過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 昔の話 」 一覧

  2011/10/07    昔の話

僕はかつて毎日のように飲んでいた。本当に毎日のように飲んでいて、少なくて週に3回。多ければ5日とか6日とか居酒屋で飲んでいた。。

性的な意味ではなく、色々な人との交流や出会いがとても重要だとそのときは考えていた。特に大学の3年生を過ぎたあたり、就職が決まったぐらいからそのようになった。もちろんこのときは、好奇心も時間も体力も有り余っていたのである。しかしお金だけは苦労した。

僕にとって幸いだったのは、このときの交流はほとんどゲイとは関係が無かったことである。もしこのときに、ゲイとしての遊び方を覚えていたとしたら、、、僕は今とは違う人生を歩んでいたかもしれない。

このときは、学校やバイトやその関係から広がる友人たちとばかり出歩いていた。このときに知り合った多くの人たちの意見や考えは、僕にとってても重要なことばかりであった。

夜に出歩くことが増えると、必然的に週末は絶対に空かないようになってしまった。必ず何らかの予定が入ってしまうのである。だからこのとき、僕は優先的に木曜日と水曜日から予定を入れていた。そうすることによって、なるべく多くの人との交流が可能になった。水曜日から予定が埋まれば、うまくいけば水~日までたっぷりと時間を取ることができる。

かつて「水曜日からよく飲むことができるね」って言われたことがある。確かに金曜日だけ飲むことができれば翌日のことも考えなくていいから一番楽しい。しかしそれだけという訳にもいかないので、次点である木曜日にも予定を入れるのである。そしてそれも埋まってしまった場合には水曜・・・と。

だから僕は、木曜は第二の週末と呼ぶようにした。もはや気持ちの中では木曜日から週末なのである。
今となっては、飲みに行くことは滅多に無い。だからあまり木曜日が第二の週末だという意識を持つ必要もなくなった。
一方で、金曜日に飲むのは、店が混むからあまり好きじゃない。本当は月曜日とかに「軽く」飲むのが最高だと思っている。
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  2011/10/06    昔の話

僕の交流の中では、社会人と学生が多い。社会人は社会人の悩み、学生は学生の悩みというのがそれぞれある。
僕も学生の頃は、ありがちで一生を大きく左右するような不安を目前に控え、すごく色々なことに悩んだ。もちろんそれは就職のことだったり、恋愛だったり、学校だったり、友人だったり、、、わざわざ宣言するまでもなく、たくさん悩んだ。

そして当然今でも社会人としての悩み。加齢のことだったり仕事だったり将来だったり、健康だったり。おそらくこれも、社会人としてのというよりも30代としての標準的な悩みなんだと思う。

夢というのがあるだろうか。僕は昔も今も、あまり大きな夢というのを持ったことが無い。現在の延長線で達成したいこと、、それを夢というのなら夢かもしれない。ただそれを自分では目標という言葉の方がしっくりくるように思う。

そして、夢、、、目標を振り返ったとき、僕は達成したのではないかと思っている。当時学生の頃には、パソコン関係の職に就きたいという目標があって、実際にそれは達成することができた。
もちろん当時はパソコン関係の職業の中でも、”開発・プログラマー” をするだろうと漠然と思っていたし、パソコンを利用する職業なら、普通の事務職、例えば経理とか、、になることも可能性としてはあり得る話でもあった。

しかし実際には、そのような僕自身の考えとは違い、結局はネットワーク系の仕事と、サポート関係の仕事をしている。しかしそれでも、描いていた具体的な仕事とは違うかもしれないが、自分がつきたいと思っていた仕事に就くことができた。

そこで、自分の考えていた夢が叶った先には何があるのだろうか。

目標であれば、それを通過点とすることは簡単である。それは現状への不満からそのように考えるかもしれないし、目標が達成されると、必ず次のより大きな目標へチャレンジしたくなるものである。

しかし夢だとしたら。夢が叶った先には何があるというのか。なるべくその状態を維持するという努力だけだろうか。
僕自身が夢を持ったことが無いので、それがいまいちよく分からない。夢と目標というのは同一視していいのかもしれないし、ひょっとしたら夢というのは、もっと巨視的な何かかもしれないから、常に叶うということがないのかもしれない。

