「 考え(ゲイ関連) 」 一覧
2014/09/13 考え(ゲイ関連)
このブログを年に1回ぐらい読み返している。最初に記事を書いたのが、2010年秋のことなのでもうずいぶん前の事のように思う。
そして過去のブログを読み返して思うのが、将来に対して書くときは不安だとか見通しが立たないことを中心にかいている。そして過去にこういう体験があった。というのは、結論をかなり断定的にかいているなぁということ。
もちろんこれは僕の性格をとてもよくあらわしている。たとえ明日のことさえもよく見えてこない僕にとって、誰かとの数年後というのは、全く想像がつかず、それは怖い事でしかない。
一方で、過去の積み上げが現在の自分だと考えているため、過去に何があったか。そしてそこからどういう教訓を得られたのか。というのはとても大切なことである。そしてできれば、そこから、どのように行動するべきなのか。まで分かると一番かもしれません。
細かい将来の事というのは全くわからない。しかし今の延長からある程度想像できることがいくつかある。
一つは引っ越し。(同居の可能性も)
双方の両親?もしくは片方の親への紹介。
さすがにここまで長期の恋愛をしていれば、お互いの中では相当に完結している。もしくは完結しつつあるように思う。だからより外部に向けた行動というのはどうしても必要になってくるのではないか。
そしてそれが、親への紹介ということ。
少なくとも僕は以前の記事にも書いたとおり、母親には伝えてある。そして母を経由し父も知っている(らしい)。
妹たちも知っているので家族全員はこのことについてはみんな知っているのである。
そしてたまに母親は、紹介しないの?という発言もある。
彼も伝えた。そして彼の親には僕は何回か会ったことがある。それは友人関係として。
伝えてからはまだ会ってない。何か言われるのでしょうか・・
ということで、これからのことについて今までよりもより強く意識していかなければならないように考えています。
※記事が前後してしまっています。
この記事は、まだ親に伝えてから恋人を会わせてないときに書きました。結局親には伝えましたし、その後直接会うことになりましたし会ってからもうまくいっています。
2014/08/31 考え(ゲイ関連)
かつての僕の友人の話です。
僕が20歳ごろに知り合った友人で、その友人は僕よりも少しだけ年齢が上でした。
そしてその友人は、すでに数年間付き合っている恋人がいる。そのように言っていたのです。
しかし話を聞いているうちに、その恋愛は正しい物ではないと僕は感じるようになりました。
結論としては、その友人の恋人は色々な人と恋愛をし、結局僕の友人は複数人いる恋人のうちの一人だと言うのです。
友人が言うには、堂々とそのように言われるわけではないそうです。しかし行動の端々でそう感じると言っていました。
恋愛には様々な形態があり、それを他人がどうこう言う物ではない。最近はそのように感じる部分も多くあります。しかしそのときの友人の話を聞くと、その恋愛は決してこのままの状態で続けるべきではない。そのように考えていました。
色々な事があって、その友人は結局恋人と別れてしまったようです。
この別れの原因は僕の意見を受け入れたとかそういう事ではなく、おそらく普段の行動の我慢が限界に達したのだと思います。
友人とはその別れたという話を聞いた後に疎遠になってしまいました。しかししばらくして数年ぶりに再会したとき、その憔悴した感じというのはとても強く印象に残っています。
たとえどのような相手と恋愛をしていたとしても、そこから得られるものは大なり小なり存在しているようです。そのため、僕が第三者としてその恋愛を見る限りでは、決して続けるべきでは無いと考えていました。しかし実際には、別れた後の精神的な不安定さを見る限りでは、複数の恋愛相手の一人というような状況だとしても、そのまま続ける事は精神の安定につながったようです。
今でも思い出す事があります。
このような恋愛について、終わらせるべきなのか、それともそのまま続けるべきなのか。もしくはそれ以外の何かがあるのか。
2014/05/23 考え(ゲイ関連)
恋人と長らく楽しくやっている。
かつて一人身だったとき、恋人ができることは辛いことやつまらないことは半分になる。そして楽しいことは2倍になるという話をきいた。
そしてそれはそれは、夢のような状態で、そうなったらもう楽しいことしかないじゃんか!そのように思ったものである。
さて、いざ自分の事を考えたときに、それはどうだったのか。
結局のところ、自分の考えとしては、楽しいことは2倍。それは間違いがないと思う。しかしつまらないこと・辛いことも2倍であると考えている。
楽しいことは言うまでも無く、一人の楽しさというのももちろんある。しかし相手と一緒だと、単純に楽しいだけではなく、その楽しい状態を共有できてたことがさらに楽しいという感情が出てくる。だからこそ2倍になるというのはうなずける。
しかし辛いことだって2倍だ。一人だけで解決できるようなことだって、2人の利害が絡んでいれば、その影響は大きい。引っ越しだって、好き勝手決められたのに、相手がいればそれを好き勝手に決める事はできない。制約にもなるし、その後の関係にも影響が出てくる。
