「 月別アーカイブ:2011年08月 」 一覧
2011/08/21 日常
2011/08/20 フェチ/好み/タイプ

もう慣れてしまったので何とも思わなくなった。だけど、自分の性的な好みは非常に微妙なのではないかと思う時がある。
ゲイの場合、ネコが多い。これは気持ちは分かる。タチとして積極的なプレイを望むのであれば、それは女性を相手にしているのと似ている部分がある。
だから女性(ビアン)の場合はタチが多い。男女の恋愛においては、男性が攻める側であれば、女性が受ける側というある種の見方があると思う。これに乗っ取るのであれば、ゲイにはネコが多くてビアンにはタチが多いというのは何となく分からない話でも無い。
もちろん性的なスタイルだけがすべてではないのは前提だが、少なくとも方向性としては、男性がタチをやりたいのであれば、それは女性と恋愛をしているのと、その部分においてはあまり変わらない。
以上が性的なスタイルに関する話。
かわいい子がタイプ。そのように言うとゲイの世界では比較的珍しい部類に入るようである。たいていは、いわゆる体育会系のような、ヒゲ・筋肉などがモテの要素であったりする。いわゆる男っぽいと表現される。
もちろんこの気持ちをも分かる。男性が好きというときに、代替性があるのは変な話だと思う。つまりかわいい子がいいという場合、それは女性に向くことが可能なのではないかと考えてしまう。女性らしさが全くない人、、、男っぽい人、、、を好きになるのは、ゲイとしてはある意味普通だとそういう意味でも思う。
しかし当然男女という違いがあるので、ゲイである場合にはかわいいがタイプであることは別に不自然ではない。
次にバイということがある。上記のような場合、かわいい男の子とかわいい女の子の境目は非常に曖昧なのである。であるならば、いわゆる常識的に女の子にしておけばいいじゃん。っていう気持ちもある。
だから僕はタチということで、いわゆる男女の恋愛が攻め・ウケという立場では男女の恋愛ができる。かわいい子が好きということで、女性でもいいのではないかということ、、の両方が常に意識される。
もちろん男性の裸、、、それはかわいい子、、、で大興奮するのも事実だし、女性の裸でも興奮する。だから僕はおそらく間違い無く男性も女性も興奮するバイセクシャルだと思う。
そうなんだけど、やっぱり微妙な存在だなぁという気持ちをぬぐうことができないのである。
2011/08/19 微エロ

ゲイのセックスはある意味で単調になりやすい。というのも、やはり前立腺の存在が大きいのではないかと僕は思う。
入れられることについて、痛い・痛くないということはあるとしても、それ以外にも、当然気持ちいい・気持ちよくないということがある。そしてこの気持ちよさの要素としては、やはり前立腺が重要なようである。(僕自身はそういうことが分かりません)
バックの姿勢で行為をしても、あまり気持ちよくない場合が多いという話を聞く。バックが例外的に気持ちいいと思えるのは、おそらく出し入れの深さをコントロールしやすいからではないか。
だから一般的な姿勢は正常位に落ち着く。これが好きだという人は多いと思うし、気持ちよさも一番のようである。もちろん直接的なこと以外にも、顔が向き合っているとか身体の密着とか別の要素ももちろんある。
最初の頃に覚えた気持ちいい姿勢というのはクセになる。という考えを僕は持っている。たとえば一人で処理するときにも、座ってする人や、立ってする人、横になってする人などいろいろなパターンがある。このとき、もちろんそれぞれ好きな姿勢というのはあると思うが、やっぱり最初の姿勢というのは、その後を決定するとても大きな要素であるように考えている。
そしてそれは、一人で処理する以外にも、恋人との行為でも同じだと思う。最初の頃は好奇心もあって、いろいろな姿勢を試すのではないか。少なくとも僕自身はいろいろな体位を試した記憶がある。
そしてそれは相手の性癖なのかもしれないし、体格差なのかもしれない。だけどなぜか最初の頃立ちバックが多かったように思う。
おそらく考えられる理由はいくつかあって、自由にできる場所が無いというのは大きかった。または身長差だろうか。
若干性的な話になってしまうのでここからは注意してください。
自由にできる場所が無いというのは、若いときに乗り越えることのできない数少ない障壁の一つである。じゃあどうなるのか。ホテルという選択肢もあるだろうが、やっぱりここはトイレなどの限定的な場所になってしまうことがある。当然寝てすることなどは不可能である。
次に最初の頃、相手はとにかく舐めるのが大好きであった。僕自身のサイズが気に入ったのかもしれないし、舐める(奉仕する)自分に興奮していたのかもしれない。真相は分からないが、とにかくそうだった。そのとき僕は立った状態で、相手がしゃがんでくわえる。場合によっては膝をつく感じで。
こういうことが初期の頃繰り返されて、僕は正常位などの横になった状態でするよりも立ってする方が興奮し、気持ちいいと感じていた。このころは自分でするときも立ってすることが多かった。
今となっては、変化の一つぐらいにしか考えていないが、当時はなぜか大好きだった体位なのです。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/08/19 微エロ

