過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 考え(ゲイ関連) 」 一覧

  2011/10/27    考え(ゲイ関連)

出会いの方法を聞いたときに、もしくは自分自身の体験談として、妙なジンクスを信じている人が少なからずいる。

例えば性的なことから入った恋愛はダメとか。画像交換するまでは素っ気なかったのに、交換してから突然ガツガツするような人はダメとか。
出会ってすぐに性的なことをすると続かないとか。

とにかく色々なジンクスが存在している。

僕自身はこのジンクスは全くアテにしていない。
もちろんいくつかの興味深い事実がそこには含まれているので無意味なジンクスと混同しがちでもある。しかしそこは別々に考えなければならない。

僕がもし、お酒を飲めない人と付き合いたいと思っていたとする。このとき、もし恋人候補の人と居酒屋で知り合った場合、飲めない人である可能性は少ない。また飲めない人というのを、お酒を飲まず、さらに飲み屋にも行かない人と定義していたとすれば、さらに遠くなる。
これは単純にセグメントの問題で、このことからもし居酒屋で知り合った人とはうまくいかない。というジンクスのような気持ちを抱いたとしても、それはジンクスと言うよりも、もはや経験上のことだろう。

完全なジンクスを信じている場合。例えばそれは会ってから○回以上会ってからじゃないと家に呼ばないとか。しかもそれを破ると、続かないというような考え。この場合について、僕は全く持ってナンセンスだと考えている。
この場合、単純で非常に大きな事実が一つだけ隠れている。要するに1回目で家に呼んで、例えば性的なことをして、すぐに終わったとする。これは1回ヤったら終わり。ということを示唆しているのである。10回会ってようが、100回会ってようが、1回ヤったら終わりなことは変わらない。1回を済ませるために10回会ってその間は大切にしてもらいたい。というのなら話は別であるが、長期的な関係を作るためにこのような考えをしているのであれば、根本的に間違っているように思う。

交換をきっかけとするのもそう。もちろん画像交換をきっかけとして、モチベーションがアップしたりダウンするのは事実である。これはもう容姿についてさんざんブログでも書いてきたことである。しかしタイプだとすれば別にそういう行動は問題ないだろうし、タイプじゃない人と早い時期に疎遠になるのはとても大切なことである。これも性的なことと近いが、会うまでに1日だろうが100日だろうが、1回会って顔を見たら、タイプの判定は絶対することになる。画像交換をせずに会って結果的に続いた恋愛の場合、画像交換をしていても続いただけのことである。その逆もそう。
もちろん全員がそうではなく、性格重視だから顔は気にしない=写真の交換はしない。ということはあり得る。だってゲイは身体重視の人はやっぱり顔画像はいらないみたいだし、アソコの大きさ重視の人だってそう。:P

と、この話を書くときには、自分自身のことを振り返らなければならない。
僕は今の彼と会うときに、画像の交換はしていなかった。そもそも恋人を探すつもりでは無かったというのが一番の理由である。・・・ちなみに会う直前に交換した印象は可もなく不可も無し。
もし早い段階で画像交換していても、今の状態になることに大きな変動要因とはなり得ないのではないかと考えている。

さらに彼も似たようなことを考えていた。僕は今も基本的な考え方は変わってないが、上記の通りどうせすることになるなら、軽い性的なことも重たい性的なことも早いうちに済ませるべきだと考えている。
そうしないとかなり親密になってから身体の相性が悪かったなんてことになりかねないし。
ということで、結構最初のころから積極的にいったら明確に拒否されたことがある。そしてその理由を尋ねた。
僕「ダメだった?タイプじゃない感じ?」
彼「いや、そうじゃなくて、知り合ってまだあんまり会ってない状態ですると、長く続かないから」
というやりとりだったように記憶している。

もちろんこのときに、「何をいってるの。すぐにしても、そうじゃなくても、続く相手なら続くし、そうじゃない相手なら続かない。あなたは他人を見る目がないから、そういう判断基準をよりどころにするけど、俺はちゃんと相手を見る目がある。だから今キスとかしても別に長期的な関係の有無とは関係ない。そしてその判断基準がお互いに違ったときに、稚拙な方に合わせるのはおかしい」
というニュアンスの話をしたと思いますw

とにかくジンクスなんて嫌いだ。
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  2011/10/25    考え(ゲイ関連)

好きなタイプはどんな人ですか。そのように質問をすることも、されることもあります。僕は大変単純で、かわいい子と表現しています。
この回答の中に、比較的多いのが「いかにも」な人だという回答です。

