過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 月別アーカイブ:2011年05月 」 一覧

  2011/05/11    考え(ゲイ関連)

いわゆる “普通” っていうのは、至る所に存在している。ゲイも例外ではない。一般人が考える「普通のゲイ」って女性言葉を使う、いわゆるオネエという認識が広まっていると思うしかしゲイが考える一般的なゲイってなんでしょうか。っていう話。

僕が友人とか知り合いとかのゲイを通して感じていること、それはやっぱりどこかで女性的な部分があるということ。
ゲイは必ずしも女性になりたいってことではなく、自分は男性のまま男性を恋愛対象としていることが多いと思う。
だから性同一性障害というのはゲイの中では結構珍しいと考えている。

しかしいわゆる一般的なゲイを考えたとき、その「一般」は、どうしても2つに別れる。やはりそれが男性的か女性的かという話。
男性的なゲイと女性的なゲイというのはやはりどうしても存在している。それらが入り交じった人というのももちろん一定数いるが、比較的どちらかにポジションをおいている人が多い。

男性的か女性的かを見極めるひとつとして、女性の友達の多さ。ということが挙げられる。

ゲイに限ったことではないと思うが、ゲイの女性的な人の多くが女性の友達が非常に多い。普通と言っていいのかわからないが、男性にとって仲の良い女性の友人というのは、恋愛関係への第一歩になりかねず、友人関係の維持はそこそこ難しいことだと思っている。そんな考えだから、たくさんの女性と仲良くなるのは難しいだろうとも思う。
それに第一、仲良くなるために女性特有の世界に足を踏み入れようとも思えない。
しかし女性的ゲイの場合、いともその世界に簡単に入り込むから驚く。

男性的なゲイの場合、おそらく社会生活は完全に男性的なのではないだろうか。僕自身はそれに該当するのだが、実はこれに該当する他の人をほとんど見たことがない。ゲイの世界ではネコが多いが、女性的なゲイが多いのも事実である。

そしてこの女性的なゲイの一部がオネエという存在になるように思う。僕自身の知り合いでの生粋のオネエという人は数少なく、飲み屋で会う程度の人しかいない。だからよく分からないのが事実のところである。
そしてオネエは女性を嫌う・苦手意識を持っている人もいるし、すっかり溶け込んでいる場合もある。

何を持って、普通とか一般的と表現していいのか難しい。だけど、少なくともゲイにとって、性格で分けるなら男性的・女性的の2つになるのではないか。もし特徴として分けるのであれば、会話の方法が男性的・女性的となるのだろうか。

しかしおそらく世間一般で思われているほどオネエ人口は少ないように思う。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/10    カップル(彼関連)

会う頻度に関連して。 >> 会うのは週一?毎日?距離感のこと。
僕はどちらかと言えば、会う回数は少ないほうがいいと考えていた。単純に考えると、例えば半年で別れると想像することが容易な恋愛しかしていなかった。そのため、例えば週に1回のペースで会ったときに半年で別れるというのは、トータルで25回ぐらいを一緒に過ごすことになる。

もしこれを週に3回会っていたとすれば、、、、8週間=2ヶ月で満期が来てしまう。もちろん現実性もなにもない、めちゃくちゃな考えだということは理解している。しかしこの考えを強く否定できる程の答えや経験など持ちあわせていなかった。

たくさん会う。まるでそれはお腹がいっぱいなのにご飯を食べることに似ている。お腹が空いていれさえすれば、どんな食事も美味しく感じる。一方で、お腹がいっぱいの時には、ささいなことに不満を感じる。
恋人との合う回数や頻度というのはこれに近いと考えていた。

自身が相手にたいして飽きることもあったし、飽きられることもあった。飽きることを表現するのは、直接的な言葉の場合もあったが、たいていは雰囲気の変化であったり、ケンカの回数、、、それなどはまだいい方で、身体が他人に向くというのが一番の問題であった。そして悔しいことに、それは自身も強く戒めなければならないことであった。

彼と知り合った当初。といっても年単位で。同様にそこまで一緒に過ごそうという気持ちには正直なところならなかった。忙しいということも実際にあったのだが。
夜には週に3回ぐらいは会っていたが、日曜日など1日を一緒に過ごすことなど皆無であったし、それを望んでもいた。たとえ恋人であっても他人と終日を過ごすというのはなんとなくストレスに感じていた。

