過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 考え(ゲイ関連) 」 一覧

  2011/05/07    考え(ゲイ関連)

国境、非在、あるいは百年の祈り
おなじみのげんやさんのブログです。先日げんやさんはりふくんとの動画を公開してくれました。確か音声に関するげんやさんの所で、ぷよぷよに関する記事があったと思います。そこにはりふくんの「負けて」という言葉が入っており、普段のブログなどを通してイメージする音声と、負けてという音声のギャップに戸惑いながらも、悶々とした日々を送ることを余儀なくされていたわけです。(中国語講座などは、日本語ではなかったので除外)

それが今回になって、いくつかの新しい魅力とともにいろいろな発見が得られました。ということで、ややぶちかましすぎな感じですが、僕の感想と気づいたこと。

乙女(ナヨナヨ)は世界共通なのか。
最初の動画を見て、最初の部分では、若干のナヨナヨがありつつもごく普通の感じでした。骨格の細さなどから、可愛らしさなどは感じられつつも、ほのぼのとした動画になっていました。

しかし2本目になると、とたんに女性らしさが強調されてきました。sawakichiさんへのお礼のくだりなどは計算してもなかなかできることではありません。
そしてここまでは言葉や雰囲気を楽しむ場面。

翌日の船のくだり。
ここは顔の大きさを気にしているあたりすごく驚きました。女性は常に見た目を気にするらしいですが、まさにそれに通じるものがあります。(ちなみに全然でかくないのに、それを気にするっていうのは、どういうことなのでしょうか???)

そして僕の彼の話。
りふくんと比べると、僕の彼は全く乙女らしい言動はありません。少なくとも船に乗っても、揺れることはあまり気にしないようです。
今まで飛行機もそうですが、日本海での遊覧船ですごく揺れていましたが、彼は別になんとも無かったようです。(ちなみに、遊覧船を降りてから、船酔いで吐いている人を見たのは、数々の遊覧船の中でも初めてのことでした。それぐらい揺れていたのです)
普段の言動では乙女を感じることはなかなかありません。

しかし、ファッションなどに関しては非常に乙女に近い感覚を持っています。ちょっと買い物にいくとき、必ず着替えます。ジャージで軽く出かけるっていうのはダメらしいのです。誰に会うかわからないという理由のほか、自分が納得できないという理由もあるようです。モテを意識するとかではなくて、自分を納得させるために必要だと言うのです。
僕にはとても不思議な感覚です。

僕は乙女の気持ちというのは全く理解できません。
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  2011/05/04    考え(ゲイ関連)

毎日会いたいという人がいる一方で、月に1回と言う人もいます。どちらが正解ということではないので、非常に難しい問題だと思います。

会う回数というのは様々な理由と共に決定されると思います。仕事や学校が忙しいとか、時間を作ってなるべく会うとか。

性的な相性は言うまでもなく重要ですが、この会う頻度というのも非常に重要な事だと思います。僕も彼も会えるときに会う。そうじゃなければ無理はしないというスタンスです。今は僕のほうが相対的に忙しいことが多く、仕事は毎日そこそこ遅いですし、会う時間を作るとすれば僕の方です。
そんな僕は、なるべく会いたいと思うので、週に2-3回ぐらいがちょうどいいいと考えています。
彼のほうは、意外とドライで、会えないときはかなり早いタイミングで今日はダメといってきます。僕はぎりぎりまで頑張って、なんとかして会うようにと考えているのに、彼はこの感じじゃ今日は無理だなーという感じですぐに判断してしまうのです。

しかし今はまだ彼の時間は比較的あいているので、大きな問題にはなっていませんし、またお互いの考える会う頻度というのは、ちょうどいい所に収まっているように思います。

ある程度社会的な習慣があるので、自然にそのように収束していますが、例えばこれが学生同士だったりすると、非常に難しいことだと思っています。
毎日会おうとすれば時間的には可能かもしれません。しかし自身を振り返ってみて、当時の僕であれば、週に1回ぐらいがちょうどいいと考えていたように思います。それ以外の日は、遊びの中から刺激を得たいと考えていました。恋人から得られることも非常に刺激的でしたが、それと同じぐらい、日常の中には刺激がありました。※学生の時には暇とかも含めて刺激的だったように思います。

