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2011/01/29 考え(ゲイ関連)

みなさん出会ってますか?僕はすっかりご無沙汰です。
彼氏を見つけるためにはまずは出会わないと始まりません。そして出会うための最初のステップは掲示版に掲載するか、自分からメールを送ることです。
かくいう僕も彼とは掲示版がキッカケでした。
掲示版をキッカケとして最初に行うのが、画像交換です。そして画像交換の結果で今後が決まってしまいます。簡単なことだけど、タイプだったらセックスまで結びつけるのが目的となり、タイプじゃなければそのまま終了となります。(一般論ですがほぼそうです)
別にそれはそれでいいんですが、画像交換のプロセスがスムーズにできない人が多いこと多いこと。という話。
まず基本的には「交換」というのが前提にあると思います。しかし片方が送ってきた時点で、相手が返してこないことも本当に多いんです。オークションの入金システムじゃないけど、自分の画像を登録しないと、登録してある相手の画像が見られないって言うシステム作れないのかなぁ。
昔は、タイプじゃなかった場合には「すいません」と一言送るのが礼儀でした。今でもそれは礼儀だと思っていますが、大多数がそれをしなくなった昨今、むしろ断りのメールは送らないのが新しい常識のようにも思えてしまいます。
しかしこのスイマセンというのも非常に難しいんです。カッコイイ人だけどタイプじゃなかった場合、特に僕の場合は体育会系がダメだからマッチョでゲイウケします。なんて言われても交換前にゴメンナサイとなってしまいます。しかしその人はなまじモテ自覚があるから、会ってみないとわからないですよ・・・などという面倒な事につながる場合があります。
そして双方がタイプじゃなかった場合。これもまた珍事がおきてしまいます。。
僕からAさんに対してゴメンナサイしたとします。するとAさんはタイプじゃない僕に断られるのがイヤだからなのか、「大丈夫です。オレもタイプじゃなかったんで」というメールが帰ってくることがあるんです。人間性が見て取れるように思います。
さらに上から見下ろした角度でもう一枚くださいとか、腹筋の画像くださいとか、画像が欲しいだけの人もいます。僕は画像を送ることはいいんですが、面倒なやりとりがイヤなんです。そのため2枚以上を要求してくる場合にはもうお断りしています。
2011/01/27 考え(ゲイ関連)

これは昔の友人の話。
仲のいい女の子の友人がいます。24歳ぐらいからのつきあいだと思います。
お互い考え方のプロセスはまったく違うのですが、ゴールが似ているということで知り合った初期の段階から意気投合していました。僕も好奇心旺盛ですが、その友人は僕以上でした。ちなみにその友人には僕はバイだと説明しています。
あるときその友人はゲイの知り合いができた。そのように言ってとても喜んでいました。そしてゲイのことをその人から色々と教えてもらったと。
実は僕はこのとき、ある種の嫌悪感というか、疑問を抱きました。そしてそのことが僕自身の反省にもつながっています。
その友人にとって、ゲイの世界というは自分の今までのコミュニティーからは想像のできない、未開拓の分野でさぞ刺激的だったのだと思います。そのわき上がる好奇心を埋めるために色々話を聞くというのはとても理解できました。
もちろんその友人が、ゲイのことを知らないからゆえに普段の生活の中で知らないウチに差別していることもあるかもしれません。友人はゲイに対する知識がまったく無いので、気づかない差別を避けるためにも知識が欲しかったというのもありえます。
しかしゲイの立場になって考えてみると、その友人からの質問が攻撃にさえ感じたのではないかと危惧してしまうのです。確かに初対面、ないしはそれに近い女性から色々と聞かれればそれとなくは答えると思います。しかしそれでいいのでしょうか、と。
多少なりともゲイとしての自分を悩んだ事だってあるかもしれません。思春期の多感な時期のこともあるだろうし、男性経験などいいにくい話もあると思います。
それらを興味という理由だけで聞くことに意味はあるのかと僕は思ってしまったのです。
ただし知識を与えないことがいいとは思っていません。むしろそれは問題があります。ゲイのコミュニティーを広く一般に知ってもらうのは大切なことだし、それは差別や垣根を取り払うことにもつながると思っています。
だけど。その友人のそれが正しい行為だったのか僕にはまったくわかりません。少なくとも僕はその話を聞いてから、「知らないことも大切」だと意識するようになった側面もあります。
何かの知識を得るために、誰かを傷つける可能性があるならば、その知識を得るのはとても覚悟のいることだと思います。
興味本位で色々と訪ねるのは、悪いことではないと思います。知識は深まりますし、自分の知らないいろいろな事を知るのはとてもすばらしい事です。しかし相手によっては、それで傷つく可能性もあるのかなぁとちょっと頭の片隅で考えてしまうのです。
※この記事ですが、「聞くな!」って主張しているように読めるかもしれません。が、僕はそのようには考えていません。僕自身については、さんざんブログで主張もしていますから聞かれたらそれについて答える覚悟があります。僕は何でも答えますよ!
