「 月別アーカイブ:2011年07月 」 一覧
2011/07/21 日常

同棲しているわけではないのでまだ考えるのは早いことなのかもしれない。
何をプライバシーとして守り、何をさらけ出すのだろうか。
別居の状態と同居(同棲)の状態で、大きく違うと考えている。いくら半同棲というほど一緒にいたとしても、一緒に住むというのは本当に違う。そのスタイルの違いの落としどころはどこにあるのだろうか。
パソコンについて言うのであれば、僕はPCの仕事をしているので、そのPCをどのように利用したのかを知ることができる。もちろんエロサイトを見ていたのか、誰とどのようなメールをしたのか、検索した語句など・・・。
しかし僕は絶対にパソコンのそういう情報を知ろうとはしない。興味も無い。これは踏み込みやすい部分でもあるが、重要なプライバシーだと考えているからである。
プライバシーを容易に知ることができるような状態にあるとき、それに強い興味があるのは非常によく分かる。僕だってかつてはそうであった。しかし常にその状態であれば、今度は逆に知らない方がいいと思うようになった。
僕にとって自分自身に必要なプライバシーというのはほとんど無い。親しい仲であれば、部屋で囲われていなくても僕はあまり気にしない。もちろんオナニーなどの制約が出てくることは事実である。だけどそれをプライバシーという理由で確保するのもおかしい。
唯一プライバシーとして、僕が重要だと考えているのは、「周りが気にする場合」である。たとえばそれこそエロに関するモノが目に付くところにあったら、僕が恥ずかしいと思うかというのとは別に、「そんなのはしまっておいてよ」と思うだろう。そしてそれをしまっておく場所が、僕にとって必要な空間だとおもっている。
人によっては部屋で完全に一人になれないと落ち着かないという人もいる。しかし僕はまったくそんなことは無いのではないかと考えている。
しかし同棲するようになると、気になるのが部屋のレイアウト。僕はシンプルがいい。しかしそれはきっと叶いそうも無いと考えています。
2011/07/20 カップル(彼関連)

(昨日からの続きです。)
そして今回の件。
もともと今回宿泊する予定のホテルには大浴場が無かった。価格を優先して選んだので、それは仕方のないことだと思っていた。しかし当然不満でもあった。しかしそのホテルには、近所にある温泉施設と提携しており、無料でそこを利用できるというのである。なんとすばらしいことだろうか。
しかし送迎の足が無いため、今回バイクで行くしか方法が無かった。そして食事後に行こうとしてたが、これだと食事でお酒を飲むことができない。それなら僕は温泉施設には行かなくてもいい。
「じゃあこうしよう」と、僕の案。僕は食事の時にお酒を飲んで、彼のバイクと運転で温泉に行けばいいと。何の問題も無い案である。逆の立場であれば、今までよくしていること。僕の運転で僕のバイクででかけてたんだから。
しかし彼には不安な点があったらしい。道が分からない、二人乗りが初めてで怖い、と。近隣の飲食店まで出かけるのに、バイクに乗ったが、それはそれは大変であった。道を間違えたとき、「ねぇ。次はどこ曲がればいいの? / ちゃんと案内してくれないからわかんないじゃん / そんな突然言われても分からないよ / だから二人乗りは無理なんだって」と。ネガティブな言葉の数々。
また運転方法での考えの違いも大きかった。
僕はスムーズに発進してスムーズに停車することが非常に重要だと考えていた。それは教習所の時にも「スムーズな運転を心がけているのはいいと思う。だからクラッチをつなぐときに、ガクッとなったら、その変速は失敗だったと思うぐらいで」といわれたこともある。
しかし彼は違った。クラッチをガツガツつなぐのである。だから発進時はガクガクッとなるし、停車時もガクガクッとなる。乗っている方は非常に怖い。もともとバイクの後ろに乗るのが苦手な僕は、そのような運転では、後ろに乗り続けるのはちょっと厳しい。道が分からないのも仕方がないし、ガクッとするのも仕方がない。だけど、せめて運転はスムーズであってほしいと。
