過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

焦らし。正解と不正解。

   

需要と供給のミスマッチがよくあるという話を今までさんざん書いている。それは大抵において業界特有のミスマッチ、、、例えばそれは肉体的なことや年齢的なこと、容姿などのことであった。

こうした部分においてのミスマッチは、あくまでミスマッチの話であって、正解とか不正解という話ではない。

正解の有無があり得ることと、マッチングの事は別に考えなければいけない。

そして、正解の有無のある行為の一つとして、焦らしがある。
勘違いしてはいけないが、「焦らし」というのは、最後までの行為が約束されているからこその焦らしである。
途中で放棄されることが約束されているのであれば、それは焦らしとは言わない。

考えてみて欲しい、焦らすようなことをわざとするプレイというのは日常だと思う。気持イイを貯めるという感じだろうか。もちろん焦らしに失敗して、そのまま「その時」を迎えてしまうような悲劇だって生まれる。ここまでだと寸止めと表現される場合もある。

こういう行為で、とても重要なのは、寸止めであっても何回かの焦らしのあとには、必ず最終目的まで達成されるということである。もしこれが、焦らしのまま終わるようなことがあれば、それは焦らし行為自体が否定されなければならない。

もちろん事故として、例えば焦らしてたら疲れて寝ちゃうとか、じらすタイミングを間違えて達してしまうことなど色々あるとおもう。しかしそれは例外である。

じらす行為の結果が、なし崩しな終了だとしたら。それはもうどのように表現したらいいのだろうか。罪としては最悪な部類であるし、多大な損失を相手に与えている。そのような悲劇をうみ出してはならない。

もちろん最後までやらないけど、密接な接触が暗黙のうちに行われる場合もある。例えば飲みの席でのボディタッチなどはそうだろう。これを焦らしといってしまうには大きな問題がある。しかしボディタッチと、上記に挙げた焦らしには、明確な違いがあることを読者の方は理解していただけると思う。

だからあえて主張しておきたい。焦らして最後まで無い場合、そんなことをするヤツは地獄に落ちろ!と。
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