過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 考え(ゲイ関連) 」 一覧

  2011/09/10    考え(ゲイ関連)

浮気については、前にも書いていると思うが、大変興味深い話を聞いた。タチの浮気は仕方がない。ネコの浮気はそのときの恋愛がうまくいってない。というものである。

僕はそれを聞いたとき、大変言い得ているのではないかと考えた。
タチとしての浮気。それは倫理的なものはとりあえずとしても、本能的な部分、、、、たとえば男性一般に広く当てはまるような。そういう気がしてならない。
もちろんだから正当化されるというわけではない。ただし常にその欲求があるというか、モテとしての欲求はいつまでも存在し続けるような気がするという話。

そしてネコの場合。ネコの浮気。タチとネコの場合、確かにネコが女性役、、、それは性的なこともそうだが、精神的なこともそう。であるならば、ネコは一途な恋愛が最も幸せのような気がする。

もちろんそのような考え方が一般的だとは考えてない。しかし僕の場合、どうしても男性的な要素が強いので、結婚している状態でも浮気に走る気持ちや風俗の利用という部分について、大きく否定はできない。人によってはアダルトビデオを見ることからもうNGだという。そういうことを僕自身は仕方がないことだと考えている。もちろんアダルトビデオはともかくとして、それ以外の直接的な行為は相手を裏切ることになるので、大きな問題である。

確かにネコの人が浮気をする場合、それは恋愛関係が破綻状態にある、もしくは本当に好きな人とつきあえていないと考えてもいいように思う。本当に好きな人であれば、肉体的なことはもとより、精神的な理由で浮気は避けるはずである。

もちろんタチとしても、浮気は結局のところ肉体的な欲求を断ち切って、精神的な理由でそれを決定しなければならない。

僕はそういう話のとき、「例えば自分がすごくタイプの子が1回だけでいいから抱いてください」そうお願いされたらどうする?という話の時。
少なくとも僕は、そこから生じるリスク。それは単純に恋人のこともあるけど、もしものときに、今まで培った時間を無に帰するリスクがあるということを常に意識しているのである。

ちなみに、この「タチの浮気は仕方がない。ネコの浮気はそのときの恋愛がうまくいってない。」という話は、結構年上の人から聞いた。正直なところ、僕の世代ぐらいから徐々に、必ずしもそうではない部分があるようにも感じている。

タチが男性でネコが女性っていう分類は最近は微妙に曖昧になっているような気がするんです。
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  2011/09/07    考え(ゲイ関連)

ちょっとした行為がドキドキするような行為につながることがある。そして僕はそういう行為が大好きである。トキメキと言い換えてもいいかもしれないけど、問題の生じない範囲でトキメキがあるのはとてもすばらしいことだと思う。それにおじさんにもトキメキぐらいさせてよ!と。

さて、あまり僕自身の手口を語るのは恥ずかしいし、他のタイミングで使えなくなってしまうので軽く触れる程度にしておく。

些細なことでときめく瞬間は簡単なシチュエーションで意外に多い。しかし注意をしたいのは、例えばグラスの回し飲みのような、そういうのとはちょっと違う。もちろん気になっている人と、同じ食器を共有できる場合、間接キスなどはうれしいことだと思う。だけど、そんなウブなことで喜んだりはしない。そんなだったら鍋でもやれよ!

「ちょっとちょうだい」そのように言われるシチュエーションがある。
たとえばアイスとか。このとき、「どうぞ」と、そういって相手にアイスとスプーンを渡すのはごく普通のことだと思う。相手は思いのままにアイスを食べる、と。
しかしこれではトキメキが無い。だから「ちょっとちょうだい」そのように言われたときには、自分でアイスをすくって、相手に食べさせるのである。食べさせる・食べさせてもらうという行為はトキメキを生むと思っている。(みなさんはどうでしょうか)

ただし問題がある。ちょっとちょうだいを生み出すようなシチュエーションがどこにあるのか。という話。例えば喫茶店に入って、ケーキとか僕は食べない。だからちょっとちょうだいとかが発生しにくい。僕の今までのパターンだと、比較的ネコの子がそれを実現できる場合が多いように思う。一般化しすぎだけど、甘いものとかよく食べそうだし。

