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2011/04/07 微エロ
変態と言われてしまうという記事の中で、オナニーについて少しだけ書きました。これについて、ちょうど新しいことの始まる4月でもあるし、もう少し詳細を書きたいと思います。若干性的な事を書くつもりですが、おそらくエロ的な要素はほとんど無く、僕に対する性的な意味での嫌悪感を生じさせることにさえなるのかも知れない不安が若干あります。が、いつもの他の記事と同様に、斜に構えて、あまり力を入れずに読んでもらえればと思います。
何か新しい事を始めるというのは、とても緊張します。学生であれば、新しい学校に通うことや、新しくアルバイトを始めるときがそうでしょう。社会人であれば新しい会社で働き始めたりということもあると思います。
また、そういった「新しいこと」を始めなかったとしても、旅行で全く知らない場所に行ったときなどは、ある種の緊張を伴っていると思います。
そして最初は大変緊張していたそれらの場所も、慣れていくことによって全く緊張しなくなります。これはもう当たり前のことです。
僕はこの、緊張しなくなりはじめた頃に突然新しい気持ちが芽生えてくるのです。それがその場所で「オナニーしておこう」という気持ちなんです。これは “したい” という積極的な気持ちよりも、とりあえず “しておかなくちゃ” というやや消極的な気持ちの方が強いのですが。
なんでそのような気持ちが出てくるのかは正直分かりません。それがいつ頃から思うようになったのかも覚えていません。たぶん溜まっている状態で、バイト先などに行ったときに我慢できなくて・・・というのがキッカケだとは思いますが、今となっては全くわかりません。
何となくではありますが、顔射の気持ちと通じている部分があるのかもしれません。物理的に直接汚すわけではありませんが、精神的なものとしてというか。
そのためどこかの施設に行くと一通りしたいという気持ちが出てきてしまいます。
しかしこの部分ですが、最近は性欲の衰えと共にこの気持ちは無くなってきました。一瞬頭の中に出てくることがありますが、実際に行動に移すほどの欲求ではなくなりました。
この行為、とりあえずほめられたことではありません。しかしこの気持ちはなんとも表現できない気持ちです。なんでなのでしょうか。
2011/03/23 微エロ
今まで何度となく書くことを予告してきました。しかしながら過去にも似たような経験をしていますが、気分ばかりが高ぶる記事というのは、どうにも満足のいく記事がかけないのです。さらに楽しみは最後に取っておく僕の性格もそれを助長し、今まで書きたい気持ちとは裏腹に、書くことをなんとなく避けていました。
しかしながら最近、Twitter等々でも僕のキャラが浸透しつつあり、各方面からご連絡をいただく際に、顔射のイメージが若干先行し始めている感じがありました。とにかくなんでもぶっかけるのが好きなんですよね。見たいな感じ。
ということで、改めて僕の顔射に対する熱い想いを記事にしたいと思います。
最低限の知識については、Wikipedia などの記事をご参考にお願いいたします。とりあえずここでは、顔にかけるという表現に留めたいと思います。
僕自身のこだわりとしては、顔にかけるといっても、ちょうどアゴの下から、おでこのあたりまでにスッと上品に飛ぶのがもっとも理想的です。縦に直線だと鼻に入る事があるので、左下や右下のアゴのあたりから、対角線上に飛ばす。この方法だと、顔の中の重要ないくつかのパーツを避けつつ飛ばすことができ、行為後のコントラストが一段と映えるのです。
目はつぶってて、口はうっすらと開いているのが理想です。
と、理想型はこんなにあっさりと書き終えてしまうことが出来るほど、シンプルです。しかし理想に近づけるのが難しい。
例えば失敗例として、でない・飛ばないというのがあります。あまり興奮していないときなどや、自分で処理しすぎている場合、飛ぶほどでないということがあります。これでは正直なところ僕としてはまったく満足できません。(もちろんこれは僕自身に起因していますが)