そしてこのいかにもという表現で、だいたい分かってしまうのです。

それぞれが微妙に心に思い描くタイプというのは違うかもしれません。しかしだいたいは、短髪で、ヒゲがあって、体型がガッチリしているような感じです。

僕自身はいかにもな人というのは、どうにも苦手です。しかしそのいかにもな人たちというのはモテルのだから不思議。

実際、若い人にはいかにもな人は少ないように思います。実際そのような話を聞いてみたら、いかにもな人は30代から輝くということを言っていました。
例えばその人たちが言う、いかにもになるには、20代の幼い顔つきでは似合わないのかもしれません。
また20代はいかにもという武器が無くても恋愛は普通に行えるでしょう。だからそのときにはまだ目が出ていないのかもしれません。
30代が近づくにつれて、何か新しい方向性を見つけなければならない時に、いかにもな人に変身するというのは、大いにあり得ることです。しかもそのときには顔つきなども大人っぽくなっているでしょうから、ますますいかにもな人になれると。

しかしそのように話を聞いても、理解はできますがどうも実感がでてきません。

僕はおそらくいかにもな人には絶対なれないので、需要が大きくモテる可能性が非常に高いそのジャンルに身を置くことができないのは、非常に残念ではあります。
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  2011/10/24    考え(ゲイ関連)

かつてはゲームをしていました。今はTVも無い生活を送っているので、当然ゲームとは無関係な生活です。

※といいつつも、ゲームを勢いで買ってしまったことがあり、、ホントに無駄の局地だと理解しています。一応彼の家にゲームはあるので、無駄にはなりませんが。

ゲームのやり方についても、ゲイらしさというのが出てくるように思う。というのが今日の話。

ゲイはなぜか、きらびやかな世界を好むことが多い。それは女性的な感覚ということでくくってしまうのは危険だが、しかしそれは事実のような気もするのである。
例えば僕の世代であれば、ドラゴンクエストシリーズや、ファイナルファンタジーというRPGゲームは誰もが知っていると思う。

ドラゴンクエストは主人公がいて、その主人公は自分を投影させるような作りになっているように思う。だからドラクエは、主人公=自分となり、キャラへの思い入れは、少なくとも初期のシリーズまではあまり無かった。

一方で、ファイナルファンタジーはキャラに焦点が当てられることが多く、僕はあまり詳しくないが、好きなキャラ、思い入れの強いキャラというのが生まれやすいように思う。
この思い入れの強いというのはとても重要な事。

さてゲイの場合。この時に好きになるキャラにほとんど主人公は出てこない。どのようなゲームでも、主人公というのは、強さも覚える魔法もすべてにおいてバランスがいいことがほとんどである。要するに使いやすい、育てやすいキャラクター。だから普通にゲームをしていれば、その主人公に一番思い入れが強くなるのはごく普通のこと。

しかしゲイはそんな理由で好きなキャラを決めない。見た目がかわいいからとか、肉体的な強さを持ったキャラよりも、僧侶とか魔法使いとか、弓使いのようなちょっと間接的な役割を担ったキャラを大体好きになる。

特にファイナルファンタジーや魔法のバランスが非常に上手なので魔法使いをメインに育てることも十分可能なのである。
だからゲイはファイナルファンタジーが好きな事の方が多い。ドラクエは魔法使いをメインにするにはかなり厳しい。だからせっかく魔法使いに思い入れが強くて育てても対してゲームでは役立たないことが多い。

まさに特徴的な例もあるぺらん子さん ゲイブログの中でお笑い枠を担っているぺらん子さんに出てくるゲームの話。

全部ゲームの視点じゃなくて、ファッションとかキャラの想像だ。きっと思い入れの強いキャラもそういう視点で決められるのだと思う。

彼もそんな感じ。例えば主人公の性別がき決められるようなゲームの場合、明らかに男性設定のゲームなのに女の子になってたり。一番思い入れを強くするキャラクターは魔法使いだったり。

ゲームのやり方でゲイらしさというのは必ず出てくるのだと僕は思っている。

  2011/10/23    考え(ゲイ関連)

僕は、アホらしいと思いつつも心に強く決めて、しかもしっかりと守っていることがある。それが、望んでいることは常に考え、口に出せ。ということである。これは仕事でもそうだし、恋愛でもそう。

よく、あきらめている。ということで、出会いを望まなかったり、たまたま出会ったときにもそのチャンスを失ったりしている。別に積極的である必要は全くないが、そういうチャンスを活かせないというのは、いかがなものだろうか。

