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2011/02/18 考え(自分関連)

スキな食べ物を聞かれる事はよくあると思います。誰もが答えることのできる、とても良い質問です。そして僕はその時に「スキな食べ物はビールです」と答えています。
ずいぶん前から僕はこのように答えることにしています。そしてこれは冗談でもなんでもなく、すごく本気です。
「いやいや。それは食べ物じゃなくて飲み物だよ」という指摘を受けることがあります。が、ちょっとまってください。そのように答えています。
好きな「食べ物」を挙げることはもちろん容易です。ラーメンだったりチーズだったり、焼肉だったり、ポテトフライだったり。僕は好きな食べ物が多いのでそれを答えてしまえば、期待したとおりの答えを返していることになると思います。
しかし僕の中ではそれでは釈然としません。なぜならそれら好きな食べ物は、すべてビールによってより引き立つと考えているからです。どれだけ好きなたべものであっても、どちらか一方しか選べないのであれば、ビールを選択します。それほどまでに僕はビールがすきなのです。色々な食べ物を含めて考慮に入れたときにビールが一番好きな食べ物だと、しっかりと認識しています。
僕は焼肉が好きです。胃もたれのこともあるので、昔ほどではなくなりました。そしてビールと焼肉というのは最高の組み合わせです。このとき僕はビールを飲むばっかりで肉をほとんど食べないことは多々あります。
逆に肉ばっかりでビールを飲まない事がありえないのです。このことからもビールが一番であるといっても差し支えないと思います。
2011/02/17 フェチ/好み/タイプ

僕は長髪の人が大好きです。
ゲイの業界で最も忌み嫌われるもの。それは長髪です。
どの程度の長さから長髪というのかは、個人差があります。例えば一般的なファッション誌などで言うようなミディアムの長さでも、人によっては「長い」という評価になる場合もあります。
たとえばデブはそれの専門がありますし、ストイックに鍛えている・鍛えようとしている人が多い業界なので、太っていることが逆にスキだという人がいることも想像できます。かわいいというのは、需要が少ないらしいですが、僕のようにそれを好む人だってちゃんといます。しかし長髪というのは、それをスキだという人はほとんど聞いたことがありません。
繰り返しになりますが、大切な事なので。
私事ではありますが、長髪が大好きなんです。
もちろん短い髪でもいいんですが、長いのもいいんです。むしろ何故業界の人が、ここまで長髪を嫌うのかが不思議でなりません。
どの程度の長さがいいのか。今まで背中の半分ぐらいまでの本当に髪の長い友人がいました。もちろんこれは長髪の人を探したのではなくて、出会いをしている中で、「長髪だけど・・・」「大好物だよ」という流れがあったのです。会ってみて、やっぱり長髪はいいなぁと、再認識をしました。
一番好きな長さと言われると、正直ちょっと困ってしまいます。ただ肩にかかるぐらいの長さはすばらしいと思います。という意味では、僕の本当の意味でのストライクゾーンはミディアムの長さから、肩にかかるぐらいまでとなるのでしょうか。もちろん短髪も大好きです。大好きですけど、野球部よりは吹奏楽部のようなイメージでしょうか。
ゲイの中で髪を伸ばすというのは相当に覚悟のいることです。その長髪の子がタイプであろう人というのは、一般論からすればイカツイ人なのかもしれませんし、男っぽいひとなのかもしれません。しかし髪を伸ばすと言うことは、そういう人に振り向いてもらえる可能性をかなり削ぐことになってしまいます。
確かに常識的に考えると、長髪が好きな男の人は、別に女性でもいいじゃんってなりそうですし。
2011/02/16 日常