僕自身は、常に目標を持っている。といっても、別に大きな目標ではない。「なるべく怒らないようにする」とか、「無駄遣いをしない」とか、ほんとにそんな簡単なこと。
あとは仕事と年齢は重要な相関があると考えているので、今後3年~5年ぐらいで自分が進むべき道についての、ざっくりとした目標を携えているぐらい。もちろんその計画・目標は、年齢が進むにつれて修正されることも多い。
今までの僕の場合、必ず区切りとなるような大きな出来事があるので、そのときに目標が大幅に修正されることになる。

しかしその目標に向かって走り続けるのは、なんだかとても疲れることのような気もしないでもない。ぎりぎり達成できるか分からない目標を掲げて、それが何とか達成できたとしても、またすぐに次の大きなさらにずっと先の目標が出てきてしまう。性格だから仕方が無いにしても、一生これを繰り返すのだろうか。今の僕には全く分からない。

ある程度の年齢になると、上という意味での目標を持つことをやめ、維持という目標に変わるのかもしれない。

ただ少なくとも、僕自身が考えていた学生の頃の夢・目標と、今の夢・目標とは大きく意味が異なると考えている。そしてそれは、さらなる将来になると、また今の僕とは違う意味を持つことになるのだろうか。とても気になるところでもある。
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  2011/09/27    昔の話

ゲイタンバーでは、ずいぶん古くからの友人に声をかけました。当時、25歳ぐらいだったでしょうか。僕としては、人生の中で意欲も性欲も大変高くて充実した時期の一つでした。この時に仲良く過ごした友人でした。
このとき、僕は悪い意味で自分勝手でした。それは僕自身の迷いが原因だったのかもしれませんし、心も体も充実していた慢心が態度に出ていたのかもしれません。

決してそれが悪い思い出となっているわけではありませんが、不誠実な態度の数々も、この時期の友人たちにはあったのかもしれません。

と、色々言ってますが、要するに知らなくていいことを知りすぎてるのがこの友人でもあります。

彼とつきあい始める1年ぐらい前から交流が始まり、彼と知り合ったときも紹介をしました。その後何となく疎遠になって年に1回~2回程度会うぐらいとなっていました。僕としては、このぐらいから仕事が忙しくなったことや、彼との交際が安定していたために、あまり積極的に友人との飲みをしなくなったということもあります。

久々にする連絡が、ゲイタンバーのお誘いだったので、僕はおそらく無視されるのではないかと思っていました。虫がよすぎますよね。しかしながら快く誘いに乗ってくれて、お店に来てくれたのです。

昔からの僕を知っている友人は、今回のお店形式を僕が一応の主催をすることについて、「かお。が、どのように立ち振る舞うのか興味があった」と言っていました。

確かに僕は細々とした作業は本当に苦手です。今回も例えばお店がオープンしてから、一度もカウンターの中に立ちませんでした。味見以外の料理はしませんでした。僕が行った作業は買い出しぐらいで、(しかも荷物はあまり持たず・・) オープンしてからも、交流をするよりも、ずっと買い出しやらそのほかのことをしていました。

お皿を片付けたり、コップを下げたりということは、ほとんどしませんでした。確かにそれをやろうとしても、できなかったと思いますが。
そういった姿をみて、友人は「皿を片付けたりコップを下げる姿が想像できなかった」といい、「なるほどそう立ち回るのか」というようなことを言っていました。

僕は寄せていただける善意はすべて受け取りたいと思っています。だから当日、みんなが色々な作業をやってくれて、また時には参加者として来てくれた方が手伝いをしてくれて。そういった交流もありではないかと思っています。
もちろん僕は不公平は大嫌いなので、企画者の人も、参加者の人もすべて同じ料金設定で飲み食いをしています。

今回のゲイタンバーは、ブログやTwitterでの交流の人がほとんどです。そのため、比較的ここ1年ぐらいの最近の僕しか知りません。だからこの友人から語られる昔の僕は、確かに連続している同一人物ではありますが、なんとも気恥ずかしい気がするのです。
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  2011/09/20    昔の話