一方で、興奮しすぎて予想以上に飛びすぎてしまう場合もあります。(そして意外とこの失敗が多いんです) 誰もが髪にかかることを嫌がります。そして僕も嫌がるようなことをしたいと思っていません。後処理のこともあるので、なるべく限られたスペースに着地させたいと思っているのです。しかし興奮の度合いと飛距離というのは、生理現象でもあるためなかなかコントロールが難しい。平均的なことを考えながら落とし所を探るのですが、飛びすぎてしまうことはよくあります。
上記が主に僕に関する失敗の要因です。そして相手方の原因による失敗もあります。
多いのが、拒否するために顔を動かす場合です。斜めに飛ばすことを予定しているので、顔を動かしてしまうと、直線になってしまうことがあります。すると、着地面の距離を稼げないので髪につく可能性が増えます。鼻に入ってしまう可能性もあります。放物線を描きながらの着地ではなく、下方に向けての行為なのでどうしてもそうなってしまうのです。
いきなり前触れも無くかけるような事はしません。必ず本人の許可を得て、なおかつ最近は上記のとおりなので諸注意も述べつつ行為が開始されます。特に顔は動かさないってことは重要です。(もちろん目はつぶって、できれば口は少し開けてという説明とともに)
僕は嫌がることをムリヤリするのは好きではないので、かならず同意を得る必要があります。もちろん渋々という場合もあるのですが、僕としては許可が得られれば、渋々・いやいやであっても、そのようなことは気にしません。
そもそも僕がこの行為を好きになったのは、明確な記憶は無いのですが、少なくとも大学生の頃にさかのぼります。大学生のころ、友人との会話でかけるのが好きだという話をした記憶があり、またその友人とは今でも付き合いがあるので、「あいかわらずかけてるの?」という話を蒸し返されることがあります。
何かキッカケがあるのかについては全く僕にはわかりません。行為自体は征服欲を満たすとか、そういう側面もあるようです。しかし僕の場合は正直なところ、あまりそのような感じはありません。どちらかと言えば、汚したいという願望が強いように思います。ゲイ男子の場合、まず間違い無く清潔感に溢れますし、僕のタイプは可愛い子なので、肌は水々しく、破裂せんばかりです。そういう汚れを知らない状態を汚したいという願望は確かに強いかもしれません。
行為はどの程度興奮するのか。僕としてはとても説明が難しいです。正直なところ、かけられる対象の相手は、ただ待っているだけです。この状態は理性的には恥ずかしいです。なんとかそれを乗り越える必要があります。
興奮という意味では、正直なところ何がいいのかはわかりません。ただ一つだけ言えるのは、想像以上に飛距離が出るんです。ってことはやっぱり相当に興奮していることはおそらく間違い無いと思います。
意識している興奮と、無意識の興奮が入り混じるところが、この行為を魅力的にしているのかもしれません。
ー ー ー ー ー ー ー
行為をお願いすると、まず100%嫌がられます。ある意味ではこの拒否されることも行為の重要な1要素です。どうぞどうぞ、と言われてしまうのは、重要な何かを、僕と相手共に失っていることを示します。
拒否されて、その理由を聞いて丁寧に説明をして、納得ないしはしぶしぶ了解してもらう。このプロセスがとても大切です。
そして行為を行って、顔を拭きながら感想を聞く。たいていは飛び過ぎとか、やっぱり嫌だとか。否定的な言葉と共に。そして僕は1回目は、単なる通過点であると説明をしています。とりあえずイヤな気持ちはわかるけど、10回我慢してほしい、と。10回我慢し続けると、顔にかけられる行為に慣れてくる場合と、それでもやっぱりイヤな人に分かれます。そこまでの状態で判断されたのであれば、ぼくも本望です。
万人にオススメできるスタイルではありません。確かにそうです。でも僕はとても好きなのです。
2011/03/23 微エロ
