過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 月別アーカイブ:2011年10月 」 一覧

  2011/10/31    考え(ゲイ関連)

若い子が好きだという時に、その理由を問われることがある。やれ若い子はわがままだとか、トークがおもしろくないとか、考え方が荒っぽいとか。

これらについて、確かにその通りだと僕も思っている。どの年齢でも悪い部分はある。僕のようにオジサンになれば、肉体的なことや硬直的な考え方などが挙げられると思うし。だから僕としては、嫌いな部分と魅力に感じる部分を考えたときに、より重要な要素をたくさん持っている人に惹かれる。

そしてその中で一番重要だとおもっているのは、考え方の柔軟性、発想力のすごさ。である。もちろんさんざん書いているように、肉体の魅力も否定はしない。だけど一番の魅力はこの考え方の柔軟性になると思っている。

何か新しいことを始めようとするとき、反対するのは必ずおじさんである。しかしそれは仕方のないことでもある。そのおじさんは、今まで自分が築き上げてきたものがあるだろうし、少なくとも今まではそれでうまくやってきた。だから今さら新しいことを始めようとすれば、それはもう不安でしかない。
もしくは不完全な状態のままおじさんになったとしても、そこからの脱却はおそらく今までさんざんチャレンジした上での今だろうから、あきらめもあるだろうし。

一方で若い子の場合、ある意味では無茶かもしれないような選択をすることがある。そしてそこから、たとえわかりきったことだとしても、しっかりと学ぶのである。僕にはこのまずやってみて、そこから学ぶという姿勢は大いに参考にしたい。
もちろん僕だって、今までの経験から行動を判断することがある。少なくとも大人になってからの軽率な行動は、悪い意味で稚拙と表現されてしまうし、巻き込む人が多くなれば、無責任ということにもなる。

どちらがいいと言うことではないが、僕としてはたとえ無茶に思えても積極的にリスクを負うような姿勢はとてもすごいことだと考えているという話。

肉体的な魅力についても少し書いておく。
よく勘違いしている人がいるが、30代ぐらいであれば息切れするようなタイミングは20代とほとんど変わらない。少なくともアスリートでなければ、階段を上がってイキが切れるようなのは、20代も30代も変わらない。どちらかと言えば日々の運動の量がそれを左右する。スポーツ選手ほどの能力を求められるのでなければ、20代と30代の直接的な肉体的な違いというのは、わずかであるし、ある程度までは努力でそれを補うことができる。

だから僕の考える肉体的な魅力というのは、30代になって明らかに落ちてくるもの。その部分である。ひょっとしたら、僕自身もまだ数年前のことだったので、未練があるのかもしれない。

例えば食事。かつては脂・脂・脂。であった。料理において脂は非常に重要であり、うまみのほとんどであったように考えていた。だから脂の多い料理というのは、僕個人の好みとしても失敗はなかった。天ぷら、焼き肉、唐揚げ、、、僕の好きな料理は脂の料理であった。
しかし今になってみると、脂はほどほどでいい。天ぷらだって昔はたくさん食べたかったけど、今は少量で満足。というよりも食べている途中で胃もたれしてくる。焼き肉もそう。
食べる量も減った。若い子がバシバシ食べている姿をみるとうらやましく思う。

性欲もそう。だけど、あまり積極的に若いこと性欲直接の話をしないのであんまりよくわかりませんが。

筋肉の具合もそう。年齢は腰・腹にでる。だから若い子がそうやってたくさん食べているのに、無駄な脂肪が全くない体つきであったり、腹筋が割れているような姿を見ると、非常にうらやましいし魅力を感じる。ただし僕の場合、そういう肉体的には、あまり直接的な性欲を感じないので、それはちょっと残念に思いますが・・。

ということで、考え方と肉体的な部分に魅力を感じます。という話でした。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/30    考え(ゲイ関連)

僕はかねてより若い子が好きだという、かわいい子が好きだということを強く主張してきた。若ければ誰だっていいという境地にはまだ至っていないが、いずれそこを目指したいと考えている。

