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2011/04/30 日常

僕はあまり写真がすきではありませんでした。撮るのもそうですし、撮られるのもそうです。だからいままで写真として残すよりは、記憶で残しておきたいと結構本気で思っていたのです。
しかし仕事で少しだけデジカメを使う機会があり、それならばと、そして彼とも落ち着いてきた(半年ぐらい)ので安いデジカメを買うことにしました。
最初に撮影した画像は、僕らしくウオッカでした。これが07年の話。
08年からは少しずつ旅行などをするようになったため、たびたび活躍してくれました。08年は全部で380枚の写真を撮りました。
09年も同様に380枚でした。
10年からは一気に増加して、1650枚。今年はすでに1100枚の撮影をしています。
ちなみに10年から増加しているのは、なんとブログで使うようになってからです。
このブログは2010年の10月から始まりました。2010年9月までの撮影枚数は156枚だったのです。10月をすぎてから、一気に毎月100~200枚を撮影するようになりました。ちょうどこのころから、写真の楽しさに気づいた頃でもあります。
前にも何かで書きましたが、一枚一枚の写真には大した愛着はありません。しかし僕自身がとても驚いていますが、こうやって記事と共に画像を掲載すると、その一枚一枚がとても価値のある画像のように見えてくるのだから不思議です。
例えばおしっこプレイの記事なんて、単なる便器ですけど、すごく調和があるように思いますし、それ以外の画像も結構好きにみえてくるから不思議です。
そして重要なのは、(少なくとも僕が重要だと考えているのは)写真が上手に撮れているかはあまり関係ないということです。
少なくとも僕の場合は決して写真が上手ではありませんし、なんにも考えずに好き勝手撮っているだけです。それでも文章と組み合わさる事によって味が出てくるのです。
※ちなみに写真が上手な人は、ブログに違う味を追加することができるので、これはこれでとても羨ましくもあります。げんやさん、ケイトさん、くぼたさんは画像もすごく楽しめます。
※ 2011-05-02 追記
ちなみにここ最近の写真で気に入っているのは
2011-01-26 青々している空が好きです
2011-02-04手元が好きです
2011-02-06雰囲気が。
2011-04-21飛行機。
2011/04/29 考え(ゲイ関連)
2008年のお花見
ずいぶんとお遅くなりました。1ヶ月近く過ぎてしまいました。僕のお花見の話。
お花見が僕は大好きです。特に花を見るのが好きというわけじゃなくて時期が短いことや、外でお酒を飲みながら楽しめることなど、桜というよりも、その環境が好きなのです。
と同時に、毎年とても悲しいのがお花見の時期でした。
花見の時期=4月はとても様々な出来事があります。出会いであったり別れであったり。そしてそれは花見の体験と共に記憶に残ることが僕には多くありました。
去年は卒業したばかりで不安の中での花見だったな、とか。去年は後輩をたくさん集めてにぎやかなお花見だったな、とか。
もちろんその時に付き合っている恋人と花見をすることも何度かありました。そして毎年必ず思っていたのが、「来年は誰と花見ができるのだろうか」ということでした。
今一緒にお花見をしている恋人と、来年も花見をできる可能性はほとんどありませんでした。少なくともその時までの経験から言うならば、可能性はゼロでした。
楽しいお花見を友人としている一方で、恋人とのお花見は、楽しくもはり、はかなくもあったのです。
2009年のお花見
今の彼と付き合うようになってからは、そこそこの期間が過ぎているので、いろいろなところでお花見をしました。毎年だいたい駒沢公園・隅田川・上野にはほぼ必ず行っており、あとは都度その時の状況に応じています。(そろそろ新しい場所も開拓したいですね)
