「 ブログ 」 一覧
2011/07/26 ブログ

宝石というのはいつの時代でも人々の目を引いてきた。そしてそれは主に女性の目であった。
男性の中にある女性らしさ。それは何も女々しいというネガティブなことではなく、すべての男性が持ち合わせている部分でもある。たとえば僕は、全然女性的なところは無い。一切無いけども、かわいいのが好き。カメラをしまうバックにはリラックマが付いている。しかしこれをもって、ゲイ特有のナヨナヨではないと僕は考えている。そういう一部の部分をのぞけば僕は完全に男性なのだから。
彼の話。スワロフスキーという宝石?があるらしい。もちろん僕はそれを彼に教わるまで知らなかった。それはガラスを宝石のように加工したもののようで、必要以上にきらきらしていた。
そして彼が言ったのである。「昔こういうきらきらした宝石の前から動かなかったらしいよ。ずっと見てたんだって」と。彼が小さかった頃にきらきらしたもの、、、とくに宝石などの前では、立ち止まっていつまでも見ていたらしい。
彼は子供の頃から、非常に女々しさを持っていたように思う。話の端々でそれを感じる。
たとえば僕は男女の兄弟である。通常年齢の近い兄弟の場合、けんかにならないように、男性用のおもちゃ1つ、女性用のおもちゃ1つ。ということで、絶対に違う種類が2つ渡される。僕はロボットだったし、妹は人形や折り紙だった。同じモノが2つということもなければ、両方に使えるようなおもちゃがプレゼントされることも、非常に少なかった。
もしそのようなことがあれば、けんかになって、泣きわめくような状態になるのは、火を見るよりも明らかである。
しかし彼は違ったらしい。ロボットなどには目もくれなかったそうだ。折り紙や人形を好んだようだし、それらで姉と一緒に遊んだらしい。
遊ぶのもそう。男の子は、そして僕は野球やサッカー、ドッチボールをすることがほとんどであった。しかし彼はままごとや人形遊びをしていたらしいのである。女の子に混ざって遊んでいたというのだから非常に驚きである。
きっかけ。というのを一度は書いてみたい記事でもある。しかし、こういう彼の話を聞くと、結局のところ先天的であったのではないかと僕は考えてしまうのである。
2011/06/25 ブログ

まだこの記事を書くことについて、適当な時期ではないかもしれない。そう考える自分がいる一方で、一度「終わり」について書いておくことも必要だと考えてもいる。
このブログは、もともと30歳になって今までの自分を振り返りたいという目的で書き始めた。過去のことに焦点を当てた記事を書くのは、非常に楽しいことであった。かつての自分を改めて考えると、自分自身がどのように考えどのように行動したのか。色々と思うところがあった。
記事を書いていても、一つを書き上げるとそれに関連したほかの事を書きたくなり、どんどんと書くことができた。その結果、記事のストックは常にたくさんあった。もちろん性的な内容から、家族のこと、生活、恋人・・・。たくさんまとめておきたいと思った。
最近になって、書きたいと思う記事をだいぶ書けたのではないかと、自分の中で満足感がでてきた。もちろん記事を書くペースも、仕事が忙しいという理由は多少あるにしても、昔に比べると減ってきた。モチベーションの低下などでは全然無くて、書きたいことが書ききったという感じ。
もちろんまだストックもあって、しばらく最終回は先になりそう。だけど、たとえば読者の方がチェックしているであろう他のブログと違って、いつまでも続くわけではないということである。何となく終わりというのはネガティブなイメージを感じやすいが、決してそうではない。何かが始まったときには、それをどう終わらせるのか、難しいけどとても大切な事でもある。
もちろんそうはいっても、日々読んでいただいている200名前後の読者の方がいるので、「書ききりましたハイ終わり!」ということにもいかないだろう。なるべく細々とであっても、続けていきたいという思いはある。
