ニートについての僕の考え

僕は様々なことについて、配慮の無い言動が目立つ。と、自分でそれを認識していても全く免責されるわけでもなく、それについては申し訳ないと思うことが多々ある。まあ性格というか、思ったことは口に出してしまうので仕方が無い事でもありますが。
さて、そういう配慮の無い僕だけど、ニート(アルバイトなども含め何もしていない状態)についてのいくつもの言動は、さらに配慮が無い。働かないの?このままのつもり?お金はどうしてるの?といった、おそらくそのようなことは触れずにおくのが、大人としての礼儀かもしれないし、本人がその状態について、どのように考えているにせよ、僕がそれをずけずけと聞くのが正しいことでは無いというのは十分に分かっている。
しかし、僕はそれについて、たとえ配慮の無い発言だと思われたとしてもそれについて、かなり突っ込んだ発言をするし、それをする資格も責任もあるのではないかと考えている。
そう思う理由は単純でただ一つ。僕自身もかつてそういう時期があって、かなり悲観していたからである。
今ほどニートなどの存在を社会が受け入れなかったときにもそういう人たちは存在した。ぎりぎりフリーターとかプーという表現で、ある程度限られた、ある意味では特異な存在であった。アルバイトだけで生計を立てることが難しいだろうことは、みんながわかっているけどそれから脱することなどは難しいことも事実であった。
唯一それらが肯定的にとらえられた時は、おそらくバブル経済の時では無いだろうか。あのときは完全に労働者優位で、くだらない企業に就職するぐらいであれば、アルバイトをしながら希望する企業に就職することが可能であったし、そう思える時代でもあった。
おそらく誰しもが、順調に人生を歩むことなどは難しい。例えば僕もそうだし僕の付き合っている彼もそう。幼少期から、知り合うまでの人生の事を聞けば、きっと話すのも辛いような、過酷な時期やそのように思う出来事というのは誰にだってあるだろう。
もちろん辛いだけじゃ無くて楽しいことも無尽にあるはずだからそれらだけに焦点を持つのも変な話だとは思うけども・・。
今のニートを自称する人たちは、ある意味で自由でうらやましい。
社会もそれを昔よりは受け入れているし、僕もそういうことは全然気にしない。だけど何となく自身の経験からも考えると、それで大丈夫なのだろうか、と。そしてもし自分に何かできることがあるなら手助けをしたいと、本気でそのようにも考えている。それがもし自分が配慮の無いいくつかの言葉を投げかけることが必要ならばそれもまた仕方が無いだろう。それらから避けて通ることもできないわけだし。
ただしニートの状態にもいくつかって、コミュニケーションがそもそも苦手という場合と、仕事はしたいけどあんまりいいのが見つからないとか、飽きっぽいとか。
コミュニケーションの場合は、結構深刻だと思うし、そういう人は働くことよりももっと先にしなければならないことがある。順番を守ってゆっくり解決していくことが必要だろう。
コミュニケーションが苦手な人は、この解決の順番を間違えると、それがまた挫折の体験に結びつくような気がするので、これは非常にデリケートな事だと思っています。