2011/01/26 考え(ゲイ関連)

30代を超えると恋愛については非常に、非常に不利な立場になるように思っています。29歳と30歳の違いが、実際の違いよりもイメージの違いの方が大きすぎるほどだと考えています。例えばブログやミクシその他のSNSなどで年齢を隠している場合は大体の場合30歳は超えているのではないかと邪推してしまうほどです。(20代後半ぐらいからきっと隠したくなるのではないかと思っています。)
30歳をすぎると色々と転機になることはおそらく事実です。例えば僕は今の彼と30をすぎた今の状態で改めて知り合えるか、さらには付き合うに至ることができるのか、はっきり言って自信がありません。もし僕と出会わなくても、恐らく彼は別のいい人を見つけるでしょう。そして僕はおそらく独り身でさみしい思いをしているだろうことが容易に想像できてしまいます。これはすごく怖いことだと思っています。
事実、30代の僕の友人は一人の人が多い印象を持っています。例え20代が大変華やかだったとしても、です。
20代まではすべての面において全く問題がありません。肌もキレイだし顔も若々しく精気に溢れています。幼い姿もオトナっぽい姿もすべてが魅力的に映ります。多少の顔の良し悪しはそれでカバーされるのではないでしょうか。
しかし30代・・・。これは非常に恐ろしいことです。ゲイは若く見えると言われるけど、油断しまくっている30代は目も当てられません。お腹は出てくるし、肌は限界が出てきます。おじさん臭もしてくるだろうし、歯フェチのオレとしては歯や口元にも年齢が出るといいたいです。ひょっとしたらそろそろ持病の一つでも持つようになるかもしれません。

私は若いから大丈夫。そのように思っている30代も多いと思います。しかし僕が年下好きというのもあるからでしょうが、若く見えるおっさんなだけで、魅力として若く見える事を押し出すのはどうなのでしょうか。若く見えるおっさんを好きになるくらいなら、若く見える若い人を好きになればいいのでは無いかと考えてしまいます。
しわがれた30代になったとき、誰からも見向きもされないのは非常によくわかります。でもそんな人になりたくない!だから努力したいと思います。逆に言えばゲイの価値観はかなり画一的なので努力は容易なのかも知れません。まずは体を鍛える。そして清潔にしていればいいのかな。
とにかく捨てられないように色々頑張らなければなりません。頑張りたいと思います。
※ちなみに30代から出てくる魅力っていうのもあると思いますので、これはまた記事にしたいと思います。
※今後は画像のサイズを今までよりも少し大きくしたいと思います。本日はテストも兼ねているため画像は2つです。
2011/01/20 考え(ゲイ関連)

彼と知り合う前から。漠然とではありますが、結婚して子供を作ることを夢見ていました。もちろん彼と知り合ってからも、ゲイとしての恋人関係が長期的に維持されることは難しい事を知っていましたし、26歳ごろ結婚するのかしないのかを決断するのは、現実的にとても重要だと考えていました。僕はそうした考えが夢で終わることはなく、まだ出会っていない相手かもしれませんが、結婚しない将来よりも、家庭を築く将来をどちらかと言えば強く信じていました。
もちろんそれは、僕がバイという理由を掲げてゲイを一時的な通過点としている訳ではありません。彼氏をパートナーとして長くいるよりも、女性と結婚するほうがまだ想像しやすかったのです。
女性とセックスができるかどうかとは別に、子供を作る能力があるのかは当然分かりません。しかし女性を愛することもできるし、性的なこともできます(というよりしたい)。収入も万全ではありませんが何とかなると思えるようにもなりました。後はその相手と出会うことだけだったのです。
