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2011/09/03 日常

お酒を飲むと性格が変わる。それはもちろん僕自身のことでもあるし、お酒を飲む大多数の人がそうだと思う。
僕自身はお酒は大好き。それは味として。最近はあまり積極的に家で一人では飲まないようにしているが、飲みたいと思う時も多いし、都度都度やっぱりおいしいと感じている。
そしてただ味わうだけで終わらないのがお酒。飲むと当然酔っぱらう。そしてそのときに性格の変化がある。
もちろん楽しくなる人もいれば、ネガティブになる人もいる。僕は僕の性格から、あまりネガティブになる人を知らない。泣き上戸という言葉もあるのだが、そういう人も知らない。本当にそういう人などいるのだろうか???
僕は楽しくなる。些細なことでも楽しくなる。あとは若干攻撃的になるのかもしれない。もともと意見が固定的であったり、口調が強いことと相まって、ひどいかもしれない。
僕の彼などは、もともとおとなしくて、酔っぱらってもおとなしい。若干ネガティブになることもあるけど、それもあまり感じない。酔っても怒らないし、本当にそのまま。
普段静かな人がお酒を飲むと豹変する場合がある。先日のゲイタンを通して知り合った人の中にもそういう人がいた。飲んでいない状態か、もしくはほとんど酔ってない状態で話をした。いくつかの話をしたときには、僕の質問に対してははっきりと答えてくれる。そういう会話の中で得た印象は、少しおとなしい人だな、と。
実際、大阪滞在中にした会話を通じてはすべてその印象であった。聞けばちゃんと返すけどそれまで。もちろんそれは全然イヤじゃないし、僕はそういうタイプの人が大好きなのはいまさらいうまでもない。
しかし少し多めにお酒を飲み始めて、徐々に性格の変化があった。最初のころは、上記の通り、静かで控えめであった。
しかしお酒が進むにつれて、徐々ににぎやかになってきたのである。非常に楽しそうでもあった。
積極的に話しかけてくるし、くだらないことでもいちいち話に食い込んでくる。
普段のおとなしい状態を知っている僕としてはとても驚きであった。
しかし、その状態も魅力的だと感じた。酔ったときにおとなしくなるよりも、酔って一緒に騒いだ方が絶対楽しいと思う。もちろん飲めなくて、そうならない人もいると思うが、それはそれで別にいい。ただし、やっぱりネガティブになるのだけは、せっかくの楽しさが半減してしまうように感じる。
ちなみに、酔ったときの性格は抑圧された自分が解放された状態になると言われる。だからおとなしい人の場合、普段はもっと騒ぎたいのに・・・ということだろうか。しかしどうにも納得いかないのは、僕は普段のままだと思う点である。普段から、そういう意味では攻撃的だし、あまり怒らないのも変わらない。だから酔ったときの僕の楽しそうな姿を見て、ああ、かお。さんは普段よっぽどストレスで、つまらない毎日を過ごしてるんだなぁって思われたらちょっとどうなのだろうか。
さて、話は変わって。
僕自身は、そういう楽しくなる酔い方である。”だからお酒が好きなんだろう” そのように思われるかもしれない。しかしそれは正確ではない。僕の場合、お酒は単純に味が(も)好き。だからビールなどは苦いと言われているし、僕自身もそう思うが、その味が大好きなのである。しかしビールテイスト飲料は苦手なので、アルコールの存在も大切なのかもしれない。
お酒は大好きなのに、あまり量を飲めないのはちょっと残念でもある。お酒がつよい人と飲むと、中途半端につきあえるので、その途中でギブアップになってしまう。もう僕も30歳という、いい大人どころかおじさんになりつつあるので、「大人の飲み方」をこれからは追求していきたいと考えている。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/09/03 日常

お酒を飲むと性格が変わる。それはもちろん僕自身のことでもあるし、お酒を飲む大多数の人がそうだと思う。
僕自身はお酒は大好き。それは味として。最近はあまり積極的に家で一人では飲まないようにしているが、飲みたいと思う時も多いし、都度都度やっぱりおいしいと感じている。
そしてただ味わうだけで終わらないのがお酒。飲むと当然酔っぱらう。そしてそのときに性格の変化がある。
もちろん楽しくなる人もいれば、ネガティブになる人もいる。僕は僕の性格から、あまりネガティブになる人を知らない。泣き上戸という言葉もあるのだが、そういう人も知らない。本当にそういう人などいるのだろうか???