今まで何度となく書くことを予告してきました。しかしながら過去にも似たような経験をしていますが、気分ばかりが高ぶる記事というのは、どうにも満足のいく記事がかけないのです。さらに楽しみは最後に取っておく僕の性格もそれを助長し、今まで書きたい気持ちとは裏腹に、書くことをなんとなく避けていました。
しかしながら最近、Twitter等々でも僕のキャラが浸透しつつあり、各方面からご連絡をいただく際に、顔射のイメージが若干先行し始めている感じがありました。とにかくなんでもぶっかけるのが好きなんですよね。見たいな感じ。
ということで、改めて僕の顔射に対する熱い想いを記事にしたいと思います。
最低限の知識については、Wikipedia などの記事をご参考にお願いいたします。とりあえずここでは、顔にかけるという表現に留めたいと思います。
僕自身のこだわりとしては、顔にかけるといっても、ちょうどアゴの下から、おでこのあたりまでにスッと上品に飛ぶのがもっとも理想的です。縦に直線だと鼻に入る事があるので、左下や右下のアゴのあたりから、対角線上に飛ばす。この方法だと、顔の中の重要ないくつかのパーツを避けつつ飛ばすことができ、行為後のコントラストが一段と映えるのです。
目はつぶってて、口はうっすらと開いているのが理想です。
と、理想型はこんなにあっさりと書き終えてしまうことが出来るほど、シンプルです。しかし理想に近づけるのが難しい。
例えば失敗例として、でない・飛ばないというのがあります。あまり興奮していないときなどや、自分で処理しすぎている場合、飛ぶほどでないということがあります。これでは正直なところ僕としてはまったく満足できません。(もちろんこれは僕自身に起因していますが)
一方で、興奮しすぎて予想以上に飛びすぎてしまう場合もあります。(そして意外とこの失敗が多いんです) 誰もが髪にかかることを嫌がります。そして僕も嫌がるようなことをしたいと思っていません。後処理のこともあるので、なるべく限られたスペースに着地させたいと思っているのです。しかし興奮の度合いと飛距離というのは、生理現象でもあるためなかなかコントロールが難しい。平均的なことを考えながら落とし所を探るのですが、飛びすぎてしまうことはよくあります。
上記が主に僕に関する失敗の要因です。そして相手方の原因による失敗もあります。
多いのが、拒否するために顔を動かす場合です。斜めに飛ばすことを予定しているので、顔を動かしてしまうと、直線になってしまうことがあります。すると、着地面の距離を稼げないので髪につく可能性が増えます。鼻に入ってしまう可能性もあります。放物線を描きながらの着地ではなく、下方に向けての行為なのでどうしてもそうなってしまうのです。
いきなり前触れも無くかけるような事はしません。必ず本人の許可を得て、なおかつ最近は上記のとおりなので諸注意も述べつつ行為が開始されます。特に顔は動かさないってことは重要です。(もちろん目はつぶって、できれば口は少し開けてという説明とともに)
僕は嫌がることをムリヤリするのは好きではないので、かならず同意を得る必要があります。もちろん渋々という場合もあるのですが、僕としては許可が得られれば、渋々・いやいやであっても、そのようなことは気にしません。
そもそも僕がこの行為を好きになったのは、明確な記憶は無いのですが、少なくとも大学生の頃にさかのぼります。大学生のころ、友人との会話でかけるのが好きだという話をした記憶があり、またその友人とは今でも付き合いがあるので、「あいかわらずかけてるの?」という話を蒸し返されることがあります。
何かキッカケがあるのかについては全く僕にはわかりません。行為自体は征服欲を満たすとか、そういう側面もあるようです。しかし僕の場合は正直なところ、あまりそのような感じはありません。どちらかと言えば、汚したいという願望が強いように思います。ゲイ男子の場合、まず間違い無く清潔感に溢れますし、僕のタイプは可愛い子なので、肌は水々しく、破裂せんばかりです。そういう汚れを知らない状態を汚したいという願望は確かに強いかもしれません。
行為はどの程度興奮するのか。僕としてはとても説明が難しいです。正直なところ、かけられる対象の相手は、ただ待っているだけです。この状態は理性的には恥ずかしいです。なんとかそれを乗り越える必要があります。
