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2011/07/31 ブログ

友人など、ゲイとは無縁そうな人に告白したことってあるだろうか。オレは告白という形では無い。キスだけなら3人としたことはある。
もちろん酔った勢いとかでするキスとこれは色々意味が違うということは念頭において欲しい。
とはいっても告白して~というような流れではなく、勢いとか雰囲気もあった。そのような状態でキスをした。
で、なんとこの友人たちであるが、内2人ともその後がうまくいっていないというオチが付く。もちろんそれぞれが、とても良い友人だったし、続かなくなる要素というのは、キスだけである。
ちなみに1人については、その後結婚して子供もできて楽しくやっているみたい。今は25歳ぐらいでしょうか??
なぜうまくいかないのかはわからない。とはいってもそりゃあキスするのは一大事かもしれませんが・・
ゲイの話を聞くとよく友人に片思いしている人がいるようである。そして告白を迷っているというのもよくある話である。
オレはまず、カミングアウトでさえも非常に難しそうなのに、さらには告白というのはもはや無謀に近い冒険のように思えてならない。
告白することが、自己満足の延長であるならばそれでもいいと思う。つまり相手がどう思うか考えずに、まずは自分の気持を伝えたいと。
ただしやっぱり現実的には、いわゆるゲイとは無関係の人がいきなり告白をされるというのは、告白前の友人関係に戻るのは大変だということを覚悟しなければならないように思う。
あたりまえだが、仲の良い友人がゲイであるという告白を受けるだけでも大変なのに、さらには自分のセクシャリティまで考えなければならない。そりゃぁ大混乱だろう。
2011/07/30 日常

歯フェチであることをかつて書いたと思う。いや、正直その記事のことは思い出せないんだけど。
定期的に歯医者に行っている。3ヶ月に1回。最初の頃は歯磨きの方法だとか、力の入れ方だとか、歯間ブラシの重要性だとか、、、いろいろな事を指摘されていた。
最近は、「特に問題無いですね。この調子で続けてください。」そのように言われる。
うれしいのは、すごく健康的な状態をキープできてますね。って言われること。歯は油断していると20代の前半からもう汚くなり始める。だから今の僕のようにちゃんときれいがキープできているのは、すごくうれしいし、これから50年続けていかなければならない。
コーヒーが好き。
もちろんこの時期だから、麦茶とかもいい。だけどやっぱりコーヒーも必要だ。なぜか暑い日でもさましたコーヒーが飲みたいって思うことがあるし、もちろんアイスコーヒーだっていい。
ただし問題なのは、コーヒーをあまり飲むと、歯に着色するってこと。なるべく健康的な白い状態を維持したい僕にとっては難しい問題である。
ちなみに歯を磨くとき、歯磨き粉を使わないのが普通になってしまった。スースーするせいで、ちゃんと歯が磨けているのか分からなくなるのがイヤ。あとは無くてもちゃんときれいになるから。もちろんキスが迫っている場合とか、さっぱりさせたいとか、着色を落としたいときに少量使うことはあるけどね。
あ、フッ素は虫歯を予防するみたいなんで、適量をいつも使うのはいいことみたいです。
話は変わって。
夏はお祭りの時期。盆踊りも楽しいし、御輿や山車の出るお祭りもいい。ただ仕事が遅いせいもあって、なかなか近所の盆踊りでさえも見に行けないことが多い。今年は日程的にはずれることが多く、色々参加したいと思っていた数々のそれに参加できていない。
ビールを片手にたこ焼きとか食べたいんですが・・。
ダイエット。なんだかさんざん腹が出てると言われる。もちろん彼がすごくそれを言ってくる。ご存じの通り、過去に少しだけ身体の画像を載せているが、よくないかもしれないが悪くもないはず・・。
とはいえ、7月までの激務で確かにジムなどサボっていたので、また少しがんばろうと思う。今度は結構まじめに50kgを切りたい。やせすぎって言われるけど、目標は大きくね。
彼の実家。
