過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

自分がコンテンツになるとき。

   

本当はコンテンツとはどういうことか。という定義をはっきりさせたいのだが、とりあえずここでは、コンテンツ=興味の対象として考える。

ブログを書き始めて1年ちょっとが経過した。そして僕の書いているゲイブログというのは、比較的ブログを書いている人物に焦点が当てられることが多いように思う。僕はそれが非常に怖い事だと考えている。

僕は別に自分のキャラを作るまでもなく、おそらくこの文章から読み取れるとおりだと思ってもらえればおおむね誤解が生じない。ちょっと誤解があるとすれば、普段の僕は文章から得られる印象なほど高圧的じゃないし、偉そうでもない(と思う)。

しかしほとんどのブログには、人間性がにじみ出ており、それがまたそのブログの色を作っているように思う。
人気のあるブログというのは、文章の質も当然のことながら、本人の人間としての魅力にもある程度関係してくるように思うのである。

しかしこのときに僕は問題、、というよりも読者と書き手の意識の乖離(距離感)がおこるように思う。ほんわかした雰囲気のブログを読んでいると、その書き手はさも聖人君子のような印象を持ってしまう。だから浮気だったりとか、ケンカだったりとか。そういったトラブルを読者が望まないし、書き手は読者が望んでいないことを察知する。

しかし書き手としては、意図的にそういったことを記事にすることによって、読者との距離を縮めようとするかもしれない。僕は感情が変化したときには記事を書くネタができやすいので、怒りとか喜び理不尽なことは比較的多く記事になる。

だからブログの書き手は、完全に幸せな状態よりも幸せをつかもうとしている方がいいように思う。恋人がいるよりもいなくて探している状態とか。
恋人がいる状態なら、なるべく日々は安定しており、二人の中で生じた些細なことを書く方が望まれるように思う。

僕はこのような状態には不満は全く無いし、読者の意識と書き手の意識がバランスするのであれば、それはとてもすばらしいことである。バランスすれば、ランキングやアクセス数が上がるだろうし、それはモチベーションにつながる。
しかし常に自分自身がコンテンツ=興味の対象になっていることを忘れてはならない。往々にして読者のかたは文章に魅力を感じるよりも、書き手に魅力を感じているパターンが多い。

僕は自分自身がコンテンツにはおそらくなり得ない。なったとしても、ごく少数の(悪い言い方をすれば趣味の悪い?)人にだと思う。
もし僕に興味を持っていただいて、何かの機会で会うようなことになったとき。僕の性格については、十分すぎるほど覚悟をしておいてもらいたいと切に願う。
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