僕は自分の性格や容姿について、またそれ以外の人的な魅力について、だいぶ大きなハンデを背負っていることを知っている。そしてそれを治す気が無いことももうあきらめている。
じゃあ、恋人はそういうことを受け入れてくれる、妥協しまくった相手でいいのか。という話。
僕ぐらいの性格であれば、「自分はこんなだから仕方が無い。色々なことを妥協しても好きになってくれる人がいるなら、御の字だ」なんて考えることもできると思うし、ある意味ではそれが自然かもしれない。
しかし僕はそのように考えない。「妥協しなくても必ずいい子が見つかる。それは他人に自慢できるほどかわいくて、頭がよくて控えめで、料理ができてきれい好きで僕の面倒を見てくれる人」と。そしてこの、ばかげた夢物語を実現するために、僕はなんの努力もしない。
するのは、その夢を信じて、できれば口に出すことである。僕はもちろん独り言でそんなことをつぶやくようなことはしない。そんなのは恥ずかしい!。しかし例えばお酒を飲んだ時に友人たちに、「そういう人と付き合いたい」と考えていることを主張するのである。そして必ず「そんな人はいない。いても金目当てか何か別な大きな欠点がある人だろ(笑)」という、オチがつく単純な笑い話になる。

それでいいと思っている。ちょっと手の届くような目標だととたんに現実的な妥協とか我慢をするようになる。しかし夢のような目標であれば、ちょっとでも妥協しなければならないことがあれば、すぐに次を探せばいいだけのこと。ひょっとしたらそんな相手は見つからないかもしれない。そこだけは賭けである。ただし勘違いしてはいけないのは、際限のない夢ではなくて、最初に目指したゴールは、たとえゴールに到達しても絶対に変えないこと。またたとえ夢であっても、かならず妥協点は持っておくこと。例えば僕の場合であれば、自分が稼げばいいから相手には金銭的な余裕は一切求めないし、友達は少なくていいし。(料理も結果的にはうまくなったけど、冷凍食品などのいくつかの例外を除いて、別にめちゃくちゃおいしい必要も無かった)

僕はそのような夢物語を設定したのには、訳がある。それは絶対に僕には恋愛は無理だと思っていたから。僕が自分を客観的に見ても、どう考えても恋愛には向かない。それは妹にもさんざん言われたことだし、友人にも言われているし、言われ続けていた。そして僕自身もそう思う。さすがに問題ありすぎだろ!って。

だから叶わない目標を設定したほうが都合がよかった。高すぎる目標だから、っていう叶わない理由ができるから。
一人でもいいやって思える理由もあった。仕事を中心にしてたくさんがんばりたいことがあった。外出が嫌いだったから恋人ができて外出しなければならないことがが面倒だった。
転職などのゴタゴタで、収入が安定しなかった。住む場所も実家から出るつもりで安定していなかった。などなど。一人でいる理由を挙げたらきりがない。

唯一心配していたのが性的なこと。これは冗談ではなくて、本当に深刻だと思っていた。
恋人と楽しい時間を過ごすことも大切だけど、性的なことも避けるわけにはいかなかった。しかし例えばそれは、風俗であったり、ゲイを対象としたサービスも存在している。だから僕は恋人がいなくても、手っ取り早くそういうのを利用するのか、もしくは性的な目的に絞った出会いを求めるのか。どちらにせよ、その覚悟をしていた。

性的なことをのぞけば一人でいることは全然覚悟は必要なかった。

だから僕は、僕よりもずっと性格もよくて、それでも見つからないと嘆いている人には、「絶対にそんなことない。」そのように言うのである。だって、この問題児の僕でさえ見つかったんだよ?と。
そしてそう言うと、「んまあ確かに奇跡だよね。いつ愛想をつかされるの?(笑)」と、結局これもまた笑い話になってしまう。

とりあえずアホらしくても、理想を設定することとそれを口に出すことは大切だって言う話。
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  2011/10/21    考え(ゲイ関連)

今まで僕が見聞きしたり実際に体験した別れの話。
短期的な恋愛ばかりだった僕にとって別れというのは特に珍しいことではなかった。付き合うことと同じだけ別れがあったのだ。

しかし今のように長期的な恋愛になって、改めて思うことがある。何を理由に分かれるのだろうか。という話である。
もちろんそれは僕たちの別れを言っているのではなくて、長期的な恋愛においての別れの理由・原因というのは何があるのか。という話。

