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2011/12/08 考え(ゲイ関連)

僕は世の中には知らない方がいいいこともあると思っている。例えばドラッグ。はまるとかはまらないとかじゃなくて、知らなければ欲求も生まれない。だから何事も経験だ。なんて安易に言うけど、ドラッグは必要無い。
並列的に例示するのはアレだけど、たばこもそう。合法的だからなんら問題は無いが、それでもやっぱり知らなければ欲求が生まれない。アルコールは微妙だけど、覚えなくてもよかったかな。
と、いくつかの極端な例は多いが、好奇心の方向性はとても重要で、もし意図しない状態で体験するようなことになったとしても、本当に体験してもいいのか判断することは、場合によっては体験しないという決断をすることも大切だと考えている。
その知らない方がいいことで、意図しない形で体験してしまったことが一つ。
それがいわゆるフケ専というジャンル。
友人に連れられていったお店で、「おじさんに見える若い人」と、とうに定年は迎え、年金生活であろうことが想像できる、おじいちゃんの二人が仲良くしていた。
まず僕はここで2つ+(プラス)の衝撃があった。
一つは、白髪のおじいさんをゲイが集まるようなところで見かけたこと。
一つはカップルなのか友人関係なのか分からないが、非常に親しげな二人組ということ。
その後に知った話では、若く見える方はそれでも30代後半?40代?だったということ。
もちろん年齢がいってからの恋愛について、僕自身がどうのこうのいうつもりは無いし、それは常識的に理解している。ゲイは数人に声をかければ必ず介護職ないしはそれに近い人がいるから、そういう方面からも高齢者の恋愛の話は聞いたことがあるし。
しかしそういうことと、自分と接点が生まれることはまったく別な話。まるでフィクションだったのが、現実になってしまうような。このとき生じた複雑な感情をどのように整理したらいいのか、表現すればいいのかまだ分からないけど、とにかく衝撃だったこと。
フケ専というジャンルがあることは知っていた。しかしそれは40代だとか50代の人がタイプだと言うことなんだろうと理解していた。まさかそこまでだとは思わなかった。
この場合、例えば40代50代の人がタイプだというのであれば、それはまだ理解できなくはない。ダンディっていう言葉もあるぐらいだし。
しかし年金を受給しているだろう年齢の魅力はどこにあるのだろうか。性的なこと?肉体的なこと?精神的なこと?老害などという言葉があるように、そこに魅力を感じにくいと考えている人が多いのではないだろうか。
そして若く見える人について、僕は20代後半だと思っていた。昭和中期のような格好をしているその人は、おそらく年配の人に好かれようと、そういう格好をわざとしているのだと考えたのである。そういう格好をしているわけだから、年代もいまいちよく分からず、だからこそ、若いという判断をしたし、髪型やちょびひげなどで惑わされなければきっと若いと僕は思っていた。
しかしその人は僕よりもずっと年上だったようである。これもまた衝撃だった。結局話をすることが無かったが、終始衝撃の連続であった。
会話がすごい。
おじいちゃんは頻繁に咳き込んでいた。アルコールを飲んで。お通しを食べて。隣にいる若い人は、そのたびに背中をさすって、大丈夫?と声をかけていた。そして「自分もぜんそく持ちだから、咳がでるのはつらいよね。」というねぎらいの言葉までかけていたのだ。
こんなことはなかなかできることではない。
そのほかカラオケでもその人は歌が好きなのか、場の雰囲気を盛り上げようとしてなのかは分からないけど、積極的に歌を入れていた。さらに他の人が気を利かせて昭和の歌を歌えば、都度コメントをしていたし、必ず褒める言葉をかけていた。
このような気遣いができる人はそうそういない。
見た目のタイプというのが俗っぽい今の判断基準で大きなものだとすれば、いずれはそういう、精神的なことであったり、相手へのっやさしさで勝負を挑まなければならないのかもしれないと思った。
2011/12/06 考え(ゲイ関連)

「無し」と僕はよく言っていること。もうちょっと誤解のない表現をすれば、脈無しっていうこと。