よく混同されて言われることがある、若いと幼いということである。ここで両者が混同しがちなのは、性が絡むこともあるからだろうと、僕は思っている。

僕の中でこれは厳密に区別されている。しかしこの厳密という言葉を使うとさらなる誤解を生むことになる。「じゃあ何歳まで、若い子は大丈夫なの?」と。
いちいちこのような愚かで滑稽にさえ思える質問にも、しっかりと僕は答えねばならないし、その責任も感じている。

しかしこれに対する明確な回答というのを、実は持ち合わせていなかったのである。
半年もしくは1年近くに渡って、この問いについて、理にかなう説明を考えていたが、どうにも説明がしずらく、自分の気持ちと態度と、それを他人に説明することができない、非常にもどかしい状態が続いた。

今ではそれもだいぶはっきりしてきている。ということで僕の考える若い子の「若い」と「幼い「と「性」のことを絡めて少し書きたい。

まずは極端な単純な例を考える。赤ちゃんはかわいいということについておおむね異論は無いと思う。もし人間の赤ちゃんでかわいいと思うことに不安があったら、動物でもなんでもいい。
とにかく、出生直後や小さい時はかわいいと思う本能があるのだろう。赤ちゃんというのはそういうもの。
そしてその次に子供の時期がくる。しかし赤ちゃんと子供を明確に区別する方法が無いように、成長の個人差というのは大きい。
赤ちゃんは万人に受けるかもしれないが、子供は必ずしも全員が好きと言えるのかは別だと思う。うるさいとか手間がかかるとかありますからね。

このあたりまでの話は、僕にとって幼いかわいさ。当然のことながら性的な欲求などはゼロ。絶対にゼロ。別に犯罪だからとかじゃなくて、本能としてそう思う。

しかし小学生の幼い子供の時期が終わって、中学生ぐらいまで成長すると、もしくはもう少しいって高校生とか。
このとき、やっぱり小学生とか中学生を区別するのは、年齢だけで、成長の個人差というのは依然として存在している。

この年齢からが、僕にとって幼いと若いが混在している時期だと思っている。

この時期の人で、幼いというの印象を持つような子は子供として好きだから全く性的な欲求は生まれない。しかし若いという印象を持つような子の場合、これはあきらかに子供として好きというよりは、性としての欲求も出てくるような、好きでありかわいいである。

もちろん場合によっては、高校生でも子供としてかわいいというパターンだってある。ひょっとしたら大学生ぐらいまでもあるかもしれない。しかしその混在している濃淡は、黒→グレー→白ということで、徐々に混ざりながらも、大人の雰囲気になってくる。
単純に中学生を10人並べたときに、9人が子供としてかわいいと思っても、それが高校生だったら、5人が子供として、残りの5人が性的な。大学生だったら9人が性的に。っていうだけのことである。

そして、じゃあ何歳からという質問に戻る。ここで濃淡の出てくる年齢は中学生からだと思っている。もちろん1割程度しか存在しないのであれば、高校生からということにしてもいいし、確実性は増す。
しかし小学生の中で若さを感じる事は、まずまずゼロであることを考えても、濃淡ができはじめる節目の時期というのは重要ではないかと思っている。

そういうことで、僕の言う若い子が好きだというのは、あくまでも幼い子が好きという、性的なアブナイ方向性ということではないと、改めて主張したい。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/29    カップル(彼関連)

※記憶のことなので、事実と違う描写があると思います。たぶん彼が読むと、僕はそんなにだらしなくなかった!と言いそう・・

出会ったばかりの時、生活面での不一致は多かった。部屋に行ったとき、ありがちな「ちょっとまってて」で部屋を片付けていた。5-10分ほどで片付いたみたいで、すぐに部屋に入ることができた。僕は後日「10分で片付く程度の散らかり具合なら、毎日10分使ってきれいにしときなよ」と。

