖くて、とても勇気のいることである。偉そうな事を書いていても、やっぱりそうなんだ。
本音と建て前はあるにせよ、とりあえず受けよう。としか言えない。そしてみんな怖い(ハズ)

検査は身に覚えがあるから受ける訳ではない。大丈夫なことを確認するために受けに行くのである。だから僕は特定のパートナーとしか性的な事をしていなかったとしても、そしてパートナーが100%信頼できるような相手だとしても、やっぱり検査はしておくべきだと思う。疑うから検査ではなくて、大丈夫な事を確認するために。

たまに検査をしない理由を述べる人がいる。誰ともしていないとか、毎回セーフだから、とか。もちろんそういう理由はわかるが、大丈夫なことを確認すればいいだけの話。

検査について、受けたことや自分の結果を公開している人がいる。そして僕自身も別に公開しても非公開してもいいと思うが、検査の結果は完全にプライバシーであり、公開する必要は全くない。もしあなたが検査を受けたり受けようとしたのであれば、それは完全に秘密で行われ、別に公開などする必要は全くない。

僕自身も検査を受けたとしても、受けなかったとしても、そのことを記事にするかもしれないししないかもしれない。陰性の時には積極的に公開していた場合、もし陽性になったらそういう記事はかかなくなるというのだろうか・・。それはわからない。とにかく書くことも、書かない事も完全に個人の自由にゆだねられているということ。少なくとも僕の場合、記事の有無によって、陰性陽性を示さない。

まわりの反応。これはぺらさんが非常に興味深い記事を書かれているので、そちらも参考にして欲しい。僕も検査の話を彼とすると、彼は「する必要ないでしょ」と僕に言うのであった。もちろん僕は彼とつきあいはじめの頃に検査をしており、何もないことを確認している。だから必要ないといえばそうかもしれないが、やっぱり僕のポリシーは、何もないことを確認するのだ。
そしてこれは根が深いことでもある。何かがあったとき、それを遠ざけるというのは、安易で問題のある事だと思う。「そもそもそういう心配があるような事をするな」という考え方は、あまりにも古すぎる。
たとえば僕が中学生の頃からコンドームを利用した性教育が比較的オープンになってきた。しかしそのときの親の年代では、そもそもそれを使うような行為が問題だという話だった。
(ちなみに、未成年に携帯灰皿を配るようなのとは根本が違うので注意)

そしてそのような考えかたがあるのは理解するが、やっぱりそれも僕の場合は、大丈夫な事を確認するためだから、問題ないと思う。

そしてやっぱりセーフでね!ということ。そして不特定多数との行為は重大なリスクですよ。
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  2011/06/22    考え(ゲイ関連)

今までどのような修羅場を体験したことがあるだろうか。幸いなことに僕自身はそういった面倒なことはなるべくさけていることもあって、ほとんどそのようなトラブルや修羅場の経験は無い。

いくつか非常に悩ましいトラブルの話を聞いたことがある。

僕のかつての友人の話。僕の友人で性格はまったく問題ないし、顔もそこそこという人がいる。しかしどうも恋人に恵まれていない。たしかにかわいいというか、童顔の幼い感じの友人に対して、タイプはいかにも男性らしいというので、ミスマッチが起きているのかもしれない。

そんな友人が、比較的かわいい感じの子とつきあうことになった。僕としては、うらやましく指をくわえて推移を見守っていたのである。もちろん応援したい気持ちとともに。

友人もその恋人も実家暮らしであった。そのため、呼んだり呼ばれたりというのを、お互い常識的な範囲で繰り返していたようである。そしてその時に悲劇はおきてしまった。

ある程度の年齢に至っている二人が、部屋で一緒になったとき、どうしても “そういう” 雰囲気になる。キスをして、色々さわって・・・イザ。という時になって、親が部屋に入ってきたというのだ。

キスしているところだったのか、言い訳のしようがない部分を親に見られてしまったというのだ。そしてそのときは、相手の親にも帰るように促されたという。

何ともバツの悪い話だと思う。

これにはいくつかの疑問点というか問題点があるように思う。
一つは、親がいきなり部屋に入ってくることは大問題である。おそらく突然入ってくるということは、部屋がやむを得ない構造でない限りは、何らかの意図があって入ってきたと考えるべきである。そしてそれは、通常の場合悪いことをしているのではないか。という疑惑からではないか。たばこや飲酒、そのほかの常識に照らし合わせて悪いとされていることをしていないか確認するために入ったのだと思う。
お酒やたばこなどの行為かと思って踏み込んだところ、予想外に性的な事をしていたと。。。この手の悲劇は仕方ないかもしれないが、しかしやっぱり親の行動に問題があるのではないか。。

もう一つは、難しい事かもしれないが、運の悪さを指摘したい。
実家なんだからそのリスクは理解しておく必要があるとか、そういう事も当然ある。しかしやっぱり一人で、部屋で処理することだってあるだろう。そういうとき、親が入ってきたら丸見えだというのだろうか。なんとかそこはうまく回避するべきだ。また、普段から一緒に生活していれば、突然来るのか来ないのか、ある程度は判断が付きそうである。このときが、突然来た最初だとすればそれも仕方がないが、そうじゃないのだとすれば、やっぱり警戒はしておきたかった。

にしても、やっぱりツイてない。という一言に尽きるのではないかと思ってしまうのである。
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