ごはんだって、食べたいものを食べたいときに。。。。だったのが、相手がいればそれもまた尊重する必要がある。
細かいことだけど大切な事だと思う。
また別の考えとして、楽しいことが2倍になっているから、それが標準の楽しさに感じるよう、マヒしてくる。だから2倍の楽しさを得られなかったときのつらさは、4分の1だということになる。相対的なこうしたものは、結構大きい。
例えば1人で “1” の楽しさの場合、恋人と一緒ならば “2” になる。そして2を期待していながら、思ったほどの楽しさじゃ無かった場合、それは “0.5” だとする。その場合、期待していた2と比べると、4倍の開きがある。
つまり自分一人で楽しもうと思って、ちょっとガッカリしたぐらいであれば、それは 0.5 だけ楽しめたんだからヨシとする場面だったのに、2を期待していたのに、まったく足りない。そういう状態にもなりかねない。
結局恋人というのは、自分の楽しいとかつらいという感情を良い方・悪い方に高めてくれる存在のような気がする。もちろんうまくいっている時、順調の時にはそれが増幅されるのだからとても素晴らしい存在である。
しかし辛いときには、その方向に増幅される場合も多い。(もちろん緩衝材としての存在になるときもありますが。)
だからこそ、そういう意味ではあまり期待せずに気軽に接することが重要なのでは無いかと考えているのです。
2014/03/20 考え(ゲイ関連)

性的な欲求を解消する手段として、ビデオというのは非常に重要な存在である。
(現実的にはDVDだろうけど、ビデオって書きます)
男女のそれの場合、ジャンルは詳細にわかれているけども、見る立場というのは一環していると考えている。結局は男性の視点に立っているということ。
さすがに今まで色々な人と、色々なビデオの内容について話をしたことがあるけど、好きなジャンルや興奮する、ちょっと変わった意見というのは散在している。しかし男性の友人が「俺は女性になったつもりで、男性に責められていることを想像して見ているよ」などというのは、非常にマレであろうし、僕自身はそのような事を聞いたことは無い。
だから男女のAVに関しては、非常に画一的ではあるけども一定の同意がある。
S/Mのプレイだって、男性が女性を責めるのであれば、視点は男性に。男性が女性を責めるのであれば、視点はやっぱり男性にあるのである。スカトロなどの一部のジャンルは、きっと「やられたい」という視点はあると思うが、さすがにAVでそういうのはあるのだろうか??M男性を責めるS女性っていうのはあるだろうけど。
しかし一方で、ゲイのそれは異なる。視点がどちらにもある。
タチ・ネコという役割を分けたところでも、視点がタチ役になる場合もあればネコ役になる場合もある。多いのは、男女のAVを見るときがそうであるように、自分の立場と視点を同一視することだろうか。
僕がDVDを見るときに、僕自身の役割はタチなので、映像の中のタチ役の人に視点を合わせることが多い。それは紛れもない事実である。しかし一方で、時々はネコ役の方に視点を合わせて、まるで自分が責められているかのような想像を巡らすときがあるのも事実である。
そしてこのような役割の置き換えは、男女のAVではなかった。
だから、男女AVと違ってゲイAVは色々な視点で楽しむことができる。男女AVでは抜きどころを押さえるのが難しい。今回の抜きどころは前回と違うし、一通りのポイントを押さえてしまったら、そのDVDは引退である。次の作品を探さなければならない。
ゲイだったらそれが2倍楽しめる。タチとしての抜きどころを探す。視点をかえてネコとしての抜きどころを探す。リバという視点だってあるかもしれない。
画一的では無い楽しみ方がゲイにはできるのではないかと思う。
そして僕の場合。リバってワケでは無いけど、SとMの要素を少しずつ持ち合わせているので、その両方を堪能できていると思っている。とても幸せだ。
2014/02/27 考え(ゲイ関連)

僕は今までの恋愛について、もちろん後悔もありますし思い返して色々考える事もあります。
しかしそれらについては、すべて客観的な事実であり、必要以上に美化していることもなければ、卑下していることもないと考えています。
事実として受け入れるべきは受け入れ、反省するべきは反省する。それだけの事です。
反省をしてもしなくても、過去の恋愛について何か変化がおこるようなことは絶対にありません。
良くも悪くも刹那的なこの業界ですから、過去の恋愛を引きずっている人を見かけるのは非常に珍しいことだと思います。
しかし、ごく一部の特定の条件では、「引きずっているなぁ」と考えられるような場面に出くわすのです。
一つはすごくタイプだった場合。もう一つは長期の恋愛だった場合。
長期はまあ仕方ないでしょう。たしかに長い期間付き合ってれば、それが引きずっているワケでは無くても、生活のかなりの場面で、昔の恋人を感じる事は多々あると思います。
しかし「タイプだった」という理由だけで、引きずるというのは、僕にはどうにも理解ができません。
タイプだった人との恋愛で、引きずるのは性的な要素だけではないのでしょうか?
