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2010/11/30 考え(ゲイ関連)
オレは友人が少ないからだと思うが、ゲイで女性の言葉を使う「オネエ」の友達がいない。心が女性の場合、行動も女性になりがちでその最終型が、口調まで変えるオネエなんだと思う。
カミングアウトをした場合を除き、ゲイだと思われるタイミングというのは意外と少ない。アヤシイという状態はよくあると思うが、否定してしまえばそれでおしまいである。
しかしオネエ言葉を使った場合、いくら否定してもしきれるものではないと思う。そして言葉がそうであるぐらいなんだから、きっと動作のひとつひとつが女性っぽいだろう。「歩くカミングアウト」という絶妙な表現をしている友人がいたがまさにそのとおりだと思う。
ゲイの心理はとても繊細で、このオネエというのも非常に微妙な部分である。
オネエというのは男性としての自分を見せたり、愛されたいわけではなく、女性としての自分を愛して欲しいのだろうか。しかしそれだと胸を膨らせるようないわゆる女性化とは違うのだろうか。オレには友人がいないのでそのあたりのことはよくわからない。もちろんそのことについて深刻に悩んでいる人もいると思う。一方でただキャラとしてのオネエを楽しんでいる人もいる。
オネエ言葉を使うオネエの人というのは心は完全にオネエだと思う。オネエもしくはその雰囲気のある人とオレが会話をする場合、オレは完全に女性に話をするのと同じように接している。
ひょっとしたら、オレがオネエ言葉を使わないので、友人は使いづらいのかもしれない。友人同士ならオネエを使うというオレの友人も俺の前では使ってくれない。ひょっとしたら方言みたいなイメージなのかもしれない。
と、何となく「歩くカミングアウト」という表現を中心に文章を書きたいと思ったのだが支離滅裂になってしまった。
オレには分からないことが多いということである。
2010/11/29 考え(ゲイ関連)
ゲイの世界は変なところで非常にデリケートである。その代表が「女性お断り」だろう。こちらがコミュニケーションをコントロールできる場合、例えばSNSだったりこのアメブロもある程度そう、ゲイのプロフィールに書いてあるのが、「ゲイに理解ある方~」と「男性のみ」という注意である。さすがに男性に限定している人というのは少ないが、それでも多少は存在する。
新宿に飲みに行くと、女性禁止の店は意外と多い。その理由を聞くと、一部のお客さんが気にするからということらしいのだ。
正直なところ、オレにはこれが全く理解できない。SNSであれば無視すればいいだけだし、お店では別に交流する事など無い。にもかかわらず、わざわざ禁止されているのである。
「みんな楽しく交流しよう」などというつもりも無いのだが、排除するほどまでの理由が存在しうるのか、疑問に思うことも事実である。それにオレに置き換えて考えると、女の子いたって楽しーじゃん!と。オカマさんと女性との会話は非常に面白い。
しかしもし禁止するとすれば、なんとなく思いつくことがある。それは「首を突っ込んでこないでください」ということだと思う。興味というのは聞き手本人の経験を豊かにする大変素晴らしいことである。しかしそれはあくまで本人主体であり、教えてあげるゲイ側にはなんらメリットがない。そしてゲイという男性特有の社会に女性が入り込むのは、ゲイ側からすればメリットはまったくない。性的な対象になるわけでもないし、そういう意味で友人関係が広がるのかもわからない。色々答えてあげても知識がつきましたか。よかったですね。ではごきげんよう。というだけである。
お酒の席で酔った勢いで根堀葉堀聞かれたらたまったもんではない。もし女性の入店を禁止するのであれば、それぐらいかなぁと思うのである。
もし他に理由があるとすれば・・オレは何とも思わないので非常に難しいのだが、女性の楽しみ方と男性の楽しみ方は違うように感じる。また、仕方のないことだが狭いスペースで、女性の甲高い声でキャピキャピされると確かにゲイの世界では耳障りと感じる事はあるかもしれない