この「無し」の人にいつまでもつきまとう=口説くのは、非常に悲しいことになる。
逆に「有り」と僕が表現する対象。つまりは脈有りってことだろうか。は、適度なペース、距離感、ふるまいに注意しつつ交流することが大切だと思っている
僕はさんざん書いているように、モテないという発想が根底にあるので、しつこい好意はゼロだし追いかけるような事はしない。むしろもうちょっと押せば何とかなりそうなのに、最初の段階のイヤそうな表情で、すぐにあきらめてしまう。
しかし世の中全体的なことを言えば、脈無しからの逆転というのは無数にあり、それが成就するとすれば、かなりすばらしい恋愛になるのではないかと、勝手に思っている。
まんざらでもないお互いが、お互いの様子を見ながら恋愛に発展する前の段階を踏んでいるとき。これはもどかしくもあり、またほほえましくもある。男女においても、男性同士においても例外ではない。まんざらでもないと考えているだろうと容易に想像できる態度で接している両者は、まだ付き合うといえるほどの段階ではないのだろう。
しかし順調にいけば、そしてどちらかが転機を迎えて積極的になればすぐにお互いの距離は縮まる。
一方でその中間もある。第一印象や、何回かの交流では好きでも嫌いでもないというような感じ。
とても自然な友人関係を築いて、それが何かちょっとしたきっかけで恋愛関係に発展することもあると思う。もちろんどちらかが、少しでも積極的にならなければ進展は見られないが、それでも友人関係というフィールドから、恋人候補に上がるというのは、とてもすばらしいことだと思う。リスクとリターンなどと言ってしまうのはアレだが、それでもやっぱりバランスがとてもいいのではないだろうか。
さて、悲劇の部分。
お互いが無しと考えているか、一方的にアリと無しに分類されてしまっている場合。例えば僕は大好きだけど、相手は僕のことが大嫌い・苦手というような。
この場合に、何かしらが得られる結果を出すことが可能なのだろうか。もし無しということを実感することになったとしても、そこから何が得られるのか。そして逆転はあり得るのだろうか。
僕はとても難しいことだと思っている。まずは僕自身はこのパターンの場合は手を出さない。すぐにあきらめる。だからこの場合の結果がどうなるのかは想像できない。また外部からの問題もある。必死に仲良くしようとしているところを目撃されるだろう。噂として出てくるかもしれない。そういうときに、おそらくみんなが思う共通の認識は「きびしいでしょ」と。
健気に相手の後ろを追いかけるのは、とてもすばらしいことだと思う。しかしそこで成就しないことが確実に近いとすれば。それはどのように考えるべきなのだろうか。
僕が初期の頃に書いた記事で、身体を武器に誘惑してくる場合があるという話を書いた。「身体が目的で会ってもいいよ」みたいな感じ。
これは僕がタチとしての役割を担うから、相手が武器にできることだと思う。逆に僕が、身体を目的に・・・なんていうのは、おこがましい。むしろ距離が離れるだろう。
ご飯などで、少し高価な場所に誘うというのは、年齢を考えても武器にできるかもしれない。
しかしそこまでする必要のある、口説きたい相手というのは存在するのだろうか。
なかなか難しい話だと改めて思う。
2011/12/05 考え(ゲイ関連)

今まで、ある一定の年齢を超えて独り身の場合、それは必ず訳ありだということを書いてきた。そしてそれは今でもそのように大半は思っている。
しかし、そのように意識するようになって、一部の人は、魅力的であるが独り身であるというパターンも少なからず存在している。その理由について、いくつか考えてみたい。
まず前提として、やはり僕は20代半ばから後半。30代の前半ぐらいに落ち着くことは非常に重要だと考えている。その時期を逃すということは、やむを得ない理由があるだろうことは想像できるけども、それでもやっぱり、、、という発想が出てきてしまう。
しかしそうは言っても全員がその時期に必ず恋人を作ることは不可能なので、一部あぶれている人がいるのも事実。ただしあぶれている人にはある程度のパターンがあるのではないだろうか。っていう気持ち。