色々と話を聞くと、散らかっている原因は出しっぱなしにあると知った。彼は自分の見た目やおしゃれに気を使うので、化粧水を使ったり、整髪料を使ったり。さまざまな化粧道具を利用している。それがテーブルの上に出しっぱなしになっていたのだ。

僕の持論として、相手に何かを求めるとき、それを強制するのは絶対によくない。しかも生活のスタイルを変化させるようなことだったらなおさらである。でも変わって欲しい。
ということで、僕が片付けるのである。

最初の数回は、彼の家に行くと、化粧品を片付けるのが僕の仕事だった。またすぐに使うから出しっぱなしでいいよ。と彼は言う。その通りなんだけど、「出しっぱなしで手元にあることを喜ばないの!むしろしまってあってすぐに取り出せない、使えない状態のときに喜んだ方がいいでしょ。片付いている証拠なんだから」と。暴論なんだけど、そう繰り返し主張していた。

すぐに彼は化粧品のだしっぱなしをやめた。使ってはマメに片付けていた。僕はそれだけで満足だったんだけど、いつの間にか他の部分の掃除も始めた。「そこは見ちゃダメ」という、秘密のぶっこみスペースが最初はあったが、すぐに無くなった。
その結果、今では僕がすぐに散らかすと言って怒られるのである。

僕はさんざん、自分のわがままを記事に書き、彼の健気さを記事に書いてきた。これらはすべて(誇張された)事実ではあるが、じゃあ最初からそうだったのか。という話である。
もちろん出会ったばかりの頃は、当たり前だが単なる若いおとなしい子であった。それが少しずつ僕がお願いをし、それを彼がかなえてくれることによって、お互いの関係は変わり、少なくとも僕から見てかれは若い子から魅力的な子に変わっていたのである。

さんざん書いているこのブログの雰囲気だけを見ると、そして場合によっては実物の僕を知っていると、まったくもって彼は健気で、何で「かお。なんかのために」という疑問が生じるかもしれない。

僕は彼が片付けをするようにお願いする過程で、最初に書いたとおり、強制を伴う何かや、小言としての注意などはしていない。単純にきれいであることがすばらしいことと、それを維持するためのちょっとした考え方を伝えただけである。
だから彼が何か具体的に、例えば日々掃除するとか、週に1回は掃除機をかけるとか、そういうことは、極端なことを言ってしまえば僕が強制させているわけでもないし、変な約束をしているわけでもない。
もちろん、(そうであって欲しいと思っているだけかもしれないが)無言の圧力などと言うこともないと信じている。

僕自身ができないことを、他人に強制するつもりなど僕は全く持って考えの中に無い。あくまで考え方を促すことが少しできるだけである。
だからであったときから変わらない彼の色々な考えはたくさんあるし、それをどうこうしようとは思わないし、たぶんできないだろう。

確かに僕はかなり面倒な言動や行動が多く、それはそれは大きな問題を抱えている。しかし彼が健気になってくれるようなアドバイスの方法によって、今の状態が実現できているのだとすれば、僕はとてもうれしいことだと思っている。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/28    考え(ゲイ関連)

出禁というのを知っているだろうか。要するに入店禁止のことである。入禁ではなくて、出禁という表現なのは不思議ではあるが・・。

僕はここではあまり発言していないが、例えばツイッターであったり、職務上ではよく発言する言葉がある。「ルールなんてクソ食らえ」と。

常識以上のルールを強いるのは僕は大嫌いである。それはもちろん僕が非常識だから、たとえ普通のルールであっても真っ先に僕自身が破ることになることへの不安というのも大きい。

もちろん人間が社会的な活動を行う以上、一定のルールが必要なことは理解しているし、それはとても大切なことだと考えている。何も常識を破ることをどうのこうのと言うのではなく、ローカルルールといわれる、小さなルールをすぐに決めようとする、その姿勢に僕は大いなる疑問を感じるのである。

