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2011/12/17 考え(ゲイ関連)

別に容姿とその人の性格が厳密に一致するとは思っていない。そんなことはいちいち指摘されるまでもなく当たり前のことだと思っている。
しかし何名の方と短時間のウチに交流して、僕自身は戸惑いつつも、一つの可能性というのを感じた。それがブサイクの方が話がつまらなくて、イケメンの方が話がおもしろい可能性である。
それを説明する理由は非常に簡単なのである。
イケメンは結果的に色々な人からチヤホヤされる。もちろん好きなタイプの人からもそうだろうし、そうじゃない人からもそうだろう。
色々な人からアプローチを受けたり、単純に話しかけられる場合、自然と経験を積むことになる。そして経験を積めば慣れてくる。だからあしらい方がうまくなり、コミュニケーションが上手になるのではないか。という僕の考え。
一方でブサイクな人は、話しかけられる場合が少ない可能性がある。だからそいった方向からのコミュニケーションは経験を積みにくい。そして自分から話しかける場合、タイプの人に話しかけることになると思う。そして「自分から話しかける」というのは、相手から話しかけられた場合の返し方のテクニックが磨かれない。さらに自分から話しかける場合には、タイプの人を中心に話しかけるだろう。だからタイプじゃない人から話しかけられた場合に、興味が無いという表情や態度が出てしまう可能性がある。
だからブサイクは話やコミュニケーションがヘタになる可能性があるのではないか。
僕が今回積極的なコミュニケーションを行った際、見た目などを基準に相手を決めたのではなくて、場所を基準に決めた。端っこの方に座っているという理由だけで話しかけにいった。だから話しかけた相手の人は色々なタイプの人がいた。若い人もいれば、同年代ぐらいの人もいたし、男性のほか女性もいた。
色々な人との会話を通じて、最初はともかく、徐々に、、、アレ?と思う場面が増えてきた。
いわゆるかわいいに分類される人、もちろん僕としても好きなジャンルになると思う。しかし出会うことが目的ではないので、僕がタイプに思うかどうかはまったく関係が無い。むしろ出会えないことがはっきりしているので、むしろ普段交流をしたいと思わないような人と交流したい。
そのような意気込みで色々な人と会話をしたのにも関わらず、疑問に感じる人たちは、ちょっとかわいいとは違う人たちであった。
一つは、質問に対する回答までの時間が長い。せっかちな僕は次々に質問を浴びせる。おもしろい回答でなかったとしても、スルスルと回答をもらえるとすごく話が早い。
また多少時間をかけて回答するのであれば、そこには意味のある方がうれしい。
しかし回答までに時間がかかって、なおかつたいしたコメントではない場合が多かった。
これは結局慣れの問題なんだと思う。
もちろんノリの違いとか性格の違いはある。だけど、合わせられるっていう一つの側面にだけ光を当てた場合には、その可能性があると言うことを知ったのである。
もちろん本件に関してはまだまだ検討の余地は大きい。しかしその可能性について考えが及ぶような出来事であったのは、とても衝撃だった。
2011/12/16 考え(ゲイ関連)

理想が重要。前回まででその重要性はさんざん書いた。
しかし理想を確定させるだけでは全体の半分しか達成していない。ただしもちろん半分も達成しているのだから、幸せになる条件の第一歩は踏み出したと言っても問題は無いと思う。
しかし、より上を目指すためには次のステップが必要になる。
それが我慢できるところを明確にすること。
理想という言葉から想像することは、おそらく全員が、望んでいる部分や希望とする部分を挙げると思う。もちろん間違ってはいない。
自分が追い求める像が明確になったら、次は切り捨ててもいい部分を明確にしなければならない。
特に僕の年代の場合。友人は理想の相手に会ったとしても、それ以外のイヤな部分で別れている。結局、譲れない部分がはっきりしてないのが問題なのである。
例えば顔や性格については、比較的理想像として挙げられやすい。
「よし分かった」と。じゃあその、顔や性格のめちゃくちゃタイプの人と出会いました。しかしその人は無職でした。さぁどうする?と。
別にフリーターぐらいだったら問題無い。そのように友人は言う。じゃあ、クリスマスでちょっといいところでご飯食べたりしたいだろう。大丈夫だろうか?