子供が大好きな僕は、ぜひとも自分の子供が欲しいと考えていました。
彼と知り合ったのは26歳ぐらいの時です。30歳までに結婚を含めてある程度の方向性が見えてくるだろうと思う事に何ら不自然なところはないはずです。それは彼との別れを示しているのかもしれないし、女性と出会い、結婚するという結論を出すことかもしれません。彼のことを適当に考えている訳ではないけど、自分の一生のこと、まだ見ぬ子供に対する責任などを考えると、結婚を選択する可能性は十分にありました。
しかしもう30になりました。そして彼とも4年目です。今までは子供が、結婚が、と言っていましたが、今となってはそのような事も言えなくなってしまいました。例えば彼女ができたとしても、数年つきあってから結婚するというのでしょうか。その頃僕は30も半ばです。
そして今の彼以上の女性と出会える自信も正直ありません。それは年齢的なこともありますし生活面の事もあります。性的な魅力のことも無視できません。もちろん身体の相性もです。30を迎えた僕に「僕の考える魅力的な人」が言い寄ってきてくれるような奇跡はまずおきないでしょう。
子供の話となれば、とたんに彼との限界が来るような雰囲気を出してしまいます。なぜならそれは、「期限付きの恋人関係」に非常に似ているからです。「大学の間だけ」ということで4年間限定の恋人関係を一般的に良しとできるのか。期間という終わりが見えている恋愛で幸せになれるのか非常に疑わしいところでもあります。
僕の場合。「子供」が一人歩きし、さも限界がそこにあるように感じられてしまいます。結局子供を作るために結婚するんでしょ。いずれは別れるんでしょ。みたいな感じ。
だから僕はもう子供の事は覚悟を決めました。いちいち主張し無ければならないのが非常にもどかしいです。が、あえて書いておきます。
僕にとって彼の魅力は、子供などで左右されるようなものではないということです。おそらく彼は「どうせいずれは結婚するんでしょ」という心配をしているかもしれません。しかし僕は少なくとも、彼がそばにいてくれる限りは結婚をしないと決めています。さすがに30になったんだから、将来を大きく決めるような決断をするのはちょうどいいタイミングなのかも知れません。
ただこれから彼の就職があったり、おそらく同棲も視野に入ってきます。そうなってくると何が起こるか分からないのがとても怖い事でもあります。どんな困難もきっと二人で乗り越えられるはず。そう信じているんだけど、どうなることやら。
2011/01/15 考え(ゲイ関連)
一部引用をさせていただきながら、オレの意見を述べたいと思います。なおこれは完全な私見であり、一方的な暴論です。おそらくこの記事は読み手を不快にさせるということを最初に注意しておきたいと思います。読まないで欲しいとは言いませんが、話半分ぐらいに考えてもらえると大変助かります。

一年おめでとうのチュウ「国境、非在、あるいは百年の祈り」 以下引用
> もっとも、りふ子の言い分もわからないではない。僕は、ともすれば
> 「りふ子のこと愛してるからずっと一緒にいようね」と言うよりも、
> 「もしふたりが別れたとしても後悔しないように、ゲンのことだけ
> じゃなくてじぶんのことも考えなさい」という言葉が口をついてしまう。
> 「愛してるからずっと一緒」という言葉は、その瞬間の気持ちを表現する
> 方法としては真実かもしれないが、失敗に終わった夫婦生活を目の当たり
> にして育ってきた僕としては、うまくいかなかった可能性をあらかじめ
> 考えて人生設計を組み立てていかなければならないと考える。
この気持ち。非常によく分かります。かつては僕もそうでした。・・・今でもそのような考え方が抜け切れていないので変えるように注意しています。