この両者が合わさった結果、、、ネガティブなことと運転の考え方の違い。さすがに二人乗りは無理であった。
「あなたの運転の後ろに乗るのは無理」それが僕の結論であった。彼は「それは僕が悪いんじゃないよね?」と。確かにその通りである。ネガティブな言葉を浴びせ続けられ、それでも僕自身が責任をちゃんと感じられて。そして怖い(と考える)運転を受け入れることができない僕が悪いのだろう。と、責任を感じる部分もある。
結果として食事中は、お互いのバイクで、温泉に向かった。別にそれはそれで問題も無いし、温泉施設も無料で利用できるには十分な設備・清潔であったから大満足であった。
2011/07/19 カップル(彼関連)

僕はけんかをしない。それはとても大切なことだと考えている。
しかし。文句は言う。主張もする。相手が気分を害することもあるだろうし、そのような状態をけんかというのであれば、それはそうかもしれない。
ただし僕は一時の気分で、何かを主張しないようにしているし、それは生活においても仕事においても非常に重要なことだと考えている。
時には感情とともに何かを吐露することを、魅力的とか人間的と表現するのかもしれない。しかし一時の感情の高低で自分の主張が都度変わってしまうのことや、表現が必要以上に強くなってしまうことは、愚かなことであるとさえ僕は思っているのです。
しかし当然、主張が主張だけで終わるばかりではなく、時には険悪な雰囲気になることもあって、それが今回起きてしまったのでいくつかのまとめ。
旅行はけんかが起きやすい。そのように聞いたことがある。むしろ日常を離れている訳だから、けんかが起きるなどとは無縁のように考えていた。しかし事実はどうやら違っていたようである。確かに思い返してみれば、けんかというか、険悪な雰囲気になるときは、確かに旅行中は多いように思う。
たとえば食事。たとえば出かける施設。それらについて、お互いの考えが100%一致することは難しく、それでも必ず二人で一つに一致させなければならない。そういうときに、意見の不一致、そして不満の蓄積はけんかになりやすのではないか。
食事。僕はやっぱり旅行先での食事はこだわりたい。べつにおいしいものである必要は無いし、ご当地のモノである必要も無いと考えている。しかし僕の住んでいる東京は、食事のクオリティが全体的に非常に高い。おおむね価格と味は比例関係にある。高い食事はおいしい。安い食事はそこそこ。もちろん、安い食事の中には、おいしいものとまずいモノもあるし、もちろん高い食事も同じ。しかし味に関する「大きなハズレ」は、安いところに多い。
旅行先での食事。非常に難しい事だと思う。観光地価格と言われるように、東京であれば決して1000円を超えてはならないような食事が、ひどいところでは1500円などの価格設定になっている。僕は高くてまずい食事だけは絶対に、絶対に避けたいと考えている。それは確実に、僕らお客のことをバカにしていることに他ならないから。
彼と食事の好みはなかなか合わない。だから旅行先で、何をどこで食べるのか。非常に難しいところである。また、彼はそういう選択のセンスがほとんどない。彼に主導で選んでもらうと、毎回・・とまでは言わないが、高くてまずい店にぶつかることも多い。しかも好みも合わないことと相まって、「うーん。まあそれでもいいかぁ」などという軽い気持ちでお店に入ると大変なことになる。そんなに食べたくもない、高くてまずい食事を無理矢理食べなければならないことになってしまう。
最初の頃は、そのセンスのなさを指摘した。しかし彼も元々主導的にお店を選びたいわけでもなく、「かお。がどこでもいいって言ったんでしょ」という話になる。僕は選んだからにはその責任が生じると思うが、それを彼に押しつけるのも変な話である。だから最初の数店舗で同じようなことがあってから、僕は彼に頼らないか、もしくは自分が納得して、場合によっては(彼の選択だったとしても)「自分が行きたい」から、そこにしたと強く考えるようにしている。そうすれば、たとえ最低の店であっても、自分の責任として処理できる。