たまには金額じゃなくて景色のいいところとか、デートで船に乗ったりとか気分変えたいよね。大丈夫だろうか。
もちろんプレゼントが欲しいとか、そういうことは望まないと思う。だけど、ちょっとしたそういうことが、フリーターだということで、気にならないのか。そしてそれが長期に渡って続く可能性がある場合はどうするのか。
という話になると、友人は確かに自分の性格じゃ無理かも。と。
理想にばかりとらわれるのはとてもすばらしいことだと思う。だからこそ、目をつぶれる場所・つぶれない場所にもとらわれるべきだと思う。
特に理想というのは、本能にも近いので意識しなくても、それぞれが何となく理解しているはずです。
しかし我慢できる場所というのは、ほとんどの人が理解していない。優しい性格であれば、自分に責任を漠然と感じ、他人に理由を求める人であれば、あいつとは合わなかったの一言で終わってしまう。
そしてその間違いを何度となく繰り返す。
恋愛はビジネスとは違う。だけど似ているところも多い。取る仕事と捨てる仕事をはっきりさせている人や会社はすごく強い。それが自信につながるし、実績につながるから。
だから、例えばブサイクであっても武器になるし、かわいくても武器にならない。もちろん一定の条件っていうのは、仕事だって恋愛だってある。特に体型とかもろもろの諸条件の残酷さは取り返すのが非常に大変でもある。
だけど、例えばブサイクだという自覚があれば武器になる。なぜなら相手の容姿についてもおそらく妥協できるだろう。妥協できるもしくは、そこまでイケメンを望まない。という理想は、捨てられる部分を想像しているわけだから、幸せに慣れる条件を結果的に持っていることになる。
2011/12/15 考え(ゲイ関連)

※前回の記事も参考に。 >> 2011-03-04 理想の話。
友人に理想について話を聞きました。するととても驚く回答が帰ってきたのです。
理想というのは、反する2つを有している場合があると。
理想なんですから好き勝手言うのは別にいいと思います。
かっこよくて、自分だけを大切にしてくれて、お金も稼いでて、いつでも会う時間を作ってくれて、ご飯が上手で、おしゃれで、会話が面白くて、背が高くて、筋肉があって、夜はエロくて・・・。際限ないその要求は理想なんですから全然OKです。
しかし反する2つの欲求。ちょっと極端ですが、背が高いのがいいけど、低いのがいい。みたいな感じでしょうか。こういう矛盾したイメージを理想とする場合もあるようなんです。これにはとても驚きました。
さらには、限界のない要求というのもあります。慣れということかも知れませんが、顔がカッコイイということで恋愛関係に発展しても、もっとカッコイイ人がいるかも。ということで、浮気とはいかないまでも、つい他の人を探してしまうような。
理想の全部が満たされなかったとしても、顔だけでもということでいい関係になったのに、さらに大きな要求が出てくるというのです。
僕はこの話を聞いたとき、自分の理想というのは、そういう意味ではどれだけ低いのだろうと思いました。違う言葉で表現するならなんて現実的だろうと。僕は彼と付き合ってから、要求が大きくなったことはおそらくありません。最初から要求は(自分が考える範囲で)高かったですし、最初は満たされてない状態=妥協していましたが、彼はすべて満たすようになりました。それは何度か書いていますが、ヒゲ・歯・料理が中心です。
という話を友人にすると、「んなこといっても、あんたは彼で妥協してないじゃん!」と。
確かにそうです。僕は今までの彼の中で、少なくとも一番理想に近い相手でした。当時若かった僕はまだ理想を追えるギリギリの立場だったのです。
理想。とても難しいことだと思います。妥協をすることが直接の不幸を招くことはありません。(そもそも理想なんて非現実的だ!) 逆にそれを追い求めすぎる方が不幸を招くことに繋がりそうです。
前回も書いたので重複しますが、理想は高いほうがいい!それはそうだと思います。しかしそれを追い求めすぎると、幸せを逃してしまうのではないかと思います。