会うペースの不一致が、お互いの距離を広げてしまうということはあながちありえない話でもありません。

時間の作り方もそう。忙しい中で会う時間を捻出すると、「頑張って会っている」ということになりかねません。「頑張って時間を作る」ということについて、僕自身はその表現が正しいとはどうにも思えません。なのですが、頑張って時間を作っているのは事実の部分もあります。
彼が、これから働くようになって、今までのように空き時間に会うわけではなく、まさに時間を作って会うようになったとき、その時はきっと僕が今までずっと「頑張って時間を作ってきた」事の実感をしてもらえるのでしょうか。

それとも、彼が今まで言っているように最低限の仕事ができる職に就いたとすれば、きっと働いてからも今までと同じペースになるのでしょうか。
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2011-05-06 追記
※本記事、もともとの下書きと、いくつかのブログから参考にしていました。時間の関係で紹介できなかったので、以下に参考サイトとして追記しておきます。
とにかく僕は最低な男だってこと。:笑顔、ときどき涙。
クボタノートさんからも参考にしたように思ったんですが、それらしい記事が見つからなかった代わりに、最近はほとんど会う・会いたいなどの話題だったので、広く薄く参考にしていたのかもしれません。クボタノートは「リンク」からどうぞ。

  2011/04/29    考え(ゲイ関連)


2008年のお花見

ずいぶんとお遅くなりました。1ヶ月近く過ぎてしまいました。僕のお花見の話。
お花見が僕は大好きです。特に花を見るのが好きというわけじゃなくて時期が短いことや、外でお酒を飲みながら楽しめることなど、桜というよりも、その環境が好きなのです。

と同時に、毎年とても悲しいのがお花見の時期でした。
花見の時期=4月はとても様々な出来事があります。出会いであったり別れであったり。そしてそれは花見の体験と共に記憶に残ることが僕には多くありました。
去年は卒業したばかりで不安の中での花見だったな、とか。去年は後輩をたくさん集めてにぎやかなお花見だったな、とか。

もちろんその時に付き合っている恋人と花見をすることも何度かありました。そして毎年必ず思っていたのが、「来年は誰と花見ができるのだろうか」ということでした。
今一緒にお花見をしている恋人と、来年も花見をできる可能性はほとんどありませんでした。少なくともその時までの経験から言うならば、可能性はゼロでした。

楽しいお花見を友人としている一方で、恋人とのお花見は、楽しくもはり、はかなくもあったのです。


2009年のお花見

今の彼と付き合うようになってからは、そこそこの期間が過ぎているので、いろいろなところでお花見をしました。毎年だいたい駒沢公園・隅田川・上野にはほぼ必ず行っており、あとは都度その時の状況に応じています。(そろそろ新しい場所も開拓したいですね)

当然最初に行った花見では、やはりとても心配に考えていました。ほぼ絶対に翌年は同じ恋人とこの場所に来ることはできなかったので、今回もそのように考えていました。
しかし1年・・・2年・・・と同じ場所でお花見をすることができています。


2010年のお花見

僕は今までこのブログに書いているように、彼のおかげで喜んだり大変だと思ったりいろいろなことがありましたが、おそらく最も幸せに感じることのひとつとして、花見を翌年も同じ恋人と出来るというのが大きくあります。

※この記事を書いていて、「長期の恋人関係で一番幸せなのは長期的な計画が立てられる」っていうの書いたことを思い出しました。しかしこちらの記事はまだ公開していなかったので、早々にまとめて公開したいと思います。