閉鎖ではもちろん無い。しかし更新の頻度を毎日というわけにはいかないのではないか。
いきなり最終回でサプライズにすることもできたが、「ノーサプライズ」驚かせないのが僕の信条である。すべての情報は公開し、判断は皆さんにゆだねたい。
とりあえずの区切りは、ブログを始めて1年か、年内いっぱいだろう。一応それまでは書くことが無くなったとしても続ける予定。書くことがまだまだ残っていた場合はもちろん、それ以降も続ける。しかしいずれは終わりにする。
突然の最終回で驚かせないためにも、とりあえず今の考えを報告しておきたい。
そしていつになるかわからないが、最終回はそう遠くない。それまで僕は今まで通り全力で記事を書いていきたいと思う。
2011/06/11 ブログ

経験を積んでいる30代は打たれ強い。それに魅力的だ。
誤って経験を積んだ30代は打たれ弱い。そして魅力もない。
30代というのは、20代とは違ってすごく残酷だけど人柄がすごく滲み出ることになる。その理由は単純。
20代に何をしてきたのか、その結果が30代なのではないかと振り返って思う。たとえそれは、密度の濃い20代を送ったとしても、逆に薄い20代だったとしても、ある種の「気づき」を持っているのかどうか、が30代の本質的な魅力なのではないかと考えている。
30代というのはみんな打たれ強い。それは20代の頃のような無防備な距離感に人を入れないということかもしれないし、さんざんイヤなことがあって達観したのかもしれない。しかしこの打たれ強さというのは魅力に感じる。ただし信用しない人とか、疑い深い人という意味ではないので注意。
ゲイの世界では、年齢の基準は相当に大きいということをかつてさんざん書いた。自身がどう思うかではなく、業界がどうなっているか、という話なので、それは仕方のないことだと思う。そして僕はどちらかといえば、虐げられる年齢にさしかかった。
僕のような年下好きというスタイルを持っている30代のみんなが僕と同じような考え方では無いと思う。しかし年下好きの30代はあつかましいぐらいがいいのではないか。そしてそうであるならば、年下の基本的なスタイルとしては、30代は無視というのが正解の気がする。
経験を積んだ魅力的な人間は、過去の例から一人だけを追いかける事によるリスクを知っている。そしてその人が色々な人に声をかけている可能性は高い。
だから狙われた年下のスタンスは無視でいいのだ。無視をして、それでもしつこく食い下がってきてから初めてコンタクトをとるような。
もちろん魅力的な人からの連絡を無視することは辛いと思う。しかしそれは30代だって、魅力的な年下だと考えていたら必ず食い下がってくるし、食い下がるべきだと思う。そうじゃないなら、その後に幸せが待っているのか疑問がある。
じゃあ。僕自身はどうなのか。声をかけるという部分についてさえも、あまり積極的ではない。だから自身の場合は無視されたらそれっきりになってしまう可能性は高い。でもそれでもいいのだ。「とりあえず無視する」というスタンスを取る年下の子とうまくやっていく自信は無いのだから。
2011/04/10 ブログ
昨日、ボイスブログを普段コメントを頂くゆず茶さんと行いました。これを企画するに当たって、いくつかの相談を行い、今回のような形になりました。いくつかの感想を残しておきたいと思います。
■録音前に思っていたこと
・内輪ネタは避けたい
・テーマを設けて10分を目安として話をする
・編集はしない(面倒)
■収録後に思ったこと
・話をするのは楽しい(聞き手はどうだろうか。すごく疑問)
・10分ちょっとがちょうどいいかも。15分以内っていうのがベスト?(聞き手には長い?)
・編集はやっぱり必要ない。
・今回はボリュームのバランスが悪かったかも。
・声が重なる時があるので聞き苦しい。
・笑い声がたまに気になる(僕だけ?)