そして僕の場合、僕は理想がかなり現実的だった。というのは友人の話を聞いて気づいたことです。
2011/12/14 ブログ

ぺらん子さんは、かなり異質な内容のブログだ。それはもう過去に何回か書いたと思う。
お笑い担当枠だったり、最近ではキワモノのコスプレにも挑戦されている。ネタも昔に比べて洗練されているように思う。
最近の記事( ぺらん子として過ごした1年 )の中で、ブログを始めた理由を「お金のため」と言っていた。
ネタなのか本当のことなのか分からないが、アフィリエイトということでは僕も思うところがあるので書きたいと思う。そしてもちろんぺらん子さんの記事は金銭は抜きにしてとてもおもしろいというのを添えておく。
僕がブログを始めたきっかけは、一番最初の記事に書いたとおり。日々の閉塞感が大きいのと、彼と安定し始めたかも?と思えるような日常だったので、それを綴ろうと思ったこと。ゲイの業界に身を置いてから、色々と考えていたことなどをまとめたかったこと。などなどである。もちろんお金のことはゼロであった。
そもそもアメブロで始めたので、アフィリエイトはかなり限られていたし、たいしたことはできなさそうだった。アメゴールドというような考え方も、ビジネスとしてはともかく、自分がそれに乗るようなことは大嫌いだ。
だから最初の方の記事で、アマゾンのリンクを少し張ったぐらいで、収益に関してはまったく意識していなかった。むしろアメブロでは強制的に広告が表示されるので、わずらわしささえ感じていた。
そしてFC2への移転。このとき僕はアメブロのデザインになるべく似るように、大幅にデザイン・レイアウトをいじった。そしていくつかの仕組みとともに広告の挿入ができることも知った。
もともと金銭的なことは考えてなかったし、もし広告を載せたところで、まったく効果がでないであろうことも想像していた。しかしそうはいっても、載せることにリスクは無い。だから google の広告を載せるようにした。(※そのため日々の記事の最後には広告が表示されていると思います)
今まで書いてきたいくつかのブログやホームページでもアフィリエイトに効果が出ない、出にくいのは常識として考えていた。そして当然自分のブログもそうであろうと。
なお、僕が利用している広告は2つあって、アマゾンの商品リンクとgoogleの広告。
アマゾンのは、オナホの話の時は商品を掲載したと思う。アグリっ娘というマンガを紹介したときも、アマゾンへのリンクが張られている。両方ともこのリンク経由で購入すると、僕の手元には10円ぐらいが入ってくる。
googleの方は日々の記事の下段に表示される部分。こちらはクリックされた数に応じて。1クリックで50円ないぐらいだろうか。
そして今までの結果。
例に漏れず「ほとんど」クリックはない。しかしほとんど無いだけでゼロではない。これにはとても驚いた。FC2では有料プランというのは無いのかもしれないが、他のブログツールでは、有料プランがある。たいていは安価で例えば300円/月とかで有料プランを利用できる。そしてその有料プラン以上の収益安定的に毎月出ている。
要するに、今までの広告収益は1年ぐらいやって3,000円ぐらいにはなったと思う。ちなみにほぼ完全に google から。
僕の書く記事が、毎月300円を生み出すなんてとても素晴らしいことではないか。これには僕も驚いた。だってぺらん子さんが書いているように、予想では1年間で300円とかを想像していたから。ちなみに増減もあるので、一概には言えないが平均的に月1,000円を切るぐらいだった。今は更新が少なくてアクセス数も少ないので、そこまでないです。
あまり金銭の話をすると、ブログを好きで読んでいただいている方からすれば嫌悪感があるかもしれない。僕もあまり露骨なそれは何となくイヤだ。
もちろん儲けても仕方が無いので、ネタになるような使い方をして、記事で紹介できたら楽しいですね。
2011/12/13 考え(ゲイ関連)