※ちなみに、「センスのなさ」については、その責任は大きい。仕事でもそうだけど、仕事ができない人は、仕組みや周りの責任。だけど運がない人は、その人の責任である。
ちなみに彼が選択で失敗しないのは(=価格とクオリティが一致しているのは)ホテルである。ホテルは安いところはその程度。それは広さや設備の新しさ、空調や食事、水回りや冷蔵庫など、細かいけどそれを感じる場所は多い。
なんだけど、僕が今までで一番よかったと思ったのは、3連休の当日に、急遽旅行を決めた時に使ったペンションであった。通常の考えで言えば、3連休の当日まで空室のある宿泊施設は、もう言うまでもない、最低のハズである。しかしそのときは、僕が結果的に主導で(そしてまったく期待してなかったけど)非常にいいところであった。引きの強さという運はやっぱり重要だと思う。
2011/07/18 日常

以前、旅行について少し書いたことがあった、と思う。(2011-05-02 旅行に関する考えが変わった日。)
今まで僕自身は彼と知り合うまで旅行らしい旅行はしたことがなかった。しかし知り合ってから、いろいろなところを旅行したという話。
今回は千葉に行ってきた。もともと「端っこ」というのは非常に興味がある。もちろん最南端とか最東端とか、端っこの定義も色々ある。そうなんだけど、たとえば東京から近くて端っこを意識できる場所、、、それは半島だと思う。
もともと半島といっても、あまり意識をすることは無かった。だけど、たとえば伊豆半島(=後日公開するけんかの話で、ペンションが出てきますが、それはここにありました)で、とてもよかった思い出から、半島というのは意外とおもしろいと知った。ただし半島って、だいたいにおいて、交通機関が発達していません。鉄道もそうだし、高速道路も。だからバイクでたとえ予想以上の細い道だったとしても、スイスイいけるのはとてもすばらしいことだと思います。
千葉は、僕にとって色々と身近であった。たとえば三浦半島の端っこ、、、分からない。だけど千葉のはしっこは館山となぜか昔から知っていた。内房と外房という言葉も知っていたし。気持ちの中では非常に身近な場所であった。
また何となく台風の被害のイメージもある。東京はなぜかすれすれで通過しないことが多いが、その場合って、きっと千葉はすれすれで通過しているんだろうし、館山の通過率はすごそうである(勝手なイメージですが)
のくせに、今まで一度も行ったことが無かった。そもそも館山は観光施設があるのか疑問だったし、海で遊ぶために行くような場所でもなし。だから千葉の南側で行きやすいのは、せいぜい富津岬か、鴨川であった。
また、以外と行きにくいのも原因である。東京から行くなら今はアクアラインがあるが、昔はあまりダイレクトに行く手段が無かったし、東京と千葉を結ぶ道路は、つねに渋滞している。(だから今も日帰りで遊びに行くとき、千葉はかなり躊躇してしまうところもある。)
アクアラインは高額だが、今はキャンペーンだかで、安くなっている。これも千葉に行くことを後押しする要因であった。
実際、千葉のいろいろな場所はとてもすばらしいと思った。実際、この「施設に行く」というのはあまり無く、この施設がよかったという感想は無い。だけどバイクで走っていて、とても気持ちよく走れたし、(道がまっすぐでわかりやすいとか、空いているとか、広いとか)海岸線に沿って道があることも多く、ずっと海を眺めながらの運転も気持ちがよかった。
お土産もそう。いろいろなところを旅行した僕は、ほしいと思うようなお土産に出会うことも少ない。地域で有名なお菓子を、、、広島だったらもみじまんじゅうとか、を会社の人のために買うことはあるけど、自分が消費するために買おうと思えるようなものはすくない。京都とかも漬け物が有名みたいだけど、あまりにも整然とパッケージされているのを見ると、どうも買う気が失せてしまう。
千葉ももちろんそういう、極端に観光地としての商品は多い。しかし一部のおみやげについては、ずいぶんと刺激的であった。そして今回いくつか買ってしまった。これは今までにない感じで、大変興味深い。
