HIV検査に関する僕の考え。

一言で言うなら絶望感。まるで破滅への道を着実に進んでいるかのような緊張と虚無感。ゲイにとって検査というのは、必要である一方で非常に怖い事でもある。
そしてこの検査について、いくつか考えていることを書きたい。
・検査を受ける必要性
・検査を公開すること
・まわりのこと
・セーフセックス
他のブログでも、また友人たちに話を聞いても、検査の話というのは定期的に出てくる。そして幸いなことに僕の周りの友人はまだ陽性という話を聞いたことは無い。もちろん僕自身にカミングアウトしていないだけかもしれないし、その友人が検査を受けていないだけかもしれない。それはわからないが、とにかく僕の周りはそういう感じ。
検査について、「受けるべき」としかいいようがない。受けない理由というのは全く存在しない。遊んでいても遊んでいなくても、検査は必要だし受けるべきだろう。そして受けるべきだなんて書いている僕自身がいざ検査を受ける時、非常に怖くて、とても勇気のいることである。偉そうな事を書いていても、やっぱりそうなんだ。
本音と建て前はあるにせよ、とりあえず受けよう。としか言えない。そしてみんな怖い(ハズ)
検査は身に覚えがあるから受ける訳ではない。大丈夫なことを確認するために受けに行くのである。だから僕は特定のパートナーとしか性的な事をしていなかったとしても、そしてパートナーが100%信頼できるような相手だとしても、やっぱり検査はしておくべきだと思う。疑うから検査ではなくて、大丈夫な事を確認するために。
たまに検査をしない理由を述べる人がいる。誰ともしていないとか、毎回セーフだから、とか。もちろんそういう理由はわかるが、大丈夫なことを確認すればいいだけの話。
検査について、受けたことや自分の結果を公開している人がいる。そして僕自身も別に公開しても非公開してもいいと思うが、検査の結果は完全にプライバシーであり、公開する必要は全くない。もしあなたが検査を受けたり受けようとしたのであれば、それは完全に秘密で行われ、別に公開などする必要は全くない。
僕自身も検査を受けたとしても、受けなかったとしても、そのことを記事にするかもしれないししないかもしれない。陰性の時には積極的に公開していた場合、もし陽性になったらそういう記事はかかなくなるというのだろうか・・。それはわからない。とにかく書くことも、書かない事も完全に個人の自由にゆだねられているということ。少なくとも僕の場合、記事の有無によって、陰性陽性を示さない。
まわりの反応。これはぺらさんが非常に興味深い記事を書かれているので、そちらも参考にして欲しい。僕も検査の話を彼とすると、彼は「する必要ないでしょ」と僕に言うのであった。もちろん僕は彼とつきあいはじめの頃に検査をしており、何もないことを確認している。だから必要ないといえばそうかもしれないが、やっぱり僕のポリシーは、何もないことを確認するのだ。
そしてこれは根が深いことでもある。何かがあったとき、それを遠ざけるというのは、安易で問題のある事だと思う。「そもそもそういう心配があるような事をするな」という考え方は、あまりにも古すぎる。
たとえば僕が中学生の頃からコンドームを利用した性教育が比較的オープンになってきた。しかしそのときの親の年代では、そもそもそれを使うような行為が問題だという話だった。
(ちなみに、未成年に携帯灰皿を配るようなのとは根本が違うので注意)
そしてそのような考えかたがあるのは理解するが、やっぱりそれも僕の場合は、大丈夫な事を確認するためだから、問題ないと思う。