今年のお花見

今となっては、各地に行って桜の木を見ると、ここまで樹勢があるなら、きっと桜の季節は綺麗だから、花見の季節になったら今年はココに来てみよう。そのように想像できるのはとてもうれしいことだと思っています。

そしてこれが僕がお花見をするときに毎回思っていることです。
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  2011/04/26    考え(ゲイ関連)

みなさんイケメンハンターだと思います。とりあえずイケメンについては、諸説ありますが、それでもイケメンをウォッチすることについては、その能力の高さに異論は無いはずです。
対象者が数百メートル先にいて、まだ表情も伺えない頃、きっとみなさんは鬼太郎ばりに精緻なセンサーが反応しているのではないでしょうか。センサーが反応してからの追従については、もうゴルゴ13も顔負けです。

僕もイケメンを見つけるとついつい目で追ってしまいます。ノンケの友人で女性ばかりを目で追っている人がいますが、目で追っていることがバレバレです。だからきっと僕もイケメンを目で追っていることが周りにバレているのかもしれません。
もはや目で追うことは本能じゃないでしょうか。だから何人たりともそれを否定してはいけません。(彼や恋人のそういうことには寛大であってほしいと願います)

ただしここで僕には大きな問題があります。僕は眼が悪いのです。ぎりぎり裸眼でバイクに乗れるぐらい。だから遠くの対象者が良く見えません。結局僕のセンサーは雰囲気という非常に曖昧な基準で反応してしまいます。

街中を歩いていて、遠くにセンサー反応があったとき。しばらく目で追っていると、徐々に自分に対象者が近づき、すれ違うまでが至福の時である。もう視姦というのはこのことを指すのではないかと思うほどに、舐め回すように堪能している自分がそこにはいます。
これは意外と一般的なことだと思います。

僕の場合、遠くにセンサーの反応があったとき。しばらく目で追っていると徐々に対象者が近づき、顔と輪郭がはっきりしてくる。なんとこの時、おばさんだったりするのです。

これは単純に間違い、がっかり。だけでは済まされないことです。

間違いのパターンというのはいくつか存在しています。
・顔や身体がタイプじゃない場合
なおかつ 年齢が対象範囲外
なおかつ 年齢が対象範囲

・顔や体型がタイプの場合
なおかつ 年齢が対象外
なおかつ 年齢が対象範囲

ここで、後半の2つはいい。一応かすっているわけですから。最後はもちろん全く問題ありません。そして1番目は最もダメです。だって目で追う理由ないもん。
そしてさらに、性別でのミスというのは最悪です。僕はゲイなのか。ノーマルなのかと、根本に立ち返る必要が出てきてしまいます。

このような悲劇が起きる理由は明白です。僕はスリムが好きで、背は気にしないが、低くてもいい。中高生など最高だという話です。髪の毛も長くたっていいし、短いのもかわいい。
そしてこういう条件に該当する人を遠目で見ると、おばちゃんと変わらない時がよくあるんです。だから僕は区別がつかないのです。

昔もこのミスは頻発していましたが、今でも相変わらずです。センサーの向上を目指したいのですが、なかなか難しいところだと考えています。
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  2011/04/21    考え(ゲイ関連)

僕は昔からの悪いくせで、常に全速力です。能力があまり無いので必死で走っていないと、すぐに下位グループに甘んじてしまうためそのようになっています。
もうこれは高校生のころや、特に大学に入ってからそのようになっています。そのため今では特に苦に感じることもありません。
逆に、生き急ぐほどに走っていないとなんだか不安にさえなってしまいます。

一方で彼の話。

彼は非常にマイペースです。もちろん大学入試に向けての努力など、元来持っている能力の高さと、それを極める集中力と。僕のような凡人にはわからない部分があります。しかしこと社会的な部分においては、彼は非常にマイペースです。
例えばアルバイト。彼は今までいくつかのアルバイトをしていますが、一般的に言われるような生産性の低いアルバイト=個人の能力が向上しないようなバイトについても、淡々と、一人で黙々とこなしていました。全く文句も言わず、まったく向上もせず。

