「 考え(ゲイ関連) 」 一覧
2011/03/16 考え(ゲイ関連)

一緒にお風呂に入るものでしょうか。確か友人が「一緒にお風呂に入りたいって言われる」というニュアンスで言っていました。
※以下の記事で読むことができます。「セックス<一緒にお風呂 Private Stripper :CATWALK.」
僕は一緒に入りたいという気持ちがあまり無いので、よくわからないのが正直なところです。
一緒に入りたくない理由というのはいくつかあって、まずゲイだった場合、ネコ(ウケ)の子は色々とお風呂の中で苦労をしているはずです。それはお腹の中をキレイにするっていうのが一番重要です。もちろん普通に入るだけでも、女性の長風呂はもはや常識です。それは乙女であってもかわりません。
一方で僕は短いのです。さっさと終わらせてしまう。だから一緒にお風呂に入ると時間を持て余してしまいます。
ちなみに男・女ともに一緒に入るときは、アソコはたまに反応します。そしてそれはとても恥ずかしい。
だからもし一緒に入るのだとすれば、入るタイミングが一緒でも僕が先に出る事になると思います。
かつて友人たちからその話を聞いたとき、夫婦関係で一緒に入っているというパターンは意外に多いことを知りました。
そしてカップルの場合は、女性が身体をゴシゴシと洗っている姿を積極的に見るのもなぁ・・・という理由から一緒に入らないというのを聞いたこともあります。大体において、あそこは反応していると言っていました。
僕は彼と一緒にお風呂に入ることは非常に少ないのです。旅行にいったときには温泉に一緒に入ります(もちろんあそこは反応してないですよ!)
しかし家のお風呂は、ユニットバスだということもあって、案外とあっけないのです。逆に僕のほうがたまに一緒に入りたいっていっても、おそらく拒否されると思います。
2011/03/09 考え(ゲイ関連)

男女の恋愛と違って、ゲイの恋愛で純潔を貫くのは相当大変だと思います。まずは何よりもその誘惑が多いことです。男女の恋愛の場合、女性側からの誘惑はあまり無いように思います。(イケメンはあるのかな??)
しかしゲイの場合はどうしても誘惑は頻繁です。友達という存在で少しでもタイプだったりすると、もう不安なレベルで考えちゃうぐらいです。
我慢する、誘惑になびかないという選択を迫られることが不安の材料であって、「誘惑」があるという環境は仕方が無いことです。
純愛というのはとても定義の難しい事だと思います。貞操観念が強いことが純愛と言えるのか、物質的なことを求めないことが純愛なのか。しかしそのしっかりとした定義がなくても、少なくとも身体に関しては、貞操を守ることがこんなにも難しいのか、と改めて認識するのです。
純愛は夢物語かもしれません。それは特にゲイにおいては顕著です。しかしだからといってそれを追い求めなくていいわけでもないですし、またそれが叶うように僕は心底願っています。もちろん身体の関係は派手な方が、快楽という意味ではすばらしい事です。これについては、男性である以上逃れることはできません。しかしその結果として、決して精神の充足は得られないのです。
彼氏一筋でいられるのはとても素晴らしいことだと思います。だいたい僕ぐらいの年齢になれば、性欲も落ちてきますし、そもそも誘惑も(年齢的なことやそれ以外の原因で)減りますから結果的に純愛を実現しやすいと思います。それになんというか、年齢的な魅力というのは、たとえば若いときの勢いのような物はなくなりますが、今度は懐の深さというのが出てくるように思います。
しかし若いうちは身体のみを守るだけでも本当に大変です。誘惑を断ることももちろんですが、自分だけではなく相手も同じように断っているのか不安ですし、やっぱり誘惑があるという状態が不安を高めます。
万が一信じていても間違いが起こる場合もあるでしょうし、それが「裏切られた」という気持ちを抱かせることにならないか心配です。たまたまその人と純愛が成就できなかったとして、「誰とも純愛は絶対できない」と思うことも(痛いほど気持ちはわかりますが)違うと思います。
しかし平均的な人たち以上の人が身体を重視している以上それはある意味で仕方のないことなのかもしれません。
自分のことを棚にあげてですが、もし年上と付き合うとしたら、この純愛を成就できる可能性が高いという部分がとても魅力なのかもしれません。
ブログなどで、まだ経験が少ない状態であることが想像できる人も、出会いをこなし、最初は精神的な満足の追求をしていても、徐々にそれが諦めに変わり、肉体的な欲求を満たす方に走る。