プールに行きたい。漠然としてはいましたが、そのようにここ数年考えていました。一番の大きな理由は、消費カロリーです。水泳はズルをしているのではないかと思うほど消費カロリーが大きいのです。それはたとえ、ただ水中を歩くだけだとしても、です。
しかし現実的な事として、水着を買うとか、水泳帽だとかそういう道具を揃えてまでということに抵抗がありました。なんとなくのイメージなんですけど、遊びじゃないプールの場合、「本気水着」と僕は呼んでいるのですが、アソコの形をアピールするような水着を選ばなければいけないのではないかと。
しかもこの寒い時期にわざわざプールなんて。場所もそこまでたくさんあるわけじゃないですし、ジムと違って行動を起こすには敷居が高くそびえていました。
そうなんですが、彼もプールに行きたいと言い出したので、これ幸いと、水着を一緒に買って、ゴーグルや水泳帽などの一式を揃えました。心強いことに、一緒にプールも見学して雰囲気を見てきました。
あとはプールに行って泳ぐだけ。そのような状態まできたのです。
プールというのは夢が広がります。これでオレも水泳体型だぜ!周りの泳いでいる人はイケメンがいるかも!などと妄想がドンドンと膨らみます。想像力が豊な僕はすでにイメージだけでプール利用者としてベテランの域に達していました。
そして。そういえば僕は泳げなかったんです。小学生だか中学生だかのころ、25mの半分が最高記録でした。息継ぎもできないですし、そもそも前にも進まない。水も怖い。いまいち浮かない。ということで、僕は水泳の授業が大の苦手だったのです。夏には雨が降れば!熱が出れば!と毎日のように神に祈りを捧げていました。
そうはいっても、スキーの件もあります。スキーは僕は今まで一度もやってことはありませんでしたが、数日の練習でなんとか遊べるレベルにはいきました。プールもそうやって油断していたのです。
「泳ぎ方を教えて」と彼にお願いをしたのですが、彼も小学生の時以来ということで「こっちだって泳げないかもしれないもん」という感じです。
いざプールに行って泳ごうとすると、「あっ!やっぱりだめだ」と僕。彼はスイスイと泳いでいました。(とはいってもまずは25mぐらいで一休み・・・という感じです)
僕は泳ごうにも、手の動かし方バタ足などなど、なんにもできないのでした。
仕方なく、数十名プールの利用者がいる中で、唯一僕一人だけビート板を使って地道に練習です。相当に、相当に恥ずかしいのは言うまでもありません。でも仕方ありません。泳げないんですから。
ということで、しばらくはこの羞恥に耐え忍びながら、上達を目指したいと思います。
※ちなみに初回の時は上記のとおり全くだめでした。しかし昨日2回目のプールに今度は一人で行ってきました。最後の最後になって、ビート板無しで25m泳げたのです!!!いやぁうれしかった。
2011/02/15 考え(自分関連)

血液型による性格の分類って信じていますか?僕は、先天的な性格の分類は信じていません。さすがにそれはそうでしょう。しかし後天的な要素によって性格がある程度その方向にブレることはあり得るのではないかと考えています。
他のブログにも書かれていましたが、B型というだけでふられてしまったことがあるそうです。さすがにそれは極端な気がしますが、それぐらい血液型という理由だけで、振るほどの理由になり得るのがB型なのかもしれません。(ちなみにブログはこれです(B型であるがゆえ:ひとり、六畳半で雑念まみれ) 僕はそれを読んだとき、むしろ小さな男だと知れてよかったじゃん!って思いました)
B型は性格の悪い部分を凝縮したような性格です。自分勝手だったりわがままだったり、細かいところがあったと思えば、いい加減だったり。変人とか。とにかくB型という血液型でいいように言われることは絶対にありません。
僕はB型です。そしてこのブログを読んでいれば、B型が全開になっている事がわかるのでしょうか。大体の場合、B型であることを伝えると、「あぁやっぱり」そのように反応されることが多いです。
ゲイの中での血液型の分布に偏りはあるのでしょうか。ただ結構みんな几帳面な人が多いように思います。僕が好んで好きになる人が、みんな几帳面なのかもしれません。家に遊びに行っても、汚い部屋というのをほとんど見たことがありません。むしろ、○○の置き場所はココ。という感じで、むしろ几帳面すぎると感じることがほとんどです。
きれいな部屋はとても気持ちがいいですし、置き場所が決まっている事はとても素晴らしいことです。しかし僕にはそのマネが出来ません。僕の家は決してキレイではないですし、置き場所などは全く決まっていません。都度変わります。
しかしキッチンと風呂だけは異常なほどキレイにしているという、へんなこだわりがあります。このへんがB型らしいのでしょうか・・。
2011/02/14 考え(自分関連)