仕事では、僕はルールを守る側でもあるが、決める側でもある。自分に納得がいかないことがあれば、ルールを作り、それを関連する人たちに守らせようとすることはおそらく簡単である。そしてそれは、さも常識っぽくルールを決めることだって可能だろう。そしてそれは、通常罰則とセットになっていることが多い。
例えば挨拶の声が小さかったら、バツとして掃除をする、とか。誰がどのような意図でルールを決めるのか分からないが、とにかく僕はこの手のことが大嫌いだという話。

コミュニティが小さくなると、その小さなコミュニティを「維持する」という目的で様々なルールが作られる。そしてそれを破った場合のペナルティが出禁であることがほとんどである。
僕はかつてゲイコミュニティのサークルに参加していたことがあった。そしてイベントの日を勘違いしており、当日に無断ですっぽかしてしまったことがある。イベント終了後になって「なんで今日来なかったの!連絡もしないで(怒)」という電話がきて初めて気づいた。

結果としてそのコミュニティからは出禁になってしまった。何度となく謝罪をしたり、僕が想像できる範囲でのフォローなども行ったつもりではあったが、決定がひっくり返ることは無かった。
※ちなみにBBQだったと思うので、直接的な迷惑をかけるというよりは全体的に迷惑をかける感じだったと思います。

この決定に僕が不満を感じている訳では決してない。そうではなくて、このコミュニティのルールがあり、そのルールの最高の部分には出禁という選択肢があることにすごく恐怖を覚えているという話である。
何かのペナルティを必要に応じて与える場合、それが本当に妥当なのか。それはすごく難しいことでもある。
コミュニティを維持するために、時には強権的なことが必要だという考えは理解できる。しかしその強権的であることが、どこまで妥当なのかという検証が行われているのか。そもそもその検証は放棄され、属人的なことに依存しているのか。正直なところ僕にはよく分からない。し、それは決して強権的なことではなく、熟考に熟考を重ねた結果だと信じたいが。。。

お店に損害を与える場合や、著しく雰囲気を壊す場合、、、例えばそれは静かなお店でうるさいとか、若い子へ向けたサービスをオジサンが利用するとか、その逆とか。
そういう場合に、「いることが不適当」という理由で、積極的な出禁というのは分かる。しかしそうじゃない出禁もあり得るような気がして怖い。

僕は結局のところ「悪い人はいない」というのを強く信じている。だから出禁という考え方とは相性が悪いのは事実である。僕であれば「不適当なので自粛を促す」というのが、おそらく僕のする実質的な出禁だろうと思う。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/27    考え(ゲイ関連)

出会いの方法を聞いたときに、もしくは自分自身の体験談として、妙なジンクスを信じている人が少なからずいる。

例えば性的なことから入った恋愛はダメとか。画像交換するまでは素っ気なかったのに、交換してから突然ガツガツするような人はダメとか。
出会ってすぐに性的なことをすると続かないとか。

とにかく色々なジンクスが存在している。

僕自身はこのジンクスは全くアテにしていない。
もちろんいくつかの興味深い事実がそこには含まれているので無意味なジンクスと混同しがちでもある。しかしそこは別々に考えなければならない。

僕がもし、お酒を飲めない人と付き合いたいと思っていたとする。このとき、もし恋人候補の人と居酒屋で知り合った場合、飲めない人である可能性は少ない。また飲めない人というのを、お酒を飲まず、さらに飲み屋にも行かない人と定義していたとすれば、さらに遠くなる。
これは単純にセグメントの問題で、このことからもし居酒屋で知り合った人とはうまくいかない。というジンクスのような気持ちを抱いたとしても、それはジンクスと言うよりも、もはや経験上のことだろう。