しかし実際には、女性のことを気にするとか落ち着いて飲めないとか、ゲイバーに来てまで女性と・・・などという意味のよくわからない理由で女性が禁止されているのを見ると、オレはどうにも納得できない気持ちである。
2010/11/15 考え(ゲイ関連)
※オレの乗ってるバイクです。
ゲイの考えることは、女性的というか趣味に対する分布に偏りがあるように思う。
その中でも(特に東京という場所では)車を趣味にする人が少ないのではないか。またバイクが好きな人もゲイの中には少ないように思う。
車はオレ自身が利用しないのであまりよくわからない。また東京はそもそも車を必要としないので趣味にするという意味があまりない。だからゲイだから、ということではないのかもしれない。
バイクについて、オレは今までの人生の中で身近なノンケの友人は比較的バイクを利用していた。原付のような小さい場合もあれば、いわゆるバイクっぽい(ネイキッドというのかな?)のが好きだという人も。またビックスクーターなども人気であった。
そういうオレだが、オレはビックスクーターを利用している。実は乗り物の運転は車にしてもバイクにしてもあまり好きではない。ただ足として便利だという理由からオレはビクスクに乗っている。ちなみにツーリングはしたこと無いし、おそらく今後もすることはないと思っている。
そうした身近なノンケの友人やオレがバイクに乗っているのにに比べ、ゲイの友人はバイクに乗る人はほとんどいない。バイクとゲイの相性が悪い部分は多々ある。大きな理由としてファッション性の部分が大きいとオレは考えている。
オレがビックスクーターを利用するので、ごくまれに二人乗りを誘うことがある。近い場所でちょっとした時などバイクは意外に便利なのである。しかし大抵の友人はこれを断る。オレと一緒にバイクに乗るのがイヤなんだね、、、うんありがとう。
いやいやそうじゃない。理由を聞くと、メットをかぶると髪型がくずれる。というのである。確かにメットをかぶれば髪型も無傷ではないと思う。しかしそれを気にするのかと、ちょっと意外なのも事実である。オレが運転しているから信用できないというのもあるだろう。なにより密着したくないというのもあるだろう。そして髪型が心配というのもあるようなのだ。風が強くあたるので服が・・・という理由もあった。
そうしてオレはせっかくバイクの免許を取り、二人乗りも出来る状態なのにほとんど二人で楽しんだことはないのである。
※ちなみに彼はオレと付き合ってからバイクの免許を習得しました。オレがビックスクーターが好きなのに、彼はバイクらしいバイク(ネイキッド)が好きだということです。ネイキッドバイクを買いたいらしいですが、バイクは危険なのでオレは反対しています。
最近になって毒蛙日記というバイクを乗っている人のゲイブログを見つけた。夫婦(カップル)そろってバイクに乗るようなので大変興味深い。まあカップルだから嫉妬の感情と共にいつも読んでるんだけど。
2010/11/08 考え(ゲイ関連)
刺激というのは期間に比例して無くなっていくように思う。恋人になったばかりのようなウキウキ感というか、ドキドキ感というのはどんどん薄くなってくる。
しかし逆に期間が長くなると強くなっていく気持ちがある。それは安心とか安定である。今まで続いても1年という恋愛しかしたことのなかったオレは、新しい恋が始まると、それは時限爆弾のようなものであった。
いつ爆発するのかは分からないが、必ず爆発する。そしてそれはだいたい1年以内であり、3ヶ月が一つの区切りであった。そして例外なくいつも爆発し、オレは毎度致命傷を負うのであった。
このままでは、いっそのこと爆弾など抱えない方がいい。抱えるなら安全な爆弾を抱えたいと、若い頃の血気盛んな野心はどこに行ったのか、いつの間にか安全策ばかりを考えていた。
もちろん、リスクを追求しなくなる姿勢は、年齢的にも仕方が無いところではある。そろそろ次の爆弾の爆発は、たとえそれが軽微な、小さな爆弾だとしても、昔ほどの体力・精神力の無いオレは、すぐに跡形も無く吹っ飛んでしまう。今までは爆発にも何とか耐えることができた。しかし次はそうは行かないだろう事が想像できる。これを避けたいと考えることは決して悪いことではない。