僕は彼と知り合ってから、急激に太りました。その時のことは「幸せ太り」という記事を書いて紹介しました。

太っていた頃、スーツを買いにいきました。なにもそれは、今までのスーツが履けなくなったとかでは無く、単純にそういう時期がきたからです。僕はスーツとかそういうのには無頓着なので、あまり気にしていません。ただやっぱり毎日履くので、どうしても痛みは早いのです。

僕は当然のことながら、オーダーで買うわけはなく、吊るしと呼ばれる、既製品を購入します。スソやウエストの部分を調整してもらうだけで購入できるので、お手軽ですし、なにより価格も安いのです。

今は細身のスーツが中心のようです。特に僕ぐらいの年齢であれば、パリっと細身のスーツを着こなし、身体のラインを出す。そういう考えのようです。僕も細身のスーツのほうが若々しい感じがするので、それがいいと思っていました。そして僕の身長などに合うサイズを探したのです。

身長を中心にさがすと、上着はまあいいのです。腕の丈などはちょうどいいですし、肩幅も僕が快適と思えるサイズになっています。

しかしウエスト。これがマズイのです。どう頑張っても入らない。店員さんに相談しながら、商品を選ぶのですが、当時は僕も太っていたので「こちらの商品ですと、目一杯調節しても、5cmぐらいです。」と。「5cm調整しすれば、ギリギリOKって感じかもしれないです」そのように言われてしまいました。

もちろん僕はこの時にはダイエットの固い決意をしていました。していましたが、この出来事はとても大きな衝撃を受けました。太っていることを実感するタイミングというのは意外に少なく、せいぜいお風呂に入っているときにかがむとおなかが出てくることぐらいでしょうか。当時の僕の体重であれば、裸で鏡の前に立ったとしても、そこまでひどい状態ではなかったと思います。

このスーツを購入して、最初の3ヶ月ぐらいは怖くて着ることが出来ませんでした。もしまだ着れなかったどうしよう、と。
結果・・・数ヶ月後にはちゃんと痩せたので着ることができるようになりました。

1年ぐらいが過ぎて、また新しいスーツを同じお店で購入することになりました。この時は、吊るしのスーツを選ぶだけで、ウエストの調整は必要ありませんでした。
僕はこの経験から、やっぱり太るのはとても恐ろしいことだと未だに恐怖しているのです。

と、この記事を書いたのは結構前のことです。最近はまた少しずつ太ってきたのでやっぱり恐怖しています。
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  2011/07/25    昔の話

僕の年代。
30代=1980年代生まれは、思春期のころに女子高生、ブルセラ、援助交際という言葉が使われ始めた時代でもあった。

そしてそれは、もちろんゲイの世界も無関係ではない。女子高生がパンツを売るのであれば、ゲイもそう。パパがお金とともに肉体を求めるのであれば、それはゲイの世界も同様である。

もちろんゲイのコミュニティの中で高校生というのは相当人数が少ない。そのため実際には大学生~20代前半ぐらいまでがその対象になるのだろう。

僕はこの世界に入る前から、どうにも年上が苦手で恋愛の対象や、それをにおわすような関係になることは不可能であった。しかし友人の中には、年上が好きということもあったり、何よりも若いときは常に貧乏であった。そういった事情があって、肉体と金銭を交換するという話を聞いたことがある。

何をもって後ろめたい行為とするのか、非常に難しいところがある。たとえばずっとずっと年上の人、、、父親ぐらいの?、、、という人に食事をごちそうしてもらう。そのようなことは、たとえ下心や不純な動機があったとしても、食事を食べるということのみにおいては、問題があるのだろうか。
若い子は空腹を満たすことができ、パパは有意義な時間をわずかな金銭で満たすことができる。もしそこにちょっとした違和感があるとすれば、年齢差がありすぎる、ということだけである。

ゲイは多様であるから、いろいろな行為が金銭の対象となることがある。たとえばセックスにしても、最後までする場合、手だけの場合、口だけの場合、、、しかもそれは、してもらう場合もあれば、させてもらう場合にも価値が生じる。あまり適切な例では無いかもしれないが、援助交際の場合「させてもらう」ことが目的であり、してもらうことは主たる目的ではおそらくないだろう。しかしタチ・ネコという役割に応じて、求める内容も違う。
聞く話のほとんどは、してもらうのはOK。だけどこっちからするのは抵抗がある。というのが多かったように思う。