彼の実家に毎年遊びに行っている。気に入ってもらえたのかは分からないが、毎年のように僕も遊びに行っている。東京に戻るころ「また来なさい」そのように言われるのはうれしい。また、彼のところには実家から食材や調理済みの料理が送られてくる。「○○は量が多いから、かお。さんと分けて食べてください」そのようなメッセージが添えられて。これもまたすごくうれしい。しかし相手の親はどんな関係だと思っているんだかw
遊びに行く時には東京らしいお土産を。と思っているんだけど、毎回悩む。個人的おすすめは “きんつば” なんだけど、そんなものはとっくにあげてしまった。もんじゃとかお土産に向かないしね。東京らしいお酒っていうのも無いしなぁ、と。
旅行。
親を旅行に連れて行きたいと考えている。んでどこか無いだろうか。まあ適当に考えます。ちなみに親は出不精でまったく旅行をしない。というよりも、インターネットも使えない親だから、今のそういう人ってどうやって調べて、どうやって行くのだろうか。今はホテルも電車もすべてネットで予約できる。もちろん観光地の情報もしらべられるし。だからそれを使わずに旅行するのって、どうするのだろうか。だから親が出不精なのも何となくわかる。
ということでどうしようかな。友達が伊勢神宮に行くっていってた。まねして行ってしまうか。
仕事。
8月は暇だ!やばい。
僕は普段の記事だと、ある意味ではすごく神経質な印象を持たれるかもしれない。しかしちゃんと仕事もしてるのです。そして成績もちゃんと出しているのです。
僕と部下の2人+(かわいい)新人が1人。この3人チームで、他に4~5人以上いるグループよりも安定的に数字を上げている。もちろんチームで比較したとき、上半期は他を押さえて1番でした。僕個人は決して売り上げが高い訳ではないが、数字を分析して戦略を立て、目標を割り振ってモチベーションを鼓舞しながら、チームを勝利へと導く。ちゃんと戦っています。
と、数字があがっている間は何を言ってもまあいいでしょう。ちゃんと成果だしてるんだから。だけど、8月はまずい。本当にまずい。これでは下半期があぶない。誰か仕事ください。
8月は少しプライベートにも時間を割こうと思っています。
2011/07/29 カップル(彼関連)

先日の「ちょっと険悪になった時のこと」という記事があります。そのなかで、ずいぶん険悪に見えるというコメントをもらいました。
そしてそのことについて、あぁそういえば、と考えるところがあったので、少し記事にしたいと思います。
確かに記事で書いている表現は、文章なのでかなり強い印象を持たれる可能性があると思います。しかし半分の印象で考えたとしても、かなり辛辣な感じであることは事実です。
ウソだと思うか、ほんとだと考えるかの判断は読者の方にゆだねたいと思います。もちろん誇張はしてるかもしれませんね。
さて彼には友人がいない・少ないという話を書きました。そして彼に会ったことのある一部の方は「そんな感じがしない」という印象を持った人もいるかもしれません。僕自身も、彼と日常を過ごしている中では、そのような印象はあまり持ちません。なんだ普通じゃん、て。
しかし一部において、非常識なまでにあり得ないようなことがあって、それを見ると、確かに友人として我慢ならない状態に陥るのは非常によく分かるのです。
そしてそれが、お互いの意見をすりあわせるときと、感情が高ぶったときのことなのです。
彼は意見をすりあわせる、、、妥協点を見つける、、、のが非常にヘタです。たとえば、冷たい水がいいと言っている僕。熱いお湯がいいと言っている彼。
彼の提案は “じゃあ” といって、中間のぬるい水 という感じ。例なのでぱっとしないかもしれませんが、妥協点としてどちらも望まない、非常に中途半端な結果が待っているのです。
それが前回の話にもつながりますが、このときに僕が「相手の提案する妥協点を受け入れた」という感情では絶対にダメなのです。こんな中途半端なぬるい状態なんて、誰が望むんだよ!なんて思うなら、それでいいって言ったじゃんと、返されてしまうのです。