興奮という意味では、正直なところ何がいいのかはわかりません。ただ一つだけ言えるのは、想像以上に飛距離が出るんです。ってことはやっぱり相当に興奮していることはおそらく間違い無いと思います。
意識している興奮と、無意識の興奮が入り混じるところが、この行為を魅力的にしているのかもしれません。
ー ー ー ー ー ー ー
行為をお願いすると、まず100%嫌がられます。ある意味ではこの拒否されることも行為の重要な1要素です。どうぞどうぞ、と言われてしまうのは、重要な何かを、僕と相手共に失っていることを示します。
拒否されて、その理由を聞いて丁寧に説明をして、納得ないしはしぶしぶ了解してもらう。このプロセスがとても大切です。
そして行為を行って、顔を拭きながら感想を聞く。たいていは飛び過ぎとか、やっぱり嫌だとか。否定的な言葉と共に。そして僕は1回目は、単なる通過点であると説明をしています。とりあえずイヤな気持ちはわかるけど、10回我慢してほしい、と。10回我慢し続けると、顔にかけられる行為に慣れてくる場合と、それでもやっぱりイヤな人に分かれます。そこまでの状態で判断されたのであれば、ぼくも本望です。
万人にオススメできるスタイルではありません。確かにそうです。でも僕はとても好きなのです。
2011/02/03 微エロ

乳首は気持ちいい器官であることを知っていますか。あなたの乳首は、あなたがなにもしないのであれば、決してあなたに報いてはくれません。しかし与えた愛情や努力に比例して相応の反応を示してくれるとても健気な器官でもあるのです。
乳首が感じる男の人は多いように思います。もちろん個人差もあり、くすぐったいだけだと言う人もいます。しかし大半は気持ちいいと言うのではないかと考えても問題が無いと思えるほど、大半の人は気持ちいいはずです。そういう点ではお尻とは明らかに違います。(おしりは諸事情ありますので)
生まれつき感じるようなエロの才能に溢れている人は別として、後天的に開発することがとても大切だと僕は考えています。僕が学生のころ、乳首は全く感じませんでした。触られているだけという感じで、別に触らなくてもいいよ。そのような場所でした。そんなことよりももっとダイレクトにアソコを触ってくれよ!と。
しかし今。僕にとって最も感じる場所の一つだという自覚があります。残念なことに誰かに開発してもらったわけではありません。そんな相手は悲しいことにいなかった。必要な時期に必要な環境が得られないのはよくあることです。結果的に自分で開発しました。
開発というと、さも大変なように思うかもしれません。しかしその方法は非常に単純なんです。恋人がいないときは、「右手を恋人」とすることがあると思います。もちろん恋人がいても、右手が恋人になる場合もあります。いや、左手が恋人か??
この時に一緒に乳首も触ればいいのです。ただ、ただそれだけです。最初は感じないと思います。というよりしばらく感じないでしょう。それにもかかわらずただ単に触っているのは、気が散るし継続は難しいかもしれない。しかも冷静に考えると、乳首を触りながらアソコも触るなんてなんだかすごくいやらしい。
しかし我慢です。何回か、できれば数ヶ月ぐらい。するとだんだんと乳首を触りながらでなければ感じ無いようになってくるはずです。物足りないというか。それを超えると、乳首だけで十分に感じるようになります。僕はアソコをどれだけ刺激されても声を我慢出来ないほどではありません。しかし乳首に関しては、漏れでてくる声を抑えきれないほど気持ちいいという自覚があります。気持ちいい種類は明らかに違いますが、声を抑えられないほどだといえば、少しはその気持よさ伝わるのではないでしょうか。かつてはSの恋人に乳首を触られながら「声を出すな」とよく責められたものです。
これを読んでいる人でまだ乳首が感じないと考えている人。ぜひ、ぜひ、乳首を触り続けてほしいと思います。その努力は必ず報われ、感じるようになるはずです。根気と愛情が乳首には重要なのです。
そうはいっても・・・そういう人は僕が開発を手伝ってあげますよ!