去年からのテーマで、「○○狩り」ということに非常に興味を持っている。去年はキノコ狩り(シイタケ)で、なんとこのときから、椎茸が好きな食べ物からあまり好きではない食べ物に分類されてしまった。たぶん食べ過ぎたんだと思います。(施設はすばらしかったですし、味もとてもよかったです。念のため)
今回はブルーベリー狩りをしてきたので、また秋頃に、何か他のモノでチャレンジしてみたい。ちなみに今までは、いちご・ぶどう・梨・しいたけ・栗をしたことがある。栗は小学生の時なので、またやってみたい。
※写真はうみほたる。別に夕方を狙ったわけではありませんでしたが、偶然にちょうどいい時間にぶつかりました。
2011/07/17 日常
2011/07/16 日常

読者のみなさまこんにちは。
そしてこの時間の更新でありながら、お休みのご連絡で申し訳ありません。
現在旅行中です。
いつもであれば、予約投稿を行っているのですが、最近は忙しくてそのような時間を取ることができませんでした。
本日は千葉の館山を旅行しています。
珍しいことに、不機嫌になる出来事がありました。
彼の運転がヘタで僕が2人乗りをしたくないってことがとりあえずの原因。
このことから、運転がへたなのはよくない。ネガティブの方向は他人に向けてはいけない。という2つのネタが思いつきました。
これは近いうちに記事にしたいと思います。
千葉は特筆するべき何かは無いように思います。しかし一つ一つが洗練されているようにも思いました。
おみやげなんて、いろいろな地方に行った僕は欲しいと思うのはほとんどありません。
しかし千葉は、アレも・・これも・・・と、結構欲しいモノが多いのです。
それの紹介は、ブログの画像でちょろりと載せたいと思います。
と、そんな感じで、ちょっと記事になったかな?
それではみなさんもよい連休を!
※彼に何かある??ってきいたら、「別に何もない」というコメントでした。
2011/07/15 日常

今更話題にするには、ずいぶん過ぎてしまった。まあ別に取り立てて書きたいってことじゃないんだけど。七夕の頃、Twitterもそうだったし、いろいろなブログを読んでいる中でもそう。おりひめとひこぼし。
その話がロマンチックなのかもしれないが、正直なところ他のイベント、、、たとえばクリスマスのような。ことと違って、なぜそれが注目を浴びるのかいまいち理解に苦しむところであった。
この日は何をして過ごせばいいのか。何を食べたらいいのか。何をしてもよくて、何をしてはならないのだろうか。
笹ぐらいしか思いつくことがない。
かつて、いわきにはお客がいた。(今でもそうだけど、おそらく僕は原発が収束するまでは出張することは無いだろう。。)
たまたま七夕祭りの時期に出張がぶつかったのである。
いわきは閑散としているわけではないが、賑やかであるというイメージではなく、ちょっと静かな街というイメージであった。しかしこのお祭りのときには、今までとは大きく違う街の雰囲気であった。
自分がその日をどうやって過ごせばいいのか分からないが、こういうお祭りごとがあるのは楽しいと思う。(ちなみに東京では七夕にちなんだお祭りはほとんど聞きません)
短冊もそう。各地にかざってある七夕の短冊。これはどういうことを書けばいいのだろうか。神社などでのそれと違って、おりひめとひこぼしという、お願いをする相手の想像ができるだけに、どのようなお願いもどうも厚かましく思えてしまう。
今まであんまりしていないけど、今日は写真への言及。
近所で、短冊を自由に書いてください。というイベントをやっていた。食事をしたときにたまたま見つけただけであったが、このときどのような願いを書くべきなのか、僕は非常に迷った。
○○が叶いますように。という神社でするお願いと同じでもいい。だけど、たとえば恋愛に関するお願いは、そもそも適切ではない(ように思う)。それ以外のことについても、なんだかそれが適切なのか、非常に疑問である。
と、結局そこで僕が短冊に書いたのは写真の通り。相手に何かを望むのが適切でないとすれば、そこには何を書くのが適切なのだろうか。がんばりますという決意を書くのは愚かであると僕は思う。