しかし徐々に日曜日のほぼ終日を一緒に過ごすスタイルが定着してきた。おそらく旅行で一日一緒であることに慣れてきたというのもあったのだろう。隔週の日曜日を一緒に過ごすのが徐々に増え、今では毎週の日曜日はほぼ一緒に過している。(夜は翌日のこともあるので、お互い自宅に帰っている。そういう意味では、僕が家でゆっくりするという表現ができるのは日曜日の夜ぐらいしか無いのかもしれない)

しかし。彼と一緒になにもしない時間を共有しているわけではない。僕は時間の使いかたが相当に貧乏性。彼もなんにもしないで一緒というのはあまり好んで内容である。ちなみに今となってはDVDを一日見るような。そういうこともやや抵抗がある。

だから日曜日の朝になると、今日はどこいくの?と始まるのである。僕自身が行きたいところが毎週のようにあればいいのだが、都内の主要なところはかなりめぐったのではないだろうか。

脱線しました。今の彼と付き合うようになって、僕がどれだけしあわせを感じているのかいう話は、さんざん今までの記事でも書いたとおり。なんだけど、こうやってストレスなく普通に一日を一緒に過ごせるということも、彼の魅力のとても重要な一つだと考えている。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/09    日常

やや複雑な人物の関係があるので、まずは整理します。
僕のビジネスとして付き合いのある夫婦がいます。旦那Aさんと妻Bさんです。僕はBさんとはそこそこ長い付き合いがあります。しかしAさんは面識がある程度であまり交流はありませんでした。
AさんとBさんの夫婦生活は破綻しています。子供がいてその子はBさんが育てています。

そしてAさんは社会的にもそこそこの成功者であり、Bさん意外にも派手に女性関係があるようなのです。

Aさんは確かにイケメンです。40代だったと思いますが、童顔ということもあって全然そんなようには見えません。30代半ばぐらいのようです。お金の稼ぎ方も上手でスマートです。今は色々あってそこまで裕福ではなさそうですが、それでも普通のサラリーマンよりは全然稼いでいるようです。

BさんはAさんに対して「英雄は色を好むから仕方ないね」といって、そういうAさんの遊びを気にしていないようなのです。ただ他の女性のところにドップリになると自分の生活ができないからといって、妻Bさんは自分で稼いでいます。

こういう考え方の基礎はやっぱり性欲なのでしょうか。僕もそういう女性関係はまったく参考にならないのですが、社会的に成功者になると、そういう女性関係が派手になるというのは、比較的よくあることだと社会に出てから知りました。

逆にゲイ業界の場合、サバサバしているというか、本命の他に・・・という話をあまり聞きません。派手に遊んでいるという話と、愛人・・・この場合は第二の本命っていうイメージだと思いますが、イコールにはならないのです。
ゲイの場合は、遊びやすいとか婚姻関係にならないので精神的・法的な制限が無いというのが理由になるのでしょうか。とても不思議な感じがします。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/08    考え(ゲイ関連)

別れた恋人と連絡をとったりますか?僕は完全に切れる場合とほそぼそと連絡を取る場合に分かれます。といっても、そんなに付き合った人がいるわけではないので、相当に限定的ですが。

そしてやっぱり気になるのが元彼の今彼の話です。別れた恋人であっても当然友人関係が続いていれば、僕ではない誰かとの幸せな生活を願っています。

願っているのは事実なのですが、ここでカッコイイ・かわいい恋人を見つけた場合と、相対的にそうじゃない恋人を見つけた場合。これが非常に微妙で、僕はどちらの場合にも嫉妬心とはいいませんが、なんとも表現しがたい感情が芽生えるのです。

もし新しい恋人が、ぐうの音もでない程にカッコイイ場合。僕はおそらく嫉妬心に近い感情が芽生えます。と同時に、(ブサイクな)僕との別れを迎えてよかったのじゃないかとも思います。少なくともフリーのおかげで、今のカッコイイ彼を見つけられたのだと。

逆にブサイクな恋人を見つけた場合。このときはなんとも言えない感情です。こんな人と付き合うのかぁ・・・と。性格とかわからないし、いい人なんだろうけど、もっと見た目も優先すればいいのに、と。もちろん顔は些細なことなのでしょうが、やっぱりそのような感情が出てきてしまいます。

ゲイの世界では恋人になったとしても、すぐに別れを迎えることがよくあります。恋人を作るのはやっぱりとても大変なことだと思いますが、色々な部分に妥協せずに頑張ってほしいですし、素敵な恋人が見つかるように願っています。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/07    考え(ゲイ関連)