ちなみに喫茶店とかで男同士でそんなことできるか!そう思うかもしれない。ただ、すごく自然にそれをすれば、別に一瞬の出来事だし、見つめ合うようなことをしなければ、それはおそらくまったく注目を浴びるようなことは無いと思う。

さて、じゃあタチ側としては何ができるのか。これは非常に難しい。
僕の場合、僕は常にガムを持ち歩いて、ほとんどの時間を通じてガムを食べている。例えば飲食店でご飯をしたあと。お店を出ておもむろにガムを食べる。そのときに、結構な確率で「ちょうだい」と言われるのである。

ちょうだいと言われてからの流れはアイスのパターンと一緒。「いいよ。ちょっとまって」と言ってから、ガムを取り出す。取り出したガムの包みもあけ、ガムを取り出す。おおむね全体的にこのとき相手は「??」という表情になっている。場合によっては「ちょ、ちょっと」ぐらい言うかも。

そして戸惑っている間に、「はい」といって相手の口元に差し出すのである。だいたい手でガムを受け取ろうとするけど、口元に直接持って行って「はい」と言えばほとんどの人が口を開ける。今までそれでもかたくなに手で受け取った人はちょっと記憶にないぐらい。(たぶんあるとは思うけど)

こんな簡単なことなんだけど、これってすごくドキッとする一瞬でもある。少なくとも僕はするし、そういうちょっとしたトキメキはすごく好き。

ただし注意しなければいけないのは、この程度のことが実現できたからといって、相手がこちらに好意を寄せているかはまったく別の話。それだけは勘違いしてはいけない。

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  2011/09/07    考え(ゲイ関連)

ちょっとした行為がドキドキするような行為につながることがある。そして僕はそういう行為が大好きである。トキメキと言い換えてもいいかもしれないけど、問題の生じない範囲でトキメキがあるのはとてもすばらしいことだと思う。それにおじさんにもトキメキぐらいさせてよ!と。

さて、あまり僕自身の手口を語るのは恥ずかしいし、他のタイミングで使えなくなってしまうので軽く触れる程度にしておく。

些細なことでときめく瞬間は簡単なシチュエーションで意外に多い。しかし注意をしたいのは、例えばグラスの回し飲みのような、そういうのとはちょっと違う。もちろん気になっている人と、同じ食器を共有できる場合、間接キスなどはうれしいことだと思う。だけど、そんなウブなことで喜んだりはしない。そんなだったら鍋でもやれよ!

「ちょっとちょうだい」そのように言われるシチュエーションがある。
たとえばアイスとか。このとき、「どうぞ」と、そういって相手にアイスとスプーンを渡すのはごく普通のことだと思う。相手は思いのままにアイスを食べる、と。
しかしこれではトキメキが無い。だから「ちょっとちょうだい」そのように言われたときには、自分でアイスをすくって、相手に食べさせるのである。食べさせる・食べさせてもらうという行為はトキメキを生むと思っている。(みなさんはどうでしょうか)

ただし問題がある。ちょっとちょうだいを生み出すようなシチュエーションがどこにあるのか。という話。例えば喫茶店に入って、ケーキとか僕は食べない。だからちょっとちょうだいとかが発生しにくい。僕の今までのパターンだと、比較的ネコの子がそれを実現できる場合が多いように思う。一般化しすぎだけど、甘いものとかよく食べそうだし。

ちなみに喫茶店とかで男同士でそんなことできるか!そう思うかもしれない。ただ、すごく自然にそれをすれば、別に一瞬の出来事だし、見つめ合うようなことをしなければ、それはおそらくまったく注目を浴びるようなことは無いと思う。

さて、じゃあタチ側としては何ができるのか。これは非常に難しい。
僕の場合、僕は常にガムを持ち歩いて、ほとんどの時間を通じてガムを食べている。例えば飲食店でご飯をしたあと。お店を出ておもむろにガムを食べる。そのときに、結構な確率で「ちょうだい」と言われるのである。

ちょうだいと言われてからの流れはアイスのパターンと一緒。「いいよ。ちょっとまって」と言ってから、ガムを取り出す。取り出したガムの包みもあけ、ガムを取り出す。おおむね全体的にこのとき相手は「??」という表情になっている。場合によっては「ちょ、ちょっと」ぐらい言うかも。