・テーマは合っても無くても一緒?(聞き手はどう思うだろうか)
・ゆず茶くんが内輪ネタに持って行きすぎ
僕はすでに自分で録音しているので、なんと言うか緊張はしません。また自分の声を聞くことにも抵抗はほとんどありません。しかしゆず茶くんは初めてのことでもあり、また彼は編集を期待していた感じなので、じゃっかんチグハグなのがあるかもしれません。
あと、僕のお酒の話が相対的に多いので、これはみなさんのコメントでぜひ彼に向けてクギをさしてほしいと思っています。
僕はブログには時間をかけないということを信条としています。そうしないと長期的な継続は不可能ですから。そのため、編集はあり得ないことです。そこまで時間を費やす必要があるならば、継続という重要な目標のために録音を諦めなければなりません。そのため、編集はしません。ボツにするか公開するかです。(しかしボツにするのも大きな時間の損失なので、よっぽどなことがなければ公開したいと思っています)
実際今回録音したのは4つともすべて無編集で、ボツにしたのは一つもありません。
2011/03/11 ブログ

※ちょっと前に書いた記事です。
僕はブログにいちいちウソを書くことなど考えてもいませんでした。そのため、今まで受けた指摘のいくつかは僕には理解に苦しむものがありました。
一番理解に苦しんだのは「コンプレックスの塊じゃないのか」ということです。書いてある事をそのまま読み取っていただけるとすれば、僕自身がコンプレックスについて書いた記事は一つしかありません。「本当のコンプレックスを正しく理解していますか」という記事だったと思います。
反応があったという意味では「ゲイは残酷だ」という記事も僕自身のコンプレックスの裏返しとして受け取られてしまったようです。
本当のコンプレックス~の記事は、読んでもらえれば分かると思うのですが、生まれ持ったものがコンプレックスならそれを受け入れて、それ以外のものは努力で克服しよう。努力の中には自分でする努力と、お金を使って他人か解決する努力があるよ。そのように書いたつもりでした。
しかし実際には「すべてのコンプレックスはお金にものを言わせて解決できる」と読み取られてしまう事がありました。
残酷だ~の記事も、出会いの中でのよくある話を書きました。本当に残酷ですが年齢も体型も相当影響があるのです。例えば僕の場合 165cm*52kg*30歳 という表現がなされますが、この状態での出会いと、もしこれが 165cm*52kg*24歳 と、年齢が違うだけで、出会うチャンスには何倍も差があるのです。
そういう色々な努力と残酷さを書いたつもりだったんですが、そんな「小さいことばかり気にするな」と言われることがありました。そんな小さいことを気にしているのはもちろん僕もその一人ですが、それ以上にこの業界に所属している人たちです。平均的以上の人がそれを強く意識しているわけですから、それについて抗う理由は特にありません。
これらのような結論に至ることについて、僕は理解が全然できませんでした。しかし最近になって気づいたことがあります。それはアメブロはSNSゆえにホンネだけではない。ということです。例えば「出会いを求めていない」と書いていても、実際には求めているような場合が多々あるようなのです。
そのためコンプレックスも残酷の記事も、僕自身の体験に基づいた本音を書きました。しかし読み手の一部の方からすると、そんな綺麗ごと並べてなんの意図がある!となるのかもしれません。だからそこから読み取ることが可能な精一杯の裏というか、「読み手の考える核心」に迫ろうとしてそのようなことになるのだと気づきました。
だから等身大とか同じ目線という言葉をそういう人たちは多用するのです。
要するに言いたいことは一つで、「綺麗事ばかり書いてないで本音を書いてよ」と。ホントはモテたいんでしょ。ホントはコンプレックスはどうにもならないことを知ってるんでしょ、と。
すると今までの指摘がすべて点から線になったような気がしました。
僕は綺麗事を言うつもりもありませんし、ウソを書くつもりもありません。今まで書いている記事はすべて自身の体験からそのような結論に至ったすべて事実です。しかし誇張はあります。コタツでのケンカとか、ケンカしてないですし。愛の相対度も実際には100:0ではないかもしれません。しかしその程度の誇張があったところで、これらの記事が破綻することもないと思います。
しかしそういうように裏を読みたがる方々については、なかなか理解をしていただくのが難しいなぁと感じています。アメブロのころはこの誤読が顕著でしたが、FC2では読者層が違うからなのか、あまり露骨な誤読というのはありません。
※画像はラーメン博物館です。
2011/03/06 ブログ

CATWALK. というブログを書いている「なす」くんに会いました。ブログの雰囲気が独特で、いつも服に気を使っていて(そしてお金を使い過ぎで) 、SATCが大好きで。なによりも、かわいくて。ということでとても興味があったのです。
ナンパ、、、、などという俗な言葉を使ってしまうのは問題がありますが、声をかけさせてもらい、会うことが実現しました。
こういうとき、ブログを書いているというのは、なんだかとってもうれしいと思える瞬間です。その人のブログを読んでいれば、初対面だけど初対面ではないという独特な気持ちがあります。
それに性格も想像が付くので、何より話が早いですよね。
ということで、実現したわけです。
Twitterで日程のすりあわせなども行ったので、ある意味では会うまでのプロセスというのはすべて公開されており、それはちょっと恥ずかしいことでもありますね。後ろめたさがないっていう意味でも、僕は今回はあえて公開でやらせてもらいました。。。
さて当日。電話番号も交換はしていましたが、待ち合わせ場所でひとり存在感のある人がそこにはいました。だから待ち合わせ場所で迷うことなくすぐに見つけられたのです。だいたいにおいて、画像が可愛い場合、本人はがっかりというパターンはよくあることですが、なすくんは画像よりもずっとかわいかったのです。
お酒を飲みながらイロイロと話をしました。服についてとか仕事のこととか。なるほどブログの雰囲気と同じで、なよなよしてるわけじゃないんだけど、素直っていうかそういう考え方だということがわかりました。あんな独特の雰囲気のブログは作戦じゃなくて、本人の性格がにじみ出ていたっていうことです。
一点だけとても驚いたことがありました。
「親バレしてるでしょ?」という僕の質問。だってさすがに気づかないことはありえないほどだったのです。ゲイゲイしいわけじゃないけど、さすがに無理があるだろ!っていう感じ。
するとなすくんは「バレてないと思う」というのです。
「あ、だけど母親にこう言われたことがある。」となすくんは続けます。
「お母さんは大丈夫よ。別にあなたが男性を(恋人として)連れてきても」と言われた、と。
バレてるじゃん!バレてるよ。なすくん!