僕にはありえないことです。僕ならば少なくともそういうアルバイトは長続きしませんし、スキルが身につかないアルバイトなど、なんのためにするのか非常に疑問です。

仕事に対する考え方もそう。彼は仕事は嫌なことだから、生活を維持するための最低限でいい、プライベートを充実させたい。そのように考えているようです。

僕は逆で、いやでも人生の相当の時間を仕事に費やすことになります。それならば少しでも楽しいと思える仕事がしたいですし、人生が有意義になるためには仕事を充実させるのが手っ取り早いと思っています。そして、もらえる給料も多い方がいいと考えています。

こういう考え方が彼とは全く逆なのです。もちろん彼はきっとその持ち前の真面目な性格を活かして、きっと僕とは違う楽しさを見出すのかもしれません。(ただしアルバイトの過去の例からでいうと、すべてのバイトはつまらないようでした)

今はまだ僕は社会人で彼は学生という違う立場に身をおいています。そのため考え方や意見の違いというのは、立場の違いを前提として吸収することが出来ています。しかし彼が働くようになってから。この考え方の違いというのは、どのように影響をおよぼすのかとても興味深くあります。

少なくとも彼に主婦のような状態になってもらう事を僕は望んではいません。が、家に帰ると待っている人がいるというのは、ちょっと憧れることかもしれないですね。
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  2011/04/19    考え(ゲイ関連)

ゲイにとって、恋人の呼称は難しいところがります。僕の場合は、僕は男性という立場で、女性らしさというのは全くありません。性的にもバイという立場だし、かなり男性寄りという感じを持っています。

彼の場合、女々しいとは言いませんが、女性らしさを感じることがあります。ガツガツと前にでていくような感じでもないし、見た目とは関係なく精神的な部分で女性らしさを持っているように思います。もちろん本人は男性で、男性として男性を好きになっているので、いわゆるオネエ的な感じとは区別して欲しいと思います。。

役割としてもし男女を割り当てるとしたら、僕はおそらく男性役で、彼はおそらく女性役となるのが僕達の場合は自然な気がしていまる。彼もそのような配役には異論を唱えることはないと思います。もちろん型にはめる必要など無いので、日常のなかでのそのような考えは無意味です。

僕はプライベートで、「彼女がいる」と公言しています。もちろん彼の事を想像して言っています。性別が違うから大きな問題かもしれませんが、とりあえず性別以外のすべては事実です。かつてはそういうつじつま合わせが大変だったので、手っ取り早くいないと答えることも多かったのですが、それこそモテを意識というか、そういう雰囲気になっても困るので、今はいると答えるようにしています。

しかし彼の場合。「彼女がいる」とは言っていないようです。これはモテたいから隠しておくという、僕にとって残念な気持ちが含まれている可能性はあります。しかしそれ以上に、彼にとって僕は「彼女」なのか。という疑問です。

何をもって彼なのか彼女なのかは難しいことです。だけど僕の場合、例えば彼は食事を作って待っていてくれる。掃除もマメだし。それを女性らしいに結びつけるには短絡的だが、生活の中でそのような話をすれば、若くてスタイルもよくて、ご飯も上手で、お酒もあまり飲まないという、非の打ち所が無い女性像ができあがってきます。(そういう場合、大概においては顔が・・・というオチがつきますが、それは想像にお任せします)

逆に彼が僕のことを「彼女」と紹介する場合、食事は作らない、仕事が忙しい、掃除はしないなどなど、なかなか会話が続かないように思います。(そういう場合は顔がそうとう可愛いというオチがつくが、やはりご想像にお任せします)
唯一僕が女性っぽくあるのは、立ってキスをするときぐらいです。背の低い僕は、彼がすこし前かがみになって、なおかつ僕が背伸びをしなければならないのです。

そう考えると、彼が友人たちに対して恋人の存在を認めるのはなかなか難しいのではないかと思っているのです。
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※おまけ
http://www.youtube.com/watch?v=IyC0JiFleGI