そして戸惑っている間に、「はい」といって相手の口元に差し出すのである。だいたい手でガムを受け取ろうとするけど、口元に直接持って行って「はい」と言えばほとんどの人が口を開ける。今までそれでもかたくなに手で受け取った人はちょっと記憶にないぐらい。(たぶんあるとは思うけど)

こんな簡単なことなんだけど、これってすごくドキッとする一瞬でもある。少なくとも僕はするし、そういうちょっとしたトキメキはすごく好き。

ただし注意しなければいけないのは、この程度のことが実現できたからといって、相手がこちらに好意を寄せているかはまったく別の話。それだけは勘違いしてはいけない。

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  2011/09/06    考え(ゲイ関連)

9/10 は僕の誕生日。そう、もうじき31歳を迎えてしまうのです。このブログもそろそろ1年ということですね。あっという間だった。
僕には妹がいるという話をかつて書いたと思う。カミングアウトするなら兄弟はするだろうという話も書いたし。

誕生日が近くなって来て、妹から久々に連絡があった。「お兄ちゃんそろそろ誕生日だし、よければお祝いもかねて、そろそろ飲みでも行かない?」と。

僕は妹とはなかなか意見の相違が大きく、最近は結構疎遠になっていた。たまにメールで連絡をするぐらい。だから今回のお誘いはお互いの近況報告も兼ねて、とても重要なことだと思っている。

そこで、「んじゃあ」と僕は考えたのである。彼も一緒に連れて行って、ついでに紹介してしまおうか。と。

その話を早速彼にすると、彼は大変イヤがった。伝えるのがイヤというよりも、単純にコミュニケーションの一環として会うのがイヤもしくは抵抗があるという感じ。別にカミングアウトすることも、僕の妹に伝えることも全然OKだけど、単純に会うのがちょっと。。。ということらしい。

僕としては、改めて自分のセクシャリティを伝えるのはなんか違うように思う。僕の場合バイだし、たまたま付き合っている人が男性なだけだから、ここで自分のセクシャリティを伝えても、のちのち、あれ?ってことにもなりかねない。(もちろん彼との別れなど考えたくもありませんが)

それに妹としても実感が無いと思う。僕が何を言っても、「あっそう。まあお兄ちゃんなら別に不思議でもないよね。別に遊びだったらそれでもいいけどいい年なんだからそろそろまじめに結婚も考えなよ」ぐらいに思うだろう。
また、せっかくちゃんと伝えるのであれば、彼もいてくれた方が妹にとっても、より実感のあるものとして受け取れると思う。

ということで彼に協力をお願いした次第。

しかし大変に驚いたのは、僕は兄弟に対して伝える事に対してほとんど何とも思わない・思わなかったのに対して、彼はたいそう色々と考えているよう。もちろん自分の身内じゃなくて、僕が僕の身内に伝える時に同席するっていうのが単純にイヤっていうこともあるだろうけど。
なるほどやっぱりこういうことってデリケートなことなんだなぁと思った瞬間でもありました。

結果として、彼に用事があって、そして妹も飲みに行く日をずらしにくいということになった。そのため同席は叶わなくなってしまった。こういうことはタイミングが重要。本当は彼を連れて、説明もかねて伝えてしまおうと思ったけど、彼は同席できなさそう。
その代わり?といってはアレだけど、初めて2人の妹と一緒に飲むことになりました。

ということで、言う雰囲気ができたら、そのまま伝えてしまおうと思います。
さてその日は 9/9(金) どうなることやら。

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  2011/09/04    考え(ゲイ関連)

僕が今までの恋愛の中で考えてきたこと。それは過去の記事にも書いていることも多いが、たとえば容姿であったりとかの部分、肉体的な部分、精神的な部分と、いくつかの構成要素に分かれたいた。

そしてゲイはその構成要素のどれも妥協しないという話は、僕が今までの環境の中である程度統一された見解でもあった。

しかし最近になって、そういう意見は(特に若い子と話をしたときには) 必ずしも同意を得られないということを知った。なにもこれは、会話の中できれい事を言っているわけではなくて、本当にそういうことのようだから、僕としては非常に驚きでもある。