飲みの場所で話をすると、おとなしくしているときや仕事の話をしているときは、僕はおそらくマジメだと思う。それは自分で言ってもたぶん違和感が無いし、周りもそのように受け取ることに異論は無いと思う。
しかし仕事を離れてのそういう時、僕はまったくいい評価をされない。必ず遊んでそうだと言われてしまう。
なぜ僕が遊んでそうという評価を受けるのかは全く分からない。例えばそれは、人見知りをせずに色々な人に声をかけることができているからなのかもしれないし、楽しそうにしている部分を見てなのかもしれない。
しかし実際のところ、僕はこのブログに書いている通りの性格だし、ツイッターでつぶやいている通りの性格である。若干めんどくさくて、自分勝手な感じ。
遊んでそうという評価がいい評価だとすれば、それはとてもうれしいことだと思う。しかし実際には、その言葉にはいいこと意外の評価が含まれているのではないか。
楽しそうとか、トークがおもしろいとか、そういうことであれば。しかし実際には「ヤルことしか頭にないんでしょ」みたいな印象。
表現のパターンというのは、どうしてもワンパターンになりがちで、トークがあまり好きではない僕にとって、いくつかのおもしろくするための王道のパターンがある。だからついそれを多用してしまう。だからこそ、すべての人が僕のことをそのように評価することにつながっている。だからトークのパターンを変えた方がいいのかもしれない。
色々な人の話のパターンを聞いて、とても参考になることがある。それが笑いという意味のおもしろさではなくても、人柄が出るようなおもしろさというのだろうか。しかし僕の性格とは違う部分もあって、なかなかその手法をパターン化できていない。
あと、僕の尊敬する人が笑いのパターンの人だったから、その人を真似てしまっているということも大きい気がする。
もちろん遊んでそうという評価だとしても、それは活発とかそういう意味で、いい方に受け取ればいい。実際僕が遊んでそうだとしても、本当に遊んでいなければ全く問題ないわけだし。
どのような印象を持って欲しいのか。という部分についてコントロールする気は無い。だけど、やっぱりいい印象の方がうれしいので、がんばろうと思いました。
2011/12/12 考え(ゲイ関連)

束縛について、まだ僕の意見を表明していなかった気がする。ということでこれについて。
僕はかねてより、おとなしくてマジメな人が好きだということを書いた。友人などはいないぐらいの方がいいと思っている。
それを非常に端的に表現するのが、「飲み会などに参加しない人がタイプ」と言うことである。すると、結構な確率で言われることがある。「束縛するんですね」と。
結論から言ってしまうと、僕は束縛することが大嫌いである。だから何をしてはいけないという形での束縛は絶対にしないし、今までもしてこなかった。誰かの何かをコントロールしようとする気は全く無いし、それは何かにつけて僕が表現している一貫した主張でもある。
しかし交友関係が広ければ心配なのは事実である。だから答えは一つしか導けない。
交友関係が無い人、場合によっては築けない人と付き合えばいいのだ。そうすればその人が自由に行動する=誰とも知り合わないということが成り立つ。
だから難しいとも思っている。じゃあ僕とどうやって知り合うんだ。と。それも含めて、かつての僕は誰かと付き合うことを諦めた。第一なにもアピールしなければ、絶対にモテない。だからどうしても活発になってしまう。かわいい子だったらなおさらだし、僕のようなブサイクだってがんばっている。だからおとなしい子というのは絶滅してしまう。
たまにいるかもしれないおとなしい子も、おそらく僕の所属するようなコミュニティでは知り合う事さえできないだろう。だから僕の思っている理想像と付き合うことはほぼ不可能であった。
結果的に、束縛と同じ状態になっているかもしれない。ただ重要なのは、それは僕が望んではいるが、強制はしていないということ。誰かと楽しく過ごした方が楽しいという大多数の人の意見だってあると思う。そしてそれは事実でもある。しかし一部の人は、そういうことが大嫌いで、一人で過ごしている方がよっぽど楽しい思う人もいる。そういう人との方が僕は気が楽でもある。