どの親が、ノーマルの子供にそんな発現をするのでしょうか。という疑問はさておき、それを言われても「バレてないと思う」とはっきりと断言できるなすくんはよっぽど素直なんだと思いました。
また遊んでください!
※ 2011-03-07 追記
なすくんも記事を書いていただけました。 >> かお。さんに会いました:CATWALK.
2011/03/05 ブログ

僕がこの記事を書くべき立場に無いことは十分に理解しております。しかしながら超人気ブログの、突然の閉鎖に驚いているのは僕だけではないはずです。
僕が閉鎖の何を知っているわけではありません。しかし情報をまとめることによって、僕と同じように閉鎖について気になっている方と一緒に悩むことが出来ればと思っています。
僕がラグナさんのブログが無くなっていることに気づいたのは、ブログ村のランキングを見ていたときです。僕はお気に入りのブログを、ブログ村のリンクから辿っていくことが多く、この時もラグナさんのブログを読もうと思ったのです。
しかしランキングサイトには、ラグナ君の天気予報という、いつも上位に安定していたブログがなくなっていました。
僕は最初、閉鎖などということは微塵にも思わず、例えばランキングサイトから何らかの理由で削除されたのかもしれないと考えました。そしてFC2のURLに直接アクセスしたのです。
もちろん 404 NotFound ということで、表示されませんでした。色々調べてみると、性的な要素の強い別なサイトも消えているようですし、なによりもツイッターのアカウントも削除されていました。
このことから並々ならぬ理由で、突如としてブログを削除したことが想像できました。
ご本人から直接発表が無いと、閉鎖に至った本当の理由というのはわかりません。しかし以前記事の中で「閉鎖をするかも」というアナウンスが流れたことがありました。このことから、計画的な閉鎖であれば、必ず何らかのアクションが行われるはずです。
しかし今回はそれがなかったため、相当に切羽詰っているのではないかと想像するのです。
ひょっとしたら、、、、と憶測を重ねる事は出来るのですが、さすがに混乱を招くだけなので、ここでは控えたいと思います。
何かご存じの方がいらっしゃいましたらぜひ情報をお寄せください。
そして何か動きがありましたら続報をここに掲載したいと思います。
※同じようにラグナさんのブログのファンの方です
さーあっさ ひっとりーで おっかたーづけー♪2011-03/01の記事
2011/02/28 ブログ

げんやさんとお会いしたとき、書き手と読み手のギャップについての話が少しだけ出ました。
げんやさんは、かつてブログ内でも言及されていましたが、自身が何時間もかけて考えた記事よりも、その恋人であるりふくんが、つたない文章だとしても、まるで思いつきで書いたような一言だとしても、拍手やコメントでものすごく評価される、と。もちろん喜ばしい感情と共に、普段の記事は何時間もかけてるんだぞ!という気持ちと。複雑でしょう。
さて僕。僕は彼が記事を書くことは今のところまではありません。だからりふくんのように、彼の書く記事がどのような評価を受けるのかはわかりません。しかし読み手の方と、僕の書きたい記事との違いというのは感じることがあります。
僕のブログで、有意にアクセス数に差があるのが、カテゴリーでは微エロとカップル(彼関連)なのです。この二つだけは読者の方が欲しているようなのです。これはアクセス解析を見ていると、顕著に現れています。
一方で、僕自身は何度か書いていますが、過去の自分の経験から今の考え方の礎となったことをまとめたいと思っています。比較的充実して書けたのは年齢のことでしょうか。年齢は何度となく書いていますが、それぐらい僕は30代になるまでに色々と考える場面に遭遇しました。
もちろん他のことも同様に色々とありますし、それらについてはこれからしっかりと記事にしていきたいと思っています。
しかし、それはきっとカテゴリーでは、考え(自分関連)などに分類され、そしてそれらの記事は有意にアクセス数が少ないと。つまり読者の方は、それをそこまでは望んでいないのではないか。という判断ができてしまいます。
げんやさんではありませんが、僕も目を血走らせて、寿命を削りつつ書くような魂を込めた記事よりも、彼のちょっとした言動を紹介したほうがウケがいいというのはなんという皮肉でしょうか。