当然最初に行った花見では、やはりとても心配に考えていました。ほぼ絶対に翌年は同じ恋人とこの場所に来ることはできなかったので、今回もそのように考えていました。
しかし1年・・・2年・・・と同じ場所でお花見をすることができています。

2010年のお花見
僕は今までこのブログに書いているように、彼のおかげで喜んだり大変だと思ったりいろいろなことがありましたが、おそらく最も幸せに感じることのひとつとして、花見を翌年も同じ恋人と出来るというのが大きくあります。
※この記事を書いていて、「長期の恋人関係で一番幸せなのは長期的な計画が立てられる」っていうの書いたことを思い出しました。しかしこちらの記事はまだ公開していなかったので、早々にまとめて公開したいと思います。

今年のお花見
今となっては、各地に行って桜の木を見ると、ここまで樹勢があるなら、きっと桜の季節は綺麗だから、花見の季節になったら今年はココに来てみよう。そのように想像できるのはとてもうれしいことだと思っています。
2011/04/28 フェチ/好み/タイプ

先日 Twitter で若干話題になった話。ラグナさんも記事にされていたので、僕も触れたいと思います。
話の要旨としては、屋外でのプレイは興奮するのか。という話。この件について、僕はラグナさんとかなり意見が近いという認識をもちました。 >> 記事はこちらです
ラグナさんは絶対に誰も来ない場所がいいということで、これは僕も同じように考えています。
見られるというのは、僕の場合も非常に抵抗があります。見られるという直接的な状況じゃなくても、「みられるかも」という状態ですでに萎え萎えです。だから僕は屋外での経験が無いとは言いませんが、そのどれもが、全く興奮しないばかりか苦痛でさえあったということです。
このシチュエーション、非常に難しいのです。
というのも、例えば部屋のカーテンが開いているとします。この状況は萎えにつながるのでしょうか。ちなみに僕の場合、よっぽど見えるような状態ならともかく、普通程度の事であれば、気にしません。それは、着替えるためにカーテンを閉めるかどうかという判断に似ています。
そして、カーテンもドアも閉めた、そういう密閉された空間でもまだ「見られる」というシチュエーションが存在します。それが複数でのそういう行為の時です。僕は複数でのそういう行為は非常に苦手で、ほとんど経験がありません。そして数少ないそういう時も、やっぱり見られるという部分が非常に強い懸念になったのでした。
じゃあ。
逆にクローズされた外というのもあります。ラグナさんはこれをガレージなどと表現していたと思いますが、僕の場合、真っ先に思い浮かぶのは車の中でしょうか。都内ではそれであっても難しいですが、例えば深夜で駐車場など、人気の無いところでの車の中というのは、クローズされた外という定義になるのではないでしょうか。人が来ないという前提であるならば、まだぎりぎり許される範囲かもしれません。
僕が全く理解できない、見られるという行為。だからこそ僕は見られて興奮するという意識はどういう事なのか、すごく興味深くあります。
2011/04/27 日常

記事で触れていただきましたので、それについて僕も便乗したいと思います。
先日 二次元と戯れるオネエさん を書かれているぺらん子さんと skype をしました。まず僕にとって最初の大きな疑問は、その名前でした。
お酒を飲んでいたとき、ニックネームが一般的に考えて可愛さがない場合、「恋愛を捨てることになるので、勇気が必要だ。」という話を聞いたことがありました。たしかにそれはお酒の席の話で、その人は、お店の人でした。そのためある程度ウケ狙いもあるのでしょう。
しかし一方で、現実的にはニックネームによっては、たしかに恋愛を捨てていることにつながる可能性もあり、相当に勇気がいることは簡単に想像できます。だってぺらさんですよ!
