もてない僕。もてなかった僕。

学生のころ、、、それはすべての学生時代、、、小中高大と、僕はまったくもてなかった。転換期といえるようなできごとは、高校生の頃に訪れたが、恋人などは夢のまた夢であった。
小学生時代、僕は非常におとなしかった。今でも人見知りでおとなしい片鱗というのは強く残っている。(もちろん後天的なトレーニングで、人見知りっぽい雰囲気は隠せているかもしれませんが)
中学校時代も高校の途中までも一緒であった。プライドが高かったと、客観的に見ればそうかもしれない。単純にいうならノリが悪かったということかもしれない。
高校や大学ごろになって、いくつかの転機があった。たとえばそれはノリに関することかもしれないし、プライドの高さが解消したことなのかもしれない。もちろん子供の頃からくらべて顔がかわったことも要因かもしれないし、ファッションや髪型などかもしれない。
いくつかの転機を迎えて、以前よりモテるようになったように思う。しかしそれは、今まで年間を通して恋愛がゼロだった状態から、年に何回かは、恋愛ができるような状態になれた。という程度の変化でもある。
しかし人見知りの片鱗が未だに残っているように、モテに関する考え方というのは、小中高の間にだいぶ固定されてしまったように思うし、それがまた矯正するのが大変難しいと考えている。
僕は恋人がいても、ほかの人とつきあうような、そんなバカげた事をしようなどとは思わない。しかし「つきあうような状態」の直前ぎりぎりまでは許容してしまうような、そんな考え方なのである。もちろん同様のことを彼がやっていたら絶対にいやなので、それとは違う。理性としてそれをしないのはもちろん規律的な行動である。しかし考え方としてはそんな感じ。
おそらくこれは、かつてもてなかったことが非常に大きいのではないかと思うのである。
一人の人と、長く一途な信頼関係を築くような恋愛関係ができていた場合や、一世一代の告白で、OKをもらえた場合など、恋愛を信じるに値すると判断するような出来事は数多くある。
しかしそれは幸せなごく一部の人しか得ることができない。
大多数は、数多くの人に告白してはフラれ、せっかくつきあえた人とも、短期間で、裏切られるような出来事ともに破局を迎える。そのような例はごまんとあるのだ。そして僕は完全にここに所属していた。
だとすれば、告白が成就しても、次の保険を探すという行為には、さも合理的であるように考えてしまう。もちろんそのような考え方や行動が、破局を早める事になるのだと思う。しかしこれはかつての恋愛の経験則とでもいうべきだろうか。
彼のおかげで、そのような考え方がばからしいことに気づくことができた。そしてもちろん僕は理性もある。しかし根本の考え方を矯正していくには、まだまだ時間がかかるのではないかという心配もしているのである。