しかし当然、恋愛において顔や体型と性格をしっかりと見定めることができるのであれば、それは僕の意見のように、顔や体型では絶対妥協できない!などと言っているよりも、よっぽど幸せな恋愛ができるであろうと考えている。

Twitterなどでカップルを見ていると、だいたい似ている人同士が付き合うことが多いように見受けられる。容姿が並以上であれば、並以上の恋人、そうじゃなければ、そうじゃないとか。なかなか「えー」っと驚くようなパターンは少ない。

しかしそれでも、今までに比べれば今後はそういう容姿のことは今まで以上に関係なくなるのだと思う。

話を直接聞いて、容姿の関係なさを確認するときもあったし、実際にいいと思う人を教えてもらって、それを実感することもあった。
すごくかわいい・かっこいいと思う人に、タイプの人のことを聞く。すると「見た目はあまりよくないよ」そのように言われて教えてもらうことがある。実際に僕の意見を勝手に述べるとすれば、見た目だけを言ってしまえばなんでーって不思議に思った。
もちろん当たり前だが、好きになる要素としては顔だけじゃない。だから本人は、見た目よりも一緒にいてどうか。話をしていてどうか。その部分が重要だと言っていた。

でも。と僕はやっぱり思ってしまう。性的なことも無視できないだろうし、見た目がタイプじゃない場合どうなるのだろうか。

と、そういう話をしても、性的な部分もそこまで重要ではないと。もちろん無視できない要素ではあるかもしれないが、それで付き合ったり好きになったりを大きく左右することは無いらしい。

もちろんどのような考え方が正解だということは無いと思う。だけど、そういう考えに触れられたのは、とても大きな収穫だと考えている。
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  2011/08/29    考え(ゲイ関連)

好きという気持ちを伝える方法には様々ある。一般的とは言わないけど、ゲイの世界にはその伝え方に男女の場合とは違う方法があるように思う。

一般的に男女の場合、好きとか付き合うっていうことは、数回のデートの後に伝える事になる。そしてもちろん、プロセスの中でのデートというのは、付き合うことの合否を決めるのにとても重要な役割を果たすし、重要なステップであると考えるべきである。

会話が楽しいかどうか。というのはもちろんのこと、エスコートや誘導の方法、プランの内容まで色々と精査されるのである。もちろんすべてが成功である必要は無く、価値観をそこですりあわせることが重要だと考えている。

しかし男性の恋愛の場合、もう少し直接的でゴールまでの道のりは近い。また特にゲイコミュニティの中でのコミュニケーションの場合、オールなどで一晩を健全・不健全に過ごす機会も多く、それもまたゲイの恋愛を象徴しているように思う。

自分が相手のことを好きだとアピールする場合、それを表現する方法は様々である。男女の場合はトーク力が重要かもしれないし、男性の場合には容姿も棄てがたい部分である。そして自分が好意を寄せる相手に、常に隣にいるという方法を取ることもあれば、逆に好意を寄せている人とのコミュニケーションを遠慮がちになってしまう場合もある。

ゲイの場合には遠慮がちの場合は、非常に厳しい結果が待っている。コミュニケーションを取ることができなければお互いに脈なしと判断されてしまう場合がほとんどである。人にもよるが、いわゆる「待ち」の状態になってしまう。だから永遠に仲良くなることなどできない。

積極的にコミュニケーションを取る場合。これもまた難しい。タイプというのはそれぞれである。たとえば僕がすごく好きな人に積極的に話しかけたとしても、相手が僕のことをタイプじゃない場合。そのときはどうすればいいのだろうか。逆に相手が積極的に話しかけてきてくれても、僕がその人をタイプじゃない場合もありえる。

いちいち気にしていたら会話などできない。だけどいちいち気になるのも事実である。

僕自身の場合はスイッチが切り替わるときがある。好きとか嫌いが関係なく、好き勝手話せる場合や人。逆にどうしても、、、そして絶対意識してしまってうまく話せない場合がある。もちろんうまく話せないというのは、気の利いたことやおもしろい会話ができないか、場合によってはまったく会話ができないという意味で。