国境、非在、あるいは百年の祈り
おなじみのげんやさんのブログです。先日げんやさんはりふくんとの動画を公開してくれました。確か音声に関するげんやさんの所で、ぷよぷよに関する記事があったと思います。そこにはりふくんの「負けて」という言葉が入っており、普段のブログなどを通してイメージする音声と、負けてという音声のギャップに戸惑いながらも、悶々とした日々を送ることを余儀なくされていたわけです。(中国語講座などは、日本語ではなかったので除外)

それが今回になって、いくつかの新しい魅力とともにいろいろな発見が得られました。ということで、ややぶちかましすぎな感じですが、僕の感想と気づいたこと。

乙女(ナヨナヨ)は世界共通なのか。
最初の動画を見て、最初の部分では、若干のナヨナヨがありつつもごく普通の感じでした。骨格の細さなどから、可愛らしさなどは感じられつつも、ほのぼのとした動画になっていました。

しかし2本目になると、とたんに女性らしさが強調されてきました。sawakichiさんへのお礼のくだりなどは計算してもなかなかできることではありません。
そしてここまでは言葉や雰囲気を楽しむ場面。

翌日の船のくだり。
ここは顔の大きさを気にしているあたりすごく驚きました。女性は常に見た目を気にするらしいですが、まさにそれに通じるものがあります。(ちなみに全然でかくないのに、それを気にするっていうのは、どういうことなのでしょうか???)

そして僕の彼の話。
りふくんと比べると、僕の彼は全く乙女らしい言動はありません。少なくとも船に乗っても、揺れることはあまり気にしないようです。
今まで飛行機もそうですが、日本海での遊覧船ですごく揺れていましたが、彼は別になんとも無かったようです。(ちなみに、遊覧船を降りてから、船酔いで吐いている人を見たのは、数々の遊覧船の中でも初めてのことでした。それぐらい揺れていたのです)
普段の言動では乙女を感じることはなかなかありません。

しかし、ファッションなどに関しては非常に乙女に近い感覚を持っています。ちょっと買い物にいくとき、必ず着替えます。ジャージで軽く出かけるっていうのはダメらしいのです。誰に会うかわからないという理由のほか、自分が納得できないという理由もあるようです。モテを意識するとかではなくて、自分を納得させるために必要だと言うのです。
僕にはとても不思議な感覚です。

僕は乙女の気持ちというのは全く理解できません。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/06    カップル(彼関連)

僕は基本的にオープンです。隠すことが基本的に好きではないので、なるべくぎりぎりの範囲までオープンにしたいと思っています。

それは普段のブログの内容からもそのように感じてもらえることがあると思いますし、実際に会ったことのある人だったら、僕がある程度以上をオープンにしていることを理解してもらえると思っています。

そんな僕のスタンスですが、彼にも同様です。お互いあまり隠し事をする必要もないので、少なくとも僕は彼に対してほとんど隠し事をしていません。そりゃー確かにエロに関することは、お互いあまり関与しない方が幸せだと考えています。隠すほどのことじゃないけど、暴くほどのことでも無い。そのような部分を秘密と言えば秘密でしょうか。

例えばそれはエロとしてのオカズに関すること。僕はPCを使った仕事をしていますし、彼のPCを使います。調べようと思えば何から何までも調べることができますし、その痕跡を消そうとすれば、「消した」痕跡が残るので、それをきっかけにして調べることも可能です。もちろん限界もありますが、かなり深い部分まで暴ける手段となってしまいます。
しかし僕はポリシーとして、それに興味があったとしても絶対にしません

携帯もそう。僕は彼の携帯を見ることはしません。何か疑わしいことがあったとしてもです。もちろん彼の携帯はほとんど鳴ることが無いので、頻繁に鳴るようなことがあれば、心配は心配です。しかし心配する気持ちとそれを覗き見ることは別。ということで、そういうことはしません。

彼もきっとそうだろうと信じています。

少なくとも知り合ってから今まではその方法で全く問題なく付き合うことができました。しかし今まで何度か「そんなこと聞いてない」そのように言われてしまったことがあるのです。それがお金の使い方に関する話。

僕はリスクを比較的負うことに慣れている性格です。それは今までの生活環境というか社会生活の中でリスクを安全に負うということを学ばされてきました。
そんな僕が、付き合ってからしばらくして、ほぼ全財産をリスクマネーとしてつぎ込んだのです。