僕は楽しくなる。些細なことでも楽しくなる。あとは若干攻撃的になるのかもしれない。もともと意見が固定的であったり、口調が強いことと相まって、ひどいかもしれない。
僕の彼などは、もともとおとなしくて、酔っぱらってもおとなしい。若干ネガティブになることもあるけど、それもあまり感じない。酔っても怒らないし、本当にそのまま。
普段静かな人がお酒を飲むと豹変する場合がある。先日のゲイタンを通して知り合った人の中にもそういう人がいた。飲んでいない状態か、もしくはほとんど酔ってない状態で話をした。いくつかの話をしたときには、僕の質問に対してははっきりと答えてくれる。そういう会話の中で得た印象は、少しおとなしい人だな、と。
実際、大阪滞在中にした会話を通じてはすべてその印象であった。聞けばちゃんと返すけどそれまで。もちろんそれは全然イヤじゃないし、僕はそういうタイプの人が大好きなのはいまさらいうまでもない。
しかし少し多めにお酒を飲み始めて、徐々に性格の変化があった。最初のころは、上記の通り、静かで控えめであった。
しかしお酒が進むにつれて、徐々ににぎやかになってきたのである。非常に楽しそうでもあった。
積極的に話しかけてくるし、くだらないことでもいちいち話に食い込んでくる。
普段のおとなしい状態を知っている僕としてはとても驚きであった。
しかし、その状態も魅力的だと感じた。酔ったときにおとなしくなるよりも、酔って一緒に騒いだ方が絶対楽しいと思う。もちろん飲めなくて、そうならない人もいると思うが、それはそれで別にいい。ただし、やっぱりネガティブになるのだけは、せっかくの楽しさが半減してしまうように感じる。
ちなみに、酔ったときの性格は抑圧された自分が解放された状態になると言われる。だからおとなしい人の場合、普段はもっと騒ぎたいのに・・・ということだろうか。しかしどうにも納得いかないのは、僕は普段のままだと思う点である。普段から、そういう意味では攻撃的だし、あまり怒らないのも変わらない。だから酔ったときの僕の楽しそうな姿を見て、ああ、かお。さんは普段よっぽどストレスで、つまらない毎日を過ごしてるんだなぁって思われたらちょっとどうなのだろうか。
さて、話は変わって。
僕自身は、そういう楽しくなる酔い方である。”だからお酒が好きなんだろう” そのように思われるかもしれない。しかしそれは正確ではない。僕の場合、お酒は単純に味が(も)好き。だからビールなどは苦いと言われているし、僕自身もそう思うが、その味が大好きなのである。しかしビールテイスト飲料は苦手なので、アルコールの存在も大切なのかもしれない。
お酒は大好きなのに、あまり量を飲めないのはちょっと残念でもある。お酒がつよい人と飲むと、中途半端につきあえるので、その途中でギブアップになってしまう。もう僕も30歳という、いい大人どころかおじさんになりつつあるので、「大人の飲み方」をこれからは追求していきたいと考えている。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/09/02 考え(自分関連)

僕のことを書こう。先日のゲイタンを通して、このブログの読者に多少の変化があったかもしれない。今まで、書き手としての僕は読者を具体的に意識することはなく、僕自身の気持ちを全面に押し出していた。
もちろんこれからも、顔が思い浮かぶ読者とともに、顔の思い浮かばない大多数も今まで通り楽しんでもらえるようにがんばっていきたい。
今回、Times Online Sociology: Entry 015 G-noveau2011 in Osaka(後編)というブログの記事を受けて。
たくさん色々なことが書いてあるが、僕はその中で「人見知り」という部分を取り上げたいと思う。
僕も人見知り。と書くと、僕のことを知っている人は、また大げさに書いていると言われてしまう。そう。僕自身は誰かとある程度の時間をコミュニケーションを取りながら過ごすことは全く問題がないし、それは他人から見たときに、非常に楽しそうに見えるし、楽しんでいるように見えるハズ。
若干、もしくはそれ以上に僕の会話の方法は強引なこともあるので、そういうスタイルのコミュニケーションを苦手とする人は多いと思う。
僕自身は、こういうことを書くと理解いただけない可能性もあるが、非常に会話が苦痛である。きらいである。苦手である。多少それができるからまた問題でもある。もし見知らぬ人たちと会話をして、その場で仲良くなったとする。確かに最初の緊張とは違い、後半ではだいぶリラックスできるようになる。
しかし自宅に帰ってから、どっと疲れが出てくるのである。ひどいときには、またこういったコミュニケーションが続いた場合、ひどいときには熱が出て頭痛がするときもある。
これはもう僕の性格だと考えている。