金銭は相場もあるようだけど、なんかそれぞれみたい。

僕の場合。僕はやっぱり無理だ。新宿の飲み屋で、かつて足を触られたりだとか、肩に手を回されたりだとか、そういったことがあった。しかしそのような行為のどれも、僕は嫌悪感を感じるのである。もちろん冗談で触ってくる場合と、明らかにいやらしい感じの時の違いがあって、嫌らしいときの感じは何とも言えない嫌悪感である。

だからかつて何回か、義理などで食事をするようなことはあった。だけどもちろん金銭の授受も肉体の提供も一切不可能であることを僕は知った。
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※奥にちらりと映っている人は彼がタイプらしいです。

  2011/07/08    昔の話

ゲイの出会いは多様である。僕は「パソコンが得意」と行ってもいいかもしれないが、それを理由として出会ったことは一度もない。困っていれば助けることはあるかもしれないが、基本的には頼まれたこともないし。助けるようなシチュエーションになったこともない。

しかしいくつかの職業は、それだけで募集の理由になる場合がある。

それが今回の霊感の話。
※くれぐれもこの話は、そういうことがあったというだけで、詳細についてはわかりません。

出会い関係の掲示板を見ていると、非常に切羽詰まった内容の募集があった。
「とても困っています。霊障関係に詳しい方お願いします。霊能者・イタコ関係の方いませんか」と。

もちろん僕はこの出会いの対象外である。だけど非常に興味深い内容だともおもった。

通常の出会いであれば、身長・体重・年齢がまずは記載され、自分の特徴を書き、望んでいる希望を書くのである。昔よくあったのは、土日が休みじゃないので、そういう人が希望とか、たばこを吸わない人とか、スリムとかがっちりとか。

そういうのが普通は書いてある。たまにフェチということで、ユニフォームが好きとか、競パンがいいとか。
映画見ましょうとか、サッカー、テニスやりましょうとか、とにかく常識的な文章とともに募集されているのである。

その中に一つ、霊障関係に詳しい霊能者を募集しているのだ。異質なことが分かると思う。

そもそも強い疑問がある。
もし僕が霊関係の仕事をしているとして、その募集に注目するのだろうか。それは仕事のチャンスとして見るのか、それとも困っている人の相談として見るのか。少なくとも友達や恋人関係は期待できないだろう。

掲載する方もする方だと思う。そこで応募してきてくれた人に何を相談したいのだろうか。それはゲイの掲示板を利用しなければならないようなことなのだろうか。

とにかく疑問はつきないのである。
この手の書き込みは僕がデビューしてから定期的に見ていたと思う。そう考えると、一定数困っている人がいるというのだろうか。
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  2011/07/06    昔の話

僕は特に気を遣っていなくても、あまりゲイバレすることはない。それは僕自身が男性的で男性だからっていうのがある。ゲイの中には女性的男性もいるので、その場合は気づかれる可能性が飛躍的に高まる。

相当に酔っぱらうと、「彼女」と言うべきところを「彼」といってしまうので、それはアブナイと自覚しています。

さて、今日は気づかれたときの話。

僕と彼が一緒にいる状態で、僕たちがゲイだと言うことを知らないシチュエーションというのは非常に少ない。僕の一般的な友人に彼が会うことは今のところないし、その逆も少ししかない(大学祭などで彼の研究室の人と会うことがたまーにあるぐらい)

そうなんだけど今まで彼の実家に遊びに行ったことがある。(行ったことがあるというよりも毎年行ってます)

そのとき、彼と同年代ぐらいの親戚の子が来ていた。この子に気づかれたのである。(若い子はすごいと思った瞬間でもあった)

いつもの通り、そして遠慮知らずな僕は彼の実家でも、彼を差し置いて彼の家族と泥酔していた。そのときの記憶は非常に曖昧で、そこで気づかれるような何かがあったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

