「 月別アーカイブ:2011年03月 」 一覧
2011/03/31 日常
僕は定期的にジムに通っています。ジムは僕にとって非日常だと考えています。頻繁に利用していますし、その期間も結構になります。それでもそう思うのです。利用者は色々な人がいるし、その大半は僕とはタイプが違うのではないかと勝手に思っています。もちろん他の人も僕を見てそう思っているに違いないのですが。
ジムを利用する人々は、一部の人をのぞいて大変健康的です。当たり前なんだけど、不健康な人はそもそもジムを利用できないし、利用するべきでもありません。たまに足が悪いような人がいて、そういう人は上半身を鍛えたりしています。その逆もあって、腕が不自由とまではいかなくても、あまりうまく動かないような人でも、下半身を鍛えたりと、それぞれの方法で鍛えています。杖をつきながらトレーニングしている人もたまに見かけるのですが、すごいことです。
そんなジムなんだけど、とても印象的な利用者がたまにいます。一番記憶に残っているのは知的障害者の利用者の方でした。。知的障害といっても、おそらく様々で、コミュニケーションが全く出来ない場合もあれば、社会生活は出来ないかもしれないが、コミュニケーションは問題ない方もいるようです。
ジムは一人で利用することが多いので、知的障害者といっても、大半はコミュニケーションのできる方です。その判断は短絡的ですが、話し方だったり話の内容で、そうじゃないかと僕は遠くで見ながら判断しています。たいていはインストラクターの方にややしつこいぐらいに絡んでいることが多く、ひょっとしたら障害ではないかも知れませんが、、僕はそう判断しています。
そんな中で、一度だけすごく驚いたことがありました。それは男性更衣室に女性(母親)が入ってきたことがあったからです。
ジムには着替える更衣室があって、ジャグジーも併設されています。そのため更衣室では完全に裸になることもあって、そういう意味では銭湯の脱衣所のイメージです。銭湯では掃除などのために稀に女性が入ってくることもありますが、ジムでは男性のスタッフも多いため、男性のスタッフを見かけることは当然ありましたが、今まで一度も女性が入ってきたことはありませんでした。
特に気になるわけではないけど、改めて不自然な状態であることをそのときに認識したのです。
「すいません失礼します」そのようにやや大きめな声を出す女性は、一見したところ障害者の母親という感じでした。母親はてきぱきと手馴れた様子で、子供の服を着替えさせていました。
その姿がとても印象に残っています。
2011/03/30 日常
この記事を書いているのは、2/9です。
昨日~本日、彼の家で冷蔵庫が壊れました。
そもそも気づいたのは、冷凍庫の氷が溶けていたからです。ビールを飲むために冷凍庫にある冷えたコップを取り出そうと開けたのですが、どうも冷気がないのです。おかしいと思って氷を見てみると、製氷皿には水が張ってました。
この時、もちろん冷蔵庫が壊れているなどという発想はなかったので、冷凍庫ちゃんと閉めなかったでしょ!と、彼に指摘をしたのです。
「知ってる?冷凍庫ってちゃんと閉めないと冷気逃げて氷とか溶けちゃうんだよ。」というイヤミとともに。
もちろんそれで万事解決です。のはずでした。
翌朝になって、お茶を取り出そうと冷蔵庫に手をいれると、今度は冷蔵庫も冷気が無いことに気づきました。ここで初めて冷蔵庫が壊れていることに気がついたのです。
僕はそんなことなので、比較的すぐに気づいたほうだと思います。彼の家での滞在時間や冷蔵庫の開閉回数が少ない中で、少なくとも1-2回の利用で気づくことが出来ました。まあ当たり前といえば当たり前です。
しかし彼はまったく気づいていませんでした。僕が気づいたのは夜だったので、少なくともその前には料理をしていて気づくでしょうし、氷が溶けるほどを考えると、もっと前から故障していた可能性もあります。それにもかかわらず、彼は全く気づかないのでした。
「なんで気づかないの!だったら冷蔵庫無くてもいいじゃん。棚に食材並べても一緒でしょ」と。
2011/03/29 考え(自分関連)
かねてより、僕はビールが大好きであることを書いてきました。
得意な料理はなんですか。に対する僕の考える模範的回答。