ゲイのセックスはある意味で単調になりやすい。というのも、やはり前立腺の存在が大きいのではないかと僕は思う。
入れられることについて、痛い・痛くないということはあるとしても、それ以外にも、当然気持ちいい・気持ちよくないということがある。そしてこの気持ちよさの要素としては、やはり前立腺が重要なようである。(僕自身はそういうことが分かりません)
バックの姿勢で行為をしても、あまり気持ちよくない場合が多いという話を聞く。バックが例外的に気持ちいいと思えるのは、おそらく出し入れの深さをコントロールしやすいからではないか。
だから一般的な姿勢は正常位に落ち着く。これが好きだという人は多いと思うし、気持ちよさも一番のようである。もちろん直接的なこと以外にも、顔が向き合っているとか身体の密着とか別の要素ももちろんある。
最初の頃に覚えた気持ちいい姿勢というのはクセになる。という考えを僕は持っている。たとえば一人で処理するときにも、座ってする人や、立ってする人、横になってする人などいろいろなパターンがある。このとき、もちろんそれぞれ好きな姿勢というのはあると思うが、やっぱり最初の姿勢というのは、その後を決定するとても大きな要素であるように考えている。
そしてそれは、一人で処理する以外にも、恋人との行為でも同じだと思う。最初の頃は好奇心もあって、いろいろな姿勢を試すのではないか。少なくとも僕自身はいろいろな体位を試した記憶がある。
そしてそれは相手の性癖なのかもしれないし、体格差なのかもしれない。だけどなぜか最初の頃立ちバックが多かったように思う。
おそらく考えられる理由はいくつかあって、自由にできる場所が無いというのは大きかった。または身長差だろうか。
若干性的な話になってしまうのでここからは注意してください。
自由にできる場所が無いというのは、若いときに乗り越えることのできない数少ない障壁の一つである。じゃあどうなるのか。ホテルという選択肢もあるだろうが、やっぱりここはトイレなどの限定的な場所になってしまうことがある。当然寝てすることなどは不可能である。
次に最初の頃、相手はとにかく舐めるのが大好きであった。僕自身のサイズが気に入ったのかもしれないし、舐める(奉仕する)自分に興奮していたのかもしれない。真相は分からないが、とにかくそうだった。そのとき僕は立った状態で、相手がしゃがんでくわえる。場合によっては膝をつく感じで。
こういうことが初期の頃繰り返されて、僕は正常位などの横になった状態でするよりも立ってする方が興奮し、気持ちいいと感じていた。このころは自分でするときも立ってすることが多かった。
今となっては、変化の一つぐらいにしか考えていないが、当時はなぜか大好きだった体位なのです。
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2011/08/18 微エロ