僕はそういう人たちを何人も見てきました。ブログの記述で「昔は乱れてた(遊んでた)」というような表現をしている人は多いのではないでしょうか。
ゲイの世界で純愛というのは非常に難しいのではないかと僕は考えてしまうのです。
※男女間での純愛も同様に難しいです。ですが、なんというか純愛を成就するための、誘惑が少ないっていう意味で、まだ男女間の方が実現しやすいのではないかという考えでした。
※昨日の記事、彼から事実無根だというコメントを頂きました。どうやら少しずつ読むようになってきてるのでしょうか・・。さすがにウソはまずいから、訂正するような反論記事を書くって言っていました。うぅむ。「言ってない」ってことは無いはずなんですが、記憶違いなのでしょうか。
2011/03/08 考え(ゲイ関連)

ameblo でブログを書いていたつながりで、今でもアメブロを少しだけ利用しています。当時のつながりからコメントを書いたりする程度ですが。
そして最近 ameblo では表現の規制がだいぶ厳しいようなのです。具体的には写真が相当厳しいみたい。画像が削除されるだけならともかく、ブログ自体がいきなり閉鎖されてしまうこともあるようで、アメブロがどれほど厳しく対応しているのか垣間見ることができます。
僕はかつて、「日本のゲイから産業は生まれない」という話を聞いたことがありました。要約すると、日本のゲイは性的な要素ばかりで建設的なことが無いという意見でした。その意見を述べた友人は、ビジネスマンで外国のゲイと日本のゲイは違うと嘆いていたのです。(僕はかつて書いた通り、日本のことしかわかりません。相対的にはわかりませんが、日本で性的な要素が重要なのは周知のとおりだと思っています)※1
アメブロの規制対象としてゲイが狙い撃ちにされているということは無いと思います(そう思いたいです)が、一般的なイメージとしても、また実際のところとしてもゲイ業界は、性的な要素が大きく、それを積極的にアピールするような画像の掲載というのは、避けることが出来ないのかも知れません。そしてそれは場所を提供している側からすると問題のある行動にみえるのでしょう。
ただ、やっぱり表現というのはそれを規制する「正しい理由」というのはなかなか存在し得ないのではないかと考えてしまいます。もちろん裸は芸術的な要素として公開しているという意見も掲載する側にはあるかもしれません。そして運営側では、たとえどのような理由(芸術・学術的な)であっても、それは問題であるという意見をもつことになると思います。そこには、正しい理由などは存在しません。
ameblo だけでなく、にほんブログ村も写真には厳しいようです。という話を聞きました。これもまた性的な要素がとても大きいというゲイへの偏見を含む一般的なイメージを基に規制強化に繋がっているのかもしれません。
アメブロで削除された方々は、FC2 やそれ以外のブログに移転してきているようです。特にFC2はアダルトというジャンルもあるため、(無修正など法的なことを意識していれば)少しは安心かもしれません。
ただそうやって無法状態のようにゲイの人が画像を公開していると、業界全体のイメージを与えそうなことや、運営側がそれを規制し始めないかと、心配になってしまいます。
僕も上半身の画像を1・2枚公開していますが、これが規制の理由になったらイヤだなぁと考えています。
※1
本当は「日本のゲイから産業は生まれない」という記事を独立で書きたかったんですけど業界に対するあまりにも自虐的な内容になってしまうため、またおそらく批判が出るであろう内容に偏り過ぎてしまう可能性があるため、これ以上については言及しません。
※先日、さとしさんのコメントで、写真のことについて少し触れられていました。
僕の日々掲載する写真は一カ所で撮影した写真をしばらく掲載し続けることが多く、3月に入ってからは、井の頭公園・目黒不動尊・林試の森公園/近所の大学/ から選択しています。今日からは、昨年末に遊びに行った横浜が少し続いて、次はどうしようか・・・。アメ横/上越国際スキー/豊洲ららぽーと/ から適当に選ぶ予定です。ただし木の写真には飽きがきたので、なんかもうちょっと違うのにしたいですね。
ちなみに昨日の写真は近所の大学(彼の通っているところ)です。
2011/03/04 考え(ゲイ関連)

理想が高くて恋人ができない。そのように嘆く話を聞きました。これについては非常にデリケートな問題であり、僕の考えはかなり一方的であることをあらかじめ注意しておきたいと思います。