好きな食べ物はなんですか。ビールです。という冗談でもなんでもない本気の話。
ダイレクトにビールが好きだという事も書いていますし、得意料理はビールのあてになるような料理だということも書きました。ビールがよほど好きなんだろうという皆さんの僕に対する印象はおおむね間違っていません。が、これはプライベートでもよくあることなのですが、僕が考える好きと、皆さんが印象を持つ好きのベクトルは、ことビールに関しては大きく異なっている可能性が高いのです。
今日、これから書く記事は、僕が普段から自己弁護に励み、また歪曲や誇張をしながら、自分の意見を伝える手法の一部かもしれません。しかしながら一度あなたの主観を捨てつつ、読み進める事によって僕の考える好きの一端を感じてもらえれば幸いです。
と、いちいち大げさな書き出しで始まる記事。まるで顔射の時を思い出します。が、これもまた僕の考える事実です。
本題に入ります。ビールとケーキの相性が抜群だと僕が考える理由です。
ビールと合う食べ物は、脂っこいものや、味付けの濃い物、水分の少ないものだと考えています。たとえば唐揚げやハンバーグなど、ポテトフライもそうですし、枝豆などもそうでしょうか。お新香も意外と合います。餃子もそうですし。無数に挙げられると思います。
もちろんビールはノドが乾いている時には、単体で非常においしく頂く事もできます。
ケーキの場合、脂っこくて、味が濃くて、水分が少ないというパターンにすべて合致しています。ケーキには、コーヒーでももちろんいいのですが、コーヒーの役目がもし、その苦みで口の中を一度リセットさせる事だとすれば、ビールも同様の効果が期待できます。しかもコーヒーとは違って、のどを潤すこともできます。
同じ理由から、甘い物、、、、要するにお茶やコーヒーが必要になるような場面。ここではすべてビールに置き換えることができるのではないかと考えています。とりわけ、お茶やコーヒーが必要になる場面というのは、限定的な一部の状態を除き、すべてビールでの代用が可能です。
さて、ここでありがちなミスに陥らないように注意しなければなりません。どんな種類のビールが好きなのか、という話。
僕はビール、もしくはビールテイストであればすべての種類が好きです。それは国産のビールでも、通常価格帯のビールもあれば、やや高級志向のビールもあります。もちろん発泡酒もあれば、第三のビールと呼ばれる種類もあります。トマトジュースの嫌いな僕は、レッドアイはともかくとしてシャンディガフも好きです。もちろん黒ビールなども。(※念のため飲んだことのある種類でキライなのはありませんでした。また第三のビールに関しては、リキュールなので、全体的にそこまでおいしくないと感じているのも事実です)
飲み方にもこだわりはありません。ただし一つだけこだわりがあって、それはコップを利用することです。プラスティックでも、冷えてないグラスでもなんでもOKですが、缶のまま飲むのは避けたいと強く考えています。最近では、コップ酒を購入し、それを飲みきって、そのコップにビールを注ぐという手法もマレに使います。(僕にとって締めがビールの方が都合がいいのです)
冷えてないビールの時は、氷を使うことさえもあります。
2011/03/28 考え(自分関連)
日々書いているブログからも垣間見ることができると思いますが、僕の考えは偏見に満ちています。そして極端なのが、理系の人は真面目だ。という偏見です。
僕は経済を学んだので、一応文系というジャンルになります。ここでは学生時代に何を学んだのか、どのような教科の勉強が得意だったのかによって、文系・理系というジャンルに区分することができます。そして彼は理系です。
彼と付き合うようになってから初めて知ったのですが、理系は僕が思っているよりもずっと忙しいということです。
僕が大学4年生の時には、アルバイトに精を出しました。つまり学校などはほとんどおまけのような場所だったのです。そのとき、大学の理系といわれる友人たちは、とても忙しそうにしていました。やれ研究だと。やれ大学院に行くための勉強だと。
制度として、通常大学4年生は単位の取得がかなり終わっていることがほとんどなので、学校に毎日行く必要も無いほど、学校とは希薄になることも多いのです。