タイプの人と付き合うことの怖さのようなものをその時に感じました。
つまり短期間の恋愛であったとしても、相手に合わせる恋愛は、自身の行動の過半を変化させます。
通常の恋愛であれば、長い時間をかけて少しずつ相手に浸食されてくるのですが、好みの相手の場合は、その浸食のペースが速いのではないかと考えるのです。
生活の相当を変化させてから相手と別れた場合、確かに生活様式の変化というのは、相手を思い出すには十分な理由ですし、それを引きずっていると感じる場面に出くわすことも多くなりそうです。
あまり聞かない、引きずっている恋愛の話を聞いたとき、あまりにもタイプの人と付き合うのは、とても怖い事だと改めて思いました。
2013/11/01 考え(ゲイ関連)

ここ数回の記事はカミングアウトのことが多いですね。
ということで、今回もまた言いました。そしてその相手は親でした。(ちなみに母親に言いました)
まず、今までのカミングアウトと、今回のそれは大きく意味が異なっています。
今までは僕が言う必要があると考えていたのです。年齢などを考えたときに、そろそろ結婚という判断をするのは不自然では無い年齢になりました。そして友人たちには恋人がいる旨を伝えているので、なぜ早く決断しないのだろうか。そのような会話の流れになるのです。
そこで、こういう事情なんだよ。そういう意味で、現状を伝えるのは僕にとって必然でした。
一方で、親に対してのそれは、そこまで事実を伝える必要がないと考えていました。結婚などの選択は僕の自由な判断にゆだねてもらうしか無く、それが親の望む方向性と違ったとしても、親はそれをどうにもすることはできません。
そしてまた現状を、事実を僕が伝えたとして、それを受け入れたり、それについて考えさせることは、とても酷なことだと思っていました。年齢的なことを考えても、それができるのかについても、若干疑問があったのも事実です。
だから僕は、積極的に言うつもりも無く、また言わないだろうと考えていました。
そんな中で僕にとって、新しい考えに触れる機会がありました。
ゲイのカミングアウトをテーマにした書籍ですが、それはとても葛藤がある中で、それぞれ方がそれぞれの決断をしていました。
僕にとってのカミングアウトは、そこまで葛藤が生じることでは無く、どの程度まで友人や交友関係に事実を伝えるのかという程度で、あまり悩んだことや考えたことはありませんでした。
友人にカミングアウトをしている人はたくさんいました。しかし親となると、相当に勇気がいるというか、「言わないだろう」 / 「言えない」と考えている人も同様にたくさんいたのです。
なるほどそこまでみんな葛藤があったり、悩んだりするのか。と。僕は初めてそのときに考えることになりました。
じゃあ、僕は伝える事について、葛藤や悩みはありません。みんながそんなに言いにくい事なら、率先して言ってもいいな。そのように僕は考えました。幸いなことに、事実を伝えたときに親がそれを受け入れられるかについては、まったく想像がつかないけど、結果としてそれなりにいいところに落ち着くだろう自信はありました。僕は家族と今までもそのようにして過ごしてきたので、その辺は何となく分かります。
また、もし自分の行動が社会の空気を変える事になるかもしれません。もし僕の行動や、それ以外の同じような人たちを見て、自分も伝えてしまおう。そのように考える人が一人でも増えるのであればとても素晴らしい事だと思います。
だから僕は今回親に言ってしまうことにしました。
定期的に母親と食事をしている僕ですが、そのときも今までと同じように食事に誘いました。(ちなみに父も健在ですし仲良くしていますが、外食は好まないようで、誘ってもこないため、母+妹がいたりいなかったり。というのがほとんどです)
すでに妹たちには伝えてあるので、家族で知らないのは、父と母だけです。
僕「あのー。恋人の話を今まで “いる” とは言ってて、そこそこ期間も長いという話もしてたと思うんだけど。」
母「うん」
僕「恋人って言うのは男性なんだよね」
母「あらそうなの?」
という流れでした。
「わたしに言ったということは、お父さんに言ってもいいの?」
「ん。べつに隠すような事じゃ無いから、その判断は任せます」