この手の話題の時に、ありがちなんだけど何も夢物語の話をしたいとか、理想の話をしたいわけではありません。僕はどちらかと言えばより現実的で責任のとれる、また確実性の高い話をしたいと常々考えています。だからこのときに「うまくいかなかった可能性をあらかじめ考える」ということにとても理解できるし、共感できます。最初に読んだとき、まるで自分自身の言葉を代弁されているのかとさえ感じました。
とりあえず「もし別れたら~」などのネガティブな言葉を取り上げて、言葉がよくないと言うことではありません。むしろ愛と責任を強く感じているからこその発言なんだろうと考えています。
ご本人も書いていますが、その発言の根底の部分。「失敗に終わった夫婦生活を目の当たり(略)」この部分というのは相手はそれを知らないはずです。つまり、うまくいっている夫婦生活を目の当たりにして成長してきただろう相手にしてみれば、ネガティブな発言に至る真意をまったく理解できない可能性が高いのです。
どちらがどうだと言うことではありませんが、相手がもし成功している夫婦生活を見て育ち、今の考えの基となっているのだとすれば、そこで失敗の例に合わせる理由は特に無いような気がします。むしろこういう場合には成功体験に合わせた方がいいのではないか、と。
また「自分のことを考えるように」というのは一種の保険とも捉えることができてしまうように思います。
相手が自立してるんだから、自分がいなくなっても大丈夫だろうということになりかねず、それは結局のところ自分に対する(別れるための一種の)保険とも受け取られかねませんし、そのように受け取る人がいても、責めることはできないのではないでしょうか。一般的にはこういうのをざっくりと「後ろ向きな発言」と表現するのでしょうか。
せっかく自分の愛や想いの強さからの発言なのにその真意が伝わらないどころか、逆に受け取られてしまうのがこの種の発言なのではないかと考えています。
じゃあ。どうするのか。
僕は結構前から考えている言葉があります。
「自分のことも考えなさい」と言った後に、「でもオレはいつまでも一緒にいたいと考えているよ。」と。これが相手にも自分にとっても最も責任のある発言だと、今の僕は考えています。
※ちなみにたとえば相手が疲れているだろうことが予想できるときに「会いたい」そのような場合、「疲れているから今日は無理だよね?」という発言だと、相手にとって「会いたくないんだ?」というニュアンスを伝えてしまう場合があります。でも会いたいっていう事を常に言うのが問題なのも事実ですよね。
だから僕は上記例と同じ手法を使います。「今日は疲れているから会えないよね?」その後に「でもオレはそっちが大丈夫なら会いたいよ」と。
※もう一つ付け足し。ゲンヤさんのブログに「かわいそうだ」というコメントを僕はしました。ということで、お互いの気持ちが強いのに、このようなすれ違いが起きてしまう。そして個人的には幸せな環境に合わせたいという意味ではりふくんに近い考えなのかも?ということ。さらに、好き同士が好きを理由にけんかするのはなんだかなぁっていう感情をうまく記すことができなくて、かわいそうという一言だけをコメントしました。
2010/12/28 考え(ゲイ関連)

みんな勇気がある。それは人を疑う勇気である。
信じる勇気をオレは持ちたい。今まで色々な事があった。裏切り、ウソ、騙されたり。人を信じられなくなる事は今までの経験の中で多い。
それは恋愛の中でもそうだし、もちろんプライベート、仕事でもそうであった。ある一定の年齢を重ねることによって、人は信じることよりも疑うスキルを身につけるようになる。
ゲイは裏切りが日常である。仕方が無い側面もあるのだが、結果として裏切りになるのは事実である。男性の世界では性欲は非常に大きな理由となり得る。俺自身の事もあるが、身体の誘惑というのは非常に多く、なびいてしまうことは仕方が無いとさえ思う部分がある。。
