過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 月別アーカイブ:2011年06月 」 一覧

  2011/06/20    フェチ/好み/タイプ

くすぐったいことと感じるポイントは紙一重である。そのような話を聞くことがある。この話自体は有名だと思う。しかしたまにこれを非常に勘違いしている人もいるという話。

僕はくすぐったいばかりで全く感じない箇所がある。それは太ももの内側とか、股の付け根の部分とか、おなかとか。
もちろん人によっては感じるポイントであることも知っているし、人によっては何も感じないポイントであることを知っている。

しかし僕はくすぐったいのだ。乳首がくすぐったい人というのもいるだろう。しかしこれとは決定的に違う。乳首は単純に開発されていないだけ。今後根気よく続ける事によって必ず感じるようになる。
しかし僕が挙げたポイントは必ずしもそうじゃない。開発ができないのではないかと思っている。

そしてこのくすぐったい状態を見て、がんばれば感じるようになると勘違いして攻めてくる場合がある。この勘違いは早急に是正するべきだ。

ただしこれには中間もあるので注意したい。
つまり「くすぐったいけどすごく感じる」ポイントである。そして僕自身のこのポイントは首。

僕にとって首の感じ方というのはずごく不思議。くすぐったい気持ちもあるから、そこを責められると絶対抵抗する。だってくすぐったいんだもん。
だけど一方では全身の力が抜けるような気持ちよさもある。そしてもちろん首を責められるのは気持ちいいから大好き。

この首の感じ方は、Mとしての属性ととても相性がいい。いやだけどしてほしいというのは、たとえば拘束と組み合わせると相乗効果は抜群。。
僕にとっての首という場所はちゃんと一つの記事に書かねばならないほど奥が深い。

とりあえずくすぐったい場所と感じる場所は違うという話。そして一部くすぐったい場所は、開発の余地がある場合もある。という点を注意したい。
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  2011/06/19    フェチ/好み/タイプ

背中は感じるための重要な場所であることをご存じだろうか。もちろん背中以外の数多くのポイントが、個人差があるように、背中にも個人差があると思う。しかしとても重要なポイントである。

背中が重要だと考えるのは、ほかのポイントとは明らかに性質が違うからである。
・範囲が広い
・抵抗しにくい

たとえば乳首や首などのポイントと比べてほしい。たとえば乳首は、その場所ずばりか、その周辺の少しぐらいしか感じないと思う。
また、抵抗することも比較的簡単である。抵抗させないようにするには、それこそ自由を奪うしか手段が無くなる。

背中はそれらとは明らかに違う。「この場所」というポイントはそれぞれあるが、かなり広範囲にわたって感じる場所がある。しかも円形になっており、一番感じるポイントが中心だとすれば、中心からの距離に応じて徐々に感度が落ちる。これは緩急をつけるときに重要である。
飛び地のようにポイントがある人もいる。たとえば背中の羽のあたりが感じつつも、腰のあたりが感じる人もいるし、背骨にそって直線的に感じる人もいる。全体的に左側がいいという人もいる。
乳首などの器官と違い場所がはっきりしていないので、その場所を探す楽しさもあるだろう。

抵抗しにくいというのも重要な要素である。強制的に自由を奪うというのは、シチュエーションとしてはおもしろい。だけど背中の場合は、姿勢からしてすでに抵抗しにくくなっている。しかも責めようとしている相手のことを直接見られないので、擬似的な目隠しの効果もある。
伏せている体制では当然力も入らないので、組み伏せるのも簡単。
こうしたシチュエーションが、単純にうつぶせになるだけで実現するのだからすばらしい。

ぜひあなたのポイントも探してみてください。
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  2011/06/18    フェチ/好み/タイプ

もうずっと腕枕をしていない。なんて言っても彼がいやがるのが一番の理由なんだけど。神経質な彼はそういう状態では寝られないという。無神経な僕は、腕枕であろうと、一人であろうと、部屋が明るくても、うるさくてもちゃんと寝られてしまうのである。

かつて腕枕をしてほしいと言われたことがある。実際に腕を枕のようにされると手がしびれて大変なことになる。だから実際の腕枕っていうのは、首の隙間に手を差し入れることを示すと思う。