ということと、
「恋愛って言うけど、手をつないだりとか、性的な事とかどうなってるの?」
「男女と一緒だよ。一緒にいたいって思うことは普通にあるのはもちろんだけど、手をつないだりとかキスしたりとか、それ以上の事も含めて普通の恋愛をしてるから、相手が男性っていうのはあるけど、単純に性別が違うだけだよ」
さらに
「あなた女性だめだったの?」
「俺はどっちも大丈夫だから、今の相手が男性ってだけだね。だからもし、今のような相手が女性だとしたら、ここで話をしていることは、結婚とかそういうことだったかもね」
という感じでした。
もう少し、家族ゆえの配慮の少ない辛辣な意見や、感想、質問があればおもしろかったのですが、そういうことも無く、普通に終わってしまいました。
2013/10/29 考え(ゲイ関連)

バック(アナルセックス)ができないなら、最初からそう言って欲しい。そのような意見を聞きました。
話を詳しく聞くと、性的な関係になったときにそれができないのは大いに困るという話で、物足りないとか、やっぱりバックができた方が気持ちいいから。そのように言っていました。
なるほど。確かにその考え意見は非常によく分かります。相手がそれができるのであれば、大いにしたいと思う行為ですし、その期待がある中で、直前になってできないと言われたときのショックは相当な物だと思います。
そこまでハッキリと主張するのは、なかなか勇気のいることだとは思いますが、だからこそそこまで重要視しているということだとも思いました。
僕などはバックを理由に仲良くなるチャンスを失ってしまうのは、もったいない事だと思っています。しかしそういった意見を持っている人たちは、そもそもバックができなければそこまで仲良くなれないよ。という意見でしょうし、それ自体は非常によく分かります。
さて、そのような主張を聞いたとき、僕はある意味ではとてもうらやましく思いました。
僕の意見、考え方では、バックはあまり重要視していませんでした。もちろんできた方がいいけども、できなくても仕方ないかな。と、そのように考えていたのです。
と同時に、できる人を見つけて、その人とすればいいや。きっと僕ならそのように考えます。
最初に挙げた友人は、できないなら先に言って欲しいというのは、それなら、できる他の人を探すという意味でしょう。その人ととりあえず仲良くなって、さらにできる他の人を探すわけでは無いようです。
つまり裏を返せば、ちゃんと一人に絞っているという話しでもあります。
これはとても大切な事だと思いました。友人もこれから仲良くなろうとしている人も、現在の自分の立場を表明することによって、変なトラブルが生じなくなります。
僕のような考え方だと、せっかく仲良くなっても他の方向を向くことになりかねないため、それは決して良いことだとは思いません。
だから、最初に聞いた時にはちょっと乱暴な意見だなーと思ったんですが、ちょっと考えてみたら、しっかりと責任のある考え方・主張なのでは無いかと思うようになりました。
2013/08/14 考え(ゲイ関連)

恋愛をするときに、恋愛が何にも優先して一番だという人がいる。一方で、恋愛よりも優先するべき事があると考えている人もいる。それはどのように考えるのが適切で、より幸せになり得るのだろうか。
僕自身のことでいれば、まだ恋愛の経験が乏しかったり(今でもそうですが)、色々な事に興味を持っていたり、恋人が本当に現れるのだろうかと思っているようなとき、優先するべきは恋人よりも他にたくさんあったように思う。
例えば友人との飲み会というのは、とても重要だった。またもし「ちょっといい人」がいたとしても、新しい出会いを広げるのは、とても重要であった。それは人脈を・・という表現を使う事もあるだろうし、単純に恋愛の可能性だけを言うのであれば、「ちょっといい人」は無数にいた方が成功する確率が高まるからだったもしれない。
そしてもちろん、学生の時には学業もバイトも重要だったし、働くようになってからは仕事も重要であった。
場合によっては、家族とのイベントを大事にする場合もあると思う。