何人かの友人に聞いた話ではあるが、どれもが年齢というか人生の節目としての別れを迎えている場合が多い。前にも少し書いたかもしれないが、それは特に30歳前後で、将来を左右する大きな決断の一つの中に、別れも含まれている可能性である。
あとは、相変わらず多くて男女に限らないのが浮気。誰かが言っていた。浮気は病気。浮気癖のある人はいつまでたっても変わらないと。

短期の恋愛と唯一違うのが、我慢による別れの可能性が少ないことだと思う。またショックが大きいというのも特徴だと思う。特にショックの場合には、かわいさ余って憎さ百倍などということにもなりかねない。

短期の恋愛での別れというのは頻繁に訪れる。行動のすべてが別れる理由となり得るために、何かに原因を求めるのは非常に難しい。
ある人はメールのペースが減ったことを別れの理由にするかもしれない。あまり会えないことかもしれない。思っていたよりもマメじゃないことかもしれないし、生活が自堕落なことかもしれない。お金の使い方が荒いことかもしれないし、誰にでもいい顔をすることが不満かもしれない。会話がつまらないことかもしれないし、服装がダサイことかもしれない。
とにかくそのすべてが、分かれる理由となり得る。
その中でも比較的一般的なのは、会えないこととか連絡の頻度とかだろうか。もちろん浮気などもあり得るが、短期的な(数週間以下ぐらい?)恋愛での浮気っていうのは、さすがになかなか難しいと思う。

1ヶ月ぐらいが過ぎ少し安定してきた頃、このあたりから分かれる理由での原因が考えやすくなるように思う。例えば浮気はそろそろあり得るかもしれない。性格の不一致なども、そろそろ信憑性を持ってくる。
この頃になれば、我慢のピークという意味での別れというのは十分あり得るが、それと同時に、我慢するべきところと、相手の好きなところが分かるようになってくる。ここから1年ぐらいをかけて、長期的な恋愛に発展するのか、やはり我慢ができずに破局を迎えるのは、重要な局面になる。

と、ここから1年以上の恋愛に発展した場合、そこから別れの理由が難しくなる。
1年より手前の場合、我慢のピークというのが、別れる理由になり得ると思っている。我慢しなければならない量が少ない場合でも、その積み重ねがある。少しずつ、少しずつであっても、我慢の限界というのは、何かでリセットされない限りどんどん蓄積する。それが1年で爆発するのか、2年なのかは分からない。また何か別なきっかけで爆発するのかもしれない。しかし我慢のピークというのは、少なからず1年ぐらいの恋愛であれば、あり得るように思う。

一方で1年を超えた場合、我慢のピークというのは、おそらくリセットされているはずである。ってことは、別れる理由として性格の不一致や我慢の限界というのはなかなか無いように思う。事実いままで長期で恋愛をしている人、していた人の話を聞くと、我慢が別れの直接的な原因になることは考えにくそうである。第一別れるほど我慢ならないなら、そんな長く付き合わないよねっていう感じ。

そして最初の話に戻る。
何人かの長期的な恋愛での破局の話を聞くと、数年間つきあった後の別れというのは、例えば恋人のどちらかが、30歳前後になり、将来を見据えたときに例えば転職をしたり、仕事に打ち込んだり。そうなったときに別れを選択したのではないかと思えるような状態だった。
変化が無い人生なんてクソ食らえだし、安定した人生なんて僕はまっぴらである。だけど、人生の大きな選択をするときに、恋人との別れを選ぶというのは、とてもすごいことだし、残酷なことだと思う。僕の場合は、リスクを負うことが日常なので、常にその選択を迫られているということなのだろうか?

少なくとも僕に関して言えば、仕事上・金銭上のリスクは大好きである。だけど少なくとも生活において、恋愛においてはめちゃくちゃ保守的な方が好ましいと考えている。恋愛は命綱のような。そこが安定しているからこそ、仕事でのリスクを負えるのではないだろうか。

僕はかつて、そのような選択、仕事を取るのか恋愛を取るのか。という決断の時に、迷うことなく仕事を選択した。しかしその選択をして、覚悟を決めたときに、恋人ができたという、なんとも皮肉なことなのです。
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  2011/10/15    考え(ゲイ関連)

おそらくゲイ雑誌として、僕の年代にもっとも有名なのは、バディだと思う。今でこそ、出版物というのは、新聞をはじめとして、かなりの部分が苦戦している。ファッション誌などもそうだし、週刊誌もそう。