ささやかなお願いとして、今回のようなことはまあ妥当ではないかと思っている。ただ日本語としておかしくて、「健康で過ごせるように」的な内容の方がよりよかったのではないかと思う。が、健康第一というのは僕の座右の銘でもある。
やっぱり健康がいちばんですね!という、今日はとりとめのない話。
2011/07/14 考え(自分関連)

社会的な生活は問題なく営むことが出来ている。問題なく、などではなく、むしろうまくやっているのかもしれない。しかし一方でプライベート(=個人)ではますます孤立しているのではないかと思う局面が多々ある。そしてそれは最近になって特に増えてきた。
もともと家族とは考え方の根本を共有することは出来なかった。家族には家族の考えがあるし、それは家族という小さな世界を中心に据えている、と僕は考えていた。より普遍的な、一般的な社会的な考え方に照らしてみると、家族の常識というのはもはや非常識に思え、僕には何一つとして理解できることなどできなかった。
しかし家族の考え方というのは、社会に身を置く親、個人個人が作っているのである。そう考えると、あながち(当時としてはかたくなに)拒否する程のことでもないのかもしれない。
仕事においてはともかくとしても、プライベートにおいて「仲間」を感じることが出来ない僕は、社会ではうまくやっているようにみえても、結局はとても大切な多くを得ることが出来ていないことの証左なのだろう。
思い返してみれば色々と理由はあるように感じている。一つは自身の考え方が(悪い意味でも)固まってきたこと。周りが忙しくなっていること(会社での地位や、結婚その他のことで時間がつくりにくい)。体力的なこと(めんどい・しんどい)など、この年になると、一人を自覚する時間が増えるということか。
考え方が固まっているせいで、疎遠にされているのであれば、それは僕自身の問題である。僕という人間が市場での競争力が無くなってしまったために、わざわざ会うことの優先順位が下がったということである。
これには色々思うところ、考えるところがあるので、なんとか対応していきたいと思う。なんとなく、人生において30歳からのチャレンジというか目標というか、意識しなければならないことは、この他社とのコミュニケーションなのかもしれない。勢いやつながりだけの今までとは明らかに違って、厳選された、心の通った付き合いを求め、求められることになるのかもしれない。
逆に合う頻度とは関係なく、少ない時間を一緒に過ごすだけでもそれなりに充実を感じているのも事実である。僕の場合、年齢が下の人と過ごすことも多く、時間の流れ方が圧倒的に違うように思う。そこには相変わらず戸惑っているのは確か。
2011/07/13 考え(自分関連)

僕は昔から、非常に寝付きがいいのです。寝られないということが滅多にありません。たまにあるとしたら、それはよっぽど長い昼寝をしたときぐらいです。普通の昼寝ぐらいでは、夜はしっかりと寝られます。
昔は朝は弱く、なかなか起きられませんでした。本当に自分は病気なのではないかと思うほどひどかったのです。しかしそれも社会人になってから、いつの間にか起きられるようになってきました。今では苦もなく起きることができます。(ただしあまり早起きの習慣はありません)
特に新人だった2年間。このときについては、例えオールをしようが、二日酔いであろうが、とにかく絶対9時出社というのが僕の日常でした。フレックスであった僕の会社は別に10時ぐらいの出勤のほうが普通ぐらいでしたし、別に早く来ることをそこまで強く求められているわけでもありませんでした。しかし早起きできるのは新人の間だけだと考えていたのでそのようにしました。結果的にはそのおかげで朝が強くなったのではないかと思っています。
さて、そんな僕ですが、この寝付きの良さは時に問題となっています。最近のいくつかの例を挙げると、skype をしているとき、話をしながら寝てしまうのです。友人がいうには、後半は適当な返事しかしなくなって、最後には黙ると。そのときにはもう寝ているのでしょう。