どれが一番、もしくは最優先させるとハッキリ決めることは難しいかも知れないが、恋人の優先順位というのは、友人との行動と同等か、場合によってはそれらよりもやや劣っていたかもしれない。
個人的には、しかしこれらはとても重要なことだと考えている。○日は○○があるから会えない。そういった理由で会う回数が制限される場合、もちろんお互いの普段のスケジュールについては、最大限尊重するべきだと思う。わがままを押し通すようなことがあってはならないし、都合が合わないことがすぐに悲観的な要素にはならない。
しかし調整もされずに会えないという選択は、関係性の重要な意味を持つように考えている。○日はだめだけど、○日なら大丈夫。そのような代替案を出すのは半ば常識のようにも思うし、代わりに電話をマメにするようなことが代替性をもつかもしれない。
つまり会えない事が問題と言うよりも、そのようなこと、、、会うことやコミュニケーションの努力を行わないこと、が問題だと僕は考えている。
もちろん電話やメールが苦手ということは十分にあり得る。僕自身がまさにそれで、会わない・会えないという事になれば、おそらくすぐに疎遠になるだろう。それは心が疎遠というよりも、距離を縮めるための行動をすぐに怠る僕自身に原因がある。しかしいくら心が離れてないと主張したところで、その行動が伴わなければ、それを認めてもらえないのは仕方が無い。
もちろん、恋人が一番だから電話をするとかメールをするとか、そういうこととはまた違うのが難しい。
仕事も重要である。僕の場合、恋人と過ごす時間は最大限調整をする。といっても土日が概ね休みである僕たちは、あまり調整ということはしなくても大丈夫ですが。
場合によっては、仕事は恋人よりも優先されるときがある。特に経済的な困窮は僕は絶対にイヤなので、もしそれとトレード関係になるのであれば、僕は恋人よりも仕事を優先することになる。とくに知り合ったときは、僕は仕事が不安定だったので、そのように考えることが多かった。「遊んだときに、少しぐらい多めに出してあげられるぐらいの余裕がないのに、気軽に遊んだりなんてできない」直接的にそのような表現はしなくても、それに近いことは言ったかも知れない。たぶん彼は「そんなことは関係無い。そんな理由で会う回数が減ったら意味が無い」って言いそうです。
仕事やプライベートを優先する人は、いつまでたってもその優先順位は変わらない。
恋人関係が長期にでもならない限り、「恋人優先」とする生活にはリスクがある。恋人を優先するようになって、もし破局を迎えた場合、どうすればいいのか。今までは恋人がいたからあんまり遊べなかったけど、別れたから、また昔みたいに頻繁に遊ぼうね!そういうことをしない人が多いのではないか。
だから長期的に恋愛をして、少しずつ恋人が優先されることになる。しかし当然、少しずつなので、嫌気がさしてしまう事も少なからずあるのではないか。
あまり気にしない。そういう場合もあると思う。僕は遠距離恋愛については、あまり実感がないので何とも言えないけど、近距離にいる遠距離恋愛のようなものだろうか。会う回数が少ないことは気にしないのはいいけど、僕だったら優先順位への考え方に疑問を持つ。
また、会う回数が少ないというのは、距離を縮めるチャンスが少ないとも言える。たくさん会えば、良くも悪くも相手の色々な部分が見えてくる。いいと思えるところもあるだろうし、我慢しなければならない部分もあると思う。これが短期間のウチに見えるのであれば、今後の対策も練りやすい。しかしある程度の期間が過ぎてから、イヤな部分が目についたとしたら、それをそのときに乗り越えるのは、覚悟がいるかもしれない。
もちろん頻繁に会いすぎるのもアレなので、適度な回数を会うことが僕はとても重要だと思う。その回数というのは、できれば週に1回。それが叶わなければ2週間に1回だろうか。
何もすることなくてちょっと会うのはアレだなぁと思うような時にでも一緒に過ごせるような関係になれば、あとはきっとうまく続くのではないか。
2013/03/25 考え(ゲイ関連)

かつてオレにはセフレというのは正しくないかも知れないが、セックスを楽しむだけの友人がいた。一緒に食事をしたいとは思わないし、どこかに出かけたいとも思わない。