理想。非常に難しいことだと思います。
例えばそれは、モデルのようにカッコイイ人や可愛い人などの容姿を理想として掲げる場合もあるでしょう。もちそんそれだけではなくて、やさしいとか大切にしてくれる。細かいことを気にしない、おおらかなど性格も理想になります。
そしてそれを複合的に勘案して、「理想」というのは形作られることになると考えています。
この理想が高すぎることによって、結果としていい人にめぐり合わない。恋人ができない。という状態になってしまうのです。
じゃあ、と。その理想を下げることによって幸せにつながるのか。という問題が出てきます。僕はこの時に、必ずしも幸せには繋がらないと考えているのです。
現実の社会で理想を掲げることは多々あります。例えば企業理念などは、たいそれた事、たとえそれが現実離れしていたとしても全く問題ありません。そもそも理念などはそういうものなのかもしれません。宗教が掲げる世界平和なども一種の仲間でしょうか。
一方でそのような、理念があまりにも曖昧で現実離れしていることは僕達がよく知っていることです。その場合、企業や僕たちは目標という言葉で理念とは別に掲げているのです。もちろん目標は実際にクリアできないほど高い場合もあるでしょうし、必達しなければいけないレベルの目標というのもあり、振れ幅は比較的大きいかもしれません。しかし結局のところ達成する。という根底があり、それができないような壮大な目標は、夢という言葉で置き換えられます。
志は高いほうがいいように、理想も高いほうがいいと僕は考えているのです。しかし現実には、その理想に叶う相手が非常に少ない事は当たり前のことです。この時妥協という言葉を使ってもいいのですが、理想には叶わないかもしれないけど、十分理想に近い。そういった相手はいるはずです。どこまで理想に近づけられるかが重要です。
結局のところ理想が高いというのは、「理想通りの相手」を探してしまい、理想に近い相手を無視することが問題だと考えています。理想と現実を区別できるならば、理想は高く!求めることは低く!といった考えがいいのではないでしょうか。
念のため付け加えておきたいと思いますが、僕自身のこと。
僕はもちろんそんなにカッコイイわけでもありませんし、背も低い。何かこれといった魅力はとくにありません。身体がすこし鍛えられてるっていうことぐらいでしょうか・・
しかし誰よりも高い理想。ーーー特に僕は細かいことにうるさいのでーーー でした。
そして絶対に叶うようなことのない理想。例えばそれは、おとなしくてお酒はあまり飲まなくてお金は節約で、ご飯が作れてキレイ好きで、タバコを吸わなくて、歯がキレイで、スリムで、浮気しないで、頭が良くて、顔がかわいくて、僕の言う事に従ってくれて、ゲイの世界にそんなに染まってなくて・・・
そうなんです。そんなあり得ないことを、大きな声で主張してたらちゃんと見つかったんです。僕が見つかったんですからきっと大丈夫。そのように僕は主張したいのです。そしてこういう記事は壮大なノロケという烙印を押されちゃうんですが。
2011/03/03 考え(ゲイ関連)

カップルの相手が、自分に知らせずにブログにコメントをしている。ということでケンカになった。という話を聞きました。
僕はこの話を聞いたとき、というよりも、この話を誘導する時から絶対にスムーズにはいかないであろうことが想像できていました。
コメントしていることを相手に知らせるべきなのか。という疑問があるのです。
というのも、純粋に自分の趣味で読んでいるブログを相手に知らせるというのは、なかなか無いと思います。もちろん隠すようなことではないので、聞かれれば堂々と答えるでしょうし、おそらく相手もそれについてはあまり興味はないでしょう。
そして当然ですが、もし後ろめたいことであれば、全力で隠すでしょう。というよりも隠さねばなりません。出会いを探していたり、エロ全開であったり。なかなかそういった行為をしていることをオープンにするのは難しいでしょうし、それをオープンにすることを正直であるとは言わないのではないでしょうか。
さてブログ。どちらに所属するにしても、やっぱり言わないじゃんというのが僕の結論なのです。
しかしです。僕自身に置き換えるとしたら、ゲイコミュニケーションがたとえバーチャルでも発生しているのであれば、それは念のため伝えたほうがいいかもしれないと思っています。なによりも僕自身がこのブログを書いていることを彼に伝えていることがそれを示しています。もちろん僕は書いていることをいちいち知らせる必要も無いかもしれないですし、事実彼はあまり興味が無いようです。