※この画像。非常にキライな画像の一つです。(画像を管理するときにアップNGに分類していたほどです)なんですが、とりあえず身体に関連するので、掲載しました。後で読み返してやっぱり納得いかない場合には他の画像(風景)に差し替えるかもしれません。
※先日からのランキングへのクリックを促す案内のおかげか、順位が大きくアップしました!!ありがとうございます。(僕としてはとても満足していますので、後は維持できるかどうかです)
※ 2011-02-08 追記
ラグナさんがこの記事を受けて、自身のブログに記事を書いていただきました。
Nipple Sensitivity ~ 快楽へのスイッチ:ラグナ君の天気予報
2011/01/19 微エロ

着エロという言葉があります。服を着ているのにエロイということです。もちろん一般的な着エロは相当にエロを意識して作っているので、裸かそうじゃないかという違いぐらいしかありません。そこまでエロを意識されていれば、何かで隠されているというのは、本当に些細なことでしかないと思います。
確かに着エロは僕の趣味としても、かなり良いと思います。モザイクもそうだけど、やはり想像力というのはエロの源泉だと思うのです。
しかしゲイ向けの着エロというのはほとんどありません。いくつか市販されているようですが、やはり全体としては相当少ないです。ジャンルも今はまだかわいい子やショタレベルであって、いわゆる主流の筋肉の人のそれはほとんど無いようです。(単に知らないだけかも?)、もちろん僕のタイプの範囲は、非実在少年から年下全般なので大歓迎ではあります。しかし市場としてのミスマッチは無視できません。
とはいっても現在発売されているコレはこれでとても素晴らしい。ゲイ向けのは見たことがありませんが、女性の着エロはサンプル程度だけど見たことがあります。そして大変素晴らしいと再認識した次第です。
しかし、いや、だからこそと言うべきか、ゲイ向けのそれが少ないことが非常に残念でなりません。
ただ、先日の記事の通りでですが男性は上半身までは脱ぐことの抵抗が少ない。しかも脱いでない状態というのは、着エロというよりもはやそれは着でしょう。要するに普通に服を着ている状態です。
僕は女性の着エロは男性にとっての「着」だと考えています。確かに女性を見た場合グラビアというとても素晴らしいものがありますが、男性の場合はどうしてもグラビア(水着)にはエロさがない。だったらいっそのこと服を着ていてもいいのではないかと。
男性に必要なオカズ。ビデオなどの直接的なエロもいいですが、たまには普通の状態をオカズにしてみるのもおすすめです。僕はビデオなども好きですが、HPなどに掲載されている、ごく普通の写真も十分オカズになっています。僕にとっての着エロはもはや着だと思っています。
というこの記事なんですが、僕は顔だけでオカズになるという重要な要素があると思います。以前オカズについて記事にしたときには、みなさん結構直接的なものをオカズとしているようでした。僕の場合これが顔だけで大丈夫です。そういう意味では、着エロといっても、まずは顔を見せてって言うことになるのかもしれません。
2010/12/29 微エロ

またまた性的な話。ええと。このブログは30代を迎える人たちに、これからみなさんはこうなるよ!っていう衰えとか30代ならではの新しい楽しさを発見して欲しい。そう思って書き始めた。
しかし実際には、なんだかオレのフェチ話とか性癖の話ばかりしているような気がする。まあいいや。そういう30代を迎えてからの発見についての記事はこれから増やそう。
エロいことしてますか?。興奮するようなことはありますか?。
自分で処理するときにオカズをどのように調達するのか、人それぞれだと思う。
DVDや雑誌などが一般的だろう。オレも “かつては” そうであった。しかし最近は、(といってもココ数年は) 漫画系がもっぱらのオカズである。
という話を友人にしたとき、「エロを極めると2次元になる」という趣旨の事を言われた。もちろんオレはエロは全く極めてない。しかし確かに一般的なエロには飽きが来ているのも事実であるような気がする。
例えばDVDだと一回見ると2回目からは、なんか違うってなりますよね。いわゆる抜きどころ探すのが大変になってしまう。
1本を見てもなんか今日はそんな気分じゃないなぁと言って次を探す。なんだかそんな作業にはむなしさを覚える。もちろんその時は興奮MAXなんで苦にならないんですが。金銭的な負担も出てくるし、保管場所の問題もある。部屋に友人も呼べやしない。
そこでオレは漫画に行き着いたのだ。ネットでサンプルのような程度でも十分満足で、また同人誌などで検索すれば(著作権が不明だが)無料で見られるのもある。しかしpixivではダメという微妙なラインである。