何をもって真面目というのでしょうか。僕はとても難しいことだと考えています。
例えば「遊ばない」ことを真面目といえるのでしょうか。「遊べない」のかもしれません。
真面目というのは決して褒めていないということを僕は示しているように思うのです。
真面目という言葉は肯定的な意味を殆どの場合で含んでいます。しかし言われた方はその自覚に乏しい場合が多いように思います。
結局のところ、真面目と評価される人の殆どは「遊べない」ことを指しているように思います。だからそれはその人のことを「つまらない」と婉曲に表現していることになるのではないかと。
僕はこれでも真面目です。と、自分でいうあたりから疑問が生まれるのですが、まあそういうことにしてください。そしてなぜそのように思うのか。それはまず遊ばないというのは大きな要素です。楽しいことというのを判断するのはとても労力のいることで、遊ばない・遊べないというのは僕自身が真面目と考える理由の一つです。
性的なこともあります。(すごく残念な事に)だいぶ衰えました。だから昔のようになびくこと、間違いが起きることが非常に少なく・なくなりました。性的な真面目というのは、真面目ということを示す重要な指標の一つだと考えています。
ここは非常にデリケートで、もしたとえば顔が、肉体的な理由で、ということで、性的な要素が平均よりも少ない場合、それは「できない」のであって、マジメだから性的なことを避けていることにはなりません。しかし往々にして、できない人というのは、結果として性的な要素が少ないわけですから、それをマジメという場合があるのです。
色々なことを考えます。ストレートだったり直接的なことはとても素晴らしいと思います。それと同じぐらい僕は考えを巡らすことも素晴らしいと信じています。時に考えすぎることもあるかも知れません。それがデメリットをもたらすこともあるかも知れません。という考え方は真面目だといってもいいのではないでしょうか。
そして会話力。僕は性格が真面目だと自分でも言ってもいいのではないかと考えているのですが、会話に関してはかつても書いたように下品で、浅薄なんです。これがすべての真面目という評価をくつがえし、僕は適当である。という決定的な評価を受けることになってしまいます。あぁ。残念。
過去に頂いたコメントで、返信を飛ばしていたようです。
2011-02-08 kunntaさん
2011-02-09 嵐さん
2011-02-10 道草さん、ゆず茶さん
大変失礼いたしました。
また先日「彼と年齢差を感じるとき。」という記事を書きました。この中でご批判を含むようなコメントを頂きました。これについてその後に追加でコメントを頂きましたので、気になる方は参考にして頂ければと思います。
2011/02/13 ブログ

ありがとうございます。最近はおかげさまでアクセスも日々一定で、僕はとても楽しくブログを書くことが出来ています。とはいっても、僕のこのクソみたいな文章にしては、アクセス数は多いぐらいです。この記事を書いているころ。1月中旬は、日々100人前後ぐらいでしょうか。あんまり正確ではないですが。
※先週ごろ(2月の第2週)は、170人ぐらいの方に見ていただいています。徐々に増えているのがとてもうれしいです。
僕は、もちろんアクセスが多いことも、またランキングサイトにも登録しているので、このランキングが高いこともとても嬉しく思います。僕はまったくたいしたことをしていませんし、文章もこんなですし。にもかかわらず今のような評価というのはとても嬉しいです。
さてこのアクセス数ですが、とても積極的に増やしたいと思っている人と、あまりそうでもない人に別れるような気がします。
何回かブログをしたことがある人はわかると思いますが、アクセスって本当に無いんですよ。だから必死になってアクセスを増やしたいっていう気持ちは痛いほど良くわかります。僕もかつてはそのように考えていました。そりゃあ見てくれる人が多いほうがうれしいじゃん!って。
しかし僕のようなめんどくさがりには、そういう考えは長続きしません。ネタも濃くしなければならないですし、更新も頻繁にしなければなりません。宣伝もそうですし、コメントなどを通じてのコミュニケーションも必要になります。そういうやりとりが僕にはどうにも苦手なのです。
だから僕は書きたいことを書くことを重視して、今となってはアクセス数はほとんど (まったくとは言いませんが) 意識していません。
しかも僕のような、かなり独りよがりの記事にも関わらずたくさんの人が読んでくれているのはとてもうれしいなぁと思っています。これは感謝しきれません。
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また、僕の記事はどうしても読者の方が一定数を超えると、クレームというかご批判をいただくことになるようです。これはアメブロの時もそうでしたし、今回もそういうのがありそうな感じがしています。
そして僕は他の方がされているように、正面から向き合うというよりも受け流す方が多いのかもしれません。
※ここ数週間は日曜になるとアクセス数のことばっかり書いています。(気になる方はたどってみてください)
公開したい記事が他にもあるので、どうしても日曜ぐらいしかこんなことが書けなくて・・。いつもお目汚しなのは大変申し訳ないです。
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最近はランキングの「クリックをお願いします」という一言を入れていませんが、定期的にみなさんが押していただけているようで、安定的な順位を保つことが出来ています。ありがとうございます。今後もこのような感じで進めていきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします。
2011/02/12 考え(ゲイ関連)