そして冒頭の話。絶対言わないだろうなぁという想像の基に話を聞いてみると、やはり黙っていたと。そしてケンカになったという話でした。
もし仮に、万が一でも浮気を心配しているとしたら。少なくとも、そしてある意味ではすごく残念なことに、ブログを通じての性的なことは無いと断言しなければなりません。それは僕が身を持って証明しています。もっときわどいことがあってもいいじゃん!そのぐらいの気持ちですが、残念なことに寂しいことに、僕の身体に対するオファーもそうですし、なんかこう、、、、性的な事も含めた好意を寄せられたことは一度もありません。
そんなもんです。
2011/02/25 考え(ゲイ関連)

今までさんざん年齢について書いてきました。年齢は僕自身がとても大きな要素として考えていることの一つです。
それと同じように顔も避けられない大きな要素を持っています。残酷な言葉で言うのであれば、ブサイクは去れ!と。
これは僕自身が顔では全く評価されないので、本当に辛いことです。僕はブログでは本音と建前などということはしません。すべて本音です。だからこそ顔は今まで一度も触れることさえ無かったように、非常に無慈悲で残酷な意見しか持っていません。
もちろん顔がすべてじゃない。という意見もあると思います。そして一部では事実ですが、やはり大多数では残酷な結果が待っているのです。
(ただし捨てる人がいない、というのは僕が最初の頃の記事で書いたとおりです。誰でも必ず誰かが拾ってくれます。)
そんな残酷な意見しか持たない僕ですが、加齢とともにこれは非常に興味深いことを生みます。
僕の友人でとてもカッコイイ人がいます。僕より少し年上ですが、本当にかっこ良くて、それは、童顔ということも大きいですし、おしゃれや会話力など、魅力がとても多いのです。その友人がまだ20代だったころ、イケメンの友人が選ぶ恋人はおそらく顔で選んでいるか、もしくは重要な要素として顔があったのではないかと僕は勝手に思っています。
しかしその友人が30代を少し超えて、相手を捜すときにはほぼ完全に性格を重視しているのです。確かに写真を見せてもらっても、今までとは明らかにちがって、さすがにカッコイイとは言えないような外見の人ばかりです。
「なんで?」と聞くと、顔とかはもういいと。そんなことよりも一緒にいて楽しいとか、、その人のために何かをしたいと思えることが大切だと言ってました。
かっこいい友人が、御世辞にもかっこ良くない人と付き合っているのを見ると、業界の懐の深さを感じます。また顔意外の部分を重視すると、以前のように飽きがこないというか、長く続く場合が多いなぁと思います。そして言うまでもなく長く続いてほしいなぁと願っています。
2011/02/12 考え(ゲイ関連)

女性らしさという事がどういうことなのか、僕にはよくわからないことが多いです。普段の生活の中でも、女性との会話はそんなに多くはありません。男性的な職場で働いている僕には、どうしてもそういう考え方や話し方が身についてしまっています。
そんな僕が女性としっかりと話しをするのは、おそらく妹と話をしている時だと思います。妹の話をを一言でいうと、とにかく長くて、結論が無くてオチがなくて、不必要なところで誇張されて、内容が転々として。ようするに長くてつまらないということです。そしてこの話を聞いているときに、ああ女の子なんだなぁ。という実感をするのです。
話というのは、面白い事が一つの基準だったり、経験などタメになる話というのも興味深いと思います。
しかし僕の妹は、話というのは自分が話したいことを話したいように話す。というのがとても重要な基準なのです。そこには聞き手というのは基本的に不在です。聞き手からの建設的な意見などは期待しておらず、気持よく話ができればそれでいいと。不幸自慢の時には誇張が行われます。しかしその誇張は、面白い方向への誇張ではなくて、僕からすると一見無意味であったり、話を混乱させるような誇張を含めています。
一度しか言ってないことでも、「いつも言ってる」という具合に。だから僕は反抗期に行った数々の問題のある行為が、妹にとっては僕のすべて。ということになっているようです。当然ですが、怒ってない時のほうが多いのが事実なのにも関わらず。
妹と会うのは数ヶ月に1回なので、この時いつも思う事があります。男性でもオネエの人は、女性的に会話をするなぁと。
かつて僕のタイプの子が、とても女性的でした。仕草や喋り方のすべてが。そして僕は話をするときにいつも指摘をしていました。何かを話そうとするなら、なるべく結論がほしいとか、一つの話題が終わってから次の話題に行ってよ、とか。