しかし彼は4年生になって、単位の取得が終わっても毎日学校にいって、研究をしています。学会などの準備もあるようですし、教科書や論文を読むことも多いようです。給料がでないだけで、学校の職員なのではないかと思うほど拘束もされています。
僕が大学生だったこおろ、アルバイトなどを通して知り合う理系の友人はずいぶん真面目で合理的だなぁと思っていました。
僕は自分の仕事遂行能力よりも、仕事の上でのコミュニケーション能力で成果をあげる方です。これはアルバイトの頃もそうでしたし、今となっても大きく変わっていません。そんな僕なので、理系の人たちというのは仕事の遂行能力で結果を出そうとする人が多く、僕のようなタイプとは交わることが少なかったのです。
ミスがあっても、理系の人は「あぁ自分が悪い。もっと注意しなければ」と考えるのに、文系は(というよりも僕は)「そのようなミスが起こる仕組みが悪い」と考える場合が多いのではないかと。もちろん極端な例ですが。
彼とつきあってから僕の偏見はある意味で正しかったのかなぁと思っています。もちろん全員がそうだとはいいません。言いませんが、中にはドがつくほどの真面目な人がその中には混ざっているのではないかと。
もちろんそのような偏見は、なんらメリットは生みません。しかし、僕はその偏見のおかげで、今の彼と付き合うことが出来ました。(おとなしくて静かな人と僕は付き合いたかったのです)だから僕はこの彼と知り合うことのできた偏見を、これからも大切に心の奥に閉まっておきたいと思います。
※ちなみに僕が考える理系の性格というのは、細かい事に気がつく、コミュニケーションの方法がやや違う、考え方が合理的、発想がマジメ。等でしょうか。たとえば割り勘をするときに、1円単位で計算するとかそんな印象です。
2011/03/27 日常

ご好意で、ロールケーキを頂きました。(ブログの読者様からです)
僕は、お酒を飲みますが、辛い食べ物から甘い食べ物まで大好きです。特にまだ記事にはしていませんが、ビールとケーキの相性は最高だと考えています。
甘いモノは好きですか?という言葉と共に、ケーキを頂きました。もちろん僕は大好きです。という二つ返事でいただきました。
さっそくもらったケーキを彼に渡しました。
大きかったケーキをカットしてもらい、食べました。
一切れを食べ終わり、まだこんなにたくさんあるんだから、「もう一つ食べたい。切って」そのように言いました。
彼は「ダメ。太るから一切れまで。」と言われてしまったのです。

最近、ダイエットをするという僕のTwitterでのつぶやきで、いくつかのコメントを頂きました。
僕は、我慢をしないというのは、ブログでの雰囲気からも伝わっているかと思いますが、我慢せず色々したいのです。だから好きなだけ食べたいし、好きなだけお酒を飲みたいと考えています。
もう一切れ食べて、その分たくさん運動する。ぼくはそうやって今まで頑張ってきました。
そして重要なことがもう一つ。僕への差し入れは、もちろんお酒や現金は大歓迎です。それ以外にもいただけるものは何でも受け付けておりますので、ぜひ何かございましたらよろしくお願いします。
ケーキありがとうございました!彼と一緒に美味しくいただきました。
2011/03/26 考え(自分関連)
僕の年齢、30代は特に恋愛について相当弱気になっている人が一部で存在しています。ブログを読んでいてもそれを感じることがありますし、友人との話の中でもそれを感じることがあります。会社で働いている友人などを見ていると、30代でもまだまだだという印象である。これはゲイ特有なのか、やっぱりゲイの寿命は20代までなのか・・。非常に難しいところである。
僕もどちらかと言えば、30代を弱気と共に迎えました。今でこそ体型が少しはマシになったのでまだそこまで弱気にならなくても大丈夫ではないかと信じるようにしている。何かあったら水戸黄門の印籠じゃないけど、脱げばいいのだ!と。
仕事で最初に部下に指導することがあります。負け癖を捨てろと。僕が働いている会社は中小企業なので、大手に比べると全然ダメです。本当にダメなんでそれはもう仕方がないことだと諦めています。だけど、例えばその新人が「オレはダメ人間だからこんな中小企業で働く事になったんだ」とか「勉強できないからこんなこと覚えられない」とか、そんな弱気なことばっかり言ってます。で、これって結構大多数の人がそうで、謙遜だったら別にいいと思います。しかし「オレみたいなもんが」っていう弱気の意識は常に頭にあるようで、これは困ります。