なお、束縛というほど強制じゃなくても、お願いという自主性にゆだねる方法を取ることはよくある。「ダメとは言わないけどイヤだと思っている」そのように主張するだけで、たいていのことは相手が受け入れてくれるのは経験談から。
ただ以前にも記事で書いたけど、いくつかの重要なお願いのほかは何も言わないように気をつけている。
2011/12/11 考え(ゲイ関連)

恋人がいます。という話を聞くと、必ず「どれぐらいの期間つきあっているんですか?」という話を聞く。
だいたいの場合は1年以下であるし、マレに続いている例を聞いても2年以内ぐらいが非常に多い。それ以上というのは本当に少ない。
そんな中で4年付き合っているという話を聞いた。このときに大変驚いたのは、「4年○ヶ月」そのように答えたのである。
4年というのは、僕にとっても人ごとではない。たぶん僕たちもそろそろ4年目?5年目?に入る。しかし○ヶ月という部分どころか、○年目というのさえあやふやである。1年ぐらいであれば、確かに○ヶ月という部分を覚えているのは分かる。しかし2年以降はもはや季節、、、僕たちの場合であれば夏、、、などの季節感を覚えているぐらいで、付き合った日も月も覚えていないのではないだろうか。もしくはあやふやになるのではないか。
また誰かに期間を聞かれても、4年目です。とか、そろそろ5年になります。程度で十分ではないか。なぜ○年○ヶ月と回答するのか。
これをもし乙女という言葉で表すことができるのだとすれば、たいへん興味深い。僕も彼も比較的そういうことには無頓着で、だいたいの時期は覚えているけど、詳細な日付は覚えていないし、○ヶ月の部分については、おそらく付き合い始めたのが8月の終わりだから、、今は12月だし計算して、、、なんてことを一瞬でやっているのだと思う。
常にその期間が頭の中に入っているのは、とてもすごいことだと僕は思った。
ちなみにまだ短い人の場合。
半年というのは、一つの区切りになり得るため、すごく緊張してしまう。特に1-2ヶ月ないしは3ヶ月ぐらいの頃というのは、すごくドキドキする。
もちろんそのまま幸せになる可能性というのはあり得るけど、場合によっては破局が目前に迫っている可能性だってある。
今までいくつか聞いた話では、やっぱり我慢の限界を迎えるという例が多かったように思う。さんざん我慢して、突然すべてを放出する人もいた。少しずつ指摘してお互いの限界を迎えるという人もいた。
逆にもはや家族みたいなものなので、我慢するしかないっていう人もいたし、相手にはなんの不満も持っていないという人もいた。
長期でのつきあいというのは、我慢よりも慣れというのが正しいことなのかもしれない。ただ無頓着だから長期なのか、神経質だから長期なのか。それは僕には分からない。
2011/12/10 考え(ゲイ関連)

僕は相手の携帯は絶対に見ない。何にせよ、人のプライバシーをのぞき見ることに妙な誘惑というか魅力というか強い好奇心というか。というのがある。
僕ももちろん例外ではない。ただ、少しだけ僕は他の件で、容易にプライバシーを暴くことができるので、プライバシーには興味が無いという気持ちも若干ある。
例えば僕の仕事では、メールやホームページの履歴について管理することがある。誰がどのページを見ているのか。誰がどのようなメールを送っているのか。もちろんこれらは業務利用という前提があるが、もしプライベートなことをしていても、僕はそのことを知る立場にある。
そしてそれを知ったところで、僕にはなんのメリットも無いし、誰も幸せにならない。大儀名文は仕事に関係無いことをしないさせないことだし、漏洩を防ぐことであり、誰がどのページを見ていたのかを知ることは本質ではない。
だからこそ携帯のチェックも同じようなことだと思う。見ようと思えば見られるかもしれない。しかしそんなことはしない。