僕は恥ずかしい行為が大嫌いだという話をかつて書いたことがあると思う。まず代表的なのが見られること。見られて興奮するという人はうらやましい気持ちもあるが、やっぱり理解はできない。
同様に言葉責めも嫌いだ。ちなみにこれは、Mとしての難しい部分でもあるが、僕の場合は言葉責めをするのも、されるのも嫌い。
ただし重要なのは、決してその最中に斜に構えているわけではないということ。プレイを気持ちよくする要素で、テクニックももちろん重要だけど、ちゃんと興奮して、他のことを考えられないほど、それに没頭し、ある意味では理性を吹き飛ばした方がずっとずっと気持ちいい。
だから斜に構えた状態で、「そんな馬鹿なこと言えない」というわけでは決してないのである。
ただ難しい部分もある。たとえば言われる方だった時、僕自身は興奮しないから、すごく恥ずかしい感じがある。その恥ずかしがっている部分を見てそれがいいと言われるのであれば、それは確かにあるのかもしれない。恥ずかしがっているシチュエーションへの興奮は分からないでもない。
しかし言う方の時。まずは僕自身に抵抗があるせいで何を言っていいのか思いつかない。「ほらもうこんなになってるよ」などと言ったときに、相手のどのような仕草を見て興奮すればいいのだろうか。恥ずかしがっているところ?かわいい回答?
確かに今までで、言葉責めされるのが好きだという人は確かにいた。で、どういうのがいいのか聞いたことがある。そうすると、やっぱりそいういうことを言われることに興奮するらしいのである。(だから反応を楽しむというよりも、言葉を浴びせるだけ)
もちろん性癖はそれぞれなので、許容できる範囲であれば、最大限協力したいし、一緒に気持ちよくなりたい。だけどやっぱり言葉責めについては、どうも僕はそのテクニックの習得ができないのではないかと考えているのです。
2011/08/17 考え(自分関連)

僕の記事は青臭い理論展開が多いと思います。特にこのブログでは20代の気持ちを残しておきたいので、青臭かったとしても気にしていません。結論が出しにくいことでも一定の結論に持っていくのもその一つです。
そのほうが、将来読み返したときにきっと感じるものがあるはずだと信じています。
さてこのブログで、読者の方から「昔の自分みたい。かつての自分を見ているようだ」というコメントを頂いたことがありました。そして僕はこのコメントがとてもうれしいのです。
そのようなコメントをする方は、少なくとも「(経験の浅かった)昔の自分のようだ」というニュアンスを含めているのだと考えています。それは何も否定的に僕が考えているのではありません。(残念なことに表面しか読んでいただけないと、このように書くとまるで否定しているように受け取られてしまうのですが・・)
ぜひ僕はその方の、「経験を積んだ今の考え」を教えてほしいと考えています。
よく年上の人と話をすると、筋道を教えてくれたり、アドバイスをくれたりするのですが、そう考えるに至った理由を聞くと、大抵の場合それは意味のない言葉で説明されることこがほとんどです。「その時になればわかる」とか、そのような表現をされることが多くあります。
色々な経験を積んだ結果として次のフィールドの考えに昇華されることはよくあります。
例えば料理は顕著じゃないでしょうか。
料理初心者やたまにしか作らない場合、手抜きはしにくいと思います。しかしベテランになれば効果的な手抜きを知っています。だから料理の話をすると、手間のかけ方一つを聞いただけで、その人がベテランなのかそうじゃないのかわかると思います。これを僕は昇華といいたいのです。もちろん手の抜き方はそれぞれあると思います。僕自身がその手の抜き方をマネしないかもしれません。しかしフィールドが一歩上がった人のそういう考え方はとても参考になるのは事実です。
だからこそ僕はそういう、かつての自分のようだという意見を頂ける場合には、「何が」という具体的な表現もセットされていると、とても勉強になるなぁと考えています。
特に、正しい方向に進む為の寄り道であれば、それはすばらしい事だと思います。それこそかつての僕もそのような寄り道をしたと思いますし、また色々な人と話をすると、迷いや葛藤とともに、決して直線ではないにしても、しっかりと前に進んでいるように思えることは良くあります。寄り道自体を否定するものではありません。しかし大きな迂回になりそうなとき、先人や経験者は体験談を語ることによって、大きな迂回を避けられるのではないかと。
逆に、僕が誰かに何かをアドバイスするとき、若干極端であっても、断定的な表現をよく行います。それは「僕の場合は」という前提の元に、意見を述べるからです。そしてそれは、どことなく、ブログのスタンスにも似ているかもしれません。
ただし、僕の悪いところは(そして特に口頭での場合は)相手の意見を否定的にとらえるところだと思います。ブログでは考えをまとめてから書くので、否定的に考えることはほとんどありませんが、その場でだけだと、どうしても理解していない最初は否定的に考えてしまうことがよくあります。
こういうところは直していかなければならない部分だと考えています。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/08/16 ブログ

