過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

傍流という存在。

   

Twitterで活発な人=実生活でも活発な人。Twitterでおとなしい人=実生活でもおとなしい人。というのは、何となく分かる気がします。

Twitterで積極的に他人と交流するひと / ひとり静かにつぶやく人 というパターンもあります。

しかし難しいのは、実生活で活発でありたいと思いつつも実現できなかった人が、せめてTwitterでは。と、チャレンジして失敗する例がマレにあるようなのです。
そこで、僕は活発な人及びそのグループ、もしくはそれに所属する人たちを本流とし、活発なグループから一歩引くようなグループ、もしくはそれに所属する人たち、または極端な例として一人である場合。その人たちを傍流として区別しています。
本当に孤立している場合は、グループではありませんが。

僕の場合、完全に傍流です。孤立までは行かないと思いますが、決して本流ではありません。本流に所属したくないのではなくて、なんとなく所属することができないという感じです。今まで数多くの集団に属してそれをイヤと言うほど知りました。

僕はこの傍流という流れがとても好きです。本流という流れは大きなうねりとなって、数多くの人を巻き込んですごいことだと思います。本流の果たすべき役割はきっとそれでいいのだと思います。

そしてその本流に乗れなかった人が必ず出てきます。僕の今までの感じでは1-2割がそのような感じです。それはコミュニケーションが苦手ということで本流に乗れない場合もあるし、本流のやり方や遊び方とは違うという場合もあるようです。

だいたいの場合傍流は傍流でグループができることが多いように思います。

そして傍流のグループにさえも所属していない場合には、孤立となるのです。僕が今までグループに所属していたとき、50-100人ぐらいのグループで、1-2人ぐらいがこれに該当していました。次回以降のイベントに不参加になる場合もあれば、孤立状態でも参加してもらえる場合もあるのが不思議です。

僕はもうこの性格で本流を目指そうとはしていません。傍流には傍流の良さがあると僕は考えています。
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