恋愛もそう。若いときには特に、身体の関係が感情を高ぶらせることはよくある。二股をする人もいるだろう。
身体の関係の終わりは、恋愛関係の終わりでもある。
こうした、身体を中心に考えた時、身体以外の結びつきは非常に弱いものとなってしまう。信頼によって結びついていたわけではなく、身体によって結びついていたことに気づくのだ。
若いとき、、、10代から20代前半の頃には、仕方のないことであるが、こうして恋愛のスキルと性的なスキルを積んでいく。
これが繰り返されると、どうしても疑うことしかできなくなってしまう。どうせ身体だけが目的なんでしょ、身体が飽きたら離れていくでしょ。モテそうだから他にもいるんでしょ。疑いの目を向けたら限りが無い。そしてそれは疑心暗鬼になっているわけではなく、過去の経験からそのように判断しているのだ。
その気持ちは非常によく分かる。オレだって疑いたいし、過去の経験から、信じたときに裏切られる事になることをよく知っている。でもだからこそオレは信じる勇気を持ちたい。確かに怪しいことだってあるかもしれない。疑わしいことだってあるかもしれない。
2010/12/23 考え(ゲイ関連)

ゲイの世界は残酷である。これはもう仕方のないことだが、改めて当事者になると本当に残酷であることを強く感じる。
昔はモテた。そのような話をよく耳にする。ようするに加齢である。タイプでなければメル友にさえしてもらえない。電話も無理。会うなんて夢。
ゲイの世界ではプロフの時点で競争や選別が始まっている。例えばオレ。身長が165cm 体重が51kg 年齢が30歳。一つ一つにツッコミがはいる。身長が低い。体型が微妙。年齢がおじさん。
こうしてオレはメールをする対象からはずれるのである。
※ちなみにゲイは身長が高いほうが持てる。がっちりがモテる。ある程度若いほうがモテる。
メール交換にこぎつけても更に次の課題がある。それが画像交換である。
顔の雰囲気。ヒゲ、メガネ、髪型、体型、アレのサイズ、体毛の濃さ、タチネコ、、、これらがすべてクリアしなければここで脱落である。
注意して欲しいのは、まだ性格などの要素は非常に小さいということである。それらが合格すると、次は身体の相性か、性格である。ここは個人差があるのでなんともいえない。体の相性を確認してから性格を確かめる場合もあるし、その逆もある。あとに続く可能性を考えるのか、まずは快楽を求めるのかにもよって違ってくる。
フィルターを通り抜けることの大変さをゲイはよく知っている。だからフィルターの順番を変えようと努力する一部の人も存在する。
例えば肉体に自信があれば、プロフや顔を後回しにして身体から入るのである。確かに、たまに身体が第一の人もいるからそれ自体はいいのだが、オレとしては単純に顔に自信がないと判断する。
年齢を隠す場合もそう。ゲイの年齢フィルターは本当に厳しい。29と30想像を超えるほど大きく違うし、35とかになればなおさらだろう。だから30代半ばを超えると、おじさんというイメージを隠すために、30代と表現したり、年齢に触れなかったりする。※だから年齢を隠している人は間違いなく30才以上です。ごくまれに幼いことを隠す人もいますが、まずまずあり得ません。
さすがに身長を隠す例は知らないが、体重は色々な言葉を使って形容される。デブ・・・ガッチリ、アメフト体型、元筋肉質などなど。このような形容詞が付いていた場合は、悪いことは言わない、その人は無視するべきだ。
容姿も同じ。若く見られる。幼く見える。童顔。相応に見られないなどなど。ただし容姿の場合は、好みが大きく左右するので、形容詞が付いていてもとりあえず画像交換ぐらいはすすめる。
とにかく、このようにみな必死だ。オレも必死だ。