そして腕枕をされた相手は、人によっては枕になっている手を握ったり、胸の方に顔をうずめたり、、、それぞれである。

ちょっとした会話の時の腕枕は特に気にならないが夜寝る時の腕枕は、好みが非常に分かれる。たとえば彼のように、寝られないからいやという人もいれば、くっついて寝る?のがいいからなのか、腕枕してほしいという人もいる。
僕は上記の通り、どちらでも基本的には気にならない。
※ただし、寝る時に腕枕をしてても、深夜にちょっと目が覚めるタイミングでそっと腕枕をやめるのが一番スマートではないかと考えています。

腕枕をするときに気になることがある。相手が胸のほうに顔を向けると、どうしてもワキのあたりに顔がくることになってしまう。この部位は当然体臭の強い場所でもある。常にパーフェクトになっていれば気にならないが、もちろんそんな時ばかりでも無い。そして「!もし!今するとなれば」それはもうおっさんの体臭が出ているハズでもある。
するとやはり腕枕は、こちらの方から辞退するべきか、もしくは自然に相手の顔を向こうに向ける気遣いをする必要がある。

胸枕がいいっていう人もいた。確かに胸であればワキに比べれば体臭も弱まるだろうし、しびれるなんてこともなくなる。位置としては悪くないように思う。ただし体勢が大変という問題もあるのだが。。。。

それぞれの理想の姿勢を見つけて、ぜひとも甘いひとときを過ごしたい
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  2011/06/17    昔の話

出会いをしてトラブルになったことはありますか?僕は今まで大きなトラブルはありません。しかし細かいのは数回だけあります。僕はフィルターが厳しいのか、あまり変な人にはあわないので、とても安心しています。僕の選択方法であれば、簡単に会うことは出来ないかもしれませんが、会ってしまえばいい人がほとんどでした。

中にはレイプだったりだとか、泥棒まがいのことだったり、ストーカーなども。そんな酷い人もいるんだなぁという話を聞いたことがあります。だからやっぱり油断はできないと考えなければならないのでしょう。

僕は今まで、すぐに思いつくトラブルが2回ほどあります。1回目も2回目もまだ最初の頃です。1回目の時は本当にひどくて、事前に交換していた画像と本人がまったくの別人でした。そして顔の半分は隠れるであろうサングラスをしていました。今でもその時の印象は強烈に覚えています。
お茶をするという事で駅で待ち合せをして、写真と違うことにびっくりしながらも短い時間を一緒に過ごしました。サングラスは「一応まだ信用できないので」ということでした。
お茶が終わって、「さぁ」と、僕としてはもう精一杯だったので、そのまま帰ろうとしました。すると「待って」と。まだ遊びたいだとか、もう会わないつもりでしょ。とか相手は言うのです。
簡単な引き止めとともに、他愛もない会話を交わすことはよくあることです。礼儀としてもそうですし、「もう会わない」ことと「今すぐ立ち去りたい」とはまったく関係ありません。最後まで礼儀正しくちゃんとした会話をして、なるべく早くにお別れをしたいと思っていました。

しかし全然解放してくれないのです。「○○に行きたい」とかそんな感じ。しぶしぶそれに付き合っても、また次の場所で、次は○○・・・という感じ。当時夕方から授業のあった僕は「もう学校だから」と言っても、聞く耳を持ってくれませんでした。この時にはさすがに怒りと同時に恐怖を感じました。
解放するようにお願いしても、いくらお願いしてもダメでした。結局しつこく、口論のような状態で半ば強引にお別れをしました。この時が、今までの経験を含めても最も大変でした。

次は、「がっちり」と自称する人でした。この頃はまだ僕の考えもハッキリしておらず「がっちり」という表現に疑問を持ちつつもNGではありませんでした。そのため会ったのですが、デブでした。ごめんなさいをすると、軽くドライブという約束が、「じゃあここで降りて」となったのです。まだ都内だったので問題はありませんでしたが、とても驚きました。
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  2011/06/16    フェチ/好み/タイプ

性的な事は、信頼関係のおける人と、好きだという気持ちとともにできることがもっともすばらしい事だと思う。
しかしながら必ずしもそうではなく、快楽を求めるためであったり好奇心であったりと、心が二次的な要素となり、肉体的な気持ちよさが追求されてしまうことも多々ある。

今日は複数プレイの話。
複数プレイというのは、僕自身は全くおすすめしないが、男女のそれとは違って、比較的実現しやすいのではないかとも考えている。男女の場合3人だったら、男女女もしくは男男女という組み合わせしかあり得ず、いまいち偏っているような印象をぬぐえない。想像するだけでも忙しそうだ。やっぱり4人じゃないとバランスしないのである。