相手が僕のことを、普通に話をすることも嫌悪している場合、さすがにそれはすぐに分かる。このときには会話がほとんど成立しない。
だけど、好いてくれている場合と、嫌っている場合の態度はすごく共通しているように思う。よそよそしいことと、話が続かないこと。このときに、僕はもっとがんばってアピールをするべきなのか、それとも早々に見切りをつけるべきなのか。

逆もそう。話しかけてきてくれるのに、うれしさとは裏腹に会話が続かないことがある。あんまりベラベラしゃべって印象を悪くしたくないし、緊張しちゃって何を話ししていいのか分からない。どうでもいい人の場合には、適当にあしらえばいいだけだし。

と、僕自身の場合には考えてしまう。

逆にそういう場面を目撃したとき。もっと押せばいいのにとか、それ以上積極的に押しても無意味だよって、当事者じゃ無いから必要以上のことまで読み取ってしまう。
男女の場合に、強い押しはたまに報われることがあるのに対して、男性のそれはほぼ報われないのが非常に残酷に思う。

そうなんだけど、やっぱり自分の好きって言う気持ちと相手の好きっていう気持ちがすごくぴったりの時にうまく行くのが一番幸せだよねっていう話。
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  2011/08/26    考え(ゲイ関連)

この世界では長期的な恋愛を実現することが難しいことは確かずいぶん前に書いたと思う。しかし最近は、比較的長い恋愛をしている人が多いのではないかと思うこともある。
ただし若い頃というのは、次から次へと恋人ができるし、場合によっては付き合っている最中にも候補として、次が待っている場合もある。

そういう恋愛なので、Aさんと付き合っているのかという認識だったらいつのまにかBさんに変わっていたということはあり得る話である。そして僕はその事実を知らずに、Bさんに変わっているにも関わらず、まだAさんと付き合っているのか。ずいぶん長いな。と。

また付き合っているかどうかを知る手段が昔に比べて増えた。昔はそれを知る手段はほとんど無かった。結局は本人の自己申告である。しかし最近はTwitterやmixiそのほかで申告すれば、それは当事者だけでなく、そのページを閲覧できる人が、その事実を知ることができる。

その辺が昔と違うところである。だからAさんもBさんもCくんもみんな恋人いるのかー。っていう印象を持つ可能性もある。

しかしそれでもやっぱり、様々な年齢の人たちが、それぞれ恋人と楽しそうにしているところを見ると、すごいなぁとかつての自分と重ねて、考えてしまうのである。

長期的な恋愛が難しいのはいろいろな理由がある。もちろんそれは制度としてのこともあるかもしれない。だけど、やっぱり肉体的なそれと、お互いの主張も大きな原因ではないかと思う。

いろいろな人がいる。たとえば毎日連絡が欲しいという人。たとえば常に一緒にいたいと言う人。インドアで常に室内がいいという人。外で遊びたいと言う人。お酒が好きだったり旅行がスキだったり。音楽だったり、映画だったり。

趣味については、長期的な関係を築くことにおいて重要なのだろうか。知り合うきっかけにはなるかもしれない。でも長い関係を築く場合にはどうなのだろうか。

ちなみに僕と彼の場合は、趣味はまったく一致しないし、好きなもの・こともほとんど一致しない。

長く続く人たちのパターンというのを知りたいが、まったく分からないというのが本当に正直なところ。ただし、いくつか当てはまりそうなことがあって、それが20代後半ぐらいから、長期的に付き合う可能性が出てくるというものである。
たとえば僕の何人かの友人で、もちろん当時もあまり続かなくて、今もあまり続かないという人はもちろんいる。

だけど何人かの友人は20代半ば~後半ぐらいになって、恋人を見つけ、少なくとも数年間の恋愛をしている人がいる。こういうのはとても気になる事例である。そしてこれは僕にも当てはまっている。

たとえば僕のことを言えば、年齢があがるにつれて、遊びにくくなったというのは事実である。昔は頻繁に(肉体的なことは別としても)お酒を飲んだり、ご飯を食べたりしていた。その結果として恋人をないがしろにしているような印象を与えてしまったかもしれないし、付き合っている人の存在は遊ぶという意味では重荷だったかもしれない。そういう考えが態度にでて・・・というスパイラルを生んでいた可能性はある。

