過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

かつての自分を見ているようだ。

   

僕の記事は青臭い理論展開が多いと思います。特にこのブログでは20代の気持ちを残しておきたいので、青臭かったとしても気にしていません。結論が出しにくいことでも一定の結論に持っていくのもその一つです。
そのほうが、将来読み返したときにきっと感じるものがあるはずだと信じています。

さてこのブログで、読者の方から「昔の自分みたい。かつての自分を見ているようだ」というコメントを頂いたことがありました。そして僕はこのコメントがとてもうれしいのです。
そのようなコメントをする方は、少なくとも「(経験の浅かった)昔の自分のようだ」というニュアンスを含めているのだと考えています。それは何も否定的に僕が考えているのではありません。(残念なことに表面しか読んでいただけないと、このように書くとまるで否定しているように受け取られてしまうのですが・・)

ぜひ僕はその方の、「経験を積んだ今の考え」を教えてほしいと考えています。
よく年上の人と話をすると、筋道を教えてくれたり、アドバイスをくれたりするのですが、そう考えるに至った理由を聞くと、大抵の場合それは意味のない言葉で説明されることこがほとんどです。「その時になればわかる」とか、そのような表現をされることが多くあります。

色々な経験を積んだ結果として次のフィールドの考えに昇華されることはよくあります。
例えば料理は顕著じゃないでしょうか。

料理初心者やたまにしか作らない場合、手抜きはしにくいと思います。しかしベテランになれば効果的な手抜きを知っています。だから料理の話をすると、手間のかけ方一つを聞いただけで、その人がベテランなのかそうじゃないのかわかると思います。これを僕は昇華といいたいのです。もちろん手の抜き方はそれぞれあると思います。僕自身がその手の抜き方をマネしないかもしれません。しかしフィールドが一歩上がった人のそういう考え方はとても参考になるのは事実です。

だからこそ僕はそういう、かつての自分のようだという意見を頂ける場合には、「何が」という具体的な表現もセットされていると、とても勉強になるなぁと考えています。
特に、正しい方向に進む為の寄り道であれば、それはすばらしい事だと思います。それこそかつての僕もそのような寄り道をしたと思いますし、また色々な人と話をすると、迷いや葛藤とともに、決して直線ではないにしても、しっかりと前に進んでいるように思えることは良くあります。寄り道自体を否定するものではありません。しかし大きな迂回になりそうなとき、先人や経験者は体験談を語ることによって、大きな迂回を避けられるのではないかと。

逆に、僕が誰かに何かをアドバイスするとき、若干極端であっても、断定的な表現をよく行います。それは「僕の場合は」という前提の元に、意見を述べるからです。そしてそれは、どことなく、ブログのスタンスにも似ているかもしれません。
ただし、僕の悪いところは(そして特に口頭での場合は)相手の意見を否定的にとらえるところだと思います。ブログでは考えをまとめてから書くので、否定的に考えることはほとんどありませんが、その場でだけだと、どうしても理解していない最初は否定的に考えてしまうことがよくあります。
こういうところは直していかなければならない部分だと考えています。
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