記事を書くときの話。
僕みたいに主張する記事をいつも書いている。よくもまあネタが続くなぁと自分でも驚いている。前にも書いたが、ネタが無くなればその時点で更新は(おそらく)ストップする。それまでは続けていこうと考えている。
このブログを書き始めた頃は、書きたいと思うことが本当に多かった。日常に不満があるとかそういうことではなく、20代から30代になるにあたっての葛藤や覚悟、そういったことがどんどんと内から沸いてきたのである。今はもう、30代のそういった混乱、、、はだいぶ収まった。それはなによりも、こうして記事を書いたことが大きい。そのせいか、最近は書きたいと思う事が減ってきました。
記事を書くとき、2パターンある。タイトルが思いつくパターンと、書きたい内容が思いつくパターン。
内容が先に思いつくパターンは、長文になりやすい。逆に言うとまとめにくかったり、主張が統一されていなかったりする。これは思い入れが大きい記事とも言える。だから書いていても楽しいし、次から次へと書きたいこと、、、書かねばならないと思うようなことが沸いて出てくる。
一方で、タイトルが思いつくパターンはとても多く、タイトルだけをメモしておいてあとから記事を書いていく。この場合は骨格や文章の流れを決めるのが大変だけど、決まるとスラスラと書ける。読み返してみて、物足りないと感じる時も多いけど、よく書けたと思う記事はこちらが多いような気がする。
昔はタイトルが思いついてから、文章化するまでにそんなに苦痛は無かった。しかし最近はこのタイトルから思いつくパターンというのは、文章をどのように構成するべきか悩むことがある。たとえば先日の旅行の記事とか。旅行について書くことや書きたいことがあまり思いつかなくて、どうしても焼き直したような記事になりがちである。
一般論として大多数はどうしているのだろうか。日記関係だったら行った場所から記事を組み立てるだろうから、タイトルというか、「何を書くか」が先で、それを決めてから記事を組み立てているのかなぁと勝手に想像している。
タイトルをメモに残すと、残したときというのは、文章の骨格もなんとなく想像しているのだが、時間が立つとどんどんと忘れていく。そうしてその時は書きたいと思っていた記事のタイトルだけが残るのである。そうしてタイトルだけがストックとしてどんどん溜まっていく。そして残念なことに何を書きたかったのか忘れてしまうのである。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
今日は若干飛ばし記事ですいません。
2011/08/15 日常

