※ちょっと前に書いた記事です。
僕はブログにいちいちウソを書くことなど考えてもいませんでした。そのため、今まで受けた指摘のいくつかは僕には理解に苦しむものがありました。
一番理解に苦しんだのは「コンプレックスの塊じゃないのか」ということです。書いてある事をそのまま読み取っていただけるとすれば、僕自身がコンプレックスについて書いた記事は一つしかありません。「本当のコンプレックスを正しく理解していますか」という記事だったと思います。
反応があったという意味では「ゲイは残酷だ」という記事も僕自身のコンプレックスの裏返しとして受け取られてしまったようです。
本当のコンプレックス~の記事は、読んでもらえれば分かると思うのですが、生まれ持ったものがコンプレックスならそれを受け入れて、それ以外のものは努力で克服しよう。努力の中には自分でする努力と、お金を使って他人か解決する努力があるよ。そのように書いたつもりでした。
しかし実際には「すべてのコンプレックスはお金にものを言わせて解決できる」と読み取られてしまう事がありました。
残酷だ~の記事も、出会いの中でのよくある話を書きました。本当に残酷ですが年齢も体型も相当影響があるのです。例えば僕の場合 165cm*52kg*30歳 という表現がなされますが、この状態での出会いと、もしこれが 165cm*52kg*24歳 と、年齢が違うだけで、出会うチャンスには何倍も差があるのです。
そういう色々な努力と残酷さを書いたつもりだったんですが、そんな「小さいことばかり気にするな」と言われることがありました。そんな小さいことを気にしているのはもちろん僕もその一人ですが、それ以上にこの業界に所属している人たちです。平均的以上の人がそれを強く意識しているわけですから、それについて抗う理由は特にありません。
これらのような結論に至ることについて、僕は理解が全然できませんでした。しかし最近になって気づいたことがあります。それはアメブロはSNSゆえにホンネだけではない。ということです。例えば「出会いを求めていない」と書いていても、実際には求めているような場合が多々あるようなのです。
そのためコンプレックスも残酷の記事も、僕自身の体験に基づいた本音を書きました。しかし読み手の一部の方からすると、そんな綺麗ごと並べてなんの意図がある!となるのかもしれません。だからそこから読み取ることが可能な精一杯の裏というか、「読み手の考える核心」に迫ろうとしてそのようなことになるのだと気づきました。
だから等身大とか同じ目線という言葉をそういう人たちは多用するのです。
要するに言いたいことは一つで、「綺麗事ばかり書いてないで本音を書いてよ」と。ホントはモテたいんでしょ。ホントはコンプレックスはどうにもならないことを知ってるんでしょ、と。
すると今までの指摘がすべて点から線になったような気がしました。
僕は綺麗事を言うつもりもありませんし、ウソを書くつもりもありません。今まで書いている記事はすべて自身の体験からそのような結論に至ったすべて事実です。しかし誇張はあります。コタツでのケンカとか、ケンカしてないですし。愛の相対度も実際には100:0ではないかもしれません。しかしその程度の誇張があったところで、これらの記事が破綻することもないと思います。
しかしそういうように裏を読みたがる方々については、なかなか理解をしていただくのが難しいなぁと感じています。アメブロのころはこの誤読が顕著でしたが、FC2では読者層が違うからなのか、あまり露骨な誤読というのはありません。

※画像はラーメン博物館です。