完全なジンクスを信じている場合。例えばそれは会ってから○回以上会ってからじゃないと家に呼ばないとか。しかもそれを破ると、続かないというような考え。この場合について、僕は全く持ってナンセンスだと考えている。
この場合、単純で非常に大きな事実が一つだけ隠れている。要するに1回目で家に呼んで、例えば性的なことをして、すぐに終わったとする。これは1回ヤったら終わり。ということを示唆しているのである。10回会ってようが、100回会ってようが、1回ヤったら終わりなことは変わらない。1回を済ませるために10回会ってその間は大切にしてもらいたい。というのなら話は別であるが、長期的な関係を作るためにこのような考えをしているのであれば、根本的に間違っているように思う。

交換をきっかけとするのもそう。もちろん画像交換をきっかけとして、モチベーションがアップしたりダウンするのは事実である。これはもう容姿についてさんざんブログでも書いてきたことである。しかしタイプだとすれば別にそういう行動は問題ないだろうし、タイプじゃない人と早い時期に疎遠になるのはとても大切なことである。これも性的なことと近いが、会うまでに1日だろうが100日だろうが、1回会って顔を見たら、タイプの判定は絶対することになる。画像交換をせずに会って結果的に続いた恋愛の場合、画像交換をしていても続いただけのことである。その逆もそう。
もちろん全員がそうではなく、性格重視だから顔は気にしない=写真の交換はしない。ということはあり得る。だってゲイは身体重視の人はやっぱり顔画像はいらないみたいだし、アソコの大きさ重視の人だってそう。:P

と、この話を書くときには、自分自身のことを振り返らなければならない。
僕は今の彼と会うときに、画像の交換はしていなかった。そもそも恋人を探すつもりでは無かったというのが一番の理由である。・・・ちなみに会う直前に交換した印象は可もなく不可も無し。
もし早い段階で画像交換していても、今の状態になることに大きな変動要因とはなり得ないのではないかと考えている。

さらに彼も似たようなことを考えていた。僕は今も基本的な考え方は変わってないが、上記の通りどうせすることになるなら、軽い性的なことも重たい性的なことも早いうちに済ませるべきだと考えている。
そうしないとかなり親密になってから身体の相性が悪かったなんてことになりかねないし。
ということで、結構最初のころから積極的にいったら明確に拒否されたことがある。そしてその理由を尋ねた。
僕「ダメだった?タイプじゃない感じ?」
彼「いや、そうじゃなくて、知り合ってまだあんまり会ってない状態ですると、長く続かないから」
というやりとりだったように記憶している。

もちろんこのときに、「何をいってるの。すぐにしても、そうじゃなくても、続く相手なら続くし、そうじゃない相手なら続かない。あなたは他人を見る目がないから、そういう判断基準をよりどころにするけど、俺はちゃんと相手を見る目がある。だから今キスとかしても別に長期的な関係の有無とは関係ない。そしてその判断基準がお互いに違ったときに、稚拙な方に合わせるのはおかしい」
というニュアンスの話をしたと思いますw

とにかくジンクスなんて嫌いだ。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/26    ブログ

記事の更新の方法を間違えました。
ホントはここに掲載する予定だった記事は10月28日に掲載されています。
ということで、本日の記事はお休み。

  2011/10/25    考え(ゲイ関連)

好きなタイプはどんな人ですか。そのように質問をすることも、されることもあります。僕は大変単純で、かわいい子と表現しています。
この回答の中に、比較的多いのが「いかにも」な人だという回答です。

そしてこのいかにもという表現で、だいたい分かってしまうのです。

それぞれが微妙に心に思い描くタイプというのは違うかもしれません。しかしだいたいは、短髪で、ヒゲがあって、体型がガッチリしているような感じです。

僕自身はいかにもな人というのは、どうにも苦手です。しかしそのいかにもな人たちというのはモテルのだから不思議。

実際、若い人にはいかにもな人は少ないように思います。実際そのような話を聞いてみたら、いかにもな人は30代から輝くということを言っていました。
例えばその人たちが言う、いかにもになるには、20代の幼い顔つきでは似合わないのかもしれません。
また20代はいかにもという武器が無くても恋愛は普通に行えるでしょう。だからそのときにはまだ目が出ていないのかもしれません。
30代が近づくにつれて、何か新しい方向性を見つけなければならない時に、いかにもな人に変身するというのは、大いにあり得ることです。しかもそのときには顔つきなども大人っぽくなっているでしょうから、ますますいかにもな人になれると。