※雑音がすごいので、ボリュームに注意してください。
※ハリーポッター(小説・映画)とクレイモア(マンガ)が好きなのですが、それについて聞いても教えてくれませんでした。
※ケンタの画像では、指輪が写っています。ペアで買ったリングでしたが、すでに僕は無くしました・・。
※質問している僕ですが、自分の事がアホらしくて笑ってしまいました。次からはちゃんとマジメに質問したいと思います。
※彼は絶対しゃべってくれません。

  2011/03/25    考え(ゲイ関連)

付き合って10年を超えるカップルという話を聞きました。その時に、ある人が「ということは普通の夫婦なら30年分ってことですね!」と言ったのです。要するにゲイの1年は普通の夫婦の3年分に相当すると。

なかなか含蓄のある表現だと思いました。

その人が言いたいことはその一言に集約されているようなきがします。

具体的にそれを伝えるのは非常に難しいと思いますが、それでも単純に考えても、やはり結婚制度が無い事や、子供などの共通事項が無いこと、性的な誘惑がやはり多いことや、お互いが収入面で独立していることなど。男女間では我慢であったり共通の目標が、ゲイのカップルの場合なかなか持ちにくい。そのことから長期的な恋愛は難しいということをその一言で表しているのだと思います。

僕達の場合は、まだまだ3年。4年目になろうとしているところです。幸い今は非常に安定していますが、(愛の相対度はかなり偏りがあるにしても)うまくやっていると、僕は思っていますし、きっと彼もそう思っていてくれているに違いありません。

これからはまずは彼の就職で個人的にも人生の転機を迎えるでしょう。そしてその後は同棲なのかもしれません。後は僕が壮年期に入るので彼が受け入れてくれるのか。という不安もあります。

逆に考えると、今までの3年はあっという間でした。確かに細かいことが(特に好きとか嫌いという意味での波も含めて)無かったとは言いません。しかし振り返ってみると、本当にかけがえのないことが多く、僕はこの年齢になって、スキーをしたり旅行にいくようになったりなど、彼の影響をうけるようなこともたくさんありました。

と、ここまで振り返ってみて、改めて最初の言葉。
3年分っていうのは継続に関する難しさですね。多分。ストレス無くあっという間に3年間を過ごした僕にとって、夫婦にとっての9年分を過ごしたとはどうにも思えません。ただし9年間を維持するのと同じぐらい大変だってことならなんとなくわかるような気がします。

まだまだ変化の多いこれからの数年間ですが、どうなるのでしょうか。とっても不安です。
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  2011/03/24    考え(ゲイ関連)

自身や関わる人達の大半が幸せになることが予想されるような出来事でも、決してそれを決断してはいけないことというのは、確かに存在します。
例えば売春など、例示としては適切ではありませんが、売る方も買う方も、同意が得られている場合、それを悪いことだと言ってしまうのは簡単ですが、直接的に不利益を得ている人がいないので、なかなか難しいと僕は考えています。(もちろん社会的・道義的には否定されるべき事です。金銭や便益にのみ焦点を当てた場合の話です)

そして誰かを好きになったときの話。相手が恋人関係に “至らないための” 様々な正当に思える表現で、深い関係になることを拒否する場合があります。

例えばそれは、今は恋人が欲しくないとか、仕事に打ち込みたいとか、付き合っても大切にできないとか。
それぞれはとても、もっともな話で、事実僕自身もそのような理由で恋人関係になることを断ったこともあります。(セフレを目的として断ったわけではもちろん無くて、仕事への打ち込みが理由です)