だからぬるい水の妥協点は僕自身が望んだと。そのように考えるか、もしくは一切妥協せずに、今日は冷たい水!彼は今回は我慢して!とするしかないのです。(もしくは熱いお湯にして、彼にあわせるか)
という妥協点の話。
また言葉の問題もあります。彼は感情が高ぶるとき、、、しかし高ぶることは最近はほとんどありませんが、、、非常に攻撃的になります。
その攻撃性は普段の状態を知っている僕からは驚くほどです。もちろんその大半は自分に向くので、特に大きな問題とはなりません。しかしごくまれに、先日のようにターゲットが明確であれば、それを受け止める必要があります。
強い言葉に単純に反応するのは愚かなことです。強い言葉に惑わされること無く、事実や主張をしっかりとくみ取り、その中から反論をするように気をつけています。だからありがちな、強い言葉の応酬になることはありません。
そしてそのような、滅多にないとはいえ非常に強い表現での主張を聞くと、友達とうまくやっていけるのか。と心配になってしまうのです。
かつて、彼の魅力で非常に重要な一つとして、友人がいないという話を書きました。そして普段ののほほんとした彼をみているときは普通ですし、そのおっとりした性格というのは、攻撃的な僕の性格を中和してくれる清涼剤でもあります。しかしこういう一部の部分をみると、友人とグループになるのではなく、一人を選択したときにそれが成り立つというのは、なんとなく分かる気がします。
パーフェクトなことなどあり得ないのは十分に理解しています。僕は彼に対してほとんどが理想であると評価する一方で、受け入れなければならないいくつかのこと、、、それはこのような辛辣な表現を受け入れることと、選択の責任を自分に持つ部分だと考えているのです。
2011/07/28 考え(自分関連)

Twitterで活発な人=実生活でも活発な人。Twitterでおとなしい人=実生活でもおとなしい人。というのは、何となく分かる気がします。
Twitterで積極的に他人と交流するひと / ひとり静かにつぶやく人 というパターンもあります。
しかし難しいのは、実生活で活発でありたいと思いつつも実現できなかった人が、せめてTwitterでは。と、チャレンジして失敗する例がマレにあるようなのです。
そこで、僕は活発な人及びそのグループ、もしくはそれに所属する人たちを本流とし、活発なグループから一歩引くようなグループ、もしくはそれに所属する人たち、または極端な例として一人である場合。その人たちを傍流として区別しています。
本当に孤立している場合は、グループではありませんが。
僕の場合、完全に傍流です。孤立までは行かないと思いますが、決して本流ではありません。本流に所属したくないのではなくて、なんとなく所属することができないという感じです。今まで数多くの集団に属してそれをイヤと言うほど知りました。
僕はこの傍流という流れがとても好きです。本流という流れは大きなうねりとなって、数多くの人を巻き込んですごいことだと思います。本流の果たすべき役割はきっとそれでいいのだと思います。
そしてその本流に乗れなかった人が必ず出てきます。僕の今までの感じでは1-2割がそのような感じです。それはコミュニケーションが苦手ということで本流に乗れない場合もあるし、本流のやり方や遊び方とは違うという場合もあるようです。
だいたいの場合傍流は傍流でグループができることが多いように思います。
そして傍流のグループにさえも所属していない場合には、孤立となるのです。僕が今までグループに所属していたとき、50-100人ぐらいのグループで、1-2人ぐらいがこれに該当していました。次回以降のイベントに不参加になる場合もあれば、孤立状態でも参加してもらえる場合もあるのが不思議です。
2011/07/27 ブログ

うまいキスと下手なキスを分ける基準は何だろうか。いつも考える。
直接的な行為と違いキスでのテクニックの差というは、確かにあるんだけど、それを証明することは難しいように考えている。
僕自身の話。キスには(も)決して自信は無いんだけど、何回かうまいと言われたことがある。しかし言われないことも多いので、おそらく相性などの偶発的な理由によるもので、実際の僕はまあ普通なんだろう。