出版業界が不況な理由は別な人の考察にゆだねるとして、ゲイ業界の出版物も非常に厳しいのが現状だと思う。

かつて、僕が活動を始めた頃、インターネットはそこまで活発ではなかった。せいぜい掲示板を利用した出会いが主体であり、例えば動画を見るようなことは、技術的に不可能だった。テキストのやりとりが主流だったのである。もしくは写真のような静止画。

そのような時代にあって、ゲイ雑誌というのは一定の役割を持っていた。例えば僕が聞いた話では、田舎であったり都内近郊に住んでいる人。そういう人でも、なぜか近所の本屋には、ゲイ雑誌がおいてあったというのである。
近所の本屋では近隣の目があるので、わざわざ隣の駅に行って買ったという話。そして書いてある内容を読んでは、自分が決して一人ではないということ、異常ではないということに安心し、勇気をもらったと言うのである。
またそのような雑誌が自分の住んでいるような田舎にもおいてあることを知って、きっと本が売れる=近所に仲間がいるという、勇気ももらったと言う話を聞いた。

そしてその本は部屋に隠されることになり、それがまた別の物語を生むのだが、それは今は割愛する。

もちろん勇気のためだけに本を買うわけではない。当時はアダルト向けとしての雑誌の役割もあり、今のように動画などが自由に手に入らなかった時代。本に掲載されている人たちをみて、日夜いそしむというのが、一般的な光景だった(らしい)。

僕も20歳で活動をはじめて、最初の頃に知り合った友人は、雑誌を買う人と買わない人にわかれていた。例えば新宿から遠い人、距離や精神的に。は、買う人が多かったように思うし、買わなくても新宿で立ち読みすればいいとか、よくいくお店においてあるとか。そういう人もいた。そして僕のように興味が無いという人ももちろんいる。
※ちなみに僕は、オカズはほぼ完全に男女ものだったので、そういうことにはあまり関心が無かった。また実家だった僕は保管・処理方法を考えただけでも大変であった。

最近の事情というのはあまり分からない。だけど、ほとんど買う人はいないように思う。あんまり聞いたことがない。
昔はコロコロコミックのような、不格好で分厚い雑誌だった。しかし最近はもっとスタイリッシュになって、かなり見た目にも買いやすいようになったと思う。

内容は相変わらずちょっとアダルトに寄りすぎているような気もするが。。。
バディ。みなさんもいかがでしょうか。
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  2011/10/14    考え(ゲイ関連)

まずは 【更新】ホームズはあの時何を思ったか。 を参照してください。
この記事の中で、片思いの相手を分析する要素として、姿見があること、おしゃれであることを挙げて、

> 彼は僕がゲイだから離れていったのか

という記載がありました。
当然のことながら、僕はその細かいシチュエーションは分かりません。しかし上記の2つの要素(姿見とおしゃれ)は、僕がかつて記事にもしたことがあります。

しかし重要なことがもう一つあります。
それは友人関係を持つことが難しいという話。

このブログを書き始めて最初のころ、僕は「男と男の友情」という話を書きました。僕自身は男女に友情を持つことは非常に難しいという意見を持っており、その根幹には性的な対象になり得るからということを書きました。
そして当然恋愛対象が男性であれば、男性同士の友情も(特にゲイ同士)の友情も芽生えにくいと思っているのです。
注意しなければならないのですが、決して実現しないと言いたいのではありません。実現しにくいという話です。ノンケといわれる人たちでも、同性で、親友といえるほどの関係になると、それが好きという感情と混同・勘違いすることがあります。

そうだとすれば当然ゲイも同じことでしょう。つまり究極に仲がよくなって親友と言えるほどの立場になると、次はどうしても恋愛という要素がでてきてしまい、やっぱり友情関係というのは難しいのではないかという話です。

あまり最初に挙げたブログに関係が無くなってしまいますが、僕の中で前掲のブログには、姿見・おしゃれ・友情関係がなりたたない。というゲイの要素を非常に強く持っているような気がします。
それが、「僕」のセクシャリティや離れていく理由とどのように関係するのかは、全くわかりません。そんなことは本人しか知り得ないでしょう。

しかしその片思いをしていた人というのは、ゲイとしての要素を色濃く持っていた。そのように断言してもいいのではないかと思うと同時に「僕」さんが惹かれるのはなんとなく理解できるところでもあったのです。