僕の友人には、とても魅力的な人が多い。何度となく言っていることでもあるが、僕のこの特殊な性格にちゃんと付き合ってくれる人・向き合ってくれる人というのは、異常者かよほど心が広い人だろうと容易に想像ができるのである。そして僕はそこに十分に甘えさせてもらっている。
そんな魅力的なそれぞれの友人であるが、なかなか恋人ができたという話を聞かない。むしろいない期間の方が長いのではないだろうか。
それぞれについて、具体的にどのような理由で恋人がいないのかは分からない。もちろん話を聞いているとだいぶ理想が高そうだし、性格的にマッチングが難しい可能性なども考えている。しかしそれらを考慮にいれても、もう少し付き合っててもいいんじゃない?と。
そして最初の話に戻る。
訳ありという表現をしていた、一定の年齢を超えた人のことであるが、魅力のないというネガティブな側面での訳ありということが今まで想像していた中心であった。しかし実際には、魅力的な人だが、タイプや性格の理想が大きく違っている人というのも存在していた。
例えば僕からみて非常に「かわいい」という友人がいた場合、その友人は「いかつい人」と付き合いたいと願っているとする。すると、この業界ではタイプの選別が激しく、やはりかわいいというのは、いかついに変更するのは難しいように思う。そういうミスマッチはあると思う。だから魅力的でも付き合えないという可能性。
しかしだからといって結論は変わらないと僕は考える。年上が好きだ。そのように言う人は、やっぱり、普通の人はもう誰かと付き合っている可能性が高い。残っている魅力的な人は、その人の理想が高いために付き合っていない可能性がある。
そうなると結局20代後半から30代の人と付き合うのは、とても難しいのではないかと思ってしまうのである。
そうやって書いているが、僕もいつ振られるのか分からない。もし振られたら、完全に訳ありに分類される。これはとても怖い事だ。
2011/12/02 考え(ゲイ関連)

ここではもっぱら、ゲイ的な要素の記事を書いている。確かにセックスを生々しく描写するようなことはしていないけど、顔射のことは書いたし、立ちバックもたしか書いた。それ以外のセックスのスタイルについてもいくつか書いていると思う。
で、ふと思ったことがある。嫌悪感はあるのだろうか。と。
僕はバイとして、男女についての性的な描写に嫌悪感は生まれない。これは当然のことである。たぶん僕が嫌悪するとしたら、おじさんやおばさんなどの高齢の性的な行為だと思う。もしくは獣姦といわれるジャンルだろうか。
しかしノーマルの男性だったら。男性同士の性的な行為には、嫌悪感が生まれるのだろうか。
しかしそれはなかなか意識が共有できない部分でもある。例えばゲイだとと告白した場合、その状態だけでは嫌悪感はおそらく生じないと思う。だって高齢の人の性的な行為は嫌悪感を生じる要素だけど、高齢の人が普通にしてるだけだったら嫌悪しないような感じ。
だけど例えば一緒にお風呂に入るような時にはどうなのか。身体が軽く触れたときは?自身に関係なくても、キスを目撃するようなのは嫌悪感が生じるかもしれない。
そして、このブログを読んだときには?
逆に嫌悪感を生じなければ、それはゲイやバイと言えるのだろうか。なかなか難しいところだと思う。
僕の場合だと、もともと女性が好きで、徐々に男性も大丈夫になってきた経緯もある。だから確かに最初のころは、男性に嫌悪感があったのかもしれない。でも記憶にある範囲では、まったく嫌悪感はありませんが。
今まで親しんできた一般的な常識から考えれば確かに男性同士や女性同士というのは、受け入れるまでに覚悟と時間が必要かもしれない。
ちなみに、女性同士というのは男性向けに作られたアダルトビデオではしっかりとしたジャンルになっています。このジャンルについては、好き嫌いが分かれるのは事実です。
しかし例えばちょっとしたときに、気づくこともある。
例えば酔っぱらった状態では、僕は人に身体を触れられるのがあまり好きではない。で、これはどちらかと言えば、男性には特に触れられたくないような気がする。性的な意味でがっつりさわるのであれば、男女関係ない。だけど、ありがちなボディタッチは、男性からだと何となくゾワゾワっと鳥肌が立つような感じがする。
女性だとあんまり気にならないのも不思議。