このときは本当に全財産で、所有している株などもそうですし、定額貯金などすべてを現金化し、全財産の預貯金が5000円ぐらいになってしまいました。それにくわえて、友人や親などに借金を申し込むほどでした。
※このように書くと、なんだか大変みたいですが、リスクマネーなのは事実ですが、別に借金取りに追われたりなどはありません・・・。

と、その顛末を何かのきっかけで話をしました。「今日はおごれないよ!だってお金ないんだから」みたいな流れで。

その時に、「そんな大変なこと聞いてない」と言われたのです。
たしかに積極的に話はしていませんでした。ひとつは絶対に反対されることが分かっていたこと、(リスクをとることについて積極的に賛成してくれるような恋人は疑問です)最大のリスクは若干の借金が残るものの預貯金がゼロで終わることから、ちゃんと働いていれば何一つ問題が無いこと。自己破産したり彼に影響がでることはありません。

以上のことから、そのことを積極的には話をしませんでした。ただしやるかもしれない、そしてその場合にはたくさんお金を使うというぐらいの軽く話をしていたと思います。

その後注意するようになったので、定期的にリスクに関する現在の状況をなるべく話をするようにしています。そしてその話をすると彼はいつも顔をしかめながら、「危ないからやめたほうがいい」そのように言うのです。

※ちなみにおかげさまで、この時のリスクマネーは開始してから1年間ぐらいは、ゼロになりかけていましたが、現在は少しずつ起動に乗り始めた?ぐらいな状況で、なんとかゼロにはならずに済みそうです。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/05    考え(自分関連)

宗教は信じていますか?僕は無宗教。おそらく大多数の日本人がそうであるように、僕も宗教を何か信じているということはありません。

しかし信仰している人をうらやましいと思うことはあります。信仰がうらやましいと思う理由は、自分の行動理念を比較的確立しやすいのではないかと考えているからです。「○○という教えなので」という理由で何かを行動したり行動しなかったり。僕みたいな無宗教からすると、なかなか理解しがたいことですが、行動の指針がハッキリしているところがうらやましいと思います。場合によっては法律や常識よりも信仰が優先される時もあるかもしれませんし、そこまで強い信仰心というのもきっとあると思います。

僕の友人で、宗教に傾倒している人はいません。恐らく個人的に宗教について積極的に活動的していても、僕は特にそういう事には興味がないので、僕に対してはアピールしてこないのかもしれません。「一度○○事務所に遊びに来てよ」なんていわれて勧誘されるのでしょうか?(僕は全く知らないので想像ですが。。。)

選挙の関連では友人の話を聞くことがありますが、僕に来たことはほとんどありません。そして僕は「自分で考えます」と答えるだけです。。

ただし先日書いたように、精神の充実を目指す場合、宗教じみた雰囲気になることは多くあります。それは友人の話を聞いていてもそう感じることがあります。

しかしそれは仕方のないことだと思っています。精神を統一させ、時には瞑想をし、心を落ち着かせ迷いを取り払い、充実を目指す。精神の鍛錬と言ってもいいかもしれません。このような行為は、昔から宗教と結びついていました。坐禅などはいい例でしょうか。

僕の知っている人で、精神を強く意識している人が2名います。そして2名とも宗教とは無関係ですが、精神を統一し、瞑想することの重要性を話していました。最初は頭の中で色々なことを考えてしまうらしいのですが、それを続けていると、ある時無になる瞬間が来るらしいのです。(無になったあとに色々なことに気づくのかもしれないが、よくわかりません)

正直そういう世界んことは全くわかりません。だいたいそうやって座っている時間があれば仕事したいと今の僕なら考えてしまいます。

しかし今は精神の成長を目標にしています。頑張って少しずつ気づきを増やしていきたいと思います。きっとそれは将来の何かに必ずつながるような気がしてならないのです。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/04    考え(ゲイ関連)