すごく誘惑されるのは、相手が携帯を家に忘れた場合。葛藤があるし、そこにあるんだし。。。といって、誘惑が無いわけではない。しかしそれをしないのが暗黙のルールではないかと考えている。
後ろめたいことがあるのか無いのか。それと携帯のチェックは関係が無いと思う。例えば「かわいい」という表現が、前後の言葉で意味は異なるだろうけど、かわいいという言葉だけが一人歩きしてしまい、あらぬ誤解を生じる可能性もある。
誤解を生じる表現のすべてが問題だと言うのであれば、確かにその通り。しかしその誤解というのは、非常に曖昧である。
だから何も無かったとしても、見る・見られるのは双方にとって幸せにはなれないような気がする。
と、そういう話をしたときに、すごく驚いたことがあった。僕は送信メールを見られたときの誤解が怖い。そして友人は、もしくは大多数は受信メールを見られたときの誤解を恐怖しているということである。
タチ・ネコというポジションの違いかもしれないし、単純に性格の違いなのかもしれない。しかしそこには大きな考え方の違いがあるような気がする。
僕の場合は、おそらく受信メールのすべては誤解を生じないと思う。むしろ「色々な人から嫌われてるっぽいけど大丈夫?」なんて心配さえされてしまうかもしれない。それもまた誤解だと思うけど。一方で送信メールは別の誤解を生むだろう。
他の人は、おそらく受信したメールには、色々な口説かれているっぽいようなメールが来ているのかもしれない。だから受信メールを見られるのがイヤだといっている可能性がある。
2011/12/09 考え(ゲイ関連)

方々で、30代はモテるという話を聞く。僕自身はそのようにはどうにも思えないが、確かに30代ぐらいの落ち着いた人が好きだとかっていう話は聞く。そして落ち着き始めるというのは、20代後半からは確かにある。
だから落ち着いている人がタイプだとすれば、20代後半からは30代の人を選ぶのはとても賢明な選択だと思う。というのは今まで書いた話。
少し前のことではあるが、30代の当事者の人が、そのモテの話を少し僕にしてくれた。
確かその人は、30代半ばぐらいだったと思う。36ぐらいかな?僕はいつもの通り、30代からの苦労話というか、30代になって、どういう方向性がより素晴らしいのか、というアドバイスを聞くつもりで色々と訪ねてみた。
しかし返ってくる答えはすべて意外なものであった。
話の端々に、20代の延長でもてているような。そのような発言が多かったのである。僕はいわゆる成熟というのが非常に重要だと考えていた。しかしまだ30代はそのようなことを考えずとも大丈夫だという感じ。
僕にはこれがとても驚きであった。
例えば、運動をしなくても(もしくは軽い運動で)腹筋が割れているのが20代だとしたら、運動と食事をがんばるのが30代。そして(ここからは予想だが)腹筋の割れ以外に活路を見いだすのが40代以降だと考えていた。
つまり20代のまま30代を迎えることなど、僕の考えからはほど遠いし、ましてやそれでは40代に生き残ってはいけないだろう。そして残酷なのは、そのままであれば確実にしわ寄せがくるということ。腹筋の例に戻せば、何もしないというのは、中年への簡単な一歩である。
本人はそれでもいいと思う。何もその人のことを批判的に考えているのではなくて、おそらくその人は本当にそのように考えているのだと思う。容姿から判断するに20代もきっともてていただろうし、そのまま30代ももてているのだと思う。もちろん肉体的な衰えはわずかで、精神的には大きく成熟し。だから相対的にかつてよりも魅力が増しているのだろう。
だから僕はその意見が怖い。僕はそれが当てはまらないと考えているから。
そして周りはもっと残酷。例えばそのときの会話でその後の話。「○○さんはああ言ってたけど、実際体型とか肌とか、細かく見るとオジサンだよね」と。そう。だから結局30代は強制的に、違うステージに運ばれてしまうのである。
でも僕には本当にとても参考になった。そういう考えがあって、しかもそれをちゃんと実践できているわけだし。
