恋愛の話は興味が無い?

「他人の恋愛なんてどーでもいいじゃん。」そのような意見を聞いたのです。
僕自身は他人の恋愛の話しはおもしろいことが多いと感じているので、どうでもいいという考え方はとても意外でした。
その恋愛がうまくいっているとか、そうじゃないとか、そんなことはどうでもいい。夫婦げんかは犬も食わないというように、ケンカの話もどうでもいい。そのように考えています。
恋愛の話の醍醐味は、お互いがマジメに考えている結果の意見としての相違をどのように克服しているのか、につきると思っています。。
そこには、お互いがお互いの意見を尊重するために、トンデモ理論が生み出され、それを本人たちが、たとえ納得いかなかったとしても、なんとか折り合いをつけているところが非常に人間くさく。それがおもしろいのではないかと。ちなみに他人のカップルの性的な話は一切興味がありません。
また、そういった考え方の相違は、ある種の滑稽さを含んでいることも多いのです。だからこそ僕はそれらの話に惹かれます。
相手の気を引くための各種のテクニックもおもしろい。そうやるかぁとか、それは裏目に出るだろーと思うようなことも本人たちは大まじめだし、それがうまくいく場合もある。自分にはキツイようなことでも、第三者へのそれはとてもおもしろい。
かつて僕の友人で、帰る頃になると毎回ケンカをするというカップルがいた。そして友人の男性が言うには、「人混みになると泣く」だから涙を見せたいんじゃ無いか。か弱く泣いている弱い自分をアピールしてるのではないかと。そのように言っていた。もちろん事実はわからない。女性の方も友人だったので、そういう話は聞かなかったけれど、少なくとも人前で簡単に泣くような印象の人では無かった。
だから男性の方が話を大げさにしている可能性はあるし、ひょっとしたら泣いている事実も無いのかもしれない。
だけど僕はそれでいい。泣くということが作り話だったとしてもそれはそれでおもしろいし、創作としてのポイントも高い。だから僕はその話を聞いて、一通りのバカげたトークとともに時間を使えればそれでいいと思っています。
好きな人がいる。そのように言う友人がいる。どうやら単純に見た目がすごくタイプの人と会ったらしい。今度は本気だ。今回は違う。そのような今まで繰り返し使われた言葉を今回も聞くことになった。
だけど、明らかに目の輝きが違う。トークの雰囲気が違う。だからきっと今回の人は、相当タイプで、かっこいい人なんだろうと思いました。何も性格で選ぶ必要は無いんだけど、見た目のタイプでここまで態度が違うというのは、残酷でもありますが、その友人の違う一面を見ることができたようで、とても興味深い物がありました。
長く付き合っている人たちの話。やはりこのぐらいになると、すごく安定感があります。この安定感のある話しも僕はとても興味があります。
僕の場合、我慢することができません。すべて指摘してしまう性格ですし、特定の部分においては非常に細かい性格かもしれません。誰もが、他人と一緒に長い時間を過ごすには、ネックとなるような性格を持ち合わせているように思います。
そしてそれを他の人たちはどうやって解消しているのか。とても興味があるのです。これは主婦の人でも、結婚とは関係無く長期で恋愛している人も、共通している回答を得られることが多いように思います。いい意味での無関心だったりとか。我慢だったりとか。尊重だったりとか。そしてだいたいにおいて聞くのは、ちゃんと「好き」だっていうこと。
かつて僕は恋愛の事を表現するのに、登山のようだと思っていました。つきあいはじめるころが山頂で、あとは一緒に下山するだけなのです。そして下山してしまえば、次の山にチャレンジしてしまうという。
しかし長期で恋愛をしている人たちは、必ずしもそうではありませんでした。山頂にとどまっているのかもしれませんし、下山した山に再度チャレンジすることなのかもしれません。とにかく長期で付き合っていても、いつまでもちゃんと好きに思っているというのは、とても不思議な感覚でした。
ちなみに僕の場合でいうと、もちろんある程度長期の恋愛になっていると思いますが、今でもちゃんと相手のことを好きです。何となく、好きと思う時期としばらく放っておいて欲しい(冷めている?)時期が波のように交互に来ている感じがします。
こうして、恋愛の話というのは、たとえそれがうまくいっていても、うまくいっていなくても、長期だとしても短期だとしても、その話しのそれぞれがとても僕には勉強になっています。