恋愛では30代になると、やはり20代のころとは種類が変わります。すると20代の考えのままだと、どんどんマイナス思考になってしまいます。だけどそのマイナス思考は自分の魅力をさらに下げてしまうことにつながります。だって自信ない人と一緒にいても楽しくないよ。
年齢と共に、偉そうになるというか教育したいというか、アドバイスしたいというか、たいしたことない人がたいしたことないアドバイスをする事はよくみかけます。それは恐らく経験とか実績などに自信があるからだと思っています。
それに比べれば、弱気というのは形を変えれば謙遜でもあるので完全にそれがダメとは言いません。それは強気よりはマシだとも思います。
でもやっぱり弱気はダメ。少しずつ自分を磨いで弱気の気持ちは捨てましょう。僕も頑張ります。
まずは今よりも1kg痩せたいと思います。
2011/03/25 考え(ゲイ関連)
付き合って10年を超えるカップルという話を聞きました。その時に、ある人が「ということは普通の夫婦なら30年分ってことですね!」と言ったのです。要するにゲイの1年は普通の夫婦の3年分に相当すると。
なかなか含蓄のある表現だと思いました。
その人が言いたいことはその一言に集約されているようなきがします。
具体的にそれを伝えるのは非常に難しいと思いますが、それでも単純に考えても、やはり結婚制度が無い事や、子供などの共通事項が無いこと、性的な誘惑がやはり多いことや、お互いが収入面で独立していることなど。男女間では我慢であったり共通の目標が、ゲイのカップルの場合なかなか持ちにくい。そのことから長期的な恋愛は難しいということをその一言で表しているのだと思います。
僕達の場合は、まだまだ3年。4年目になろうとしているところです。幸い今は非常に安定していますが、(愛の相対度はかなり偏りがあるにしても)うまくやっていると、僕は思っていますし、きっと彼もそう思っていてくれているに違いありません。
これからはまずは彼の就職で個人的にも人生の転機を迎えるでしょう。そしてその後は同棲なのかもしれません。後は僕が壮年期に入るので彼が受け入れてくれるのか。という不安もあります。
逆に考えると、今までの3年はあっという間でした。確かに細かいことが(特に好きとか嫌いという意味での波も含めて)無かったとは言いません。しかし振り返ってみると、本当にかけがえのないことが多く、僕はこの年齢になって、スキーをしたり旅行にいくようになったりなど、彼の影響をうけるようなこともたくさんありました。
と、ここまで振り返ってみて、改めて最初の言葉。
3年分っていうのは継続に関する難しさですね。多分。ストレス無くあっという間に3年間を過ごした僕にとって、夫婦にとっての9年分を過ごしたとはどうにも思えません。ただし9年間を維持するのと同じぐらい大変だってことならなんとなくわかるような気がします。
2011/03/24 考え(ゲイ関連)
自身や関わる人達の大半が幸せになることが予想されるような出来事でも、決してそれを決断してはいけないことというのは、確かに存在します。
例えば売春など、例示としては適切ではありませんが、売る方も買う方も、同意が得られている場合、それを悪いことだと言ってしまうのは簡単ですが、直接的に不利益を得ている人がいないので、なかなか難しいと僕は考えています。(もちろん社会的・道義的には否定されるべき事です。金銭や便益にのみ焦点を当てた場合の話です)
そして誰かを好きになったときの話。相手が恋人関係に “至らないための” 様々な正当に思える表現で、深い関係になることを拒否する場合があります。
例えばそれは、今は恋人が欲しくないとか、仕事に打ち込みたいとか、付き合っても大切にできないとか。
それぞれはとても、もっともな話で、事実僕自身もそのような理由で恋人関係になることを断ったこともあります。(セフレを目的として断ったわけではもちろん無くて、仕事への打ち込みが理由です)
しかしそれで、肉体だけでも関係を維持したい。そのように思うのか、脈なしと判断して、次のいい相手を捜すのか。これは非常に重要なことではないでしょうか。
