過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

一人で死にたくない?

   

どうやって生きるのか、という生について考えることが重要であるように、どうやって死ぬのか。という死、もしくは最期を考える事も重要だと考えています。
しかし、生きていく方法を考えることは、様々な可能性があり、それを試すことも何度となくできるに対し、死について考えても、それを実践するのは、ただ1回という事になります。

僕の性格上、ポジティブなことは積極的に考えますが、消極的に思える死については、あまり考えることはありません。どうやって生きたのかという集大成が、死なのかもしれませんし、さすがに死の場合に関してだけは、結果よりも過程が重要なのかもしれません。

一人で死にたくないという事を聞きました。これは僕自身の中で2つの可能性がありました。一つはゲイとして、夫婦関係が結べない事による一人でいることの不安。これは制度上のことかもしれません。
もう一つは、結婚制度があったとしても、単純に一人で死ぬ事への不安。

制度としての不安、例えば男女の恋愛であっても、最後まで一人(独身)ということは十分に考えられます。また気になるのは、結婚していてもどちらかが必ず先に亡くなるわけですから、残された方は一人という事にならないのでしょうか。もちろん子供がいれば話しは違う可能性があります。

僕の環境では、いわゆる本当の意味での一人での死というのはありません。だって、僕が知っている時点で、その人は孤独じゃないでしょうし。まだ死期が近い年齢の友人もほとんどいません。
例えば祖父が亡くなったとき、自宅で一人でした。ほぼ毎日のように誰かが訪ねていたのですぐに死んだことについて気づきましたが、最後は一人でした。これは「一人で死にたくない」の定義に当てはまるでしょうか。

制度として結婚が存在しないので、恋愛は常に自由で、結果的に一人身になる可能性が高いという場合の一人での死というのは、ちょっと特殊です。
その場合の家族というのは、自分と恋人の2人のみになります。だから残された一人は、子供や孫に囲まれることもなく、完全に一人になってしまいます。周りには、友人ぐらいかもしれません。親戚づきあいだって、この時代ですから疎遠になっているでしょうし、それが普通の事だと思います。孤独という定義の中ではおそらく子供などの身内がいればセーフでしょうから、ゲイであればもう完全に孤独になってしまいます。

一人での死というのがなぜイヤなのか、僕には正直分からないことが多くあります。
もちろん一人ぼっちでいる事がいいとは全く思っていません。できれば少数であっても気心の知れた仲間は友人が、死の直前まで常に交流できるような、そういう最期が理想の一つのような気もしています。
常に人は一人だ。などと言うことを言うつもりもありませんし、その考え方には若干否定的でもあります。

しかし最期を迎えるに当たって、一人がイヤだということは考えたこともありませんでした。一人で死なないために生をしっかりと生きるということならとてもすばらしいことだと思います。しかしそのために、生きることが消極的になってしまうのであれば、それはちょっとどうなのかなぁとも思ってしまいます。
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