社会人としてのオレと個人としての僕。

社会的な生活は問題なく営むことが出来ている。問題なく、などではなく、むしろうまくやっているのかもしれない。しかし一方でプライベート(=個人)ではますます孤立しているのではないかと思う局面が多々ある。そしてそれは最近になって特に増えてきた。
もともと家族とは考え方の根本を共有することは出来なかった。家族には家族の考えがあるし、それは家族という小さな世界を中心に据えている、と僕は考えていた。より普遍的な、一般的な社会的な考え方に照らしてみると、家族の常識というのはもはや非常識に思え、僕には何一つとして理解できることなどできなかった。
しかし家族の考え方というのは、社会に身を置く親、個人個人が作っているのである。そう考えると、あながち(当時としてはかたくなに)拒否する程のことでもないのかもしれない。
仕事においてはともかくとしても、プライベートにおいて「仲間」を感じることが出来ない僕は、社会ではうまくやっているようにみえても、結局はとても大切な多くを得ることが出来ていないことの証左なのだろう。
思い返してみれば色々と理由はあるように感じている。一つは自身の考え方が(悪い意味でも)固まってきたこと。周りが忙しくなっていること(会社での地位や、結婚その他のことで時間がつくりにくい)。体力的なこと(めんどい・しんどい)など、この年になると、一人を自覚する時間が増えるということか。
考え方が固まっているせいで、疎遠にされているのであれば、それは僕自身の問題である。僕という人間が市場での競争力が無くなってしまったために、わざわざ会うことの優先順位が下がったということである。
これには色々思うところ、考えるところがあるので、なんとか対応していきたいと思う。なんとなく、人生において30歳からのチャレンジというか目標というか、意識しなければならないことは、この他社とのコミュニケーションなのかもしれない。勢いやつながりだけの今までとは明らかに違って、厳選された、心の通った付き合いを求め、求められることになるのかもしれない。
逆に合う頻度とは関係なく、少ない時間を一緒に過ごすだけでもそれなりに充実を感じているのも事実である。僕の場合、年齢が下の人と過ごすことも多く、時間の流れ方が圧倒的に違うように思う。そこには相変わらず戸惑っているのは確か。