ということを、直接聞いてみたら、、、、その名前の由来はきっと彼女が記事にしてくれるのだと思います。(が、いつのまにか・・・とかそんな理由だったと思います)※ちなみに現実的に活動の中ではこの名前は使ってないのだと思います。
スカイプでは料理の話が多かったように思います。ぺらさんはまだ料理を始めたばかりだということで、いろいろなことを試行錯誤しているようでした。ブログを読む限りでは、例えば味噌汁が沸騰していたり(味噌汁を沸騰させないのは、一応決まりごとです※すごく重要なのかは疑問ですが・・)、量がやや少なめだったり、ご飯+味噌汁+シーチキンだったり。。。
まだまだこれからですねw
個人的には、味噌汁は手間の割に満足感やボリュームが出てないので、味噌汁をやめて他のおかずに手間を掛けるのがいいのかなぁと。。。特にシーチキンは、キャベツをざく切りにして、炒めるかチンするか、軽く湯通ししたのとマヨ+醤油であえて食べると、見違えるように満足感が出ます。
※あくまで個人的な感想です。
他には小説を書いていた頃は若干迷走気味だったこと、四コマは面白いことなどの感想を伝えました。住んでいる場所の話から、転職の話も出ました。
オネエ言葉でのブログだったので、会話の内容もそうなのかと思っていました。しかし必要以上にハキハキしており、男性的でした。それもまた意外でした。もっとこうナヨナヨというか、そういうのを想像していたのですが・・。いわゆるオラネコっていうジャンルなのでしょうか・・。
そしてアメブロ時代から読んでいただいているという話がブログ上に記載されていました。とても意外でした。読者が入れ替わっていることは無いのでしょうが、もうすでにアメブロと同じぐらいの記事をこちらで書いています。ここに来て、そこまで初期のころからの方との交流が生まれることもあるんだなぁという感じでしょうか。
全然関係ないですが、僕のブログを読んで「このぐらいなら俺にも書ける」ってことで、新しくブログを始めてくれる方がいれば面白いですね。
その他僕はこのペラさんのブログを非常に良くできた、事実っぽいブログじゃないかと睨んでいます。だって、キスまでして、家まで来て華麗に帰る人を僕は見たことがありません!仕事の話を聞いた翌日に会社をクビになるなんてありえません!※聞いてみたところ、事実を書いているそうです・・。
2011/04/26 考え(ゲイ関連)

みなさんイケメンハンターだと思います。とりあえずイケメンについては、諸説ありますが、それでもイケメンをウォッチすることについては、その能力の高さに異論は無いはずです。
対象者が数百メートル先にいて、まだ表情も伺えない頃、きっとみなさんは鬼太郎ばりに精緻なセンサーが反応しているのではないでしょうか。センサーが反応してからの追従については、もうゴルゴ13も顔負けです。
僕もイケメンを見つけるとついつい目で追ってしまいます。ノンケの友人で女性ばかりを目で追っている人がいますが、目で追っていることがバレバレです。だからきっと僕もイケメンを目で追っていることが周りにバレているのかもしれません。
もはや目で追うことは本能じゃないでしょうか。だから何人たりともそれを否定してはいけません。(彼や恋人のそういうことには寛大であってほしいと願います)
ただしここで僕には大きな問題があります。僕は眼が悪いのです。ぎりぎり裸眼でバイクに乗れるぐらい。だから遠くの対象者が良く見えません。結局僕のセンサーは雰囲気という非常に曖昧な基準で反応してしまいます。
街中を歩いていて、遠くにセンサー反応があったとき。しばらく目で追っていると、徐々に自分に対象者が近づき、すれ違うまでが至福の時である。もう視姦というのはこのことを指すのではないかと思うほどに、舐め回すように堪能している自分がそこにはいます。
これは意外と一般的なことだと思います。
僕の場合、遠くにセンサーの反応があったとき。しばらく目で追っていると徐々に対象者が近づき、顔と輪郭がはっきりしてくる。なんとこの時、おばさんだったりするのです。
これは単純に間違い、がっかり。だけでは済まされないことです。
間違いのパターンというのはいくつか存在しています。
・顔や身体がタイプじゃない場合
なおかつ 年齢が対象範囲外
なおかつ 年齢が対象範囲
・顔や体型がタイプの場合
なおかつ 年齢が対象外
なおかつ 年齢が対象範囲
ここで、後半の2つはいい。一応かすっているわけですから。最後はもちろん全く問題ありません。そして1番目は最もダメです。だって目で追う理由ないもん。
そしてさらに、性別でのミスというのは最悪です。僕はゲイなのか。ノーマルなのかと、根本に立ち返る必要が出てきてしまいます。
このような悲劇が起きる理由は明白です。僕はスリムが好きで、背は気にしないが、低くてもいい。中高生など最高だという話です。髪の毛も長くたっていいし、短いのもかわいい。
そしてこういう条件に該当する人を遠目で見ると、おばちゃんと変わらない時がよくあるんです。だから僕は区別がつかないのです。