その理由は、単純に怖いというのがある。色々な人からの意見を聞けるとき、それはとても有意義である。もちろん僕自身とはまったく意見が違う場合もある。そして考え方が違うことは僕の場合は非常に多い。
諭すようにしゃべる人もいれば、意見を述べるだけにとどまる人もいる。経験から述べる人もいれば、理想を述べる人も。厳しい意見もあるだろうし、賛同してもらえる場合もある。そのどのような手法・内容だったとしても、非常におもしろいことだと思う。
僕自身も同様に、様々な意見を述べる。それはもうこのブログに書いている通りでもある。
このとき、お互いの認識が一緒であれば問題無いし、ほとんどの場合がそうである。意見という意味では、何を述べてもいいし問題は無いはずである。しかしそのようにしていると、意見と人格が同一としてとらえられてしまうことも多くあります。もちろんそのほとんどが、同一なのは事実ですが、必ずしも持っている意見と、それに伴う行動が一致していることはないだろうし、意見は誇張されている可能性だってある。
もちろん誤解を与えないような、静かな意見を自身が述べればいいのだろうが、やっぱりそんなことはできない。それは性格の部分だと思う。
すると、僕が会話を始めるそばから誤解が生じる可能性がある。そしてそれは、もうずっと前からそうであった。いまだにそうである。
でも僕は自分のそれでもいいと考えている。だって今までだったらそんな「性格だからいつまでも一人なんだよ」なんて言われたら本当にその通りだった。でもいまはこんな性格でも恋人がいるんだからいーじゃん。っていうよりも、この性格のおかげで見つけられたんだと考えるようにしている。そう考えたら、こんな性格でもいいじゃないかと。
ちなみに参考で挙げたタツヤさん。その数日後の記事で、頻繁に訪問者がいたという記事が書いてあった。ううんどこが人見知りなんでしょうか。不思議です。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/09/01 ブログ

色々な人との交流を通じて、いくつかの質問をすることがある。もちろんそれは、私生活に関することもあれば、性に関することとかでもあるし恋人のことなどもある。興味があることを、基本的には質問している。
その中でブログを書いていますか?という質問をすることがある。そしてこの質問を投げたとき、書いている人・書いていない人双方とも、大変興味深い意見を聞けることが多い。
書いていない人は、続かない・ネタが無いということを理由とする場合が多い。
書いている人は、それこそ様々で、なんでもいろいろな事が書きたいという人がいれば、気になったことだけをたまに更新している人もいるし、その人なりの更新方法でブログを続けている。
昔書いてたけどやめちゃったって言う人もいる。
僕は基本的に、みんなブログ書けばいーじゃんっていうスタンスである。とはいっても、ネタが無いことも書き続けることが大変なのも感じているから、それが大変だからという理由で書かない事は非常に理解できる。だけど、書くことによって広がることもあるし、新しく気づかされることも多い。
ブログを書いている人や、これから書こうとしている人で、非常にアクセスを気にしている人がいる。もちろん自己満足の記事を書くことについては、色々考え方があると思う。だから読者を意識し、記事を書くことはすばらしいと思うし、また僕の登録しているランキングなどでは、上位になっている方々は非常に、魅せる文章を書いているように思う。
僕の場合、もちろんアクセス数などが気にならないといえばウソになる。だけどほとんど気にしていない。他の記事でも書いたけど、ブログ村への登録ぐらいが、他から読んでもらえる可能性だった。
幸いなことに、現在は読者数やアクセス数がおおむね一定の範囲に収まっており、安定している。
もし僕のブログが誰にも読まれてなかったとしたらそれはどうなったのかと考えるときがある。
そもそもアメブロがSNSとの混合だと言うことを知らなかったから、今まで他のサイトで書いていたように、おそらく静かに更新し、静かに楽しんでいたと思う。個人的にはそのスタイルも嫌いじゃない。
もちろん今のように、色々な人に読まれて、場合によっては声をかけてもらえて、ブログの記事をかいているかお。さんということで、僕自身に興味を持ってもらえるとか、すごくうれしいし、楽しい。
もしこれから書く人、書こうと思っている人がいるなら、ぜひブログを始めて欲しいと思う。もちろん誰も読まない可能性だってあるし、書きたいことがすぐに書けない、伝える事が難しくて頭を抱えることも多いかもしれない。だけど、そうして投稿されたブログは必ず誰かの目にとまり、その人に何らかの影響を与える可能性は大いにある。
だって、自分勝手に好き放題書いているこの記事でも、おもしろいって読んでくれる(変わった?)人がいるんだから。