一方で男性の場合、こちらはいわゆる男性役としてのタチ、女性役としてのネコがいるほかに、両方ができるというリバという存在がいる。ようするにゲイの性的な行為を考えたときには、3人というのが自然な姿なのではないかと思えるほど、ぴたっとおさまるのである。

と、こんな事を書いておきながら、僕は複数での行為が好きではない。もちろん好きとか嫌いをいえるほど豊富に経験があるわけではもちろんない。当然のことではあるが、乱交などと言われるような経験ももちろんない。しかし好奇心やもろもろの事情によって、3人ぐらいならば経験はある。そして、もともと乗り気でなかった僕は、それを経験してもやっぱり好きではないプレイの一つだと考えている。

複数でのプレイが嫌いな理由はいくつかの単純な理由による。
見られること。割り切ることが難しいこと。

見られることが嫌い・苦手だという話をかつて書いた。そして複数、、、想像しやすいのは3人のとき、、、行為はどうしても1対1で行われ、残りのもう一人はおまけとして活動を求められる。そうなると意図しているかどうかは別として、あまった人が見るという状態が発生してしまう。手持ちぶさたの状態といってもいいかもしれない。

いくら3人が当事者だといっても、どうしてもそのようになってしまう。そして見られるのが嫌いという僕のポリシーがここでも適用される。見られるのがいやなのだ!

割り切るのが難しいということもある。今までの数少ない経験を挙げるとすれば、乗り気の2人とちょっと引き気味の1人という構図ができあがる。乗り気の側に位置してもなんか納得いかないし、引き気味の一人の場合には、早く帰りたくなる。
また、その「乗り気」には好みのタイプというのも関係してくる。3人の時、3人がちゃんとそれぞれをタイプであることは少ない。だいたいは1人はタイプだけど、もう一人はあんまり。という関係が多いのではないか。そうなると、タイプ同士だったりすると、その二人は積極的にお楽しみになるが、あぶれてしまった一人は寂しいことになる。

こういうときは、好かれても好かれなくてもつらい。

3人目を友人から誘われた場合。それは自信の立場がそういうことのみに期待されていると言ってもいいかもしれない。第一本命だったら、そんな事を誘ったりしない。性的なことを割り切ってできると思われているからこそ、3人目を誘われるのだ。

もし、好きとか嫌いとかが無い関係でのプレイや、もし3人ともがちゃんとタイプだったときプレイは、、、、きっとすごく気持ちよくて興奮するのかもしれません。
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  2011/06/15    考え(ゲイ関連)

学生のころ、、、それはすべての学生時代、、、小中高大と、僕はまったくもてなかった。転換期といえるようなできごとは、高校生の頃に訪れたが、恋人などは夢のまた夢であった。

小学生時代、僕は非常におとなしかった。今でも人見知りでおとなしい片鱗というのは強く残っている。(もちろん後天的なトレーニングで、人見知りっぽい雰囲気は隠せているかもしれませんが)

中学校時代も高校の途中までも一緒であった。プライドが高かったと、客観的に見ればそうかもしれない。単純にいうならノリが悪かったということかもしれない。

高校や大学ごろになって、いくつかの転機があった。たとえばそれはノリに関することかもしれないし、プライドの高さが解消したことなのかもしれない。もちろん子供の頃からくらべて顔がかわったことも要因かもしれないし、ファッションや髪型などかもしれない。

いくつかの転機を迎えて、以前よりモテるようになったように思う。しかしそれは、今まで年間を通して恋愛がゼロだった状態から、年に何回かは、恋愛ができるような状態になれた。という程度の変化でもある。

しかし人見知りの片鱗が未だに残っているように、モテに関する考え方というのは、小中高の間にだいぶ固定されてしまったように思うし、それがまた矯正するのが大変難しいと考えている。

僕は恋人がいても、ほかの人とつきあうような、そんなバカげた事をしようなどとは思わない。しかし「つきあうような状態」の直前ぎりぎりまでは許容してしまうような、そんな考え方なのである。もちろん同様のことを彼がやっていたら絶対にいやなので、それとは違う。理性としてそれをしないのはもちろん規律的な行動である。しかし考え方としてはそんな感じ。

おそらくこれは、かつてもてなかったことが非常に大きいのではないかと思うのである。
一人の人と、長く一途な信頼関係を築くような恋愛関係ができていた場合や、一世一代の告白で、OKをもらえた場合など、恋愛を信じるに値すると判断するような出来事は数多くある。
しかしそれは幸せなごく一部の人しか得ることができない。