だから断られてもめげてはいけない。今まで若いときは10人に3人はある程度までいけたかもしれない。しかし今は100人メールし1人かもしれない。しかし逆に考える。3人とメールしたければ、300人にアプローチすればいいのである。
2010/12/22 考え(ゲイ関連)

イケメンは大いに画像を公開するべきである。抵抗などがあってはいけない。かっこいいこと、かわいいことは価値なのだから。お金をもうけるために使うことも否定されることではない。
そう言っても「勘違い」と思われたくないというのはあるだろう。だけど勘違いでもいいのだ。俺のような人にとって、イケメンやかわいい子が画像を公開してくれているのを見ると、とても幸せな気持ちになる。変顔だってもはやかわいすぎる。オレのようなベテランにもなれば、ちょっとぐらいブサイクなほうがスパイスが効いていてちょうどいいのだが、それはまた別の話。
とにかくイケメンは画像を公開してね!お願いしますという話。
さてあまり詳細を書くわけにはいかないが、とても悲惨な例というのを目撃してしまった。オレは色々なブログに「ペタ」という ameblo 特有の行為を行っている。ペタ返しなどという、コミュニティの中でのみ通用するローカルルールとうのは個人的にはあまり好きになれないが、イケメンのページや、そのつながりでどんどん追いかけていってしまう。(別にストーカーってわけじゃないですよ)
オレが好んでみるようなページ、特にゲイ関係だったりすると、見慣れた人がやはり同じようにペタしてて、ああぁこの人もオレと同じようにかわいい子がタイプなんだろうなぁなどと、妙な仲間意識を持ってしまうものである。
そのときにそれは起こったのだ。オレはアゴヒゲのあたりを自分の画像としている。そしてその人は全身の画像を載せていた。顔はよく判断がつかない画像である。その人は別にかわいい人が好きって言うわけでもないのだろうが、おそらく若い人によくペタをしていたのか、俺がペタをする先々でよく見かけた。写真が特徴的でありそれなりにかわいく(かっこよく)という印象を持つような写真であり、気になってはいた。
この雰囲気を出すような人なんだから、さぞかしイケメンなんだろうと想像・妄想ばかりが先行していた。
あるとき、その人がなんと画像を公開していたのだ。
そして悲劇が起こる。ちょっと想像が先行していたばっかりに、それに比べるとちょっと不満が残るような画像であった。おそらくそのような考えは、オレの一方的なものではなく、一般的にもそう思う人は多いと思われる感じだった。。オレはその画像の記事にどのようなコメントが付くのか気になっていた。しかし皆さんやっぱり優しくもあり、それが残酷でもあるのだが、肯定的なコメントがそこにはされていた。
そっかぁと、安心というかがっかりというか、オレが心配しすぎただけだったか、とか、みんなそこまでイケメンを期待していないかと、反省した。
画像が公開されてからしばらくすると、そういえばペタの先々でその人が存在しなくなっていることに気づいた。オレは気になって、どうしたのだろうか。相変わらず元気にやっているのだろうかと、なんとかその人のページを探そうとした。しかしなかなか見つからない。苦労して見つけた先にはなんとも悲惨な記事が書かれていた。
「公開した画像の件で相変わらず批判をうけています」と。なんとも残酷なことではないか。何を期待してそもそもその人が画像を公開したのかはわからない。だけど中傷・批判とは・・・。
2010/12/18 考え(ゲイ関連)

セックス・アンド・ザ・シティ という映画をみなさんはご存知だと思う。むしろオレの方が知らないぐらいだろう。
オレからみたこの映画の評価は、何かあるたびにオバチャンたちがワーキャー騒ぐだけのような気がしてならないのだ・・・。
女性とゲイの視点は非常に似ている。もうなぜかと思うほど。
