複数での性的な話。

性的な事は、信頼関係のおける人と、好きだという気持ちとともにできることがもっともすばらしい事だと思う。
しかしながら必ずしもそうではなく、快楽を求めるためであったり好奇心であったりと、心が二次的な要素となり、肉体的な気持ちよさが追求されてしまうことも多々ある。
今日は複数プレイの話。
複数プレイというのは、僕自身は全くおすすめしないが、男女のそれとは違って、比較的実現しやすいのではないかとも考えている。男女の場合3人だったら、男女女もしくは男男女という組み合わせしかあり得ず、いまいち偏っているような印象をぬぐえない。想像するだけでも忙しそうだ。やっぱり4人じゃないとバランスしないのである。
一方で男性の場合、こちらはいわゆる男性役としてのタチ、女性役としてのネコがいるほかに、両方ができるというリバという存在がいる。ようするにゲイの性的な行為を考えたときには、3人というのが自然な姿なのではないかと思えるほど、ぴたっとおさまるのである。
と、こんな事を書いておきながら、僕は複数での行為が好きではない。もちろん好きとか嫌いをいえるほど豊富に経験があるわけではもちろんない。当然のことではあるが、乱交などと言われるような経験ももちろんない。しかし好奇心やもろもろの事情によって、3人ぐらいならば経験はある。そして、もともと乗り気でなかった僕は、それを経験してもやっぱり好きではないプレイの一つだと考えている。
複数でのプレイが嫌いな理由はいくつかの単純な理由による。
見られること。割り切ることが難しいこと。
見られることが嫌い・苦手だという話をかつて書いた。そして複数、、、想像しやすいのは3人のとき、、、行為はどうしても1対1で行われ、残りのもう一人はおまけとして活動を求められる。そうなると意図しているかどうかは別として、あまった人が見るという状態が発生してしまう。手持ちぶさたの状態といってもいいかもしれない。
いくら3人が当事者だといっても、どうしてもそのようになってしまう。そして見られるのが嫌いという僕のポリシーがここでも適用される。見られるのがいやなのだ!
割り切るのが難しいということもある。今までの数少ない経験を挙げるとすれば、乗り気の2人とちょっと引き気味の1人という構図ができあがる。乗り気の側に位置してもなんか納得いかないし、引き気味の一人の場合には、早く帰りたくなる。
また、その「乗り気」には好みのタイプというのも関係してくる。3人の時、3人がちゃんとそれぞれをタイプであることは少ない。だいたいは1人はタイプだけど、もう一人はあんまり。という関係が多いのではないか。そうなると、タイプ同士だったりすると、その二人は積極的にお楽しみになるが、あぶれてしまった一人は寂しいことになる。
こういうときは、好かれても好かれなくてもつらい。
3人目を友人から誘われた場合。それは自信の立場がそういうことのみに期待されていると言ってもいいかもしれない。第一本命だったら、そんな事を誘ったりしない。性的なことを割り切ってできると思われているからこそ、3人目を誘われるのだ。
もし、好きとか嫌いとかが無い関係でのプレイや、もし3人ともがちゃんとタイプだったときプレイは、、、、きっとすごく気持ちよくて興奮するのかもしれません。