大多数は、数多くの人に告白してはフラれ、せっかくつきあえた人とも、短期間で、裏切られるような出来事ともに破局を迎える。そのような例はごまんとあるのだ。そして僕は完全にここに所属していた。

だとすれば、告白が成就しても、次の保険を探すという行為には、さも合理的であるように考えてしまう。もちろんそのような考え方や行動が、破局を早める事になるのだと思う。しかしこれはかつての恋愛の経験則とでもいうべきだろうか。

彼のおかげで、そのような考え方がばからしいことに気づくことができた。そしてもちろん僕は理性もある。しかし根本の考え方を矯正していくには、まだまだ時間がかかるのではないかという心配もしているのである。
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  2011/06/14    カップル(彼関連)

お賽銭とともに、どのようなお願いをしていますか。僕はお願いの内容が非常に象徴的であるように思っている。

神社仏閣を利用する機会は多い。たとえば年始。そして旅行。お祭り。アミューズメントのようなもので、それを目的に出かける事も多い。

参拝のルールというのがあるようだが、いまいちよくわからない。手を洗って、賽銭を投げて、鈴を鳴らして。手を合わせてお願いをするのである。もちろん、お願いには心をこめて。

いつ頃からだろうか。「お参り慣れ」してきてからは、いつも同じ事を願っていた。すてきな恋人ができること、お金を稼げるようになること、健康で居続けられること。

正直なところ、これらがすべて成就すれば、ある程度の犠牲が生じたとしてもいいのではないかとさえ思う。
そしてそれは、いつまでたっても叶わない願いでもあった。

恋人・・・それは夢であったし、お金を稼ぐ・・・・夢であった。健康、、、もちろん不安ばかりだ。

しかし夢をかなえてくれるのが神様だろう。いつもワンパターンであるが、一心不乱にお願いをし続けていた。

そして今。なんとも幸せなことに、恋人は叶った。稼ぐことに関してはとりあえず不満はない。健康も。
ということで、お願いの内容が変化したのである。

「今の状態が続きますように」と。

そしてたまにはバリエーションを変えて、「かなえてくれてありがとうございます」と。

望んでいた状態が達成されて、さらに欲張るようなことをするのは愚かだと思う。僕は今の状態が、なるべく長く。もちろんできれば一生。。。続くことを毎回神様の前でお願いしているのである。
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  2011/06/13    カップル(彼関連)

少し前に、彼と初めて会ったときのちぐはぐな会話の状況を書いた。今回は知り合う事になったきっかけについて少し書こうと思う。

当時の僕は、仕事が忙しかった。だから恋愛とはしばらく無縁であった。もちろん遊んだりするような友人は数名いたが、恋愛とは違った。
出会いもほとんどしていなかった。朝早くから夜遅くまでまじめに働いていたし、土日の休みも、出会いに時間を使うようなことはしていなかった。

そんな状態が1年ぐらい続いたのだろうか。そろそろせめてあたらしい友人がほしいと思うようになってきた。このとき僕は条件を相当に絞っていた。たとえその対象者が僕とは無縁であっても、僕にとっての条件を優先したかった。

とはいっても、何かにつけて書いているけど、条件の絞り方は簡単。絶対に譲れない部分を条件とすればいいのである。

年齢と体重。おとなしいこと。

掲載型の掲示板というのがあり、そこでは好みの年代などで検索することができた。自分よりも年齢が下で、その中から出てきた自己紹介の欄などを眺める。
太ってるからダメ。自己紹介の欄を読むと活発だからだめそうかな・・。などと人のことをいえない自分が選択するのである。

彼は確か自己紹介の欄には、人見知りというニュアンスの事を書いていたように思う。もしくは理系大学と書いていたのかもしれない。年齢も妥当で、自己紹介の書き方も妥当。ということで、「何人かにアプローチをかけた中の一人であった」もちろん年齢差や諸々の事情で、メールが帰ってこないことは多く、このときも確か彼しか帰ってこなかったのではないか。

日々どんなメールをしたのかは覚えていない。

そして後は出会ってからの記事につながる。
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  2011/06/12    考え(ゲイ関連)

以前に比べて、おならがよく出るようになった。一日に何回もぶーぶーやってしまうのである。
そしてこのおならの問題。あなたはどのように考えるだろうか。親しき仲にも礼儀あり。恋人とのおならの問題は深刻なのである。