激しいキスがうまい要素ではないだろうし、静かなキスがうまい要素でもないと思う。じゃあ組み合わせなのか。
確かに緩急というのは重要に思う。また意外と忘れてはいけないのが手の動き。ぶらっとさせているのはイマイチだと考えている。相手の身体を触るか手をつなぐか、首筋か腰あたりにそっと手を回したい。
そしてもちろん個人的には歯がきれいであること!これは興奮も左右するしモチベーションも左右するとても重要な事だと考えている。
しかしやっぱり緩急ぐらいでしかテクニックの違いは出てこないようにも思う。
下唇と中心に・・・とか、吸い付くように・・・という細かい違いは確かにある。でもやり尽くされたバリエーションばかりではないだろうか。
もちろんシチュエーションも大事だとは思う。
性的な行為につながるキスじゃない場合、ちょっとしたときにするのも楽しい。トイレに入ったときとか、出かける時とか。
そして彼とのキス。もちろん軽いのから激しいのまで色々あるんだけど、その最中に彼はゲップしたり!アメをなめてたり!咳き込んだり。会話したり。なんだか自由奔放だ。
2011/07/26 ブログ

宝石というのはいつの時代でも人々の目を引いてきた。そしてそれは主に女性の目であった。
男性の中にある女性らしさ。それは何も女々しいというネガティブなことではなく、すべての男性が持ち合わせている部分でもある。たとえば僕は、全然女性的なところは無い。一切無いけども、かわいいのが好き。カメラをしまうバックにはリラックマが付いている。しかしこれをもって、ゲイ特有のナヨナヨではないと僕は考えている。そういう一部の部分をのぞけば僕は完全に男性なのだから。
彼の話。スワロフスキーという宝石?があるらしい。もちろん僕はそれを彼に教わるまで知らなかった。それはガラスを宝石のように加工したもののようで、必要以上にきらきらしていた。
そして彼が言ったのである。「昔こういうきらきらした宝石の前から動かなかったらしいよ。ずっと見てたんだって」と。彼が小さかった頃にきらきらしたもの、、、とくに宝石などの前では、立ち止まっていつまでも見ていたらしい。
彼は子供の頃から、非常に女々しさを持っていたように思う。話の端々でそれを感じる。
たとえば僕は男女の兄弟である。通常年齢の近い兄弟の場合、けんかにならないように、男性用のおもちゃ1つ、女性用のおもちゃ1つ。ということで、絶対に違う種類が2つ渡される。僕はロボットだったし、妹は人形や折り紙だった。同じモノが2つということもなければ、両方に使えるようなおもちゃがプレゼントされることも、非常に少なかった。
もしそのようなことがあれば、けんかになって、泣きわめくような状態になるのは、火を見るよりも明らかである。
しかし彼は違ったらしい。ロボットなどには目もくれなかったそうだ。折り紙や人形を好んだようだし、それらで姉と一緒に遊んだらしい。
遊ぶのもそう。男の子は、そして僕は野球やサッカー、ドッチボールをすることがほとんどであった。しかし彼はままごとや人形遊びをしていたらしいのである。女の子に混ざって遊んでいたというのだから非常に驚きである。
きっかけ。というのを一度は書いてみたい記事でもある。しかし、こういう彼の話を聞くと、結局のところ先天的であったのではないかと僕は考えてしまうのである。
2011/07/25 昔の話

僕の年代。
30代=1980年代生まれは、思春期のころに女子高生、ブルセラ、援助交際という言葉が使われ始めた時代でもあった。
そしてそれは、もちろんゲイの世界も無関係ではない。女子高生がパンツを売るのであれば、ゲイもそう。パパがお金とともに肉体を求めるのであれば、それはゲイの世界も同様である。
もちろんゲイのコミュニティの中で高校生というのは相当人数が少ない。そのため実際には大学生~20代前半ぐらいまでがその対象になるのだろう。