嬉々としながら、プリクラの話をしていたかと思えば料理の話になったり、友達とのケンカだったり、旅行だったり家族だったり。そうやってどんどんと、めまぐるしく変わっていく会話を聞いて、僕はいつも女性と会話している錯覚を覚えたものです。
喫茶店に行けば鏡を取り出して髪型やらを気にして。店を出る前には必ずトイレで身だしなみチェック。べつにその子はオネエではなかったのですが、潜在的には女性でした。(もちろん性同一性障害とかでもありません)
2011/02/10 考え(ゲイ関連)

信じる勇気を持ちたいという話に関連して。出会うプロセスの中で最初は疑われています。。疑う理由は色々あるので仕方のないことです。もしプロフィールがウソだったら。もし画像がウソだったら。もしストーカーみたいな粘着気質な人だったら、と。
疑われている事は色々なところで気づくことになります。メールアドレスは携帯のアドレスではなく、匿名メール・転送メールであったり、画像が不鮮明であったり。住んでいる場所や地域をハッキリ示さなかったりなどでしょうか。
会うまで疑うのは仕方が無いことです。信じると思えるほどの情報が不足しすぎているからです。
しかし会ってからも疑っている場合があります。会っていれば話をして表情を見ているはずです。そこまでしてもまだ疑っている場合があるんです。僕は正直な所、第一印象というか、会話をしてみてある程度判断して、信頼できると思ったらすぐに信用してしまいます。少なくとも今までそれで怖い思いをしたことはないですし、これを読んでいるあなたがそうであるように、悪い人は意外と少ないと信じているからです。
数少ない悪い人から身を守ることができればいいと考えているので、基本的に信じるというスタンスで今まで問題はおきませんでした。
疑っているときというのは、当然それが相手にも伝わってしまいます。質問の回答が曖昧だったりとか、もっと突っ込んだ話をしてもいいのにそれができなかったりとか。場合によっては、「それは今はまだ言えない」という直接的な表現をすることもあります。
その人が、過去どのように騙されたのかは僕は知りません。しかしその失敗に学んで、僕をを疑うというのはそもそも話が違うのではないかと思ってしまうのです。
かつて、疑うべきを疑わずに失敗したのであれば、今まさに、信じるべきを信じない心配をしているのではないかと。
どうせ失敗するなら、騙されない方を優先するので、すべてを疑うという気持ちは分かります。だけど僕は「信じない」というリスクを他者に転嫁しているような気がしてならないのです。
2011/02/04 考え(ゲイ関連)

みなさんは女装したことはありますか?趣味でやる場合もあるだろうし、イベントや罰ゲームで行うこともあると思います。
僕は・・、妹がいるのでファンデーションやマスカラなどのごく軽微なことはやったことがあります。しかしそれぐらいがせいぜいで、とてもとても女装というほどまではいきません。ちなみに妹は一重で目が小さいんです。僕は二重で目が大きい。そういう意味では僕の目元は僕よりも妹についていればよかったのに。と思っている。妹は冗談でよくそのことを言っています・・・脱線しました。
僕は自分の女装にも、友人の女装にも全く興味がありませんでした。もちろん今もありません。しかし女装を通じて大変興味深いことを聞いたことがあります。それからは女装を見るとその言葉を意識するようになりました。
簡潔に言うと「女装はハマる」らしいのです。その理由が「自分が思っているよりも少しだけかわいいから」だというのです。
僕はこの時に非常に強い衝撃を受けました。そもそも女装にハマる理由というのは全く理解のできないことでした。そのハマっている友人が女性になりたいということであれば理解できる。ただ、その場合は女装という言葉の方が不適切な気もします。
しかし意外と多いのが、普段はゲイとして言葉遣いも男性だし性の対象も男性。そういう一般的なゲイが女装をするのです。これって単なるコスプレの延長なのでしょうか。
ハマる理由として「思っているよりも少しだけかわいい」というのは、すごく重要なことだと思います。
だって僕がもし女装をしたら・・・。そんなの絶対ナシ!に決まっている。そう決まっているんだけど、圧倒的にナシだと想像している今の状態から、女装後を鏡で見て、普通レベルのナシだったとしたら・・・。そのギャップをアリと勘違いする可能性は大いにあります。というよりも僕だったら勘違いする!