でももし男性同士の性的なことを見聞きして嫌悪感の有無で判定ができるのだとしたら、結構簡単な判定方法じゃないかと思う。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/30 考え(ゲイ関連)

新しい何かが始まる時、それが一番最初でない限り、必ず過去の経験がある。例えば家などは、新しい家に引っ越す前、過去に住んだ物件というのが必ずある。一人暮らしは初めてだったとしても、「家に住む」というくくりでは、初めてではない。
だから一人暮らしということで戸惑うことが多かったとしても、家に住むということでは、過去の経験があるので、戸惑うことは無い。
仕事だってそう。最初の仕事ならともかく、転職であれば、過去に何年間どんな業務に携わっていたのかを知ることは重要である。
そして恋愛もそう。
過去にどんな人とどれぐらいの期間付き合ったのか。そして別れた理由は何なのか。それを知ることはすごく重要なことだと思う。
今まで短期間で終わるような恋愛ばかりしていた人であれば、きっと今の恋人とも長くは続かない可能性がある。残酷かもしれないけど、それは長期的にも当てはまる可能性がある。
1-3年での破局の場合は、その理由をしっかりと確認する必要がある。
5年以上での破局の場合は、慎重に理由を探る必要がある。
僕は短期間の恋愛が多い場合は仕方が無いと考え、期間が長くなってから別れる過去があると、その恋愛は慎重になるべきではないかと考えるようになった。
前にも書いたが、短期間はあらゆることが別れる理由になる。メールの頻度とか電話の回数とかもそうだし、距離的なこともそう。
だから短期間で別れるような恋愛は、お互いの何も知らない状態なので、とりあえずは仕方が無い。
一方で、1年以上続いてからの破局の場合、その理由を慎重に考えなければならない。
なぜ1年という、これから長期の恋愛を目指すべき重要なタイミングで破局してしまったのか、多少の我慢が1年間継続していたとしても、1年も継続できたのだから、きっとさらなる継続も可能だったと思う。しかし我慢の限界が1年だったのか。我慢以外の心変わりだったのかもしれない。
そういう別れるほどの変化というのは、次の恋愛でも同じように迎えることになる。例えば1年付き合った恋人と、何となく「飽きた」という理由で別れた場合、今付き合っているあなたは、同じく「飽きた」という理由で別れを迎える可能性がある。もちろんすべてでも無いが、可能性の一つではある。
ただし大切なのは、そういう理由での別れも決してネガティブではないということ。1年で終わりを迎えられたのであれば、次を探すチャンスはまだまだある。そのように考えることもできる。それにくだらないと思うような理由で別れるのは、せいぜい1年前後までだろう。
さらに長い期間の場合。ここからが難しい。というよりも僕には想像しがたい。
長期でのつきあいの結果に別れるとなった場合、そしてそれはおそらく、その人の本質である可能性が非常に高い。1年以下のつきあいと大きく違うのは、通常の別れる理由はすべて乗り越えることができているからである。
例えば飽きを理由に別れることは、数年も付き合っていれば考えにくい。だって、飽きるならもっと前に飽きているはずだし。
だからもうどうにもならないようなことを理由にでしか、別れることが無いのではないかと考えてしまう。
例えば金銭的なこととか、暴力とか。浮気癖かもしれないし。何の理由だとしても、その理由はその人の最後に残る部分だということ。色々なことを魅力と考えて、だから長期に恋愛ができて。でも唯一それだけが我慢できなくて、やっぱり別れを選択した。その可能性が非常に高い。
そしてリカバリーも大変。長期で恋愛をしていると生活の色々なところに影響が出ている。好きな食べ物とかレイアウトとか、服とか好みとか。そういうことをすべてリセットして、次の恋愛に踏み切るには、すごく大変な労力が伴う。
だから僕は、過去の恋愛を聞いて、もし長期に付き合った結果として別れたという話を聞く場合には、なんとも心がもやもやしてしまう。
長期の恋愛は、幸せな時期が長く続く一方で、それが破綻したときの影響もまた非常に大きい。
2011/11/29 考え(ゲイ関連)

聞いていた印象とはまったく逆で、とても好印象。それが会話したときの第一印象であった。