毎日会いたいという人がいる一方で、月に1回と言う人もいます。どちらが正解ということではないので、非常に難しい問題だと思います。

会う回数というのは様々な理由と共に決定されると思います。仕事や学校が忙しいとか、時間を作ってなるべく会うとか。

性的な相性は言うまでもなく重要ですが、この会う頻度というのも非常に重要な事だと思います。僕も彼も会えるときに会う。そうじゃなければ無理はしないというスタンスです。今は僕のほうが相対的に忙しいことが多く、仕事は毎日そこそこ遅いですし、会う時間を作るとすれば僕の方です。
そんな僕は、なるべく会いたいと思うので、週に2-3回ぐらいがちょうどいいいと考えています。
彼のほうは、意外とドライで、会えないときはかなり早いタイミングで今日はダメといってきます。僕はぎりぎりまで頑張って、なんとかして会うようにと考えているのに、彼はこの感じじゃ今日は無理だなーという感じですぐに判断してしまうのです。

しかし今はまだ彼の時間は比較的あいているので、大きな問題にはなっていませんし、またお互いの考える会う頻度というのは、ちょうどいい所に収まっているように思います。

ある程度社会的な習慣があるので、自然にそのように収束していますが、例えばこれが学生同士だったりすると、非常に難しいことだと思っています。
毎日会おうとすれば時間的には可能かもしれません。しかし自身を振り返ってみて、当時の僕であれば、週に1回ぐらいがちょうどいいと考えていたように思います。それ以外の日は、遊びの中から刺激を得たいと考えていました。恋人から得られることも非常に刺激的でしたが、それと同じぐらい、日常の中には刺激がありました。※学生の時には暇とかも含めて刺激的だったように思います。

会うペースの不一致が、お互いの距離を広げてしまうということはあながちありえない話でもありません。

時間の作り方もそう。忙しい中で会う時間を捻出すると、「頑張って会っている」ということになりかねません。「頑張って時間を作る」ということについて、僕自身はその表現が正しいとはどうにも思えません。なのですが、頑張って時間を作っているのは事実の部分もあります。
彼が、これから働くようになって、今までのように空き時間に会うわけではなく、まさに時間を作って会うようになったとき、その時はきっと僕が今までずっと「頑張って時間を作ってきた」事の実感をしてもらえるのでしょうか。

それとも、彼が今まで言っているように最低限の仕事ができる職に就いたとすれば、きっと働いてからも今までと同じペースになるのでしょうか。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

2011-05-06 追記
※本記事、もともとの下書きと、いくつかのブログから参考にしていました。時間の関係で紹介できなかったので、以下に参考サイトとして追記しておきます。
とにかく僕は最低な男だってこと。:笑顔、ときどき涙。
クボタノートさんからも参考にしたように思ったんですが、それらしい記事が見つからなかった代わりに、最近はほとんど会う・会いたいなどの話題だったので、広く薄く参考にしていたのかもしれません。クボタノートは「リンク」からどうぞ。

  2011/05/03    日常

僕はまだそこまで一人暮らしの期間が長くありません。2010年の今はまる3年です。実家にいるころ、ずっとテレビを見ていました。当時ドラマはほとんど見ませんでしたが、バラエティーやニュースなど大好きでした。

家に帰って部屋に入ると、まずはテレビを付けます。特に集中してみるわけではないのですが、かすかに流れている人の声というのが安心でもあったし、それが自然で日常だったように思います。

小さい頃に、一番最初に欲しくなった高価な物は自転車だったし、テレビでした。それぐらい僕の生活にはテレビは欠かせないものでした。もちろんゲームも大好きだったんです!

大学生ごろになって、ちらほらとテレビを持っていないという友人がでてきました。そのころになると僕もテレビを観る頻度は減ってきていました。そもそも勉強や遊びで家にいる時間がそもそも少なくなっていたので、それがテレビを見る時間を減らしていました原因です。それでも部屋に入ると、相変わらずテレビは必須の存在でした。。

社会人になって、テレビを持っていないと言う友人の家に遊びにいったことがありました。部屋が殺風景で、時間を持て余し手持ち無沙汰になった僕は、僕が一人暮らしするときには、最初は我慢できても結局買うことになるなぁと、その時に思っていました。

そんなことなので一人暮らしを始める直前まで、テレビが常時ついている生活をすごしていました。集中してテレビを見るようなことは少なかったが、それでもテレビがついていることに安心していました。

一人暮らしを始めるにあたって、最初は家財道具を揃えるのにお金がかかります。まったく贅沢な生活を望んでいませんが、それでも洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなど色々と必要になります。もちろん敷金や礼金なども必要です。