このときは親戚の子も特に僕たちのことは友達同士ということで認識していたように思う。

東京で会ったとき、親戚の子と彼が仲良くしゃべっていた。そのときに、僕の表情を伺うように、チラチラとこっちを見ている。このとき、「あぁこの子には気づかれてるんだな」そのように思った

もちろんそれだけなので、僕の勘違いかもしれない。でも確信に近い気持ちである。

僕はとくに隠す必要も無いと考えているし、その親戚の子も態度から察するに別に何とも思っていないようだし、そもそも今の大学生であればゲイにたいする抵抗も少ないと思う。
意図せざる形でバレてしまったことは若干問題があるが、態度が変わらないところを見ると、やっぱりカミングアウトは敷居が低いのかとも思うのである。
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  2011/06/17    昔の話

出会いをしてトラブルになったことはありますか?僕は今まで大きなトラブルはありません。しかし細かいのは数回だけあります。僕はフィルターが厳しいのか、あまり変な人にはあわないので、とても安心しています。僕の選択方法であれば、簡単に会うことは出来ないかもしれませんが、会ってしまえばいい人がほとんどでした。

中にはレイプだったりだとか、泥棒まがいのことだったり、ストーカーなども。そんな酷い人もいるんだなぁという話を聞いたことがあります。だからやっぱり油断はできないと考えなければならないのでしょう。

僕は今まで、すぐに思いつくトラブルが2回ほどあります。1回目も2回目もまだ最初の頃です。1回目の時は本当にひどくて、事前に交換していた画像と本人がまったくの別人でした。そして顔の半分は隠れるであろうサングラスをしていました。今でもその時の印象は強烈に覚えています。
お茶をするという事で駅で待ち合せをして、写真と違うことにびっくりしながらも短い時間を一緒に過ごしました。サングラスは「一応まだ信用できないので」ということでした。
お茶が終わって、「さぁ」と、僕としてはもう精一杯だったので、そのまま帰ろうとしました。すると「待って」と。まだ遊びたいだとか、もう会わないつもりでしょ。とか相手は言うのです。
簡単な引き止めとともに、他愛もない会話を交わすことはよくあることです。礼儀としてもそうですし、「もう会わない」ことと「今すぐ立ち去りたい」とはまったく関係ありません。最後まで礼儀正しくちゃんとした会話をして、なるべく早くにお別れをしたいと思っていました。

しかし全然解放してくれないのです。「○○に行きたい」とかそんな感じ。しぶしぶそれに付き合っても、また次の場所で、次は○○・・・という感じ。当時夕方から授業のあった僕は「もう学校だから」と言っても、聞く耳を持ってくれませんでした。この時にはさすがに怒りと同時に恐怖を感じました。
解放するようにお願いしても、いくらお願いしてもダメでした。結局しつこく、口論のような状態で半ば強引にお別れをしました。この時が、今までの経験を含めても最も大変でした。

次は、「がっちり」と自称する人でした。この頃はまだ僕の考えもハッキリしておらず「がっちり」という表現に疑問を持ちつつもNGではありませんでした。そのため会ったのですが、デブでした。ごめんなさいをすると、軽くドライブという約束が、「じゃあここで降りて」となったのです。まだ都内だったので問題はありませんでしたが、とても驚きました。
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  2011/06/01    昔の話

ドラァグクイーンをご存じだろうか。僕は派手な女装をしている人だと理解している。実際にはパフォーマンスをされる人もいるので、必ずしも一概には言えない。(詳細は wikipedia などで調べてください)

僕は今までドラァグクイーンの人が身近にいたことはない。その風貌などで近づきがたいというのもあるし、もちろん友人でもそのような人はいなかった。
そんな僕だけど、今まで一度だけドラァグクイーンと絡んだ事があり、そのときの事は一瞬の出来事だったが、今でも強烈に印象に残っている。

その日、友人と共に遊んでいた。中でも一人強引な友人がいて、ある意味では非常に強力なリーダーシップと共にどこに行くか、何をするのか決まっていった。新宿2丁目を歩いているとフライヤーを配っている人がいて、クラブに行くという流れになった。