今回の彼についても最初はそのように考えていた。いずれ爆発するだろうと。しかし大きな修羅場もなく無事に今に至っている。もちろんオレは爆弾が爆発しないように丁寧に抱えている。しかし今回の爆弾は非常に頑丈なようなのでとても助かっている。
たまに爆弾の中から異音がするのでその時はなるべく刺激を与えないように、より慎重に丁寧に扱うようにしている。
もちろんこれからも爆発しないように大切に抱えていきたいと考えている。もちろん今となってはオレにとって爆弾を抱えない生活は考えられない。
結局のところ、今の爆弾はどのように取り扱っても爆発しない不発弾なのかもしれない。しかし爆発してから、不発弾じゃないことに気づくのは最悪なので、細心の注意を払っていきたい。
2010/10/24 考え(ゲイ関連)
オレは全然モテない。顔だけじゃなく性格の問題もそれに拍車をかけている。そんなオレだけど、たまにすごくアピールしてもらう事がある。そういうときって、この世界にありがちなんだけど、オレが何とも思っていない人とか、タイプじゃないとか、恋人をつくるような時期じゃないときがほとんどなので、結局お断りすることしかできない。
残念だしオレにとっても相手にとっても、とても不幸なことだと思う。思えばこうして何回の出会いやチャンスを失ってきたのだろうか。
積極的なアピールを受ける場合、性的な事に絡められる時が多い。直接的だしダイレクトで、もっとも効果的であることもまた事実である。悪習と言ってしまえばその通りだし、決してほめられたことではない。しかし振り向いてもらえない相手を振り向かせるとき、カードとして自分の身体を利用することを、否定することはオレにはできない。
身体を最大限に使ってアピールしてくる姿をみると、オレは心の奥がきつく締め付けられるのである。君がオレにそこまでしてアピールしなくても、オレみたいなのよりもっといい人が見つかるだろうその子が、ヤルだけでもいいからまた会ってくれませんか。そのように懇願してくるのである。
そういうときには、「そんな卑下した言い方はだめだよ。また会うのはもちろんいいから、飲みにでも行こうよ。でもエッチは基本的に無しだよ」と。身体でしかつながりを確認できない場合、非常に不満そうな顔をされるときがある。まあオレも「基本的に」ってつけてるあたり問題あるけど・・。
どちらかが優位になるような関係というのは適切だとは思えない。青臭く対等などと言うつもりもないが、少なくとも頭を下げてまでの関係はマズい。
心が締め付けられているときに、自分の意志とは別のところでチンコがぴくっと反応するのは、誰にも言えない内緒の話なのである。
2010/10/23 考え(ゲイ関連)
オレはゲイとして悩んだことが無い。これはかなり幸せなことだと思う。
というよりも、ゲイとして悩むってなんだろう?普通は女性を好きになるのに、オレはなんで・・・という悩みなんだろうか。
オレはよくもわるくも、すごくデフォルメして、簡単・単純に物事を考える。そしてこの考え方は、学生の時はすごく批判された。しかし社会に出てからは批判されることも多いけど、メリットの方が大きいのでもう他人のそうした意見には耳を傾けないようにしている。
単純に考えるというのは、本当に単純に考えている。たとえばゲイのこと。女性が好きとか男性が好きとか、改めて主張する必要はあるのでしょうか。もちろん隠す必要はありません。だからといって声高々に主張する必要もないと考えている。だってパンが好きとか麺が好きとかっていちいち主張しますか?
カミングアウトっていうとなんだかすごくたいそれたことのような気がするけど、オレはこのごはん派とかメン派と同じような気がしてどうにも納得できない。もちろんこれはたとえなんだけど、カレーが嫌いな人って確かにいて、すごく言いにくそうに言っているところを見るとカミングアウトってそういうことなのかとも思う。
そして言われた方も、カレー嫌いなんだというときに、えーなんで!ぐらいはあるとおもう。でも考えてみて。その人の意見を尊重しませんか?「だめだよカレーおいしいから食べなきゃ」って押し付けますか?