とても残念なことに、健気で人から好かれるような性格の場合、本当に残念なんですが、肉体関係を維持したいと考える事が多いようです。男性は意外と女々しいのと感じる部分です。なかなかその人が諦めきれず、(それだけタイプの人と巡り会いにくいというのもありますが) 身体の関係を維持しようと努めてしまうのです。
さらに皮肉なことに、そうした間違った一途のせいで、本来ちゃんとした恋人関係になりうる人と出会うチャンスを失ってしまうのです。
一途というのは、とても素晴らしいことですが、一方で悲劇も生むのです。皮肉なことに、もしその人が一途出なかったら、セフレとして割りきってその好意を寄せる人と関係を維持しつつ、ほかのちゃんとした恋人を捜すように考えを切り替えられるはずです。
※もちろん、肉体関係をしっかりと切って、次の人を探せればベストです。しかしそのようなことが現実的にできるような意思の強い人や、頻繁にタイプの人と出会えるならそれが一番であるのは言うまでもありません。
僕は何度となく、性的なことを書いています。割り切るという事は重要です。何もそれは肉体だけの関係を推奨しているわけでは決してありません。本当に幸せな恋愛をするためにはそのような、決して純情とは程遠い考えかもしれませんが、結果を出すためにはとても重要だと考えているのです。そしていい恋人ができたら、存分にその人に大して一途になってほしい!そのように心から考えています。
2011/03/23 微エロ
今まで何度となく書くことを予告してきました。しかしながら過去にも似たような経験をしていますが、気分ばかりが高ぶる記事というのは、どうにも満足のいく記事がかけないのです。さらに楽しみは最後に取っておく僕の性格もそれを助長し、今まで書きたい気持ちとは裏腹に、書くことをなんとなく避けていました。
しかしながら最近、Twitter等々でも僕のキャラが浸透しつつあり、各方面からご連絡をいただく際に、顔射のイメージが若干先行し始めている感じがありました。とにかくなんでもぶっかけるのが好きなんですよね。見たいな感じ。
ということで、改めて僕の顔射に対する熱い想いを記事にしたいと思います。
最低限の知識については、Wikipedia などの記事をご参考にお願いいたします。とりあえずここでは、顔にかけるという表現に留めたいと思います。
僕自身のこだわりとしては、顔にかけるといっても、ちょうどアゴの下から、おでこのあたりまでにスッと上品に飛ぶのがもっとも理想的です。縦に直線だと鼻に入る事があるので、左下や右下のアゴのあたりから、対角線上に飛ばす。この方法だと、顔の中の重要ないくつかのパーツを避けつつ飛ばすことができ、行為後のコントラストが一段と映えるのです。
目はつぶってて、口はうっすらと開いているのが理想です。
と、理想型はこんなにあっさりと書き終えてしまうことが出来るほど、シンプルです。しかし理想に近づけるのが難しい。
例えば失敗例として、でない・飛ばないというのがあります。あまり興奮していないときなどや、自分で処理しすぎている場合、飛ぶほどでないということがあります。これでは正直なところ僕としてはまったく満足できません。(もちろんこれは僕自身に起因していますが)
一方で、興奮しすぎて予想以上に飛びすぎてしまう場合もあります。(そして意外とこの失敗が多いんです) 誰もが髪にかかることを嫌がります。そして僕も嫌がるようなことをしたいと思っていません。後処理のこともあるので、なるべく限られたスペースに着地させたいと思っているのです。しかし興奮の度合いと飛距離というのは、生理現象でもあるためなかなかコントロールが難しい。平均的なことを考えながら落とし所を探るのですが、飛びすぎてしまうことはよくあります。
上記が主に僕に関する失敗の要因です。そして相手方の原因による失敗もあります。
多いのが、拒否するために顔を動かす場合です。斜めに飛ばすことを予定しているので、顔を動かしてしまうと、直線になってしまうことがあります。すると、着地面の距離を稼げないので髪につく可能性が増えます。鼻に入ってしまう可能性もあります。放物線を描きながらの着地ではなく、下方に向けての行為なのでどうしてもそうなってしまうのです。