また、それを実現できるだけの時間もあった。今は仕事も忙しいし、新しい刺激よりも既存の関係を深めることが重要だと考える自分もいる。でも当時は違った。

あとは何よりも、落ち着きたいと自分自身が考えるようになったというのもある。

友人たちがすべてそのパターンなのかは分からない。ただ、落ち着きたいという気持ちは個人差があるにせよ、やはり年齢とともに強くなっていく傾向があるように思う。そして肉体的にも精神的にもそのバランスがよくなるのがその年齢ということではないか。

ただし難しいのは性格に関する部分。僕がそうであるように、落ち着きたい。長期的な恋人が欲しいと思っても、性格はなかなか変わらない。だから性格に関する理由で独り身の場合、それを解決するのは非常に難しいのではないかと思ってしまうのである。

友人で、完全に自立している人がいる。仕事もそうだし、いろいろなものすべてに。たとえばすでに家を買って持っているし、ごはんも自分で作っているし、ペットも飼っているし。

こういう場合、男女の恋愛でもありがちな、自立しすぎている故に恋人が見つからないという可能性はあるのだろうか。とても興味深い。
そしてこの友人は最近になって恋人ができたみたい。僕が上記に挙げたようなパターンに当てはまるのか大変興味があるのです。
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※上記で挙げた友人は1ヶ月もしないうちに破局になってしまいました・・・。

  2011/08/25    考え(ゲイ関連)

「かわいい子が好き」と、幾度となく書いている。そしてこのかわいい子というのには、パターンが存在している。たとえば中性的だったり、たとえば体毛だったり、たとえば声の高さだったり身長だったり。そのうちの一つがコーヒーのこと。

かわいい=中性的=ネコ ぐらいの想像は簡単にできると思う。もちろん短絡的なことは分かっているけど、僕のタイプの場合のなんとなくそういう傾向というか。ちなみに、ゲイは残念なことに喫煙者は比較的多い(最近はそれでも減ってきてるけど)、あと、身長はやっぱり高い子も多い。

コーヒーが飲めないというのはよく聞く。カフェオレのような、コーヒー牛乳のような甘い、苦くないものであれば、当然問題無いことが多い。だけど純粋なコーヒーというのは、苦手だという子が多い。

僕自身はこれが不思議でもある。だって仕事とかでコーヒーが飲めないっていう人は、男性の場合であればあまり見たことが無い。まあ確かにそんなにコーヒーを一緒に飲む場面というのも多くないし、飲みたくないから口をつけないのか、嫌いだから口をつけないのか判断もつきにくい。

ゲイの出会いは、喫茶店から始まることも多い。ちなみにもう一つは、ベッドの上から始まる場合かな??
スターバックスだったりの喫茶店を利用するとき、何を飲むのか。僕はまったくその手のことが詳しくないので、だいたいはホット・ブレンド・アイスコーヒーといった、なんだかすごくオジサンの注文をする。
しかし人によっては、コーヒーが飲めない場合でも、何とかというとても甘い、生クリームたっぷりのコーヒーテイスト飲料を注文している。

僕にとっては不思議でもあるし、かわいらしさを感じるところでもある。喫茶店での注文ごときにかわいらしさを感じられても困ることだとは重々承知の上でやっぱり、「苦いからコーヒーやだー」と言っているのを見るのは萌えでもある。
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  2011/08/23    考え(ゲイ関連)

ノンケ(同性愛じゃない人)がスキという人が一部いる。だけど大半のゲイにとってノンケは特に意識されない存在ではないかと考えている。

確かにスキがあればボディタッチをしたりだとか、着替えを見ることができて喜んだりはあるかもしれない。それは別にノンケに限ったことではなく、ゲイである以上、同性のそういう姿にはついつい目がいってしまうものである。

しかしノンケということでブランド化しているようなことが一部あり、それはおそらくそれぞれの立場からくる意識の違いではないかと考えている。ゲイにとって、セックスができることは、非常に重要である。隙あらば狙っていると言っても過言ではない。

そこでノンケという存在は、基本的には性的な関係になることは非常に難しい。しかしだからこそ、とりあえず試してみたいという気持ちが存在するのではないかと思う。それがノンケがモテるという話につながるような気がする。