昔もこのミスは頻発していましたが、今でも相変わらずです。センサーの向上を目指したいのですが、なかなか難しいところだと考えています。
2011/04/25 親/家族

親の料理がまずいことに気づきながらも自分ではどうにも出来ない頃、中学生~高校生の時は相当に辛い時期でした。そんなにまずいと言うなら食べなくていい!とか、つくってもらえるだけありがたいと思いなさい!などとよく言われたものです。
幼少期は、素晴らしいことでもあり残念なことでもありますが、親のつくってくれる(たとえまずい料理だとしても)とてもおいしく食べることができました。しかし徐々にそれらの味について疑問をもつようになり、高校生の頃になると、それが確信へと変わったのでした。
僕は今だからハッキリ言えるし、言いたいのです。まずい料理を出すことのほうが問題だと。確かに普通のレベルの食事にケチを付けるようなことは問題外です。僕としては、レシピの通りに作ってくれるだけで文句はありません。なのに何故それが出来ないのでしょうか。という僕の親への思いでした。
「レシピの通り作ればいいのに」と、それを指摘しただけで、さも文句を言っているような、ケチを付けているような言われ方をするのはちょっと問題があると考えています。
レシピを守るという、そんな当たり前のことを指摘しているだけで、「それなら食べなくてもいい」というのは、あまりにも横暴だと思います。それは例えばトイレはちゃんと便器の中にして!とかそういうレベルのお願いであって、もはや文句でもなんでもないと考えています。作ってくれるのであれば、どんなマズイ料理であっても感謝しなければならないというのは、筋が違うと僕は考えています。
家族の中で料理がヘタというのは、母親と妹です。父親はあまりキッチンに立つ姿を見ませんが、一人暮らしが長かったと言っていますし、そもそも食に興味がほとんど無いようなのでうまい、ヘタというのは正直わかりません。
そして家族における料理がヘタというのはだいたいパターンが一緒です。まず完全にレシピ通りに作らないということに尽きます。というよりこれしかありません。そもそもレシピ通りに作れば失敗などしないはずなんです(和食や包丁をたくさんつかうなど、技術を必要とするものは除きます)。普通の料理でミスがあるとしたら火加減の調節によるコゲとか、加熱不足による生ぐらいじゃないでしょうか。
しかし不思議なのは「レシピ通りに作っている」と本人たちは言うのです。しかしそれは、重要なのか不必要なのかわからないバジルだとかの食材を「買い揃える」ことを意味していました。それよりも重要だと思える、加熱の加減や時間、適量という言葉に必ず惑わされ、それらの積み重ねが味に反映してしまいます。本人たちに撮ってレシピに書いてある「食材をすべて使うこと」が重要であると考えているようです。それと同じかそれ以上に、加熱の加減や適量を守ることについも重要なのですが、それについては考えていないようです。
野菜の切り方もそうでした。できない・面倒という理由で、レシピにない方法を行うのです。そうすると火のとおりが不均一になり、美味しく無くなります。硬くなるとか崩れるぐらいなら気にしませんが、味の染み込み具合に影響があるのは問題です。
味付けもそう。あきらかにマズイ料理を、「薄味が好き」といってごまかすのです。まずいことと、味がうすいことは別です。とくに塩加減は健康の敵であるという認識が大きいので、味付けがめちゃくちゃ=薄味が好きということでごまかしているパターンを良く見かけます。ちなみにまずい料理と薄味が決定的に違うのは、出来上がった料理に塩や醤油をかけて美味しくなればその料理は薄味。全然変化がないか、結局マズイ場合にはまずい料理ではないでしょうか。
味付けはとくに初心者の頃は、若干濃い目に作ったほうが失敗がありません。ごまかせますから。
面倒臭がりというのも料理が下手な理由として大きいと思います。しかし唯一料理を作る中での面倒はある程度は我慢しなければならないのは事実です。ただし手順に基づいてテキパキやればそこまで問題にならないと信じています。
よく「創作」などといってオリジナルをやりたがる人がいますが、料理は日々のことです。そんなオリジナルを開発する必要は全くありません。まずはレシピを忠実に守るように心がけるだけです。1-2年もすれば見違えるほどに美味しくなってくるはずです。特に好きな料理を中心に作り続ければ、3ヶ月ぐらいで、もうベースは出来上がると思います。彼がそうでしたし。
※ちなみに、レシピ通りならほとんど味見はしなくても大丈夫だと思います。僕もほとんど味見しないんで。(そのせいで、最近はずいぶん濃い味の癖がついてしまったので、修正したいと考えています。)
ということで、親の料理が美味しくなかったといいう話からだいぶ脱線してしまいましたが、親の料理が美味しくなかったらぜひ自分で作ってみてください!