僕はこの世界に入る前から、どうにも年上が苦手で恋愛の対象や、それをにおわすような関係になることは不可能であった。しかし友人の中には、年上が好きということもあったり、何よりも若いときは常に貧乏であった。そういった事情があって、肉体と金銭を交換するという話を聞いたことがある。
何をもって後ろめたい行為とするのか、非常に難しいところがある。たとえばずっとずっと年上の人、、、父親ぐらいの?、、、という人に食事をごちそうしてもらう。そのようなことは、たとえ下心や不純な動機があったとしても、食事を食べるということのみにおいては、問題があるのだろうか。
若い子は空腹を満たすことができ、パパは有意義な時間をわずかな金銭で満たすことができる。もしそこにちょっとした違和感があるとすれば、年齢差がありすぎる、ということだけである。
ゲイは多様であるから、いろいろな行為が金銭の対象となることがある。たとえばセックスにしても、最後までする場合、手だけの場合、口だけの場合、、、しかもそれは、してもらう場合もあれば、させてもらう場合にも価値が生じる。あまり適切な例では無いかもしれないが、援助交際の場合「させてもらう」ことが目的であり、してもらうことは主たる目的ではおそらくないだろう。しかしタチ・ネコという役割に応じて、求める内容も違う。
聞く話のほとんどは、してもらうのはOK。だけどこっちからするのは抵抗がある。というのが多かったように思う。
金銭は相場もあるようだけど、なんかそれぞれみたい。
僕の場合。僕はやっぱり無理だ。新宿の飲み屋で、かつて足を触られたりだとか、肩に手を回されたりだとか、そういったことがあった。しかしそのような行為のどれも、僕は嫌悪感を感じるのである。もちろん冗談で触ってくる場合と、明らかにいやらしい感じの時の違いがあって、嫌らしいときの感じは何とも言えない嫌悪感である。
だからかつて何回か、義理などで食事をするようなことはあった。だけどもちろん金銭の授受も肉体の提供も一切不可能であることを僕は知った。
※奥にちらりと映っている人は彼がタイプらしいです。
2011/07/24 親/家族

僕は残念なことでもありますが、妹が2人います。うちは女性が多くいる環境でした。
小さいとき、一緒に遊べる弟が欲しいと考えていました。そして今だに弟がいればなぁと、遊ぶという言葉の意味が広がった今でもそのように考えているのです。
兄弟は性の対象になり得るのか。非常に僕は強い興味を持っています。と、書きながら本当のところはどうなのか、妹がいるので知ってもいるのです。
一人っ子の人には申し訳ない部分もあるのですが、兄弟は絶対に性の対象にはなりません。興奮もしませんし、むしろ不潔な感じさえしてしまいます。少なくとも僕は。
僕の指向は男性なので、今の環境・・・妹よりも弟や兄がいたらきっと考えも違っていたと思います。ましてや今のような10歳も離れた弟がいたら・・・。と、想像の域ではありますが。
少なくとも僕の今までの人生において、妹には一切感情を持つことはありません。そればかりか、妹とのシチュエーションという、AVやマンガなどにありがちな行為も嫌悪感が先に出てしまって楽しめないのです。
しかしそれでも。と、僕はやっぱり(そしてできれば)弟が欲しかったなぁと考えています。今まで友人の中で数名、弟さんがいて、会ったこともあります。だいたい男の兄弟はサバサバとしており、また非常に雑多で僕が知っている兄弟とは大きく違います。なんだかんだで、女の子たちは態度も言葉も一定の丁寧さがあります。
そんな雑多な兄弟のコミュニケーションを見たり、聞いたり。会話をしたり。その中のすべてがうらやましいと思います。
僕は妹が2人。彼は姉が1人。そのため、擬似的にも弟がいる状態を楽しめないのは非常に残念です。しかしもし僕に弟がいたら、ひょっとしたら年上好きになっていたかもしれませんね。案外身近にない環境を恋愛には求めがちでもありますから。
2011/07/23 考え(自分関連)

むかしむかし、あるところに。努力の大嫌いなかお。という少年がおりました。その少年は、とにかく努力することが大嫌いで、楽なこと、好きなことばかりをして過ごしていました。