頑固な僕にとって、彼と付き合ってから変わったことというのは少ない。と、僕自身は自覚している。彼は冗談かもしれないが、僕のことを表現するときに「昔からずーーーとわがままで、我慢させられっぱなし」という内容の発言をすることがある。(これは先日記事にした “油断” とも結びつくかもしれませんが。)
そんな中で変わった少ないことの一つとして、旅行がある。企画が大嫌いなのである。行程を考えるなんて悪夢だとさえ考えている。そういうことなので、今まで旅行は嫌いだったし、未だにそのプロセスを含めた旅行を好きだとはどうも思えない部分もある。
もちろんその楽しさも分からない訳じゃないんだけど、やっぱり面倒で・・。
彼とはずいぶんといろいろなところを旅行した。
新潟・神戸・大阪・日光・スキー・広島・北海道・横浜・箱根・鎌倉・千葉・伊豆・名古屋・長野、、、それはそれはたくさん巡ったのである。
このままだったら、日本のあらゆるところに巡ることも不可能ではないと思うほどだし、案外実現してもおもしろいそうかと思うほど。
そのどの旅行もとてもおもしろかった。ほとんどが、僕の希望でもある地方の中核都市であった。東京の感覚で行ける地方という感じで選んでいた。
しかし最近は旅行にも慣れてきたということもあって、必ずしも栄えている場所だけに行く訳でもない。もしくは○○で知ってるから。という理由で目的地を選ぶことも多い。阪神淡路大震災を理由として、淡路島。今回は輪島塗を小学生の時に習っていたということで、石川県。
行きたいという理由で目的地を選ぶのか、行ったことがないからという理由で選ぶのか難しいところではある。しかし今のところはこれで何とか楽しめている。
今回は金沢に行ってきた。正直なところ、金沢に何があるのか、全く分からない。いや。本当に知らなかった。僕はとりあえず輪島塗を見てみたかった。半島のおもしろさも何となく分かってきたので、能登半島もおもしろそうだと考えていた。
実際足が無いと半島を楽しむのはなかなか難しいようであったが、それにしても金沢を含めて石川はとてもいいところだった。なにより金沢周辺が色々おもしろかったのは正直意外でもあった。
もちろん今回はトラブルになることもなく楽しく旅行ができました。
ご意見等は kaokao.hihi [at] gmail.com までお願いします。
2011/08/14 日常

お疲れ様です。本日は旅行からの帰宅。
明日以降いつも通り更新したいと思います。
2011/08/13 フェチ/好み/タイプ

僕は日常では絶対に泣かない。おそらくプライベートにおいて、仕事を含めた普段の生活の中で涙を出すことはデメリットにしかならないと考えている。
そう理解している僕だけど、Sの彼には本当によく泣かされた。
そして僕はなぜか、本当に理由がわからないのだが、ベッドとかで「あっちいけ」とか「こっちくんな」と言われると、すぐ泣くのだ。いや。恥ずかしいんですが本当の話。最初のSの彼で、言われたときにいきなり涙が溢れてきた。その言葉を冗談て言ってることもわかってるし、彼が僕に期待しているリアクションが涙じゃないことも知っている。にもかかわらず涙がどんどんと出て止まらなくなってしまった。
違うSの彼の時。やはり偶然に「あっちいけ」と言われたのだが、この時もやはり同様に涙が止まらなくなってしまった。不思議だw
ちなみに泣いたとき、2人の彼がした共通のしぐさがある。僕は泣くと自分でもびっくりしてまずは顔をそむけるのだが、必ず目に手を当ててくる。本当に涙が出ているのか、嘘泣きなのかを確かめているんだと思う。2人とも最初はそうしてきた。
そしてその次は、アソコを触ってくる。これもなぜか共通している。まあ半分大きくなっているそれを確かめると、相手はますます僕のことを責めて来るんだけど(涙
そしてなぜか、というよりSの怖いところだけど、泣くとわかると必ず次から何かのタイミングで、そのフレーズを言うようになる。これも2人共通。最初は楽しく甘い時間を過ごすんだけど、一定の時間が経過すると、必ず泣かせるようにしむけてくる。もう表情が「いじめるよ」っていう顔になるのだ。本当に些細なことで、「ふーん。そんな生意気なこと言うんだ」とか「今日した○○のことちゃんと誤って」とか。謝罪するような内容じゃないことを、わざと言ってくる。それについてちょっとでも刃向かうとすぐ泣かせようとしてくる。こうして思い出しながら文章を書いている今でさえ、ちょっとウルッときている。
ここで重要なのは、僕は別に悲しんでいないということである。泣くぐらいだからひょっとしたら悲しんでいるのかもしれない。だけど半分おっきくなるように、僕の自覚している感情は興奮もだいぶ大きい。
理由は全くわからないのだが興奮と涙という組み合わせはアリなのかもしれない。僕はさんざんMだと行ってきたが、いわゆるMらしいMではなく、ただこの1点が大きすぎるような気がして、僕はMだと表現しているのである。
しかし初めて告白した。なんか恥ずかしいなw
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