もちろん押し付けるのも、受け入れるのもその人次第です。でも世の中ってそういう意味では意外と大丈夫だと思う。
オレは東京に住んでいるからそういうことに寛大だとは思う。またオレがそういうことをいちいち主張していないので、大きなトラブルに巻き込まれたことが無いというのもある。そうやって考えていくと、やっぱり別にゲイだからって特に悩むことないかなぁと、短絡的に考えてしまうのである。
2010/10/22 考え(ゲイ関連)
※画像はオレです。
SとかMについて大半が「どちらでもない」というポジションに位置すると書いた。
しかし実際には、ドMだとかドSだとか激しい表現をしてくることが多い。
オレはこれについては非常に疑わしい事だと思う。だいたいドがつくほどのSとかMっていったいどこまで激しいのだろうか。Mだったら行為の延長で死んでも良いほどなのか。Sは血が出るほど、相手を殺すほどの何かをしたいと思うのだろうか。
一番ひどいのが、SもMもできるというパターンである。確かに自分をアピールするような場面で、相手のポジションが分からないとき、どちらにもつかない表現をすることはよくある。しかし相反するS/Mが共存することなどあり得ないと考えている。
オレはSなのかMなのかと聞かれた場合、絶対的にMである。これはもう前回の記事にある数直線上では、80あたりだと思う。
しかしSとしての役割も果たすことができる。これは前言を翻(ひるがえ)すような事だが、待って欲しい。あくまでオレはひどい方のMなので、自分がやられたときにドキッとするような事をすれば、Sとしての役割が果たせるのである。このとき相手がMだった場合には一通り満足してもらえる。
ただしオレは実際にはMなので本当のSにはなれない。MのオレからすればSの発想や態度、プレイには関心しきりである。
例えばMのオレがする、非常に簡単なS的な行動の例を挙げると、正常位でセッ スをしているとき、手をつなぐというのはごく普通だと思う。もしくは腰のあたりに手を添えるなどだろうか。しかしこのときに手首をつかむ。するとそれだけでいつもとは少し趣向が変わってくるのである。ちょっとしたレイ てきな雰囲気が出て、Mの相手はきっとドキッとしてくれるはず。
なおまだ自分でS/Mが分からない人もいるかと思う。こんな時簡単な見分け方がある。
突然の会話の中から「パンツ脱いで」と誰かに聞いてもらえばいい。
「何で?」とか「ちょっとまってよ」とか「いきなり何?」など、自分に気持ちが向かっていけばそれはMの要素を持っている。
逆に「おまえが脱げよ」とか「は?意味わかんねーよ」といった、相手に対して気持ちが向かっていけば、それはSの気質を持っていると言うことだと思う。
オレは・・パンツ脱げよと言われて、「えー。まじで。オレのチ コ見てくれんの?」と友人に回答した。酔っていた流れとはいえ、いいすぎたと言ってから後悔した。
2010/10/21 考え(ゲイ関連)
この話は男に限った話ではないが、男女にとって大切な事だとおもう。ゲイの世界では性的な好みが非常に多岐に渡る。顔や身体だけの一カ所を好みにする場合もあるし、その組み合わせを好みとする場合もある。
もしくは性的な相性を好みとする場合もある。もちろんそれ以外の場合(職業とか趣味とか)もあり、本当に何が引っかかるのか分からない。
好みは色々あるとしても、根本には自分が S なのか M なのかを知ることは重要であると考えている。
ゲイは M が多い。そしてネコが多い。
何故なのかは分からないが、ネコが圧倒的に多いような気がする。リバという、両方できる人もいるし、その人数は結構いるが結局の所ネコなんだと思う。
M が多いと書いた。しかしオレは本当の意味での M というのは非常に少ないと思っている。この記事を読んでいるあなたもおそらくSかMのどちらかの自覚はあると思う。しかしそれが本当の意味でのSかMかという話なのだ。
オレとしては、S/Mという表現が先行しすぎて、安易に区分しているように思えてならない。
じゃあいったい本当の意味での・・・というのはどういう事を言うのだろうか。これは確かに非常に難しいことではある。しかしおそらくこれを読んでいるあなたがそうであるように、「どちらでもない」というポジションが多数いるのではないかと考えている。