2011/04/24 日常

先日、しばらくぶりに家のポストをのぞいたところ、見慣れぬ郵便物が入っていた。いつもポストには、どこの誰が入れるのか知らないが、ピンクチラシであったり、ピザなどの宅配関係である。頻繁に投函されるそれらの郵送物は、すぐにポストをいっぱいにしていた。
重要でないチラシを回収ためにポストを開くことにはうんざりであった。
そのため数週間に1回ぐらいしかポストを開けることはない。そしてチラシをすぐにゴミに捨てるのが常であった。
しかしこの時は違った。速達と書かれた封筒がポストの中に入っていたのだ。差出人をみると税務署からとなっている。
もちろん税金の申請は先月に完了し、あとは口座から引き落とされるのを待つだけである。
封筒の中には、先月申請した紙の一部が入っていた。そこに書かれた注釈によると、書類の記載内容に不備があるということで戻されたようだ。このことによって、期日には納税するためのお金が銀行から引き落とされないようである。しかしここで疑問がある。本来直接納税するのであれば、先月の時点で完了していなければならない。振り込みであれば、すでに引き落とされていなければならない。
しかし今回、上記の2点のどちらでもないのである。
税務署に問い合わせると、なんと延滞ということで、金利がつくというのだ。その額1200円。もちろんこちらにミスがあるので、仕方のないことではあるが、しかしなんともいえない気持ちである。十分に高い税金額のほかに延滞までとられたのである。
しかしもちろん有効利用してほしいと強く願うばかりである。
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珍しく夕方ごろから合流し、彼と一緒に夕ご飯を食べた。この日彼は最後のアルバイトだといっていた。彼はこの4月から大学院生になるために、スケジュールが今までとはだいぶ変わり、今年はもうアルバイトをしないらしい。
もともとこのアルバイトを始めた経緯もいろいろあるのだが、それはまた別の話。電話を使ったアルバイトは彼にとって相当大変であっただろうことが想像できるので、なにはともあれ、数年間お疲れ様でした。
ご飯が終わり彼の家に行くと、彼はTVを見始めた。この日は「のだめカンタービレ」がテレビでやっており、彼は夢中になってこれを見ていた。
毎回のことであるが、彼はやっぱりTVを見過ぎだと思う。別に好きなんだろうからそれについては自由にしてもらってかまわない。だけど、やっぱり見過ぎだ。空返事になるし、その時間が有意義だとはどうにも思えない。まあいいか。
偶然にも、先日あれだけ「彼の寝顔がみたい」という話を書いたばかりであった。この日そのチャンスが巡ってきたのだ。彼は「今日はなんだかすごくしんどい。もう先に寝る」と言い始めた。
「ちょっと・・じゃあ耳かき先やって」と俺。「もう寝るからだめ」といってとりつくシマもない。ちなみに寝る前はいつも耳かきをやってもらう。俺もそのお返しにやってあげたいのだが、彼はのぞかせてもくれない。このままでは「お願いします。耳かきをやせてください」という記事を書かねばなるまい。
このとき思ったのだが、相手が先に寝るのを見ると、起こしたくなるというか、ちょっかいを出したくなることに問題があるようだ。普段は別に寝る前にストレッチなどしないのに、「ストレッチするからちょっとごめんよ。」といいながら身体を押しつけたり、ちょっと枕の位置が邪魔だからといって枕を奪ったり。そういうことをしているから彼が目を覚まし、結局寝顔をみられないのであった。
本当に初めてに近いほどに寝顔をみるチャンスだったのだが、結局俺も眠たくなってしまった。
日々仕事を忙しくしているだけの僕なので、平凡すぎる毎日からはブログのネタなどありません。それをふくらませて書くだけの文才もないので、こういう記事はとても苦手です。
2011/04/23 考え(自分関連)
泣くという話。
泣くというのは悲しい時が一番イメージしやすいのではないでしょうか。しかし楽しくても嬉しくても、怒りであっても涙はでてくると考えています。。