いきなり前触れも無くかけるような事はしません。必ず本人の許可を得て、なおかつ最近は上記のとおりなので諸注意も述べつつ行為が開始されます。特に顔は動かさないってことは重要です。(もちろん目はつぶって、できれば口は少し開けてという説明とともに)
僕は嫌がることをムリヤリするのは好きではないので、かならず同意を得る必要があります。もちろん渋々という場合もあるのですが、僕としては許可が得られれば、渋々・いやいやであっても、そのようなことは気にしません。
そもそも僕がこの行為を好きになったのは、明確な記憶は無いのですが、少なくとも大学生の頃にさかのぼります。大学生のころ、友人との会話でかけるのが好きだという話をした記憶があり、またその友人とは今でも付き合いがあるので、「あいかわらずかけてるの?」という話を蒸し返されることがあります。
何かキッカケがあるのかについては全く僕にはわかりません。行為自体は征服欲を満たすとか、そういう側面もあるようです。しかし僕の場合は正直なところ、あまりそのような感じはありません。どちらかと言えば、汚したいという願望が強いように思います。ゲイ男子の場合、まず間違い無く清潔感に溢れますし、僕のタイプは可愛い子なので、肌は水々しく、破裂せんばかりです。そういう汚れを知らない状態を汚したいという願望は確かに強いかもしれません。
行為はどの程度興奮するのか。僕としてはとても説明が難しいです。正直なところ、かけられる対象の相手は、ただ待っているだけです。この状態は理性的には恥ずかしいです。なんとかそれを乗り越える必要があります。
興奮という意味では、正直なところ何がいいのかはわかりません。ただ一つだけ言えるのは、想像以上に飛距離が出るんです。ってことはやっぱり相当に興奮していることはおそらく間違い無いと思います。
意識している興奮と、無意識の興奮が入り混じるところが、この行為を魅力的にしているのかもしれません。
ー ー ー ー ー ー ー
行為をお願いすると、まず100%嫌がられます。ある意味ではこの拒否されることも行為の重要な1要素です。どうぞどうぞ、と言われてしまうのは、重要な何かを、僕と相手共に失っていることを示します。
拒否されて、その理由を聞いて丁寧に説明をして、納得ないしはしぶしぶ了解してもらう。このプロセスがとても大切です。
そして行為を行って、顔を拭きながら感想を聞く。たいていは飛び過ぎとか、やっぱり嫌だとか。否定的な言葉と共に。そして僕は1回目は、単なる通過点であると説明をしています。とりあえずイヤな気持ちはわかるけど、10回我慢してほしい、と。10回我慢し続けると、顔にかけられる行為に慣れてくる場合と、それでもやっぱりイヤな人に分かれます。そこまでの状態で判断されたのであれば、ぼくも本望です。
万人にオススメできるスタイルではありません。確かにそうです。でも僕はとても好きなのです。
2011/03/23 微エロ
今まで何度となく書くことを予告してきました。しかしながら過去にも似たような経験をしていますが、気分ばかりが高ぶる記事というのは、どうにも満足のいく記事がかけないのです。さらに楽しみは最後に取っておく僕の性格もそれを助長し、今まで書きたい気持ちとは裏腹に、書くことをなんとなく避けていました。
しかしながら最近、Twitter等々でも僕のキャラが浸透しつつあり、各方面からご連絡をいただく際に、顔射のイメージが若干先行し始めている感じがありました。とにかくなんでもぶっかけるのが好きなんですよね。見たいな感じ。
ということで、改めて僕の顔射に対する熱い想いを記事にしたいと思います。
最低限の知識については、Wikipedia などの記事をご参考にお願いいたします。とりあえずここでは、顔にかけるという表現に留めたいと思います。
僕自身のこだわりとしては、顔にかけるといっても、ちょうどアゴの下から、おでこのあたりまでにスッと上品に飛ぶのがもっとも理想的です。縦に直線だと鼻に入る事があるので、左下や右下のアゴのあたりから、対角線上に飛ばす。この方法だと、顔の中の重要ないくつかのパーツを避けつつ飛ばすことができ、行為後のコントラストが一段と映えるのです。
目はつぶってて、口はうっすらと開いているのが理想です。
と、理想型はこんなにあっさりと書き終えてしまうことが出来るほど、シンプルです。しかし理想に近づけるのが難しい。