特に運動が嫌いで、食べることが大好きだった少年なので、年齢を重ねるごとにぶくぶくと太り、さも見にくい身体になってしまいました。
それでも努力の嫌いだった彼は、見にくく太ったその姿を見ても、なんの努力もせず、怠惰に毎日を過ごしたのでした。
見かねた周りの友人たちは、「もっと運動しないと」とか、「食事を制限しないと」などとアドバイスをしたのですが、彼はまったく耳を貸しません。
さらにタイミングの悪いことに、一部の友人は「そんなに太ってないよ」とか「太っててもいいじゃん」とか「健康的で魅力的だよ」などという甘い言葉をかけるのでした。
彼は自分にとって都合の悪い言葉には耳を貸しませんが、甘い言葉にはすぐに甘えたのです。まだ大丈夫。それを何回も自分にいいきかせ、さらに努力をしない毎日を迎えたのでした。
※結末はみなさんのご想像にお任せいたします。
と、もし僕が努力をしなければ、きっとそのような毎日を送っていたのではないだろうか。という話。
僕がいつも頭の中で思い出す話がある。
あるところで病気の人がいた。手術をすれば治るかもしれないが、重篤になるかもしれない。そのような病気だったそうである。その人はなんとか手術をせずに治す方法を必死に探したという。もしくは最悪手術をするにしても、確実に治るように。
そうやって、病院や医者を捜している間に、その人は重症になり帰らぬ人となった。
と。そういう話。
結局、何かに向かうときに、最善の方法を探していたのでは手遅れになる場合も多い。次善の方法ですぐに行動を起こすことが重要な時もある。
しかし何か行動を起こそうとするときに、アドバイスの場合もあるし否定的な意見を受けることも多い。そしてそれが、自身の決定を惑わすことになる。
最初の話。努力をしないことが問題なのは言うまでも無い。しかし大丈夫という周りの言葉をどのように受けるのか。という問題もある。大丈夫という言葉をかける人は、本心かもしれない。しかしそれは、手遅れへの道を進むために背中を押してくれていると考えることもできる。
もちろん、身体に関することはあらゆるものを犠牲にしてまで何かに向かうというほどのことでは無い。だから適度というのは確かに存在する。しかしそれは何もしなくていいということでもない。そして何かをしなければならないのであれば、少しでも早く、、、たとえその方法に間違いが含まれていたとしても、、、何かをしなければならないと考える。
さらに。ここから僕の彼への不満を少し書く。
彼は一言で言うならゴールがない。果てしなき努力とでもいうのだろうか。たとえば一時の、一番太っていた頃に比べれば、今の僕は相対的にマシになっていると考えている。たとえば十分満足できる点数という意味で70点は取れたのではないだろうか。しかしもちろんそれは僕自身も当然認識しているが、80点でも90点でも100点でもない。そんなことはもちろん分かっている。それを知っているのと同じように、70点ぐらいの満足度の位置にいることも知っている。
しかし彼からすると、この努力=結果は、0点もしくはそれに近いほどの低い評価になる。もちろん結果が出ていない状態で、努力だけに点数をつけるのはおかしい。だけどちゃんと結果もでている。脂肪での56kg がジムでトレーニングして筋肉をつけての53kgであれば、肉体的にはかなり見た目も印象もは違う。
にも関わらず、全然ダメだと評することの意味を僕は考えてしまう。
2011/07/22 日常

genくんを皮切りに?数名の方の先日のイベントのブログ記事・感想を読んだ。どのような会だったのかは、とくに gen くんの記事にゆだねるとして、いくつか思うところを書こうと思う。
げんやさんが、
・ 反差別運動と訣別するためのゆるい序章(前編)ー「同性愛差別」の本質を再考する
・ 反差別運動と訣別するためのゆるい序章(後編)ーひとまえで手をつなぐのは恥ずかしいことではないと言う
という記事を書かれていた。この記事は前・後編に分かれており、まさか前半の流れから、後半の記事でゲイタンヌーボのことに触れられるとは考えてもいなかったので大変驚いている。というのがまずは正直な感想。