※こういう書き方をすると、じゃあ「僕」さんはゲイとしての要素をもっている彼が好きだったのか、それとも彼だから好きだったのかという命題が生じるかもしれません。僕としてはそんなことは一切関係がありません。ただただ、その彼がゲイとしての要素を少なからず持っているというだけの話です。
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※次は10/15(土) チキチキ♥ゲイタン体育祭 を行います。
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  2011/10/02    考え(ゲイ関連)

僕がこの世界で活動を始めてから、かれこれ10年近くが過ぎている。そしてとても幸せなことに、活動を始めた初期の頃から未だに友人関係が続いている人がいる。不思議なことに、続いている友人数名はだいたいが同年代である。

そして僕の考える、人生においてとても楽しいと考えられる期間の一つ、10代後半から20代半ばぐらいまでを一緒に過ごしていて、とても不思議な期間があるのではないかと最近思うようになった。

その人が、とても輝いているように見える時期があるということである。
しかしこの輝いている時期と、その人の生活の状況は必ずしも一致しない。光り輝いているような時期に、失恋することもあり得るだろうし、恋愛する気が起きないような時期と輝く時期が重なる可能性もある。

輝く時期が何回かくるのかは分からない。しかし連続した期間で1回は最低でもくるのではないだろうか。

もともとそのように思うに至ったのは彼を見ていてだった。当然彼とはもうそこそこの期間を一緒に過ごしているので、毎日に大きな変化は生じない。彼は毎日学校に行ってるし、休日は一緒に過ごすし。僕は毎日会社に行ってるし、あーでもないこーでもないって言ってるし、お酒を飲んでフラフラしている。

そんな代わり映えの無い日常の中で、ある期間、、、そしてそれは大変に短い期間、、、彼の雰囲気がガラリと変わった時期があった。本当にこれは不思議で、そのときはまるで他人のように感じられた。つきあい始めの新鮮な気持ちに戻ったような??

この時期は大変残念なことに1ヶ月ぐらいで過ぎ去ってしまった。雰囲気が変わったとき、ちょうど散髪をした時期と重なっていた。だから最初僕は、髪型が変わったから雰囲気も変わったのだろうと考えていた。しかしどうやらそうでもなさそう。
そして振り返ってみると、他の友人にも(ここまではっきり分からなくても)、輝く時期が生じるのではないかと思うようになった。

しかし不思議なのは、この輝く時期は勝手に輝くのであって、生活には一切の変化も生じないということである。せめて毎日が活力にあふれるなどのことがあればいいんですが。
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※10/9(日) ゲイタンバザールカフェ を行います。
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  2011/09/14    考え(ゲイ関連)

せっかくなので今回ゲイタンバーの(一応の)発起人となったので、色々と思うところをまとめておきたい。そしてこれは、ひょっとしたら他の発起人の参考になるかもしれないし、ゲイタンとは関係のないところで何かを企画するときに参考になるかもしれない。
もちろん「自分のやり方とか考え方とは違う」という視点で読んでもらってもいいかもしれない。

まず僕がみんなと協力しながら物事を決定していく方法は、かなり異質だと思う。僕としては「僕がやりやすいように」ということよりも、唯一僕自身が無理なくできる方法で色々なことを決定しているつもり。しかし同様の手法をとる人を実は見たことが無い。

僕が今回のゲイタンバーで決めたことは、バースタイルでお酒を提供すること、希望としては、今までの大学生が多かったゲイタンの参加者にさらに30代以上の人が来てくれるようにすること。というコンセプトと、バーを貸し切れるお店を見つけることだけであった。

つまり、「この場所でこういうのをやりたい」ということを決めただけで、後は僕自身が決めたことはほとんど無い。何かを決めるときには、他の企画者と相談しながら、おおむね総意となった事柄を決定事項としている。

最初に僕は、貸し切るお店を見つけて、なおかつコンセプトを決めた。そしてそれをまずはTwitterなどでつぶやいたり、過去のゲイタンで積極的に企画・運営をされていた方に協力していただけないかと声をかけた。
また、こういうイベントごとに強いだろう友人であったり、ぜひ一緒にそういうことを考えたいと、常々思っていた友人にも協力を募った。

声をかけた数名の友人は誰もが積極的に協力してくれ、また他の方々も続々と協力してくれることが分かった。今までゲイタンに関わっていなかった人たちが協力してくれるのは、初めての方にとっては負担も大きいでしょうし、とても勇気のいることだと思うので、とてもうれしいことでもある。