そうなったとき、自分にとっての優先順位は、冷蔵庫(ビールのため!)、ガスレンジ(食事!)、食器、洗濯機、電子レンジ、布団でした。(実際住み始めて1週間ぐらい布団がなくて苦労しました)
一度に大金が出ていくのは負担だがら、少しずつ買い揃えました。実際に上記布団までは2週間ぐらいで揃えたが、それ以降については、ほとんど家財道具は買わずに過ごしてしまいました。

そのため、テレビもなければパソコンもない。インターネットもできないという、非常に殺風景な状態になってしまったのです。そして意外とすんなりテレビの無い生活ができています。

その結果テレビを見ないクセがついた今は実家に帰っても、テレビを観ることは殆ど無い。

今になって思うとすごく不思議です。昨日まではテレビのある生活を送っていました。そして一人暮らしが始まってすぐにテレビがなくなったのです。昨日までどっぷりだったテレビが突然なくなることの戸惑い。それは全くありませんでした。
彼の家ではテレビを見ますが、僕自身が欲しいとは全く思いません。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

  2011/05/02    カップル(彼関連)

※この記事は先日の東北沖地震の前に書いています。一部追記しましたが、整合性は取れていない可能性が高いと思います。

彼と出会ってから僕の意識が大きく変えられたことの一つに、旅行があります。かつて僕は旅行が大嫌いでした。本当に大嫌いで、東京以外のどこにも行きたくないし(たとえ関東近辺であっても)東京の騒がしくてゴミゴミしてて忙しい雰囲気が大好きでした。さらに地方のガランとした、ゆっくりした、自然のある、そういう雰囲気が苦手でした。

と、雰囲気が嫌いと言うこともありましたが、やはり旅行には日程や行程を決める必要もあります。そしてこれも苦手でした。

行きたいところもないし、行くための準備も嫌いだし。だから僕は彼と出会うまでの26年間ぐらいで、ほとんど地方らしい地方に行ったことがありませんでした。せいぜい大阪、鹿児島、北海道、千葉、横浜、茨城などの近場だけでした。もちろん大半は仕事で必要だったからという理由です。

彼と知り合ってから、最初の頃の旅行は抵抗がありました。だって旅行はケンカの原因になったり、四六時中一緒に過ごすことが不安だったり、行きたい場所、乗りたいもの、それらが一致するとは限らなかったからです。楽しみというよりも不安のほうが大きかったように覚えています。

と、ここまで書いておきながら、初めての旅行はどこに行ったのか正直覚えていないんですよね。
ただ初期の頃に行った旅行で、僕が旅行好きになる決定的な事は今でもハッキリと覚えています。そして一番印象に強く残っていて、一番楽しかったのもその旅行。

それは淡路島に行ったときの話です。僕が中学生のころ、忘れもしない阪神大震災がありました。すごく衝撃的なことで、僕と同世代でなおかつ関西圏出身の友人はまず間違い無く、このことを記憶に強くとどめています。不幸にも友人や知り合いが亡くなったり、危機一髪だったという記憶と共に。また当時は関西圏から転校してくる人も何人か見かけました。それほど関東人である僕にも、とても身近なこととして捉えていました。
そして「阪神淡路大震災」と表現されるように淡路島もとても大きな被害が出たと言うことです。

だから僕は人生のとても大きな衝撃を受けた出来事の現場を見たいと思っていました。だけど一人で行くことなんて出来ないし、だれか一緒に行ってくれる人もいませんでした。楽しいかどうかもわからないし。
彼に淡路島に行きたいという話をして、もちろん大阪とか神戸とか明石とか色々まわるような日程を考えてくれました。旅行の勝手がわからない僕はすべて彼にお任せして。

行ってみると、それはそれは楽しい旅行でした。震災というとても大きな災害の悲惨さを目の当たりにしましたし、一方で復興の凄さを見てきました。大阪も明石も神戸もとても印象的で魅力的な街でした。たこフェリーだったかな?面白かったし。

僕には旅行のイメージがすべて変わりました。こんなにも楽しいのか、と。それからは本当に定期的に色々な場所に行くようになりました。僕は飛行機が怖いのですべて国内なんですが。
伊豆も面白かったし、静岡もおもしろかった。佐渡島もよかったし、北海道も。広島、厳島神社もいいですね。まだ主要な都市しかまわっていないんですが、これからもいろいろな場所で色々なことに触れられたらいいなぁと考えています。いずれ海外にもチャレンジ・・・でしょうか。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ

http://www.youtube.com/watch?v=kHWLHtUkQaQ

クレイモアがどれぐらい好きなのか動画を撮りました。