特定の個人を対象として記事を書くのは、本人のプライバシーもあるので若干ためらうところである。また僕の書く文章はネガティブに書いてあるようにとらえられがちで、それもまた心配である。もし記事に訂正があったら、改めてその方からの主張を続報としてお伝えする次第です。
過去何回か話題にしているが、ゲイタンというグループがある。そして今まで何度となく、企画があって、僕もそれに参加してきた。
僕のポジションというのは、なんだかちょっと不思議な感じで、僕は参加者の方を知らない。しかし参加者の方は僕のブログなどを通じて知っているということがあり得る。だから「かお。さんですよね?いつも(たまに)ブログ読んでいます」と声をかけられることがある。
その人と初めて会ったのも、確かそうだった。なかなか話しかけるきっかけがなく、でもグループで行動していたので、もちろん見て知っていた。しかし僕はその人の素性はまったく何も知らなかった。
近くの座席になったとか、そんな理由で。ほんの少しだけ話をした。その人は言葉は少なく、でもしっかり考えているような。そんな感じだった。違う表現をすれば、興味津々ということだろうか。
東京に住んでいないその人とは、結局それっきりであった。もちろんTwitterなどを通じてコミュニケーションは簡単にしていた。しかしそれまでであったし、そもそも少ししか話をしなかったので、それぐらいで十分だった。
そしてこないだのゲイタンの企画で、再会することができた。その人は「前回はあまりお話ができなかったので」といって、僕に話かけてきてくれた。僕もその後しっかりと整理した考えをする機会が生まれたので、とてもうれしく楽しい時間でもあった。
何がきっかけだったか。恋愛の話になった。恋人ができたと。そして僕はその恋人の話を聞かせてもらったのである。時間が無いからあまり会えない。そのように言っていた。会ってない中でも、少なくとも順調に感じているとも。年齢も20代後半らしい。
なるほど、と。僕はその話を聞いたとき、年齢的なことをまず言うと、すごくいい可能性をもっている。という話をした。それはかつてさんざん書いているように、変化の時期だからでもある。
忙しいという理由が、仕事に由来するのであれば、仕事をバリバリやっている可能性が高く、(時間ぐらいうまく作れよ!)とも思うが、きっと20代後半になってからの仕事は、恋愛よりも優先させるぐらいの方が、きっといいと思う。
一方で、もろい部分もある。20代後半で、そういう魅力的な人の場合、すでに誰かと付き合っていてもおかしくない。だから一人なのはきっと理由がある。
「忙しいから会えない」それは、ネガティブに考えれば、仕事を口実に他の人と遊んでいる可能性だってある。そして忙しいという理由はよく使われる。
だから僕がその恋愛の話を聞いたとき、2つの可能性が頭をよぎった。いい人だったらすごく魅力的。そして悪い人だったら相当遊んでいるな。と。
どんな人なの?と聞いた時、「今日一緒に来ました」そのように言っていた。「まじっすか!」と僕。そして話をすることに(なってしまった?)のである。
恋人の方と、おそらくいくつかの他愛もない話をした。常に恋人の隣にいなくてもいいんですか?とか。仕事が忙しいんですか?とか。
いくつかの会話を交わす中で、いくつかの興味深いことがわかった。まず非常にマジメであること。何を持ってマジメなのかは、確かに判断が難しい。しかしそのマジメの方向性は、僕の恋人にも通じる部分があるように感じた。
例えば、仕事で東京に来たときに、2丁目に行ったという話を聞いた。それがまた大変用意周到で、事前調査も抜かりないように思ったし、計画も練られていた。僕自身の考え方とはちょっと違うので何とも言えないが、普通そういうことは、そこまで準備することなのだろうか。それに新宿へ行くというのは、何も登竜門のような存在でも、今この現代においてはあり得にくいだろう。もっとそういうことを確かめる登竜門的な存在や、通過するべきゲートは他にあるような気がする。
DVDをよく見る、好きだといっていた。この業界に身を置くようになってから、DVDを好きだと言う人は意外と少ない。なぜなら、大半はDVDが好き=性的なことに興味がある=適当に相手を探して実践する。と短絡的な結論に結びつくからである。