実際の恋愛をするとしたら、ノンケとの恋愛は非常に困難であることが想像できる。まずは相手が付き合ってくれなくちゃいけないし(それはすごく困難?)またもしつきあえたとしても、その先のこともたくさんある。

ノンケをスキになるということは、そういう数々の困難を乗り越えなければならないし、色々と難しい部分がある。
それはゲイが女性から告白されて、すごくいい子だったとしても、そうやって付き合う恋愛が幸せなのか。っていう問題と同一だと思う。セクシャリティというのは、やはり非常にデリケートなこと。

もちろん相手のセクシャリティは関係なくスキになることもあるし、それを伝えたら案外うまく行くこともある(実際そういうカップルもいるし)。だから全部が全部っていうわけじゃないんだろうけど、ノンケという存在はやっぱりゲイにとって、なんとも難しい存在だと思う。
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  2011/08/22    考え(ゲイ関連)

このブログを書き始めてから、今までのこと、、、過去の経験からの話をずっと書いてきた。
そのため、これからのことについては、あまり話題にすることが無かったし、また書きたいと思うようなことも非常に少なかった。

さらに、まだ書き始めて1年も過ぎていない状態なので、記事を書いたときと現在の僕の考えに違いが生じるようなことはほとんど無かった。

しかし最近になってカミングアウトについて考えるようになった。そしていざ具体的に考えるようになって、元々持っていた考えとは大きく考えが変わるだろうという気持ちが芽生えるようになったためいくつか書き留めておきたいと思う。

カミングアウトについて、今までは基本的にはすればいいと考えていた。それは少し前にも書いたように対象をいくつかに分けて、それぞれ僕だったらどのように行動するのか。ということであった。
※参照
カミングアウトについて 3
カミングアウトについて 2
カミングアウトについて

しかしカミングアウトについて、その分類だけではどうにも難しい場合があるのではないかと考えるようになった。

– – –

誰しもが複数のコミュニティに所属していると思う。家族・身内、地元の友人、会社、取引先、友人、、、ひょっとしたらさらにその中でも複数に細分化されているかもしれない。

たとえばブログで知り合った人とコミュニティが形成され、Twitterで知り合った人とのコミュニティは別になるかもしれない。さらに細かくなって、その中でもたとえば僕が恋人がいると言うことを知っているグループと知らないグループに分かれるかもしれない。

僕自身は多人数との交流が苦手と言うこともあって、コミュニティやグループが細かい。たとえば共通の友人A,B,僕といれば、Aと僕のグループ、Bと僕のグループ、、、という感じ。このような状態に特に意味は無いのだが、僕はやっぱり少人数との交流の方がラクに感じるので、Aと遊び、Bと遊ぶ。決してAとBと僕の3人ではない。

しかしグループやコミュニティが細分化されると問題が生じる。一番大きいのは日程的なこと。みんなで遊べば1回で終わるのに、分割されるので2回分時間を作らなければならない。

またグループやコミュニティによって立っている前提が違う場合、会話のネタにも困ることがある。僕の場合、Twitterにはブログのことを書いているが、もし書いていなかった場合、「あれブログ書いてたの?」ってなるだろうし、ブログにTwitterを載せていなければ「あれTwitterやってたの?」と。
ブログの読者の方からすれば、Twitterは「ふーん」っていう感じかもしれないし、その逆もまたしかりである。

こうしてコミュニティが細分化されてしまうと、時間もかかるし、何をしゃべってもよくて、何をしゃべってはいけないのか、非常に難しいことになってしまう。

そう。だから僕はコミュニティをなるべく統一させたいと考えている。それは最近になって特に強く感じるようになった。昔から一緒に遊んでいる仲のいい友人もゲイコミュニティの中に混ざってもいいんじゃないかと思うし、お酒を飲むときに一緒になればまたおもしろい会話も出てくるのではないかという期待もある。

もともと35歳ぐらいが、なんとなくの目安で、僕のことだからそういう時期は必ず早まるから、実際には33歳ぐらいかな・・・と思っていた。だけど、なんだかもう伝えてしまってもいいような気がしている。といっても伝えようと思っているのは今のところは2人だけなんだけどね。

ということで、この2名に関してはそう遠くないタイミングで伝えてしまおうかと考えています。また動きがあれば、このブログで紹介したいと思います。
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