しかしそのように話を聞いても、理解はできますがどうも実感がでてきません。

僕はおそらくいかにもな人には絶対なれないので、需要が大きくモテる可能性が非常に高いそのジャンルに身を置くことができないのは、非常に残念ではあります。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/24    考え(ゲイ関連)

かつてはゲームをしていました。今はTVも無い生活を送っているので、当然ゲームとは無関係な生活です。

※といいつつも、ゲームを勢いで買ってしまったことがあり、、ホントに無駄の局地だと理解しています。一応彼の家にゲームはあるので、無駄にはなりませんが。

ゲームのやり方についても、ゲイらしさというのが出てくるように思う。というのが今日の話。

ゲイはなぜか、きらびやかな世界を好むことが多い。それは女性的な感覚ということでくくってしまうのは危険だが、しかしそれは事実のような気もするのである。
例えば僕の世代であれば、ドラゴンクエストシリーズや、ファイナルファンタジーというRPGゲームは誰もが知っていると思う。

ドラゴンクエストは主人公がいて、その主人公は自分を投影させるような作りになっているように思う。だからドラクエは、主人公=自分となり、キャラへの思い入れは、少なくとも初期のシリーズまではあまり無かった。

一方で、ファイナルファンタジーはキャラに焦点が当てられることが多く、僕はあまり詳しくないが、好きなキャラ、思い入れの強いキャラというのが生まれやすいように思う。
この思い入れの強いというのはとても重要な事。

さてゲイの場合。この時に好きになるキャラにほとんど主人公は出てこない。どのようなゲームでも、主人公というのは、強さも覚える魔法もすべてにおいてバランスがいいことがほとんどである。要するに使いやすい、育てやすいキャラクター。だから普通にゲームをしていれば、その主人公に一番思い入れが強くなるのはごく普通のこと。

しかしゲイはそんな理由で好きなキャラを決めない。見た目がかわいいからとか、肉体的な強さを持ったキャラよりも、僧侶とか魔法使いとか、弓使いのようなちょっと間接的な役割を担ったキャラを大体好きになる。

特にファイナルファンタジーや魔法のバランスが非常に上手なので魔法使いをメインに育てることも十分可能なのである。
だからゲイはファイナルファンタジーが好きな事の方が多い。ドラクエは魔法使いをメインにするにはかなり厳しい。だからせっかく魔法使いに思い入れが強くて育てても対してゲームでは役立たないことが多い。

まさに特徴的な例もあるぺらん子さん ゲイブログの中でお笑い枠を担っているぺらん子さんに出てくるゲームの話。

全部ゲームの視点じゃなくて、ファッションとかキャラの想像だ。きっと思い入れの強いキャラもそういう視点で決められるのだと思う。

彼もそんな感じ。例えば主人公の性別がき決められるようなゲームの場合、明らかに男性設定のゲームなのに女の子になってたり。一番思い入れを強くするキャラクターは魔法使いだったり。

ゲームのやり方でゲイらしさというのは必ず出てくるのだと僕は思っている。

  2011/10/23    考え(ゲイ関連)

僕は、アホらしいと思いつつも心に強く決めて、しかもしっかりと守っていることがある。それが、望んでいることは常に考え、口に出せ。ということである。これは仕事でもそうだし、恋愛でもそう。

よく、あきらめている。ということで、出会いを望まなかったり、たまたま出会ったときにもそのチャンスを失ったりしている。別に積極的である必要は全くないが、そういうチャンスを活かせないというのは、いかがなものだろうか。