僕は昔、泣くことはとても恥ずかしいことだと考えていました。まわりは比較的古い世代の人が多かったから、「男子たるもの人前で涙を見せるな」そのように言われることもありました。家族も多かったのでテレビを見ながら泣くようなことがあれば、母や妹からからかわれたりしました。。
そんな状態だから、テレビや映画などでは泣かない体質となってしまいました。これは僕が高校生ぐらいまでの話。
あるとき涙を流すとストレスの解消になるということを知りました。どこまで事実なのかわかりません。しかしなんとなく僕はそれを信じているのです。昔から僕はストレスを解消する手段を持っていません。だから泣くことによってストレス解消の一助となるのであればと考えました。
買い物や食事、そられはストレスを溜めない理由にはなるかもしれなませんが、僕にとっては解消の手段とはならないのです。性的なことは多少は解消になっているかもしれませんが・・?
だから僕の性格として泣くというストレス解消法はとてもあっているような気がするのです。一人でできるし、時間もお金もほとんどかかりません。気持ちを外に向けるのではなく、内に向けるというのもいいと思います。だからなるべく泣くように努力をしました。最初のうちはやはり感動するようなドラマや映画で泣くことが主でした。
大学生になって、恋人と過ごす時間が増えるようになったころ。DVDを借りて一緒に見る機会が増えました。僕は映画のことは一切わからないので、恋人の借りるものを一緒に観ていたのです。その時にたまに感動ものがありました。この時僕は大いに涙をながすようになったのです。最初は涙も少ししか出ませんでしたが、慣れというのは恐ろしいものです。今では「泣かせよう」という製作者の意図が感じられた途端に、まず1回涙がでます。そして盛り上がったところでも涙がでてきます。まあ、余韻でもう一回泣くので、最低でも3回泣くんですが。
歳と共に涙もろくなるっていうのはあると思います。僕はもろくなったところに、自分の努力もありました。だから今では本当に泣きやすくなってしまいました。
Sの彼とつきあっていたとき。僕は本当によく泣かされました。相手は知ってて僕を泣かすのです。Sの彼は泣いている僕を見てうれしいらしいのです。笑顔でそういっていました。僕には信じられませんが・・・。でもどのような理由であっても泣けばすっきりする僕がそこにはいました。
他人にオススメするわけではありませんが、泣くのはスッキリするからぜひ試してみてほしいと思います。少なくとも大人になれば、涙はとても意味のあるものです。それをからかわれるようなことはないと思う。
2011/04/22 フェチ/好み/タイプ

前に「えづいている顔をみせてほしい」という彼とのやりとりを書きました。そのシリーズで、今回は寝顔を見せてほしいという話。
僕たちは3-4年目になりますが、なんと僕は彼の寝顔をほとんど見たことが無いのです。これはもう本当にびっくりです。読者の方には「そうはいっても」と思われる方もいるかもしれません。僕も当事者ながらそう思います。
今まで記憶にある範囲での寝顔は、おそらく夜行バスの中ぐらいではないかと思います。そもそもたまにしか一緒に寝ないという状態でそれならまだ理解できます。だけど僕は彼と週3回も夜を一緒にすごしているのです。※残念なことに卑猥な意味じゃないですよ
見られない理由はたくさんあります。一番大きな理由は、僕は寝付きがいい。本当にいいのです。布団に入ると5分として起きていられません。会話の途中でも寝るし、番組の合間のCMでも寝てしまう。とにかく起きていられないのです。これはある意味で特技でもあり、例えば昼寝をしていた時などなかなか寝付けない時があると思います。しかし僕は昼寝をしていてもすぐに寝られるのです。
そんなことだから、彼と一緒に寝るときも「今日は先に寝ていいよ」そのように僕は言うのだが、僕は彼よりもずっとずっと先に寝てしまう。