そこでは舞台の上でDJの人が音楽を流していた。スタッフの人がお酒を持ちながらいろいろな人に配っていた。スタッフは僕の所に来て、肩をトントンとする。音楽が騒々しい中 “お酒は飲める?上向いて口を開けて” と、しきりにジェスチャーで表現してくる。

「いやいやお金払ってないしいいよ」とジェスチャーで返すが、”飲めるなら早く早く” ということでせかしてくる。上を向いて口を開けると、直接お酒を口に注いできた。(どうやらサービスだったのかな?)
一緒に行った友達がほとんどお酒をのまかったので、標的にされてしまったようである。

他にもしきりにシャツを脱がしてきた。「オレはいいから友達にやって」といっても、お構いなしである。結局上半身は裸になって、酔っぱらって・・・という状態だった。

そうこうしていると、舞台の上ではドラァグクイーンがステージを始めた。歌やらトークやら大変すばらしく、パフォーマーとして一流だったと記憶している。

そんなパフォーマンスを一通りみて、また2丁目をぶらぶらと歩いていた。遠目に先ほどのドラァグクイーンが見えて、「あー。さっきの人だ」なんて話をしていた。すると向こうもこちらに気づいたようで、「あんたたち!ちゃんとまた戻りなさいよ。途中で抜けてくるなんて許さないわよ」などと言われてしまったのであった。

僕は大変驚いた。こちらから向こうを認識できるのはある意味で当たり前である。しかし舞台の上に立っている向こうから、なぜこちらを認識できるのか、と。
もちろん物理的に僕たちを見つけることはできるはずだ。むしろ舞台の上なので見つけやすいかもしれない。しかし僕たちグループはたくさんいるお客さんの中の一人。それを考えるとすごいことだと考えている。

ドラァグクイーンは油断できない!というのが僕の結論。
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  2011/05/27    昔の話

付き合った人でその人の性格が変化する。ということはよくある。身を置いた環境で、性格が変化するというのもよくある話。

例えば友人がみんなタバコを吸ったりお酒を飲んだりすれば、自分もそうなる可能性が高いし、逆に勉強をたくさんするような環境にあれば、そうなるかもしれない。幸せな環境に身を置くか、そうじゃないかというのは、本人の努力とは別にとても重要であると考えている。

僕は昔から同年代~年下の交流が多い。とはいっても友達がそこまで多くないので、狭い範囲ではあるが。
しかし例えば大学生の頃に知り合った20歳ぐらいの友人となれば、今はもう26歳ぐらいなので、それなりの大学生活の結果というのが出ている。すごい人生の第一歩を歩みだしたと思えるような人もいれば、逆にずいぶんと印象が変わってしまった人もいる。

例えば。当時大学生だったその友人。お酒を飲むことはあまりしなかった。常識の範囲でしか飲まなかったし、失敗などは皆無であった。言葉遣いもごく普通の大学生であった。交流範囲の変化なのか、今ではすっかりオネエになった。別に今では仕事もしているし、全く問題はないし、むしろすごいことだと思う
だけど、知り合ったときの性格を知っている僕としては、オネエになって、仕草や考え方が女性になって、それが決して冗談ではないという状態がとても驚きである。

例えば。当時大学生だった友人。僕と同い年で、違う大学ではあったが、同じ学生同士ということで、頻繁に遊んでいた。そしてその友人は、お酒がキッカケなのかわからないが、今でも諸事情で大学生をしている。知り合った時のままいけば、おそらく今頃は就職をしてるだろうし、転職もしていたかもしれない。そう考えると、とても驚きである。

大学生はやはり変化が多い。僕が大学生の時に知り合った、同年代の友人は、知り合ったときの印象とは違う何かをしていることも多い。
一方で、知り合ったときに働いていた同年代は、今でも同じ職に就き続け、未だに当時と同じような生活をしていることが多い。
そう考えると、大学生というのはとても変化が多いと感じるのである。

ちなみに僕の話。大学生の頃、ほとんどの友人に「お前は会社に向いてない」そのように言われ続けていました。たとえ働いてもすぐ辞める、と。
でも僕はちゃんとこうやって頑張っているので、やっぱり大学生の頃の印象とは違う何かをしているもんなんです。
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