しかしそれで、肉体だけでも関係を維持したい。そのように思うのか、脈なしと判断して、次のいい相手を捜すのか。これは非常に重要なことではないでしょうか。

とても残念なことに、健気で人から好かれるような性格の場合、本当に残念なんですが、肉体関係を維持したいと考える事が多いようです。男性は意外と女々しいのと感じる部分です。なかなかその人が諦めきれず、(それだけタイプの人と巡り会いにくいというのもありますが) 身体の関係を維持しようと努めてしまうのです。
さらに皮肉なことに、そうした間違った一途のせいで、本来ちゃんとした恋人関係になりうる人と出会うチャンスを失ってしまうのです。

一途というのは、とても素晴らしいことですが、一方で悲劇も生むのです。皮肉なことに、もしその人が一途出なかったら、セフレとして割りきってその好意を寄せる人と関係を維持しつつ、ほかのちゃんとした恋人を捜すように考えを切り替えられるはずです。
※もちろん、肉体関係をしっかりと切って、次の人を探せればベストです。しかしそのようなことが現実的にできるような意思の強い人や、頻繁にタイプの人と出会えるならそれが一番であるのは言うまでもありません。

僕は何度となく、性的なことを書いています。割り切るという事は重要です。何もそれは肉体だけの関係を推奨しているわけでは決してありません。本当に幸せな恋愛をするためにはそのような、決して純情とは程遠い考えかもしれませんが、結果を出すためにはとても重要だと考えているのです。そしていい恋人ができたら、存分にその人に大して一途になってほしい!そのように心から考えています。
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  2011/03/20    考え(ゲイ関連)

友人と話をしたとき。どういう理由で別れたの?という話を聞きました。すると言われた一言で、「上昇志向についていけない」というニュアンスだったらしいのです。
その友人と話をしていると、性格の細かい部分についてはよくわかりません。恋人と友人に見せる表情が違うことはよくあることです。

しかし上昇志向が平均よりも高いであろうことは、なんとなく感じていました。そしていわゆる一般人であるならば、その上昇志向の高い恋人が常に身近にいたら、そういうのは無言の何かが恋人に伝わった可能性があったのかもしれません。

その一言や、その指摘される性格がいいか悪いかは別として、最後のその一言は非常によく特徴を捉えているなぁと妙に納得してしまったのです。

思い返すと僕の場合、あまり最後に言われた一言というのは覚えていません。(とても幸いなことに、最後に言われたのはもう数年も前のことです)
とはいっても、僕は色々とひどいことを言われているようにも思います。キモイとかウザイは当たり前として、しつこいとか細かいとか、他の子ばっかり見てるとか何考えてるかわからないとか。

僕の場合は、改めて考えると、確かにそれはすべて該当していて、別に最後の一言じゃなくても、未だに常に言われ続けていることでした。

最後の一言に真実を感じることはありますか。
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※この記事、もうちょっと色々と書きたかったんですが、いまいち文章が思い浮かびませんでした・・・。

  2011/03/17    考え(ゲイ関連)

短絡的に決めつけてしまうのはたしかに問題がありますが、やっぱり主張したいのです。
Sex And The City が好きな人はゲイだ。とか、
電話するのが好きな人はゲイだ。とか。

そして、全身の見える鏡=姿見を持っている人はゲイだ。と。

ステップがあるのだと思います。
姿見 → 全身のコーディネートを確認したい → おしゃれ → ゲイ。と。

おしゃれ=ゲイっていうのは、結構当てはまることが多く、ゲイの多数はおしゃれです。それはモテのためにおしゃれになったというよりも、そういうのが本当に好きっていう人が多いような気がします。

ノンケの友人の家に遊びに行ったとき、まず全身が映る鏡は持ってない事が多いように思います。一方で、ゲイの友人の家に遊びにいくと、全身が映る鏡を持っていることが多いように思うのです。

僕は持っていませんが、当然僕の彼も持っています。ゲイの友人も持っている人が多いです。

もちろんおしゃれ=ゲイじゃなく、おしゃれ=姿見なのかもしれません。しかしおしゃれとゲイは非常に近いのです。
だからもし友人の家に行って、姿見が会ったら。それは心をときめかせてもいいのではないかと、僕は思っているのです。
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