過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

性的な相性(やや性的な表現が含まれます)

   

相性というのは様々な時に意識される。もちろんそれは友達として「馬が合う」という場合もあれば、ビジネスや社会的な立場として考え方が近いので、同じような行動をすることを相性がいいということと表現する場合もある。

そして性的な相性というのも当然ある。ここで僕は考えることがある。

「相性がいい」そのように言われたときに、鵜呑みにしてもいいのだろうかと。逆に自分が相性がいいと思うのはどのようなときだろうか。と。

昔のセックスのテクニックがまだ無かったとき、端的に言えばヘタだったとき、相性がいいと言われることはほぼなかった。

しかしそれでもたまに言われることはあって、その場合は、例えば体型だったりとか、アレのサイズだったり、好きな体位などの、テクニックに依存するというよりは、単純に持っているパーツや興奮するシチュエーションが重要であった。もちろんテクニックが無いのだから仕方がないことでもある。

しかし時とともに、経験を積んで相対的に相性がいいと言われることが増えるようになった。もちろん絶対的な数は少ないかもしれないけど、珍しいことでもなくなった。このときに、自分としてはどこをもって相性がいいと思うのか疑問が生じるのである。

相思相愛としてお互いが相性がいいという認識を持っていれば別にそれでいいと思う。しかし難しいのは、意外と一方通行になってしまうことである。相手が僕に対して「相性がいい」という感想を持ってくれたとしても、僕がそのように考えられるのか。さらに、僕としては「相性が悪い」と思っているような相手から相性がいいと言われることもあって、さらに混乱するのである。

もちろん相性がいいと思われる=気持ちよかったという、プレイの評価として考えるのであれば、大変にうれしいことでもある。確かに経験の少なかった頃に比べると、だいぶバリエーションは増えた。できる体位だって増えたし、性感帯の分布も昔に比べれば知ってるし。激しいのみのかつての動きから、今なら緩急をつけた内容にできると思う。イクために一直線だったプレイは、今なら興奮の山と谷を意識しながらうまく持続させることもできるだろう。
その結果としての相性を言われるのであれば僕は大変うれしい。

一方で僕自身が相性がいいと思うのはどのようなことだろうかと思う。一つの考え方として、プレイの流れというのは非常に重要である。
好きなプレイというのは、「したい」「されたい」という2つがある。そしてしたいこととされたいことが一致している人もいれば、したいこととされたいことが一致していない場合も多い。

若干直接的な表現で恐縮だが、キスなどは、したいとされたいが一致しやすいパターン。そもそもしたいけど、されたくないっていうことが不可能だし。フェラなどは不一致が生じやすい。なめるのはいいけど、なめられるのはそこまでとかって言う感じ。僕の好きな顔射もそう。僕なら、するのはいいけどされるのはちょっとね。。。

その一つ一つの行為の一致度が高い場合には、たとえテクニックがまだ未熟だとしても、僕は「相性がいい」と感じやすいように思う。

逆にテクニックがうまい人の場合、これが非常に難しくてかなり狭い対象範囲であれば、相性がいいと認識すると思う。しかしそれは現実的ではないと思う。上記に挙げたように、プレイの一致度の方が僕にとっては重要。だからテクニックが全体的にすごい場合、それは一方的に気持ちよくして欲しいとさえ思ってしまう。本当にうまい人の場合、僕が稚拙なテクニックを披露するよりも、身をゆだねた方が全体的な満足度は高いように思う。そしてそれは現実的ではないのでなかなか難しい。だから僕はうまい人に対しては、なかなか相性がいいという評価はできないのではないだろうかと考えている。

これからも色々な人に相性がいいと思ってもらえるように精進したいと思います。
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