でも生理的に受け付けないと言うこともなく、むしろセックスの前後の会話は他愛のないことでも楽しかったし、いくつかの話の内容は今でも覚えているぐらいである。
そんなセフレとはどのぐらいのペースで会っていたのかは忘れた。ホテルの時もあれば外の時もあったし、相手の家というのもあったような気がする。
ゆっくりしたのから、激しいのまで、様々なプレイをしたような気がする。
ちょうど同じぐらいの時、別にもセフレがいた。
あまり覚えてないけど、頭のいい人で、一緒にお風呂に入ることが好きだったように記憶している(ほっとんど覚えてないけど・・・)
この人は恋人がいると言っていた。もちろんセックスだけをする相手に恋人の有無を訪ねるほどオレは野暮じゃない。それは当時のオレだってそう。だけどなぜか恋人がいるという話になった。
ある日、一戦を交えてから会話をしながら何気なく部屋の棚を見た。するとそこには、最初に書いたセフレと、今目の前にいる人が仲良く2人で写っていたのである。
「もしかして恋人ってこの人?」そのように聞くと「そうだよもうけっこう長く付き合ってるんだ」確かそのように答えた。
このときオレは何とも言えないむなしさを感じた。色々な理由があるにせよ、この二人はきっとうまく恋愛関係を続けていたるのだろう。オレというスパイスを隠しながら。
しかしオレの存在というのはどうなのだろうか。単純に快楽のためだけに関係を続け、場合によっては恋愛をしている2人の関係にヒビを与えるかもしれない存在である。
2013/02/27 考え(ゲイ関連)

今まで何人かにカミングアウトをして、大半は何にも変わっていません。そもそも恋愛の話なんて滅多にしないですし、改めてそれについて聞かれる事もありません。だいたい男女のそれと恋愛は変わらないように思います。
そんな中、唯一一人だけ、言わない方がよかったかも。そのように思う人がいるのもまた事実です。それは妹です。
妹は、どうも僕が男性を恋愛対象とすることが理解できないようです。それは言葉の端々でそれを感じます。
もちろんそれは僕という人間の性格を妹はよく知っているからかもしれません。家族として一緒に過ごした20数年で、妹は僕という人間の性格をよく知っているでしょう。だからこそ、そのことに理解できないのかもしれません。
例えば妹と会話をすると、「男性との恋愛は一時的なものでしょ?」とか、「女性ともつきあえるならつきあわないの?」とか。将来は?とか結婚は?とか。子供は?とか。一緒に暮らすの?とか。
これが25歳ぐらいのころであれば、もしくは恋人との関係が1年以内であれば、それらについての回答は一通り常識に則ったものかもしれません。
男女であろうとそうじゃなかろうと、恋愛は不安定な物だと僕は考えているので、今が一生ではないと考えています。だから一時的かもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは否定できない部分だと思っています。
しかし長い期間を一緒に過ごしている今は、さすがに一時的であるとは言えません。第一そのように考えるのであったら、僕の若さが今よりもまだあったころに、最後の決断(結婚など)をするような努力をしていたと思います。

妹はやや古い考えを持っているようで、「結婚して子供を」という部分を捨てきれないような感じがします。最近はさらに進んで、「家があって、家族団らん」という考えがとても強いようです。
普段の行動や言動はそんなことは無く、ごくごく一般的な考えを持っているように見えます。しかし何かという時に、そのような古い考えがでてくるようです。
もちろん男性同士に嫌悪があるという事ではありません。それについては理解があるようです。しかし結婚や子供という部分において、または男性同士での長期的な円満な関係という部分に疑問を持っているために最初に挙げたような発言になるのかもしれません。
結局長期的な関係は、精神的な要素が大きいと思いますし、そうであるならば制度としての結婚がどの程度の意味を持つのか、僕にはよくわかりません。
妹の理解が僕の友人たちと比べて、今までに無いパターンなので、とても興味深い部分ではあります。もう少しこの件については、妹とも話をして、色々聞いてみたいと思います。