僕は自分の性格や容姿について、またそれ以外の人的な魅力について、だいぶ大きなハンデを背負っていることを知っている。そしてそれを治す気が無いことももうあきらめている。
じゃあ、恋人はそういうことを受け入れてくれる、妥協しまくった相手でいいのか。という話。
僕ぐらいの性格であれば、「自分はこんなだから仕方が無い。色々なことを妥協しても好きになってくれる人がいるなら、御の字だ」なんて考えることもできると思うし、ある意味ではそれが自然かもしれない。
しかし僕はそのように考えない。「妥協しなくても必ずいい子が見つかる。それは他人に自慢できるほどかわいくて、頭がよくて控えめで、料理ができてきれい好きで僕の面倒を見てくれる人」と。そしてこの、ばかげた夢物語を実現するために、僕はなんの努力もしない。
するのは、その夢を信じて、できれば口に出すことである。僕はもちろん独り言でそんなことをつぶやくようなことはしない。そんなのは恥ずかしい!。しかし例えばお酒を飲んだ時に友人たちに、「そういう人と付き合いたい」と考えていることを主張するのである。そして必ず「そんな人はいない。いても金目当てか何か別な大きな欠点がある人だろ(笑)」という、オチがつく単純な笑い話になる。

それでいいと思っている。ちょっと手の届くような目標だととたんに現実的な妥協とか我慢をするようになる。しかし夢のような目標であれば、ちょっとでも妥協しなければならないことがあれば、すぐに次を探せばいいだけのこと。ひょっとしたらそんな相手は見つからないかもしれない。そこだけは賭けである。ただし勘違いしてはいけないのは、際限のない夢ではなくて、最初に目指したゴールは、たとえゴールに到達しても絶対に変えないこと。またたとえ夢であっても、かならず妥協点は持っておくこと。例えば僕の場合であれば、自分が稼げばいいから相手には金銭的な余裕は一切求めないし、友達は少なくていいし。(料理も結果的にはうまくなったけど、冷凍食品などのいくつかの例外を除いて、別にめちゃくちゃおいしい必要も無かった)

僕はそのような夢物語を設定したのには、訳がある。それは絶対に僕には恋愛は無理だと思っていたから。僕が自分を客観的に見ても、どう考えても恋愛には向かない。それは妹にもさんざん言われたことだし、友人にも言われているし、言われ続けていた。そして僕自身もそう思う。さすがに問題ありすぎだろ!って。

だから叶わない目標を設定したほうが都合がよかった。高すぎる目標だから、っていう叶わない理由ができるから。
一人でもいいやって思える理由もあった。仕事を中心にしてたくさんがんばりたいことがあった。外出が嫌いだったから恋人ができて外出しなければならないことがが面倒だった。
転職などのゴタゴタで、収入が安定しなかった。住む場所も実家から出るつもりで安定していなかった。などなど。一人でいる理由を挙げたらきりがない。

唯一心配していたのが性的なこと。これは冗談ではなくて、本当に深刻だと思っていた。
恋人と楽しい時間を過ごすことも大切だけど、性的なことも避けるわけにはいかなかった。しかし例えばそれは、風俗であったり、ゲイを対象としたサービスも存在している。だから僕は恋人がいなくても、手っ取り早くそういうのを利用するのか、もしくは性的な目的に絞った出会いを求めるのか。どちらにせよ、その覚悟をしていた。

性的なことをのぞけば一人でいることは全然覚悟は必要なかった。

だから僕は、僕よりもずっと性格もよくて、それでも見つからないと嘆いている人には、「絶対にそんなことない。」そのように言うのである。だって、この問題児の僕でさえ見つかったんだよ?と。
そしてそう言うと、「んまあ確かに奇跡だよね。いつ愛想をつかされるの?(笑)」と、結局これもまた笑い話になってしまう。

とりあえずアホらしくても、理想を設定することとそれを口に出すことは大切だって言う話。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。

  2011/10/22    ブログ

すいません。サボってしまいました。
ちゃんと予約投稿などしないとだめですね。。。あと少しなんで頑張ります。