ちなみに、オレは漫画は何故かほぼ女性オンリーで抜いている。DVDはノンケモノ、ゲイモノ半々である。オレにとってオカズの性別は些細なことである。
漫画の良いところはオカズとしての息が長いということである。1回使って終わりという事はない。何回でも使える。そしてその時の気分によって抜きどころも微妙に変化する。これは非常に興味深い。
例えば今日は胸が強調されているページでしたかと思えば、次の瞬間には入れているところ。別なときには口の所。などなど抜きどころは多彩だ。DVDでは何故かこういうことは少ない。だいたい抜きどころは固定される。
ちなみに3次元のイケメンの画像でもOKなのだが、今日は2次元の話にとどめておこう。
2010/12/15 微エロ

そのため仕事とプライベートの充実はこのオカズの選定にかかっているといっても過言ではない。
何をオカズにするのか。それぞれのこだわりがあると思う。直接的なエロの表現がされているDVDや雑誌などは一般的だろう。もう少し下がったところで、エロが主たる目的ではないが、露出の多い写真が掲載されているものもオカズになり得る。遠い所では着状態の雑誌(ファッション誌とかもうこれは何でもOK)などを利用するようになったら、その人のことをオレはプロと認定したい。
また一部某氏によると声もオカズになり得るようだ。さすがにオレはオカズにしたことはないが。フェチと抜くという行為はどこか交差しないところがあるのかもしれない。
オレの場合。オレのオカズはまず男女は関係無いということが重要な前提である。だから一般に広く流通しているAVも使うし、もちろんゲイ向けのそれも利用する。男性の画像を使ったかと思えば女性のそれも使うことがある。節操が無いと言われればその通りだ。
さらに一歩進んだところで、着衣状態もアリ。顔だけがあればそれで十分にオカズになる。(本当は顔や身体の一部でもOKなんだけどまあそれはいいや)
オレのオカズの範囲というのは本当に広い。自分でもその自覚がある。
皆さんもブログに写真を掲載してぜひオレのオカズになってください。切実にお願いします。
2010/11/13 微エロ
先日より若干ノーマルではないと思われるような記事に偏っていたような気がする。そしてその強烈な表現が一人歩きすることも心配になってきたので改めて基本に立ち返りたいと思う。
おしっこやS/Mのことについて等、改めて考えれば若干行き過ぎたようにさえ今となっては思う。最近ではコメントを頂く年下の子などもいるので改めて順番に沿う必要があるだろう。
若いというのは時に順番を無視して急ぎたくなるものだ。行き急ぐこともまた魅力であるが、本人の幸せにつながるとは思えない。
ということで、今回もまた性的な話。
今まで色々とシチュエーションやプレイの詳細について書いてきた。読んでいる方には理解できることもあれば、理解できない事も。また経験が無い(もしくはしたくない)と言うことで判断がつかないことなど色々あったと思う。
オレもこれまでのことは単純に自分の趣味であり、読んでいる方のプレイ内容が広がればいいとは思うが、決して一般的だとは思っていない。
色々なプレイに手を出すことも、刺激を高める意味では良いことであるが、まずはノーマルのプレイを極めて欲しい。そのように切実に思う。ノーマルがたいしたことないくせに、何がシチュエーションか!なにが萌えか!と。
あなたがお酒が飲めるのであれば、次のように考えて欲しい。
ここに焼酎がある。色々な銘柄もある。色々な銘柄を試すというのは、性的な事で言うなら雰囲気を変える事であったり、若干プレイに変化を付けるという程度である。要するに焼酎のままで楽しむという基本はなんら変わらない。
しかし、焼酎に色々な割モノを試すようになったとき。これは性的な事でいうなら新しい、場合によってはアブノーマルな事を試す事に他ならない。
本当に焼酎を愛しているなら、ロックでたしなむように、性的にも同じことがいえるとオレは考えている。
ではどのようなプレイがいわゆるノーマルといえるのだろうか。この問いは非常に難しい。ただし言えるのは、大きな抵抗なく受け入れられる、自然発生的な行為をノーマルと言っていいのではないかと思う。
初めての時はともかくとして、恋人と回数を重ねて、場合によってはマンネリを感じ始めるぐらいの、悪く言えばワンパターンな。そのようなプレイ内容こそがとても重要である。道具はもちろんだめ、許される変化は、服装と体位と場所ぐらいであろうか。個人的にはローションぐらいなら使うのは許可します。