だからDVDが好きだと言う話を聞いたときに、僕としてはそこから広げるための話題を持っていなかった。せめてジャンルぐらい聞けばよかった。DVDでの好きなジャンルは、その人がタイプに思う人を示すことになるので、それと今の恋人のジャンルぐらいは比較するべきだった。正直後悔していますw
話し方の特徴を総合すると、すごくマジメな人であると感じた。しかしそれは、悪い言い方をすればくそまじめだと。
この恋愛において、僕は両者をこれで知ったことになる。一人は今年の半ばごろにゲイタンを通じて。そしてその恋人は、先日のゲイタンで。
どちらの印象もマジメという共通項。継続の期待をすることが難しいこの世界において、久しぶりにおもしろそうなカップルだと感じた瞬間でもあった。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/28 考え(ゲイ関連)

ディスニーランド。夢の世界だと言われるが、確かに本当に楽しいところだと思う。そしてその世界は、なぜかゲイが引きつけられるようである。
ディスニーランドに関連する話はいくつかある。そしてどれも印象的でもあった。
まず忘れもしないことから。
僕がまだ若かったころ。こちらの世界での出会いをし始めた頃の話。僕の実家は東京都内でも比較的千葉に近い。そしてディスニーランドは千葉にある。だから知り合う人は、TDLに近い場所に住んでいることもあった。そして当時もTDLにまったく興味の無かった僕は、別にそのことについては、何とも思っていなかった。
僕は自分で言うのもなんだけど、少ない時間を楽しいトークとともに過ごすことは、テクニックとしては問題無くできると考えている。それは昔も一緒だった。もちろん精神的には、初めて会う人と過ごす時間はすごく苦痛でもあるけど。
このとき知り合った人は、TDLが大好きだと言っていた。そして大好きだと言う人が当然持っている年間パスポートももちろん持っていた。
という話を、なんとか聞き出すことはできたが、それ以外のことは一切話をしてくれなかった。僕は今まで色々な人と、ゲイに限らずたくさんの出会いがあった。そして後にも先にも、ここまで人見知りというか、まったく相手にしてくれない人は、一人として見たことがなかった。
さすがに今の彼もおとなしい方だけど、聞いたことには答えてくれたし、質問を途絶えないようにすることは僕の役割で、僕はそれについてはちゃんとできる。
このときも、どんどんと、どんどんと質問を投げたが、まったく反応が無かった。本当に「別に」とか「いや、とくに」とか。そんな返答。どんな人見知りの人でも、さすがにそれはないだろう。
話の内容が悪かったのかもしれない。確かに自分に責任を振り返ることはできる。でも、このときは人生でも初めてに近い衝撃で、色々覚えているんだけど、色々な方向から、、、例えば趣味だったり家族のことだったり、食べ物だったり、マンガだったり、、、聞いてみた。そしてどれも玉砕であった。
だからこそというべきか、その人が唯一話をしていた、TDLのことはすごく印象に残っており、そして僕はTDLが苦手になった。
そりゃーここまで社会性無い人だったら、TDLぐらいしかまともに相手してくれるところないだろ!と。まあ偏見なんですが。
別な人の話。
遊びに行くと、ぬいぐるみがおいてある部屋というのは結構ある。そのときミッキーなどのキャラを見かけることは少ないが、スティッチの確率は異常に高かった。最近はその辺の事情はよく知らないが、数年前はそういう人が多かった。他のキャラはあまり見ないが、スティッチは多かった。
性的なことにおぼれている人もスティッチが好きだった。仕事や勉強をがんばっている人もスティッチが好きだった。この両者に共通することってなんなんだろうと。
なんかで、醜いからファンが多いって言うようなことを聞いたような気もするけど、正直あんまりよくわかりません。ブサカワっていうんでしょうか?
別な人の話。
TDLが大好きだという友人がいる。年に、、、というよりも2-3ヶ月に1-2回?ぐらいTDLに来ているようだ。地方に住んでいるその友人は、節目の休みごとに、時には連休をわざわざ取って、東京に遊びに来ているようである。そしてそのとき、東京に3日間滞在するなら、3日間TDLに行くような、かなり濃いファンみたい。
僕もTDLに誘われたことがある。