「抹茶ラテを頼んだけどこのお店のは甘くない!おいしくない」と彼が言っていました。といった、このような一言に何の意味があるのか・・・とやっぱり僕は考えちゃうのです。
エロネタについては、書きたいですがいかんせん経験が・・・。ということで少しずつしか増やせません。思い出したときに記事にするぐらいです。ちなみにげんやさんの方では、エロ記事は人気が無いって言っていました。読者層の違いなんでしょうか。
2011/02/27 ブログ

今まで誤読という事は難しい表現や微妙な表現をしている場合にのみ発生すると考えていました。だから僕は平易な言葉を使って、なるべく物事を簡単に表現することに注意していました。それにあわせて、結論もちゃんと一定の方向を向くようにしていました。
確かにブラックユーモアなど、その表現を楽しめるほど文章を理解するのはすごく難しいことですし、また勇気のいることです。それにそのような誤読できる表現の裏を読み取ることによって、「オレって文章ちゃんと読めてるぜ!」っていう事にも疑問が残ります。僕は誰が読んだとしても、文章から得られる感想や結論は似るように、なるべく僕の意見が読み取っていただけるように書きたいと思っているのです。
もちろんどのように書いたとしても、結論の部分で意見が違うことはあり得ると思いますし、それは書き手・読み手ともに尊重するべきところです。
しかしそのように書いていても、明らかに違う視点で読まれてしまう記事がありました。今回はそれについて。
「こんにちは。かわいいですねという挨拶」という記事があります。これは趣旨だけどざっくり書いてしまえば「褒めることはいいことだ」という趣旨です。そして肉付けとして、とりあえず手当たりしだいに褒めて、褒めることに慣れておこう。そして本当に必要な時にはバシっと決められるように。という内容で書いたつもりでした。
しかし読み手の一部の方は、「褒めて勘違いさせ、裏で笑ってやろう」そのように読んでしまったのです。これはその後、どのように弁解しても読者の方の読み方が変わることはありませんでした。
実際に全員にあまねく褒めることは無理でしょうから、現実的には「ちょっといいな」ぐらいから褒めることになると思います。そしてそれは、容姿だけではなく日常の様々な部分で行われていると思います。料理を作ってもらって「おいしい」などはいい例でしょうか。料理は日々のことですから、おいしいとまずいだけに短絡的に分類されるわけではありません。いわゆる普通という料理も多いと思います。そして普通と美味しい料理はおいしいと表現し、まずい料理については、ノーコメントという運用になるでしょう。まずい料理をおいしいと褒めて調子づかせることに意味はありません。
それぞれに受け取り方があるので、何かを強制したいとは思いません。しかし読み手の人のほとんどが持った意見は、「手当たりしだい全員は無理ですが、ほめるのはいいことだと思います」という、至極もっともな、僕の一番表現したいことを読み取ってくれました。もちろん人によっては「本当に心から思わないと褒めることができません」そのような意見もありました。
それぞれの意見なので別に全く問題ないと思います。ただし共通して言えるのは、「勘違いさせよう」とか「もてあそんでやれ」などと、一言も書いていません。そのように読み取ることのほうが難しいはずです。
実際、その方が自身のブログでそのニュアンスの記事を書かれたことがありました。「ブサイクにかわいいと言って勘違いさせて裏で笑うような心無い人もいるけど・・・」と。そのような酷い書き方をされてしまった記事にも関わらず、その記事には読者の方が「私は結構褒めるようにしてたんですが、いけないことでしたでしょうか。気をつけます」というコメントをされていました。するとブログの書き手の方は、「あなたが褒める時は心があるからいいんです。ブログに載せた人は、わざと勘違いさせて裏で笑うようなヤツだから」そのように返信していました。
このような、あなたはいいけど、アイツはダメという、矛盾を含むやりとりは僕は大好きです。(今では残念なことにその記事は非公開になってしまいました)※注) すべてニュアンスなのでもうちょっと柔らかいor酷い表現になっていたかもしれません