彼は些細なことで起きてしまいます。今まで一度だけ彼が寝ている部屋に僕が入ったことがありました。ガチャというドアを空ける音で彼は起きてきたのです。
夜、トイレに行く時、彼はちょっとした物音で起きてしまいます。そんなだからとにかく寝顔をみるヒマがないのです。
彼は寝付きが悪く、聞くところによると布団に入ってからも1時間ぐらいは寝られないそうです。僕は秒単位なので、まったく違う。正直理解もできません。
僕の主張したいことはひとつだけなんです。僕よりも先に寝て寝顔を見せてくれ!と。寝付きが悪いからと言って、寝顔をみるために僕がさらに起きているのは、そもそも論外です。僕よりも先に彼が寝てくれればいいだけのことなんですから。「できたら苦労しない」そのように彼は言うが、僕ができてるんだから大丈夫・・・!。
「しょうがないなぁ。甘えたいんだね、わかったよ。寝るまでトントンしてあげるから。」そういって胸のところをリズムをとりながらトントンしていると余計寝れないと言うのです。まったく僕の善意が。
夜行バスでもそう。僕は寝付きがいいから、車中でも寝る。寝られないのは飛行機の中ぐらい(飛行機怖いので)
とはいっても眠りは浅いので、ちょいちょい目が醒めてしまいます。この時彼は目をつぶっているだけなのか、寝ているのかわからないが、これを一応の彼の寝顔としたいと考えています。
さて読者のあなた。どうせ僕の事だから寝顔であんなことやこんなこと。また変態的な希望が・・・などと思っていませんか。僕はただ単に見たいだけなのです。そりゃあ寝てたらほっぺたをムニムニしたりとか、色々ぶっかけたりとかしたいです。したいけど、それにはまず、まずは、それを見なければ始まらないのです。
2011/04/21 考え(ゲイ関連)

僕は昔からの悪いくせで、常に全速力です。能力があまり無いので必死で走っていないと、すぐに下位グループに甘んじてしまうためそのようになっています。
もうこれは高校生のころや、特に大学に入ってからそのようになっています。そのため今では特に苦に感じることもありません。
逆に、生き急ぐほどに走っていないとなんだか不安にさえなってしまいます。
一方で彼の話。
彼は非常にマイペースです。もちろん大学入試に向けての努力など、元来持っている能力の高さと、それを極める集中力と。僕のような凡人にはわからない部分があります。しかしこと社会的な部分においては、彼は非常にマイペースです。
例えばアルバイト。彼は今までいくつかのアルバイトをしていますが、一般的に言われるような生産性の低いアルバイト=個人の能力が向上しないようなバイトについても、淡々と、一人で黙々とこなしていました。全く文句も言わず、まったく向上もせず。
僕にはありえないことです。僕ならば少なくともそういうアルバイトは長続きしませんし、スキルが身につかないアルバイトなど、なんのためにするのか非常に疑問です。
仕事に対する考え方もそう。彼は仕事は嫌なことだから、生活を維持するための最低限でいい、プライベートを充実させたい。そのように考えているようです。
僕は逆で、いやでも人生の相当の時間を仕事に費やすことになります。それならば少しでも楽しいと思える仕事がしたいですし、人生が有意義になるためには仕事を充実させるのが手っ取り早いと思っています。そして、もらえる給料も多い方がいいと考えています。
こういう考え方が彼とは全く逆なのです。もちろん彼はきっとその持ち前の真面目な性格を活かして、きっと僕とは違う楽しさを見出すのかもしれません。(ただしアルバイトの過去の例からでいうと、すべてのバイトはつまらないようでした)
今はまだ僕は社会人で彼は学生という違う立場に身をおいています。そのため考え方や意見の違いというのは、立場の違いを前提として吸収することが出来ています。しかし彼が働くようになってから。この考え方の違いというのは、どのように影響をおよぼすのかとても興味深くあります。
少なくとも彼に主婦のような状態になってもらう事を僕は望んではいません。が、家に帰ると待っている人がいるというのは、ちょっと憧れることかもしれないですね。