僕が今まで過去を振り返ってさんざん記事にしていたが、ゲイの業界はなかなか一枚岩とはいかない。もしゲイが団結できる要素が少しでもあるとするならば、それは性だけではないか。とさえ思ってしまう。しかしコンドームを含めた各種性病予防キャンペーンがそうであるように、それは決して誇れることでは無いと僕自身は感じている。が、しかし言うまでもなく非常に重要なことでもある。
ゲイが団結しづらいというのは、もちろん今に始まったことではないと思う。かつてはその社会的な立場から団結することが、すでに後ろめたいことであったのかもしれない。
しかし今は社会的な何かに原因を求めるよりも、多様な個性が原因なのではないかと僕は考えている。個性は尊重されるべきで、大切なことだと思う。そして社会的な生活を営む上ではそれで全く問題無い。しかしそれは、普通という人生を送るのであれば。
僕たちはゲイのコミュニティの中で活動していると、自分がマイノリティであることを忘れてしまう時がある。もちろん自由に発言ができ、何にも臆することが無いというのはとてもすばらしい。しかしそれはあくまでもゲイコミュニティの中でのみ通用している。
結局のところ、誰かが何か行動を起こさなければ、先人たちが今の社会を作り上げたような未来、、それは今よりももっともっと垣根なく受け入れられること、、はできない。
と、堅苦しいことを掲げ、そのための「具体的な何か」を言ったところで、僕にはそのような行動力もないし、その行動が本当に大切なことなのかも理解できる状態にない。だって今のままでいーじゃん、って。
なんだけど、おそらく今までのゲイコミュニティの中でいうならば、ちょっと異質なのがゲイタンヌーボなんじゃないかなぁと思う。
もし僕だったら。新しいコミュニティへの参加は以下のようなことを考える。
・タイプの人はくるの?
・(恋人いなければ)恋人になれるような人はいるの?
・ほんとに楽しいの?
・なんかめんどくさそう。
・緊張するしイヤだなぁ
と。まあ僕の場合はだいたい自分勝手な気持ちか、初対面は緊張するからネガティブな気持ちのどちらか。根底にはやっぱりコミュニケーションは怖いという考えがある。
どのようなコミュニティだったとしても、そこには色恋が存在していたし、その先には肉体の欲求が存在していた。それが無ければそのコミュニティに参加する意味も無い。と、考える人が多いと思う。つまり多くのコミュニティで根底にあるのは恋。もちろんそれは無意識かもしれないが本能でもある。
ゲイタンヌーボが違うと思うのは、根底にあるのは「楽しさ」。楽しいを目指しているし、そうするべきだと思う。もちろん個々人においては、色恋があってもいいと思うし。
先日げんやさんとのチャットで、ちょっとしたことからおもしろいフレーズが出てきた。
「楽しい」をみんなでもっと共有したい
ゲイタンヌーボの1回目では、すでに方向性としての理念があったのだが、これも追加していいのではないか。
1回目のゲイタンヌーボ。十分楽しかったと思う。だけど、もっともっとみんなで「楽しい」を共有したい。そのための工夫はまだまだありそう。次に開催される大阪では1回目よりも期待してもいいだろう。1回目が終わってからの、参加者の団結はなんだかすごい感じだし、以前僕のボイスブログの協力をしてくれたゆず茶くんも企画者の一人だしね。
これを読んでいる一人でも多くのあなたと「楽しい」を一緒に。

以下は告知です。(げんやさんの所から引用・一部改変しています)
8月27日(土)に、大阪で第二回ゲイタンヌーボを開催することが正式に決まりました。
場所:大阪、服部緑地公園(地下鉄御堂筋線 / 北大阪急行「緑地公園駅」徒歩十分)
日程:8月27日(土)
時間:正午くらいからBBQ及び流しそうめん。夜は花火など(自由解散)
予算:一日通しの参加で3,000円くらい
規模:約50名を想定
参加資格:なし
詳細:いまのところはツイッターをご参照ください。
もし興味もたれた方がいたら、ぜひ連絡をお願いします。 kaokao.hihi@ジーメール まで!
一人での参加もお気軽に!
※ロゴはのりさんが作ってくれました