なぜこのような事が起きたのが、僕はとても不思議です。しかし一つ言えるのは、その読み手の方が結論ありきで読み過ぎではないかという部分です。こういう意味のはずだ!という思い込みから文章を読むと、どのように書いている文章でもそのように読めてしまいます。だからこそ一度落ち着いて、しっかりと文章を読みなおしてほしいなぁと切実に願っていますし、僕も誤解を受けるような表現については相当に気をつけなければならないと思っています。
—
長くなるけどもう少しつづけます
年齢について書きたいと思っていたことの大半は書き上げることができたように思っています。そして年令についてはとても多くのご意見やご批判をいただきました。ロリコンだとか、ろくな人生を歩んでないだとか、表面しか見ない薄っぺらい人だとか。
今年の1月ごろでしょうか、なんとなくご批判をいただきやすい記事というのがおぼろげながら予感がするようになってきました。
という中で、スタバの記事だったんですが、批判をいただかなかったのは不思議でした。(批判的な意見をいただくと思っていたのですが・・)ということで、予感の精度はまだまだ甘いようです。
先日の記事顔でのより好みについて、かなり柔らかく書いたんですが、やっぱりご批判をいただいてしまいました。でもこれはある程度予想通りでした。
2011/02/24 ブログ

昨日のことです。にほんブログ村のゲイカテゴリー上位を安定的にキープしている、人気ブロガーのげんやさんと会いました。>>国境、非在、あるいは百年の祈り
もともとの経緯として、げんやさんが日本に帰省するということで、新宿に飲みに来ると言うのです。僕も彼も比較的日程が合わせやすい生活をしていますので、じゃあ!ということで、ぜひお会いできたら。という流れになりました。
本当にぶっちゃけた、正直なことをいってしまうと。身も蓋もない事なのですが、僕はこういう出会いに結構なストレスを感じるのです。そもそもコミュニケーションが苦手な僕はたとえ仲の良い人であっても、会うということには身構えてしまう自分がいます。
とはいっても、やっぱり会いたい好奇心も強いですし、ブログを通しての交流もしております。そして文章から感じるげんやさんは、とても精力的で人柄が良さそうなことがにじみ出ています。
これらのことから、僕と彼と一緒にお会いしました。ちなみに彼はブログを僕のも含めてほとんど読まないため、ちんぷんかんぷんのようでした。彼は僕がブログを書いていることを知っているぐらいで、実際にはほとんど読んでないようですし、当然げんやさんのブログもほとんど読んでいません。僕が面白いと思った記事を一緒に読むぐらいです。
エフメゾというお店に行き、げんやさんはすでにそこにいました。そこには、すでに写真でさんざん拝見している人の実物がいたのです。
今回は、げんやさん+僕達+さとしさんカップルでした。さとしさんはげんやさんのところでコメントを頻繁に書かれている方です。さとしさんカップルには大変興味深い話が聞けたのでこれはまた別記事ですね。ちなみにさとしさんはコメントの雰囲気とはまたちょっと違って、落ち着いた大人の人でした。その恋人のみのるさんはとても若くて年齢差のあるカップルでした。とても仲がよくてもう12年も付き合ってるそうです!
さすがにげんやさんはブログの通りの方で、話も面白いですし、また視点もとても豊富であると思いました。また一部分においては僕らのカップルとげんやさんのカップルには共通点があるように思いました。
さすがに僕の彼は、げんやさんの恋人であるりふくん程までは女性っぽくは無いと思います。考え方も行動も、です。
しかし発想に至るプロセスというか、行動の中で大切にする部分というのに共通項があるようなのです。
僕は合理的であることや、結果を大切にします。しかし彼らは自分の気持ちがとても大切で、気持ちがあればたとえ合理的でなくても、結果が出なくてもいい。
しかし僕はとても怖いのです。りふくんと僕の彼が仲良くなって乙女談義などが始まったら・・・、と。
年末にもまた帰ってこられるそうです。そしてその時にはりふくんも一緒らしく、今からすでに楽しみですね。
※そういえば、げんやさんはやっぱりカメラを持っていました。そしてさとしさんもカメラを持っていました。すごく立派な高いであろうカメラ。みなさんすごいです。