正直なところ、僕は最初に書いたように最初はかなり抵抗があった。一つは遊園地系でしょ?みたいな感じだったし、斜に構えてるような僕の態度はどうにも楽しめる雰囲気なさそうだし。そしてなにより、TDLが好きってことは訳ありだろ!とも。
おそらく小学生だか中学生だかのとき以来にTDLに行った。楽しかった。驚いた。
僕は絶叫系のアトラクションはまったくもって苦手なので、アミューズメント系の施設では楽しめないことが多い。しかしTDLは必ずしも絶叫系だけがすべてではない。長時間並ぶのも苦手。しかしTDLはその辺の仕組みもよくできていた。(もちろん友達がめちゃくちゃ詳しいから上手に案内してくれたって言うのもあると思う)
かつては、まずくて高い、混んでる印象の食事だったが、それもそんなことなかった。十分理解できる範囲の価格帯。混雑具合。
結局この友人とはTDLの他、後日シーにも連れて行ってもらった。
TDLの懐の深さを思い知らされたのです。
そしてTDLに行ってみても、やっぱり理解できないことがある。
なぜゲイはディスニーランドが好きなんだろうか。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/28 考え(ゲイ関連)

ディスニーランド。夢の世界だと言われるが、確かに本当に楽しいところだと思う。そしてその世界は、なぜかゲイが引きつけられるようである。
ディスニーランドに関連する話はいくつかある。そしてどれも印象的でもあった。
まず忘れもしないことから。
僕がまだ若かったころ。こちらの世界での出会いをし始めた頃の話。僕の実家は東京都内でも比較的千葉に近い。そしてディスニーランドは千葉にある。だから知り合う人は、TDLに近い場所に住んでいることもあった。そして当時もTDLにまったく興味の無かった僕は、別にそのことについては、何とも思っていなかった。
僕は自分で言うのもなんだけど、少ない時間を楽しいトークとともに過ごすことは、テクニックとしては問題無くできると考えている。それは昔も一緒だった。もちろん精神的には、初めて会う人と過ごす時間はすごく苦痛でもあるけど。
このとき知り合った人は、TDLが大好きだと言っていた。そして大好きだと言う人が当然持っている年間パスポートももちろん持っていた。
という話を、なんとか聞き出すことはできたが、それ以外のことは一切話をしてくれなかった。僕は今まで色々な人と、ゲイに限らずたくさんの出会いがあった。そして後にも先にも、ここまで人見知りというか、まったく相手にしてくれない人は、一人として見たことがなかった。
さすがに今の彼もおとなしい方だけど、聞いたことには答えてくれたし、質問を途絶えないようにすることは僕の役割で、僕はそれについてはちゃんとできる。
このときも、どんどんと、どんどんと質問を投げたが、まったく反応が無かった。本当に「別に」とか「いや、とくに」とか。そんな返答。どんな人見知りの人でも、さすがにそれはないだろう。
話の内容が悪かったのかもしれない。確かに自分に責任を振り返ることはできる。でも、このときは人生でも初めてに近い衝撃で、色々覚えているんだけど、色々な方向から、、、例えば趣味だったり家族のことだったり、食べ物だったり、マンガだったり、、、聞いてみた。そしてどれも玉砕であった。
だからこそというべきか、その人が唯一話をしていた、TDLのことはすごく印象に残っており、そして僕はTDLが苦手になった。
そりゃーここまで社会性無い人だったら、TDLぐらいしかまともに相手してくれるところないだろ!と。まあ偏見なんですが。
別な人の話。
遊びに行くと、ぬいぐるみがおいてある部屋というのは結構ある。そのときミッキーなどのキャラを見かけることは少ないが、スティッチの確率は異常に高かった。最近はその辺の事情はよく知らないが、数年前はそういう人が多かった。他のキャラはあまり見ないが、スティッチは多かった。
性的なことにおぼれている人もスティッチが好きだった。仕事や勉強をがんばっている人もスティッチが好きだった。この両者に共通することってなんなんだろうと。
なんかで、醜いからファンが多いって言うようなことを聞いたような気もするけど、正直あんまりよくわかりません。ブサカワっていうんでしょうか?