寝る前の少しの時間はいろいろなことをしています。たとえば本を読むこともあります。本を横になりながら読むと、寝る間際には、そのまま本が顔の上に置かれます。そして朝になって本が顔に当たっているのが邪魔になって起きるのです。(もしくは夜に目が覚めます。)
大きな本だと、顔の上に落としたりすることもあって、大変です。
寝る前にTwitterをすることがあります。このとき、もちろん途中まではしっかりと文章を打っているのですが、寝る前数分のコメントはひどいものになります。もはや記憶もほとんどなく、誤字や脱字が多いのです。まるで酔っているときのコメントに似ています。
なぜか、メールだと作成途中で寝ることが多くて、Twitterだととりあえず投稿して寝るようです。なんとも不思議です。
寝起きについては、僕は目が覚めるとすぐに活動ができるようになります。機嫌が悪いこともありませんし、朝はダラダラなんてこともありません。人によっては、寝起きは機嫌が悪かったり、昼過ぎまで寝ていたり、起きても布団でゴロゴロするなんて話を聞きますが、僕には考えられないことです。
時間がもったいないというのも確かにありますが、それって退屈じゃないのでしょうか?またイライラについては僕はもっとももったいない感情だと思っていますので、なるべくそれは受け流すようにしています。
僕の場合、しっかり寝てしっかり起きるということが重要です。彼の場合は眠りが浅いので、なかなか寝られない上に、すぐに目が覚めるという問題があります。僕が起きると、彼はほとんど例外なく、目が覚めます。
これからもしっかり寝て、しっかりと起きたいと思います。
2011/07/12 親/家族

お袋の味ってなんでしょうか。
僕は無い。とは言っても親はちゃんとご飯を作ってくれたし、何も問題のない幼少期を過ごした。
しかし親は徹底的に料理がヘタであった。
だから、おふくろの味っていうのは、まずい料理だったりレトルトだったりするのです。そして懐かしいなどという感情は全く出てこなくて、むしろ避けたいと忌避さえしているのです。
今でも、自分で料理を作っていて大きく失敗してしまったとき、、、それはもはや食べることも相当に苦労しなければならないような。そういうときに、僕は親の料理を懐かしんでいます。おぉ。そういえばこんな失敗の(ような)料理がよく食卓に出ていた。。。と。
すごく多かったのは、味噌汁。親は何故と思うほど味噌汁がまずかった。僕の口癖はちゃんと出汁を入れて!だった。出汁を取る必要はないから、だしの素を入れてくれと。もしくはだし入り味噌を使ってくれと。お湯に味噌をといただけのような味であった。
自分で料理をするようになって気づいたのだが、親は出汁をろくに使っていなかったようであった。
カレーもそう。なんかいつも変な味がしているのである。最近実家に帰ったときに、親はカレーを作っていた。親の作るカレーは、決して油断してはいけない。カレーならなどと思えば必ず裏切られてしまうのでる。
このときも、まずいと思いつつ、少しだけ味見したらやっぱりまずかった。実はこの日、親が珍しく「今日はカレーだから食べていったら?」という誘いを受けていたのであった。「うーん。どうせまずいでしょ?自分で材料買ってなんか作るからいいや。ご飯だけ炊いといて」と、カレーを食べることを断って良かったと思った。話を聞くと、市販ルーにカレー粉を足しているようで、それがまた絶妙にまずいのであった。
※あんまり直接的な感じなんで、ひょっとしたら「俺は辛口のカレーがいいから、お母さんたちは中辛だから食べたくない」って感じで断ったかもしれません。
スパゲティ類もひどい。すべてレトルトである。
あ!でも浅漬だけはうまかったかも。書いてて思い出しました。
メリット、、、といっていいのか分からないが、外食がすべておいしいと思えるのはいいところだと思っている。親の料理がおいしい場合、、、外食しても自分で作った方が安いしおいしいってなる場合がある。そうならないのは、いいところではないだろうか。