○年○ヶ月。

恋人がいます。という話を聞くと、必ず「どれぐらいの期間つきあっているんですか?」という話を聞く。
だいたいの場合は1年以下であるし、マレに続いている例を聞いても2年以内ぐらいが非常に多い。それ以上というのは本当に少ない。
そんな中で4年付き合っているという話を聞いた。このときに大変驚いたのは、「4年○ヶ月」そのように答えたのである。
4年というのは、僕にとっても人ごとではない。たぶん僕たちもそろそろ4年目?5年目?に入る。しかし○ヶ月という部分どころか、○年目というのさえあやふやである。1年ぐらいであれば、確かに○ヶ月という部分を覚えているのは分かる。しかし2年以降はもはや季節、、、僕たちの場合であれば夏、、、などの季節感を覚えているぐらいで、付き合った日も月も覚えていないのではないだろうか。もしくはあやふやになるのではないか。
また誰かに期間を聞かれても、4年目です。とか、そろそろ5年になります。程度で十分ではないか。なぜ○年○ヶ月と回答するのか。
これをもし乙女という言葉で表すことができるのだとすれば、たいへん興味深い。僕も彼も比較的そういうことには無頓着で、だいたいの時期は覚えているけど、詳細な日付は覚えていないし、○ヶ月の部分については、おそらく付き合い始めたのが8月の終わりだから、、今は12月だし計算して、、、なんてことを一瞬でやっているのだと思う。
常にその期間が頭の中に入っているのは、とてもすごいことだと僕は思った。
ちなみにまだ短い人の場合。
半年というのは、一つの区切りになり得るため、すごく緊張してしまう。特に1-2ヶ月ないしは3ヶ月ぐらいの頃というのは、すごくドキドキする。
もちろんそのまま幸せになる可能性というのはあり得るけど、場合によっては破局が目前に迫っている可能性だってある。
今までいくつか聞いた話では、やっぱり我慢の限界を迎えるという例が多かったように思う。さんざん我慢して、突然すべてを放出する人もいた。少しずつ指摘してお互いの限界を迎えるという人もいた。
逆にもはや家族みたいなものなので、我慢するしかないっていう人もいたし、相手にはなんの不満も持っていないという人もいた。
長期でのつきあいというのは、我慢よりも慣れというのが正しいことなのかもしれない。ただ無頓着だから長期なのか、神経質だから長期なのか。それは僕には分からない。