別な人の話。
TDLが大好きだという友人がいる。年に、、、というよりも2-3ヶ月に1-2回?ぐらいTDLに来ているようだ。地方に住んでいるその友人は、節目の休みごとに、時には連休をわざわざ取って、東京に遊びに来ているようである。そしてそのとき、東京に3日間滞在するなら、3日間TDLに行くような、かなり濃いファンみたい。
僕もTDLに誘われたことがある。
正直なところ、僕は最初に書いたように最初はかなり抵抗があった。一つは遊園地系でしょ?みたいな感じだったし、斜に構えてるような僕の態度はどうにも楽しめる雰囲気なさそうだし。そしてなにより、TDLが好きってことは訳ありだろ!とも。
おそらく小学生だか中学生だかのとき以来にTDLに行った。楽しかった。驚いた。
僕は絶叫系のアトラクションはまったくもって苦手なので、アミューズメント系の施設では楽しめないことが多い。しかしTDLは必ずしも絶叫系だけがすべてではない。長時間並ぶのも苦手。しかしTDLはその辺の仕組みもよくできていた。(もちろん友達がめちゃくちゃ詳しいから上手に案内してくれたって言うのもあると思う)
かつては、まずくて高い、混んでる印象の食事だったが、それもそんなことなかった。十分理解できる範囲の価格帯。混雑具合。
結局この友人とはTDLの他、後日シーにも連れて行ってもらった。
TDLの懐の深さを思い知らされたのです。
そしてTDLに行ってみても、やっぱり理解できないことがある。
なぜゲイはディスニーランドが好きなんだろうか。
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2011/11/26 考え(ゲイ関連)

ゲイは、といっていいのか分からないが、「とにかく自分を見て!」という人が多いような気がする。普段プライベートでは、あまりそういうシチュエーションに出くわすことが無いが、ゲイと一緒だとそういうことを感じるときがある。
一つはマイノリティとしての側面があるのかもしれない。「みんなと一緒」ということのいくつかが無い。だから、みんなはそうかもしれないけど、僕はこうなんだよ!っていうことの積み重ねが、自己顕示につながるような気もする。
あとは常に恋愛の対象がそばにいるというのもあると思う。
例えば普段の生活の中でもそういうシチュエーションはよくあると思う。ノーマルの男性で普段すごくおとなしい人でも、キャバクラに行くと・・・女性の前になると・・・急に態度が豹変するような。そういう感じだろうか。
小学生のころとか顕著だったと思うけど、女子がいるとなんか急に張り切ってしまうような。
周りには恋愛の対象しかいない。性別という意味で。だから女性に囲まれているようなことと一緒だとすれば、それが意識的か、無意識的かというのを別にしても、自分をたくさん表現することは十分に考えられる。
しかしこの自己顕示というのは、どのようにそれを成すのかによって、印象がかなり違う。例えばグループのリーダーになったときに自己顕示が強ければ、それは傲慢な印象を与えるだろう。
酔ったときに自己顕示が強ければ、それはそういう性格とか、普段から抑圧されていると思われてしまう。
もちろんツイッターやブログでも一緒。フォローが何人だとか、アクセス数がどれぐらいだとか。
かわいい子が、自分のことをかわいいと自覚しているときも、自己顕示は強くなる。
自己顕示についてはネガティブなことのように聞こえるかもしれないけど、僕はよほどひどい例・・そしてそれはまず見かけることがない・・以外は、この自己顕示はとても大切なことだと思っている。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/11/26 考え(ゲイ関連)

ゲイは、といっていいのか分からないが、「とにかく自分を見て!」という人が多いような気がする。普段プライベートでは、あまりそういうシチュエーションに出くわすことが無いが、ゲイと一緒だとそういうことを感じるときがある。
一つはマイノリティとしての側面があるのかもしれない。「みんなと一緒」ということのいくつかが無い。だから、みんなはそうかもしれないけど、僕はこうなんだよ!っていうことの積み重ねが、自己顕示につながるような気もする。
あとは常に恋愛の対象がそばにいるというのもあると思う。
例えば普段の生活の中でもそういうシチュエーションはよくあると思う。ノーマルの男性で普段すごくおとなしい人でも、キャバクラに行くと・・・女性の前になると・・・急に態度が豹変するような。そういう感じだろうか。
小学生のころとか顕著だったと思うけど、女子がいるとなんか急に張り切ってしまうような。
周りには恋愛の対象しかいない。性別という意味で。だから女性に囲まれているようなことと一緒だとすれば、それが意識的か、無意識的かというのを別にしても、自分をたくさん表現することは十分に考えられる。
しかしこの自己顕示というのは、どのようにそれを成すのかによって、印象がかなり違う。例えばグループのリーダーになったときに自己顕示が強ければ、それは傲慢な印象を与えるだろう。
酔ったときに自己顕示が強ければ、それはそういう性格とか、普段から抑圧されていると思われてしまう。
もちろんツイッターやブログでも一緒。フォローが何人だとか、アクセス数がどれぐらいだとか。
かわいい子が、自分のことをかわいいと自覚しているときも、自己顕示は強くなる。
自己顕示についてはネガティブなことのように聞こえるかもしれないけど、僕はよほどひどい例・・そしてそれはまず見かけることがない・・以外は、この自己顕示はとても大切なことだと思っている。
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