僕は、そしてまたいつもの通りではあるが、大変一方的な意見を持っている。非常に単純ではあるが、自分のおならはいい。彼のおならはダメ。というものである。まあもちろん大まじめにこんな意見を主張するわけではないが、いくつかの気持ちを書きたいと思う。

おならがよく出る。それは当然自宅で一人の時も出るし、彼と一緒の時にも出る。もちろん外出中でもでる。ただ相対的に、彼と一緒の時か一人の時が多い。なぜか会社ではあまり出ている印象はないし、電車に乗っているときなども同様である。もちろん彼によっておならが誘発されることなどとうていあり得ないので、とても不思議なことでもある。

さて、そうしておならがしたくなると、僕はところかまわずブー、と。2回や3回連続になることもざらで、そのときにはブー、ブー、となる。
おならが出てしまうのは仕方のないことである。なんだけど、やっぱり節度ある回数が理想でもある。今のような状態は、必ずしも適切だとは思えない。だけどやっぱり仕方がない。

ということで、僕はところかまわずブーっとやってます。という話。

さて、彼の場合。彼は滅多におならはしない。「アイドルはおならもうんちもおしっこもしないもんね」と、僕は冗談で言うことがあるが、本当におならをいつしているのだろうか。などと、思っているとたまにブー、としてくる。非常に少ない回数、そして遠慮がちなブーだ。

そして僕は必ずいう。「こら!おならするんじゃない!」と。彼は「かおのしている回数と比べればたまにするのぐらい別にいいでしょ」という。本当にその通りだと思う。だけどNo!といいたい。

どんなに親しくなっても恋人とのおならはダメという話を聞いたことがある。僕はおそらく友人関係のころからおならをするだろう。そして恋人関係になってもおならをするだろう。
そして恋人のおならも別にいいのではないかと思う。もちろん、ダメ!という主張はするが、全然気にしていないという、なんとも微妙なことなのである。

そしてこの記事を書いている時にも、ブー。やっぱりおならはよく出てくる。
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  2011/06/11    ブログ

経験を積んでいる30代は打たれ強い。それに魅力的だ。
誤って経験を積んだ30代は打たれ弱い。そして魅力もない。

30代というのは、20代とは違ってすごく残酷だけど人柄がすごく滲み出ることになる。その理由は単純。

20代に何をしてきたのか、その結果が30代なのではないかと振り返って思う。たとえそれは、密度の濃い20代を送ったとしても、逆に薄い20代だったとしても、ある種の「気づき」を持っているのかどうか、が30代の本質的な魅力なのではないかと考えている。

30代というのはみんな打たれ強い。それは20代の頃のような無防備な距離感に人を入れないということかもしれないし、さんざんイヤなことがあって達観したのかもしれない。しかしこの打たれ強さというのは魅力に感じる。ただし信用しない人とか、疑い深い人という意味ではないので注意。

ゲイの世界では、年齢の基準は相当に大きいということをかつてさんざん書いた。自身がどう思うかではなく、業界がどうなっているか、という話なので、それは仕方のないことだと思う。そして僕はどちらかといえば、虐げられる年齢にさしかかった。

僕のような年下好きというスタイルを持っている30代のみんなが僕と同じような考え方では無いと思う。しかし年下好きの30代はあつかましいぐらいがいいのではないか。そしてそうであるならば、年下の基本的なスタイルとしては、30代は無視というのが正解の気がする。

経験を積んだ魅力的な人間は、過去の例から一人だけを追いかける事によるリスクを知っている。そしてその人が色々な人に声をかけている可能性は高い。
だから狙われた年下のスタンスは無視でいいのだ。無視をして、それでもしつこく食い下がってきてから初めてコンタクトをとるような。
もちろん魅力的な人からの連絡を無視することは辛いと思う。しかしそれは30代だって、魅力的な年下だと考えていたら必ず食い下がってくるし、食い下がるべきだと思う。そうじゃないなら、その後に幸せが待っているのか疑問がある。

じゃあ。僕自身はどうなのか。声をかけるという部分についてさえも、あまり積極的ではない。だから自身の場合は無視されたらそれっきりになってしまう可能性は高い。でもそれでもいいのだ。「とりあえず無視する」というスタンスを取る年下の子とうまくやっていく自信は無いのだから。

大丈夫、矛盾してない・・・よ?
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