あとは決めなければならないことを、どんどん議題として提出し、主にメールで意見交換をした。
開催日をいつにするのか、会費はいくらが妥当か、提供するお酒は、料理は。店に備え付けの備品と、新たに用意するべき備品は。お酒は誰がつくるのか。来店された方には、どうやって楽しんでもらうのか、また楽しんでもらうための工夫は。。。。。。決めなければならないことは無数にある。

一つ一つについて、みんなにお伺いを立てて総意を得るのはすごく大変でもある。開催日にしたって、○日にすれば、企画者の誰かが参加できないとか、○日だと、来店される人が少なくなりそうとか。
お酒にしても、種類が多いと作るのが大変だろうし、少ないと来店される方が満足できない可能性もあるし。もちろんコストも多いからそれは会費にも反映されてしまうし。

安い方がいいと、僕なんかは考えるけど、もちろんそれが正解だとは限らない。多少のコストをかけても、十分な品質のものを提供するべきだという考えもある。だからといって、中途半端な妥協がいいとは思わない。そして僕が無理矢理何かを決定することもしたいとは思わない。
そういう一つ一つの意見を聞いて、全体的に意見が集約される場所を探す。そして結果的に、決まったことと意見が違う場合でも、決まったことについて全力でサポートしていただけるようにみなさんと改めて確認する。そういうことがとても重要だと考えている。

– – – – – –

今回、一緒に企画・運営をしたいと僕が考える方々に少し声をかけました。それはTwitterでしか絡んだことがない人だったりとか、ゲイタンには無関係の人も多かったのです。
「こういう趣旨のイベントをこんどやるんだけど、手伝ってもらえませんか?」そのように声をかけました。

もし僕が声をかけられる側だったら、僕はおそらく消極的になってしまうと思います。だから「いいけど、俺全然働けないよ?」という感じで返答してしまうのではないかと。
しかし声をかけた数名は、「興味あります」とか「ぜひやってみたい」という声が上がりました。

僕にはこれがとても驚いたことでもありました。なぜそういう大変であろうことを積極的にできるのか。と思いますし、知らない人のする知らないイベントに関わることには恐怖心などは無いのでしょうか。

と、自分が声をかけられる側だったら思ってしまうのです。

一方で、声をかける側としては、「働けない」というのは、指示の出し方の問題だったり、役割分担がヘタなだけです。だからそれは僕自身への批判として受け止めて、しっかりと、そして本人の能力以上に活躍する場所を提供するのは、容易ではないかと思っています。

また、当たり前のことですが、知らない人たち、、、それはバックボーンや年齢、生活環境、、、の、色々な人が集まって、一つの何かを成し遂げるというのは、とてもすばらしいことだと思いますし、達成感というのは相当に強いとも思います。
企画を手伝っていただける方には、ぜひこの達成感を共有したいなーと切に願っています。

– – – – – –

バースタイルでお酒を提供することしか決めていなかった僕の案。これは、結構前からやりたいと思っていて、僕が企画や場所を提供してその枠組みの中で楽しむというのは、正直あまりすきではありません。そのような企画は強いリーダーシップと、リーダーの負担が必要だと考えているからです。

そのため、僕は何かをするときにはほぼ必ず、何かの細かい仕組みを取り入れます。そうすることによって、細かい仕組みの部分については委譲したいのです。

今回はそれがイラストの展示でした。

僕が完全にビジネスの世界に生きており、イラストなどのデザイン能力を生かして仕事をしている人たちは、尊敬こそしていますが現実的に一緒にお仕事をしていくのは、また色々と難しい面があると思っています。左脳と右脳などとは言いませんが、大きな考え方の違いがあるのは事実なのではないかと思っています。

(ちなみに、これには理由もあってデザインはこういうのを作って欲しいという思いを伝えるのが難しいことや、”ちょっとの直し” が、全然ちょっとの手間では済まないなど、仕方のない側面も大きくあります) 営業的なことでは、見積もりを “ちょっと修正” することは多く、その手間はたかがしれていますが、それとデザインのそれを混同している人が多いのです

と、そんなおり、友人の書くイラストを見る機会がありました。積極的に創作活動をしている友人は、少なくとも僕が今まで触れたイラストの中で最も商業ベースに近いような気がしました。(ただし僕は芸術全般に関してのそういう能力はゼロです)
何よりも描いている本人がとても素直で、魅力的な人でもありました。

そこで今回はその友人のイラストをぜひバーで展示したいというお願いをしたのです。もちろん積極的に協力してくれることになりました。
その人の書くイラストは、僕が今まで見た作品はとてもゆるい感じで、どれも大変おもしろいものでした。