例えば失敗例として、でない・飛ばないというのがあります。あまり興奮していないときなどや、自分で処理しすぎている場合、飛ぶほどでないということがあります。これでは正直なところ僕としてはまったく満足できません。(もちろんこれは僕自身に起因していますが)
一方で、興奮しすぎて予想以上に飛びすぎてしまう場合もあります。(そして意外とこの失敗が多いんです) 誰もが髪にかかることを嫌がります。そして僕も嫌がるようなことをしたいと思っていません。後処理のこともあるので、なるべく限られたスペースに着地させたいと思っているのです。しかし興奮の度合いと飛距離というのは、生理現象でもあるためなかなかコントロールが難しい。平均的なことを考えながら落とし所を探るのですが、飛びすぎてしまうことはよくあります。
上記が主に僕に関する失敗の要因です。そして相手方の原因による失敗もあります。
多いのが、拒否するために顔を動かす場合です。斜めに飛ばすことを予定しているので、顔を動かしてしまうと、直線になってしまうことがあります。すると、着地面の距離を稼げないので髪につく可能性が増えます。鼻に入ってしまう可能性もあります。放物線を描きながらの着地ではなく、下方に向けての行為なのでどうしてもそうなってしまうのです。
いきなり前触れも無くかけるような事はしません。必ず本人の許可を得て、なおかつ最近は上記のとおりなので諸注意も述べつつ行為が開始されます。特に顔は動かさないってことは重要です。(もちろん目はつぶって、できれば口は少し開けてという説明とともに)
僕は嫌がることをムリヤリするのは好きではないので、かならず同意を得る必要があります。もちろん渋々という場合もあるのですが、僕としては許可が得られれば、渋々・いやいやであっても、そのようなことは気にしません。
そもそも僕がこの行為を好きになったのは、明確な記憶は無いのですが、少なくとも大学生の頃にさかのぼります。大学生のころ、友人との会話でかけるのが好きだという話をした記憶があり、またその友人とは今でも付き合いがあるので、「あいかわらずかけてるの?」という話を蒸し返されることがあります。
何かキッカケがあるのかについては全く僕にはわかりません。行為自体は征服欲を満たすとか、そういう側面もあるようです。しかし僕の場合は正直なところ、あまりそのような感じはありません。どちらかと言えば、汚したいという願望が強いように思います。ゲイ男子の場合、まず間違い無く清潔感に溢れますし、僕のタイプは可愛い子なので、肌は水々しく、破裂せんばかりです。そういう汚れを知らない状態を汚したいという願望は確かに強いかもしれません。
行為はどの程度興奮するのか。僕としてはとても説明が難しいです。正直なところ、かけられる対象の相手は、ただ待っているだけです。この状態は理性的には恥ずかしいです。なんとかそれを乗り越える必要があります。
興奮という意味では、正直なところ何がいいのかはわかりません。ただ一つだけ言えるのは、想像以上に飛距離が出るんです。ってことはやっぱり相当に興奮していることはおそらく間違い無いと思います。
意識している興奮と、無意識の興奮が入り混じるところが、この行為を魅力的にしているのかもしれません。
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行為をお願いすると、まず100%嫌がられます。ある意味ではこの拒否されることも行為の重要な1要素です。どうぞどうぞ、と言われてしまうのは、重要な何かを、僕と相手共に失っていることを示します。
拒否されて、その理由を聞いて丁寧に説明をして、納得ないしはしぶしぶ了解してもらう。このプロセスがとても大切です。
そして行為を行って、顔を拭きながら感想を聞く。たいていは飛び過ぎとか、やっぱり嫌だとか。否定的な言葉と共に。そして僕は1回目は、単なる通過点であると説明をしています。とりあえずイヤな気持ちはわかるけど、10回我慢してほしい、と。10回我慢し続けると、顔にかけられる行為に慣れてくる場合と、それでもやっぱりイヤな人に分かれます。そこまでの状態で判断されたのであれば、ぼくも本望です。
万人にオススメできるスタイルではありません。確かにそうです。でも僕はとても好きなのです。