すごく興味深いのが、社会生活の中で男性として自己を確立しているのにもかかわらず、女性的なモノを好むというのはもはや俺には理解できない感情である。
ちなみにゲイは2種類いるのだと思う。男性的ゲイと、女性的ゲイである。この女性的なゲイというのは何も女性言葉を使うわけではなく、もはや感性が女性的なのだ。
かつてのテレビドラマの大奥やこのセックス・アンド・ザ・シティは非常にゲイ受けがいい。そしてそれを理解出来ないオレはきっと男性的なゲイに分類されるのだと思う。他の殆どは特に男性の発想なのにもかかわらず、こういった女性的なものを好むという心理はよくわからない。
そしてオレの彼も例外なくこの映画が好きである。オレが絶対に借りないこの映画を借りていた。オレも見てみたかったので見せてもらったのだが、あまりにもくだらなさ過ぎて最後までみるのが苦痛でさえあった。
この映画は、恐らく女性をターゲットにしているのだと思う。そしてそこには一定数のゲイも含まれていることに注意しなければならない。
2010/12/04 考え(ゲイ関連)
オレは初対面の時心がけていることがある。初めて会うときは誰でも緊張しているだろう。それはオレも同じだ。
そんな緊張している中で、そして初対面の挨拶の時に(もしくは限りなく初対面に近い状態の時に)、「かわいいですね」と言うのである。もちろん場合によっては「カッコいいですね」でもいだろう。
これをあいさつと組み合わせ、「こんにちは、かわいいですね」となるのだ。
これはオレが結構昔から主張しているあいさつである。合コン的なことが会った場合にはほぼ必ず使っている。
このあいさつは少しのデメリットがあることは事実である。しかしそれ以上のメリットがあることを理解して欲しい。
デメリットとしては、まず「遊んでいる」と思われやすいことである。それはわかる。いきなり相手の何も知らない状態でかわいいなどと、どの口がいうのだ。そのように思われてしまい、どうせみんなに言ってるんでしょ、と。この部分については相手に悪い印象を持たせてしまうかもしれない。
しかしメリットも大きい。
ウソであろうがホントであろうが、他人を褒める言葉を使って損はない。相手をかわいいと褒めているんだから、悪いことではない。
またこういう言葉を改めて言うのはとても恥ずかしいだろう。少なくともオレは恥ずかしい。だからたくさん使って慣れておく必要がある。
本当に好きな子の時に、たくさん使って慣れておくことによって、自然に口から出てくるようにきっとなるはずだ。
相手だってまんざらではないはずだ。ほめられて悪い思いなどしない。遊んでるとか、みんなに言ってると頭では分かっていても、きっとうれしいはずである。
第一、かわいいとかカッコイイというのをみんなに言ってもなんら悪いことではない。そりゃぁ「好きだ」とかそういうことを誰彼かまわず言っていたら問題だ。しかしそうじゃないならどんどん使うべきだろう。
そのように主張するとたまに言われることがある。じゃあブサイクの場合にはどうすればいいの?と。
このような問をしてくること自体が愚かである。本来の目的は「かわいい」と言い慣れることである。すなわち相手の容姿は正直関係ない。だからオレはたとえブサイクだとしても「かわいいですね」と言う。もちろんかわいいの一言を言う時に非常に勇気の必要な容姿であるパターンも存在する。その時には無理することはない。今回は中止!それでいいと考えている。
ごくまれに、うぬぼれる勘違いさんがいるが、それもまたかわいいと受け止めよう。若いうちはその勘違いもまた魅力だ。年をとってからは通常気づくはずだが、そうじゃない人はオレの範疇外である。
ということで、ぜひともあいさつの一言に、かわいい、かっこいいをおりまぜて欲しいとオレは考えている。マジで相手の反応変わるよ!