つまりこういう事である。
(S)0- – – – – – – – – – – —50- – – – – – – – – – – —100(M)
こういう尺度で考える事ができるのではないか。もちろん一概には言えないが、目安にはなる。
0の人はSに限り無く近い。そして100の人はMに限り無く近い。しかし大半は、40~60の範囲に収まっているのである。片方に寄っている状態を自分の属性としてもいいが、いまいち迫力に欠ける。
今まで出会ってきた人の中では、確かに引くようなドのつくほどのSやMもいたが、大半は「オレはドS or Mなんだ」といいながら、なんだかんだいって性向はノーマルの範囲に収まっていたような気がする。
2010/10/19 考え(ゲイ関連)
ゲイの恋愛期間は非常に短い。
直接関係しないが、過去の犯罪者を見たときに「女×女」の犯罪は一生一緒にいたいから起きる場合が多く、「男×男」の場合にはなるべく多数の人と関係したいから起こる場合が多いように思える。ようするに男性は移り気が激しく。女性は熱が大きいのである。
こうしてブログを書くに当たって他の人のブログを大いに参考にしている。
このときにもちろん長期でつきあっている人もいるし、ずっと一人という人もいるように読める人もいる。ブログ書いている人は、たぶん別れるとブログを一度閉鎖しちゃう事も多いと思うので読み取れることがすべてではありませんが・・
おのろけの記事を見ていると、僕自身にも長く恋人がいるのに単純にうらやましくおもってしまう。この感覚は何とも言えない不思議な感覚だ。
何故か男には急に「さめる瞬間」というのがある。オレは幸いな事につきあいたいと思った人に、さめた瞬間というのはない。しかし他の人が恋しくなると言うか、目移りするというか、そういう感覚はある。もちろん実際に行動に移してしまうのは問題があるのでこのときには他のことで気を紛らわしている。
つきあっていられる期間というのは、
1回目の区切りとして3ヶ月
2回目は半年。
3回目は9ヶ月。
4回目は1年
そして3年・・・
というように、
定期的に区切りに襲われる。
しかもその大半は1年続かないのである。
オレ自身は振る事があまりなく、振られてばっかりなので、なぜ数ヶ月で別れが来てしまうのかは正直理解のできないところである。
我慢がすべてだとはまったく思わないし、長く続ける秘訣というのは正直わからない。しかし重要な理由としてのひとつは、「我慢」であるとは強く思う。我慢強い人は幸せな恋人と一緒に長く続ける事ができるのではないかと自分の体験から思うのである。
2010/10/18 考え(ゲイ関連)
先日の記事では年上を好きになる場合の将来について書いた。
今回は年下が好きである場合の将来について考えてみたい。
オレの実感として、20歳のころは相手を見つけるのに苦労した。おそらくゲイ人口の中でその年代というのは比較的少数に属するのだと思う。これはオレが20歳の頃は2000年ということで、携帯電話の普及が始まった頃だと言うことも重要な関連ごととしておさえて欲しい。
そのため20歳のころは非常に不遇だったように思う。もちろん年上にはチヤホヤされたので、本当に良い相手だったら見つける事もできたと思うが、結果的にはそうならなかった。
23歳頃になると、出会う環境の変化もあるかもしれないが、良い子と知り合う機会が多くなったように思う。そしてこれは25歳ぐらいまで続いた。
この頃は、性格も顔のタイプも合う出会いが多かった。
そして25歳を超えて28ぐらいまでは、出会うまでが大変であったが出会ってしまえばかなりの確率で「良い子」だった。顔のタイプや性格の不一致はあったとしても本当に良い子たちだったように思う。
そして30歳になった今、出会うというのは滅多に無い。もちろん恋人がいるからっていうのもあるけど、友達としてでも良い出会いというのは減ったように思う。出会ってないので良い子かどうかの判断もつけづらい。
年上好きに比べて、年下好きの方がチャンスが大きいのは確かだと思っている。ただし何となくではあるが、年上好きは年上からチヤホヤされる可能性が大きく、年下好きは年下から邪険に扱われる事が非常に多い。
ゲイの世界は大変ドライなので、これは試練として受け止めるしか無いと考えている。