きっと言っていること以外の努力はたくさんしているのだと思う。
2011/12/08 考え(ゲイ関連)

僕は世の中には知らない方がいいいこともあると思っている。例えばドラッグ。はまるとかはまらないとかじゃなくて、知らなければ欲求も生まれない。だから何事も経験だ。なんて安易に言うけど、ドラッグは必要無い。
並列的に例示するのはアレだけど、たばこもそう。合法的だからなんら問題は無いが、それでもやっぱり知らなければ欲求が生まれない。アルコールは微妙だけど、覚えなくてもよかったかな。
と、いくつかの極端な例は多いが、好奇心の方向性はとても重要で、もし意図しない状態で体験するようなことになったとしても、本当に体験してもいいのか判断することは、場合によっては体験しないという決断をすることも大切だと考えている。
その知らない方がいいことで、意図しない形で体験してしまったことが一つ。
それがいわゆるフケ専というジャンル。
友人に連れられていったお店で、「おじさんに見える若い人」と、とうに定年は迎え、年金生活であろうことが想像できる、おじいちゃんの二人が仲良くしていた。
まず僕はここで2つ+(プラス)の衝撃があった。
一つは、白髪のおじいさんをゲイが集まるようなところで見かけたこと。
一つはカップルなのか友人関係なのか分からないが、非常に親しげな二人組ということ。
その後に知った話では、若く見える方はそれでも30代後半?40代?だったということ。
もちろん年齢がいってからの恋愛について、僕自身がどうのこうのいうつもりは無いし、それは常識的に理解している。ゲイは数人に声をかければ必ず介護職ないしはそれに近い人がいるから、そういう方面からも高齢者の恋愛の話は聞いたことがあるし。
しかしそういうことと、自分と接点が生まれることはまったく別な話。まるでフィクションだったのが、現実になってしまうような。このとき生じた複雑な感情をどのように整理したらいいのか、表現すればいいのかまだ分からないけど、とにかく衝撃だったこと。
フケ専というジャンルがあることは知っていた。しかしそれは40代だとか50代の人がタイプだと言うことなんだろうと理解していた。まさかそこまでだとは思わなかった。
この場合、例えば40代50代の人がタイプだというのであれば、それはまだ理解できなくはない。ダンディっていう言葉もあるぐらいだし。
しかし年金を受給しているだろう年齢の魅力はどこにあるのだろうか。性的なこと?肉体的なこと?精神的なこと?老害などという言葉があるように、そこに魅力を感じにくいと考えている人が多いのではないだろうか。
そして若く見える人について、僕は20代後半だと思っていた。昭和中期のような格好をしているその人は、おそらく年配の人に好かれようと、そういう格好をわざとしているのだと考えたのである。そういう格好をしているわけだから、年代もいまいちよく分からず、だからこそ、若いという判断をしたし、髪型やちょびひげなどで惑わされなければきっと若いと僕は思っていた。
しかしその人は僕よりもずっと年上だったようである。これもまた衝撃だった。結局話をすることが無かったが、終始衝撃の連続であった。
会話がすごい。
おじいちゃんは頻繁に咳き込んでいた。アルコールを飲んで。お通しを食べて。隣にいる若い人は、そのたびに背中をさすって、大丈夫?と声をかけていた。そして「自分もぜんそく持ちだから、咳がでるのはつらいよね。」というねぎらいの言葉までかけていたのだ。
こんなことはなかなかできることではない。
そのほかカラオケでもその人は歌が好きなのか、場の雰囲気を盛り上げようとしてなのかは分からないけど、積極的に歌を入れていた。さらに他の人が気を利かせて昭和の歌を歌えば、都度コメントをしていたし、必ず褒める言葉をかけていた。
このような気遣いができる人はそうそういない。
見た目のタイプというのが俗っぽい今の判断基準で大きなものだとすれば、いずれはそういう、精神的なことであったり、相手へのっやさしさで勝負を挑まなければならないのかもしれないと思った。