若い子が好きだということを正当化するために考えていること

僕はかねてより若い子が好きだという、かわいい子が好きだということを強く主張してきた。若ければ誰だっていいという境地にはまだ至っていないが、いずれそこを目指したいと考えている。
よく混同されて言われることがある、若いと幼いということである。ここで両者が混同しがちなのは、性が絡むこともあるからだろうと、僕は思っている。
僕の中でこれは厳密に区別されている。しかしこの厳密という言葉を使うとさらなる誤解を生むことになる。「じゃあ何歳まで、若い子は大丈夫なの?」と。
いちいちこのような愚かで滑稽にさえ思える質問にも、しっかりと僕は答えねばならないし、その責任も感じている。
しかしこれに対する明確な回答というのを、実は持ち合わせていなかったのである。
半年もしくは1年近くに渡って、この問いについて、理にかなう説明を考えていたが、どうにも説明がしずらく、自分の気持ちと態度と、それを他人に説明することができない、非常にもどかしい状態が続いた。
今ではそれもだいぶはっきりしてきている。ということで僕の考える若い子の「若い」と「幼い「と「性」のことを絡めて少し書きたい。
まずは極端な単純な例を考える。赤ちゃんはかわいいということについておおむね異論は無いと思う。もし人間の赤ちゃんでかわいいと思うことに不安があったら、動物でもなんでもいい。
とにかく、出生直後や小さい時はかわいいと思う本能があるのだろう。赤ちゃんというのはそういうもの。
そしてその次に子供の時期がくる。しかし赤ちゃんと子供を明確に区別する方法が無いように、成長の個人差というのは大きい。
赤ちゃんは万人に受けるかもしれないが、子供は必ずしも全員が好きと言えるのかは別だと思う。うるさいとか手間がかかるとかありますからね。
このあたりまでの話は、僕にとって幼いかわいさ。当然のことながら性的な欲求などはゼロ。絶対にゼロ。別に犯罪だからとかじゃなくて、本能としてそう思う。
しかし小学生の幼い子供の時期が終わって、中学生ぐらいまで成長すると、もしくはもう少しいって高校生とか。
このとき、やっぱり小学生とか中学生を区別するのは、年齢だけで、成長の個人差というのは依然として存在している。
この年齢からが、僕にとって幼いと若いが混在している時期だと思っている。
この時期の人で、幼いというの印象を持つような子は子供として好きだから全く性的な欲求は生まれない。しかし若いという印象を持つような子の場合、これはあきらかに子供として好きというよりは、性としての欲求も出てくるような、好きでありかわいいである。
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もちろん場合によっては、高校生でも子供としてかわいいというパターンだってある。ひょっとしたら大学生ぐらいまでもあるかもしれない。しかしその混在している濃淡は、黒→グレー→白ということで、徐々に混ざりながらも、大人の雰囲気になってくる。
単純に中学生を10人並べたときに、9人が子供としてかわいいと思っても、それが高校生だったら、5人が子供として、残りの5人が性的な。大学生だったら9人が性的に。っていうだけのことである。
そして、じゃあ何歳からという質問に戻る。ここで濃淡の出てくる年齢は中学生からだと思っている。もちろん1割程度しか存在しないのであれば、高校生からということにしてもいいし、確実性は増す。
しかし小学生の中で若さを感じる事は、まずまずゼロであることを考えても、濃淡ができはじめる節目の時期というのは重要ではないかと思っている。
そういうことで、僕の言う若い子が好きだというのは、あくまでも幼い子が好きという、性的なアブナイ方向性ということではないと、改めて主張したい。
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