この状態で十分に満足する程まで極めて欲しい。大丈夫。お風呂ですることもできるし、時には「部屋のあらゆる場所を使ってする」という事もできる。服を着たままするのだっていいし、諸氏の永遠のあこがれである「お鍋吹いちゃうぅぅ」や裸エプロンもギリギリこの範疇ではないか。
要するにノーマルの範囲でまだまだやらなければならないことはたくさんあるのだ。にもかかわらず、すぐにプレイに走るのはオレは軽薄だと思わざるを得ない。
そしてある程度、ノーマルのプレイを極めたとき。その時には大いに新しい領域にチャレンジして欲しい。
2010/11/05 微エロ
先日、えずく姿を見たい。という記事を書いた。
このときにコメントで、「ノドを突いてえずかせてください」的なコメントをもらった。「えずく」という事に関連して、このフェ との関わりは非常に重要だと考えているので記事を書こうと思う。
オレはMだということをさんざん書いている。なのでMの立場からこの件について考察したい。
まず一般的なMというのは、そこまでノドを突かれるのは好きではないと言うことだ。考えなくてもそんなことは当たり前だと思う。だって苦しいだけだし。それにオレが見たいといっているえずく姿というのも、フェ の時にえずく姿ではなく、もうちょっと日常の中からそれを見たい。
しかしそれとは別で、行為としてえずく状態を利用しながらプレイを行う事ができる。えずくっていうことが話題の中心じゃなくなってしまいますが・・。
最初に書いた様にえずく状態というのは決して気持ちいいモノではない。しかしオレは自分のがでかいモノだと言うこともあって、いわゆるオレが気持ちいいと感じるほどまでくわえてもらうには、どうしても奥まで入れることになってしまう。すると相手の口が大きい、ノドまで奥行きがあるならともかく、結構すぐの段階でオエッってなることがある。相性がひどい場合など、さきっぽだけで苦しい場合もあるようだ。
さてMがくわえるときの話。「オエッってなる状態」が嫌いだと言うことに注目して欲しい。つまりオエッってなる「前」の状態なら全然問題無い。そこで、ここからが重要である。
必ずノドの奥まで入れるときにはゆっくりで、そして一度一番浅い状態から開始するのである。
例えば、普通にくわえてもらった状態で、急に浅いところまで抜いてしまう。一度口から離れても良いだろう。そして徐々に口の奥まで入れるのである。ある程度奥まで入れると、おぇってなるのだが、こうなったらすぐに口から出す。
そしてもう一度。
浅い状態まで持って行き、またゆっくり口の中に入れていく。するとMも学習している。また奥まで来る!と。
このときに、だいたい相手の子は上目遣いでこっちを見ながら、フルフルと首を振って拒否のサインを出す。場合によっては無理とか苦しいって言うかもしれない。この瞬間が最高に興奮する。苦しがっている状態を見てもオレはMなので興奮しないが、苦しくなる前の段階でお願いしてくる状態に興奮するのである。
時々、腰のあたりを押し返して、これ以上は無理って相手が言ってくる場合もある。このときは大変申し訳ないが手を拘束するしかない。
2010/10/29 微エロ
みなさんはオナニーをどのぐらいの頻度でしているだろうか。毎日1回という人もいるだろうし、もっと少なかったり、多かったり。色々あると思う。数少ない聞いた話では、全然やらな人と、普通にやる人、多い人と本当にまちまちだと思っている。
オレのオナニーであるがオレは回数が多い。セックスはあまりしないが、オナニーは頻繁にしている。
ちなみに回数であるが、わざわざ発表するのは大変恥ずかしいのであるが隠すことでもない。一日だいたい4回ぐらいである。
で、よくそんなにできるな、と思われた方も多いと思う。なんてことはない。2回が1セットなのである。
寝起きに2回。寝る前に2回。ということで4回。ね。結構簡単でしょ。
抜いたあと、賢者タイムといわれるむなしさと戦う時間が出てきてしまう。それに打ち勝つには、2回を1セットとするのがちょうどいいぐらいだとオレは考えている。
しかし問題がある。昔はオナニーとセックスは別腹であった。いくらやってもどちらも満足することは無かったし、本当に無尽蔵にチャレンジできた。
今となっては、「打ち止め」が出てくるようになってしまった。もちろん興奮の度合いとか、疲れなどの体調も大きく左右することではある。しかし今までは無条件で疲れていても、何回抜いた後でもという悪条件の元でも大丈夫だった時と比べてしまうとちょっとさみしい。
セックスは2回なんてことは無く、ちゃんと1回で大丈夫。満足の大きさが違う。人によっては抜くことでは満足できずに、セックスに走る人もいるが、どうやらオレはそんなこと無いようである。