そう考えると女装にハマる人の心理が少しは分かるような気がするのです。。
※ちなみにかわいい子の女装は僕は大好物です。念のため。そしてかわいい子の男装も。
※昨日とは一転して、今日は画像はとても気に入っています。
2011/01/31 考え(ゲイ関連)

今まで年上の僕が、年下の人と付き合うためにはどのような努力をすればいいのかについて、ずっと考えていました。それは僕自身が、やっぱり年下の尻を常に追いかけているからそのような発想になるのだと考えています。
一方でとても驚くことに、年下の人が年上と付き合う方法について知りたいという言葉を耳にしました。
正直なところ、僕としては「何を言ってるんだ」という感想なんです。だって、年下でその子がよほどのブサイクじゃなければ、まず誰とでも付き合えるんじゃないか。そのように思ってしまうからです。(いや、もちろんそんな簡単なもんじゃないことは存じております)
そして僕自身が、年上という立場で、年下の子にこうされたらうれしいなぁという事を書きながら、どうすれば年下の子が年上の人と付き合えるのか。について考えたいと思います。ただし重要な事があります。それは僕自身の考える「タイプ」は相当に偏っているので、これを実践したところで、うまくいく保証が無いということです。
ちなみに想定している年下の年齢は、19歳~27歳ぐらいまでです。年齢差は3歳差~10歳差ぐらいまでです。またいかにもや体育会系は僕の範疇を超えています。
そうして前置きをしておきながら、いきなりですが「こうしたらいい」というのは難しいと考えています。どちらかと言えば「こうしたらいけない」という制約が多いように思います。
なぜなら、こうすればいいというのは年上によっての偏りが大きいからです。年上というのは受け入れる範囲が広いことが多く、スポーツをしていてもしていなくても、それが決定的な魅力には結びつかないことが多いのです。例えば僕であれば、相手に求めるのはお酒は控えめに。たばこはダメ。歯はキレイに。できれば整理整頓。ジム行こう。ぐらいです。本人が先天的に持っている必要は殆どありません。
一方でこうしたらいけないというのはあると思います。例えばそのなかで一番僕自身が感じるのが、「考えをしっかりしてはいけない」ということです。たまにすごく大人びている年下がいて、まるで考え方が20代後半のような30代のような。そのような考え方の人がいます。そしてそういう子の場合、「自分は考え方が同年代と比べて落ち着いているから、恋人は落ち着いている年上がいい」そのような考えになることがあります。少なくとも、僕の友人の話を聞いても、年上の方が「考え方が落ち着いている年下」という理由で年下を魅力に感じる場合というのは非常に少ないのです。(ただしそれが有効に機能する場合もあって、それが年上好きの年上の場合です。年上好きの人は考えが落ち着いていることを魅力に感じるので、年下の子が年上好きの年上を狙う場合にはアリです)
若いうちには、若いうちに経験しなければいけないことが多いですし、それは自分の金銭や年齢、交友関係で手の届く範囲だというのが重要だと考えています。それらをスキップして大人びた考えを持ったとしても、決して悪いことではありませんが、魅力にはつながらないように僕は思います。
子供っぽい考えは若さを感じて、逆にその子の魅力に繋がる場合が多いように思っています。「若さ」という基準が僕は重要なのでそのように表現しました。が、別な表現をすることも可能です。例えば考え方の多様性であったりとか、好奇心が旺盛でそれを処理する方法を持たないとか。スピードを出したいけど、出すための手段や方法を持たない事が僕にはたまらなく魅力に感じるのです。大人というのが適切かわかりませんが、加齢というのは一種の諦めと共に訪れることが多く、そういう考えは大概において失われます。
それと気遣いも不要です。若い子はとても気を使う子が多いです。空気を読む世代なのでしょうか。もちろん気遣いは別に問題はありません。相手のとっても、とても気持ちがいいですし。しかし若干失礼なぐらいのほうが魅力に感じる場合も多々あります。これはうまく使い分けてほしいと思います。
あとは酔った勢いなどで、ボディタッチなどを増やせば、もうすぐにでも年上は好きになってくれるはずです。戦略がいらない。そのように思えるほど、年下の子が年上の人と付き合うのは簡単だと僕は考えているのです。
※先日の記事でランキングのことについて少し書きました。お陰さまで順位がいきなりアップしました喜び。引き続き当ブログをどうぞよろしくお願い致します。・・・(多分そろそろ僕自身とか家族に関する記事を増やすので内容的にはつまらなくなりますが・・)
※粘り強い説得のおかげか、彼が写真をOKしてくれました。明日の記事は彼の写真がアップされますよ!