ゲイタンバーに遊びに来られた際には、是非ともこのイラストの展示も楽しんでいってください。
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※9/24 ゲイタンバー を行います。
※10/9 ゲイタンバザールカフェ を行います。
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  2011/09/11    考え(ゲイ関連)

今回は妹に。
かつてカミングアウトについて2 という記事で、兄弟へのカミングアウトはいずれするだろうという話を書いた。

本当は数年先、、、それは35歳が一つの目安として考えていた。しかし特にブログの交流を通じて話を聞くと、カミングアウトしている人は意外に多く、それは友人であったり、兄弟であったり、親であったりした。(職場というのは正直あまり聞かないかな)

僕はそういう話を聞いていて、カミングアウトについては避けて通ることのできない非常に重要なことだと考えるようになった。

今まで基本的には、カミングアウトはあえてご飯が好き・パンが好きということを宣言するようなもので、改めてそれを主張するのは変だとさえ考えていた。また恋人との関係が短期的であったり、不安定になりがちなゲイの世界で、現在の恋人を伝えることが適切なのかも疑問を感じていた。
もちろん、伝える相手によっては嫌悪感を感じる可能性もあり、それもまた積極的な行動をしない理由になっていた。

しかし一方で、例えば自身に恋人がいるのか。という質問の時に、いないとウソをつくのは正しいことだとは思えない。また本当は男性とつきあっているのに、女性に置き換えてしゃべるのも、それが現実的ではあるが、どうもしっくりとこなかった。
僕自身のことで言えば、すでに恋人とは4年目に突入し、将来を含めた安定というのはまったく見えないけど、少なくとも今までは安定していたし、その延長で将来があるならば、さすがに現状を伝えても全く問題が無いと考えるようになった。

もちろん「結婚しない覚悟」という記事も書いているぐらいだし、今さら他の恋人を探すようなことも考えていない。

このような状況から、妹と会話をするときに恋人の話題がでると、事実と大きく離れるようになってしまった。

以上のこと、、、
・他の友人のカミングアウトの話
・考え方の変化
・環境の変化(安定)
・事実との開き
などの理由から、限定的ではあるかもしれないが一部の人にはそれを伝えた方がいいと思った。そしてそのように意識をすると、あとはタイミングの問題でもある。

本当は一番最初にはすごく仲のいい、女性の友人に伝えるつもりだった。しかしタイミングが合わず、それは叶わなかった。
一方で、妹が僕の誕生日に合わせて会おうという話が出てきて、兄弟3人が会う時間ができた。ちなみに兄弟3人だけで会うのはおそらく初めてのことでもある。(妹の一人は、ようやく20歳になったから誘えるようになったというのは大きい)

で、前回も書いたかもしれないんだけど、妹の止まらないトークにずっと付き合わされていた。ずいぶん前に言われた、「建設的な意見はいらないから、とりあえず聞いていればいいの」というニュアンスの言葉を、妹と会話するときには常に肝に銘じている。

ずーーーーーーっと。といっても3時間ぐらいかな?妹の話を聞いていたので、なかなか切り出すタイミングが生じなかった。
「よしじゃあ後一杯飲んだら帰ろうか」というおきまりのセリフが出てしまいし正直焦った。

とりあえずトイレに行って、場の雰囲気を変えて仕切り直し。

トイレから戻ってきて、恋人の話を切り出した。最初は妹の恋人の話。一通り聞いて「で、お兄ちゃんはいないの?」と。そこで僕の本題に。

「今までちゃんと言ってなかったんだけど、一応4年付き合ってる恋人がいるんだよね」
「えー。そうなの?いつも聞いてる時には、その時はいたりいなかったりじゃん?」
「あれそうだっけ?んでも、4年付き合っている人がいるんだよ。で、4年付き合ってるし、ちゃんとした恋人なんだけど、”彼女” じゃないんだよね。。。。」
「え?ってことは男性??」
「そうそう。4年付き合ってるのは男性なんだよ」

という流れになった。もともと1人の妹にはバイセクシャルだってことは伝えていたので、すんなりとした流れでもあった。(想像通りだったし)
もう一人の妹は、そういうのは全く初めてだったが、とくになんのリアクションもなかった。意見や考えも特に言われず。(もう一人の妹がずっとしゃべっていたので、この辺はもう少し時間をかけて促したいと思います)

と、僕の一番最初のカミングアウトは特に大きな出来事もなく、すんなりと終わったのであった。

(ゲイ一般に関するいくつかの質問があったのですがそれについては、ごく普通の感じでした。)
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