過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

精神年齢と実年齢。

   

未成年のとき、精神年齢と実年齢の関係で、実際の年齢よりも精神はもう少し先を行っていた気がする。18歳ぐらいのときは、社会的に認知されている未成年というくくりなんだけど、実際には20代と発想や考え方は大きく違わなかった。唯一経験の量だけが僕を未成年としていた。

20代の前半になると精神的な年齢と実際の年齢がかなり一致していたようにも思う。すべてが充実し、チカラみなぎっていた。

そして徐々に、25を超えた当たりからだろうか。精神年齢はその当たりで足踏みを始めたように思う。そして実年齢はどんどんと進む。
この差はどんどんと広がるばかりのように思える。

何を持って精神年齢とするのか。それについては色々あると思う。まだまだ若い!などと言うことではなく、色々な考え方がそれ以上にはならないように思えて仕方が無い。
例えば若かりし頃、他人の様々な表現や行動にイライラしている時期があった。それは僕自身に限らず、おそらく男性には比較的多い時期なのでは無いだろうか。それが露骨に他者に向けられれば反抗期とかそのような表現になるかもしれない。

ある程度の経験とともに、様々な考え方や行動を受け入れられるようになって、相対的にイライラすることは少なくなる。そのように落ち着くのは、10代後半から20代前半ぐらいだろう。

友人に話を聞いても、僕と年齢差がある場合、僕と知り合ったぐらいの年齢に友人がなった。例えば相手が20歳、僕が25歳で知り合ったとする。その5年後は、相手が25歳で僕が30歳だ。

このとき、20歳の友人からみれば、25歳の僕はずいぶんと大人だと思っただろう。場合によってはおっさんだと思っていたかもしれない。確かにこの5歳の差は大きくて、学生になったばかりなのと、社会人を何年かしている。という違いがある。生活様式の違いは、態度にも表れるだろう。

しかしじゃあその友人に話を聞いたときのこと。「25歳になって、俺と知り合ったときの俺の年齢だけど、当時俺に抱いていた考えと、実際に自分がその年齢になってみてどお?」と。

友人は「全然当時のまんま」と言っていた。僕自身も非常によく分かる。当時20代の考えのまま今を迎えているわけだし。

しかし肉体とともに、しっかりとした加齢をしていくのは僕にとってとても重要である。肉体的な年齢については、だいぶこのブログを書き始めた頃よりも受け入れることができ、また立ち位置なども把握できるようになりつつある。
しかし今度は精神的なそれが立ちはだかってきた。

精神はなんだかずいぶんと遅れているようなきがしてならない。昔のようなミスは相変わらずだし、年齢や経験を重ねることによって成熟しているようにも思えない。さらに困ったことに、それが今後改善されるのかも自身が無い。

今後はこのことについて、もっと考えていかねばならないと今の僕は考えている。
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