女性らしさという事がどういうことなのか、僕にはよくわからないことが多いです。普段の生活の中でも、女性との会話はそんなに多くはありません。男性的な職場で働いている僕には、どうしてもそういう考え方や話し方が身についてしまっています。
そんな僕が女性としっかりと話しをするのは、おそらく妹と話をしている時だと思います。妹の話をを一言でいうと、とにかく長くて、結論が無くてオチがなくて、不必要なところで誇張されて、内容が転々として。ようするに長くてつまらないということです。そしてこの話を聞いているときに、ああ女の子なんだなぁ。という実感をするのです。
話というのは、面白い事が一つの基準だったり、経験などタメになる話というのも興味深いと思います。
しかし僕の妹は、話というのは自分が話したいことを話したいように話す。というのがとても重要な基準なのです。そこには聞き手というのは基本的に不在です。聞き手からの建設的な意見などは期待しておらず、気持よく話ができればそれでいいと。不幸自慢の時には誇張が行われます。しかしその誇張は、面白い方向への誇張ではなくて、僕からすると一見無意味であったり、話を混乱させるような誇張を含めています。
一度しか言ってないことでも、「いつも言ってる」という具合に。だから僕は反抗期に行った数々の問題のある行為が、妹にとっては僕のすべて。ということになっているようです。当然ですが、怒ってない時のほうが多いのが事実なのにも関わらず。
妹と会うのは数ヶ月に1回なので、この時いつも思う事があります。男性でもオネエの人は、女性的に会話をするなぁと。
かつて僕のタイプの子が、とても女性的でした。仕草や喋り方のすべてが。そして僕は話をするときにいつも指摘をしていました。何かを話そうとするなら、なるべく結論がほしいとか、一つの話題が終わってから次の話題に行ってよ、とか。
嬉々としながら、プリクラの話をしていたかと思えば料理の話になったり、友達とのケンカだったり、旅行だったり家族だったり。そうやってどんどんと、めまぐるしく変わっていく会話を聞いて、僕はいつも女性と会話している錯覚を覚えたものです。
喫茶店に行けば鏡を取り出して髪型やらを気にして。店を出る前には必ずトイレで身だしなみチェック。べつにその子はオネエではなかったのですが、潜在的には女性でした。(もちろん性同一性障害とかでもありません)
2011/02/11 カップル(彼関連)

僕と彼は7歳差です。普段の生活ではまりそれを意識することはありません。気持ちが若いから!などと言わなくても、年齢として行動に制限が加わることはありません。
しかしやはり歳の差っていうのはあって、ちょっとしたことでそれを感じることがあります。
まず僕自身が一番衝撃的に考えているのは、僕が中学入学の時に彼は小学生だったということです。もちろん当たり前なんですけど、僕は上級生として同じ学校にいることさえ無い、と。
もしくは僕が20歳になって、初めてのお酒で喜んでいた頃、彼はようやく中学生です。だからなんだってことはないんですが、結局のところ中学生と小学生の低学年の会話が(遊びやアニメのことなど様々において)成り立たないように、昔の話をすると年齢差を感じる事になります。
普段の生活の中で多いのは、やはり学生時代の話をするときです。ファミコン・スーパーファミコン・プレイステーション・・・と歴代のゲームを体験してきた僕にとって、彼のように初めて触れるゲームがプレステだというのはとても強い衝撃をうけました。もちろん携帯電話などの環境もそう。
昔は~などとおっさんみたいな事をいうわけじゃなくて、例えばBダッシュとか。上上下下右左右左BAとか。なんかそういうちょっとしたところです。FF(ファイナルファンタジー)やDQ(ドラゴンクエスト)などは、初期の作品に名作も多いと思いますし、また子供の頃発売日に並んだ社会現象や、買ったそばからカツアゲされるというニュースに恐怖したものです。
ビックリマンチョコもそうでしょうか。チョコを捨てるな!という通達は全国共通なのでしょうか。
という話で、ポケモンカードとか言われても僕は??です。
また最近の話での年齢差を感じるのは、食事や体型の事です。加齢とともに最初に変化が出るのは、食事の好みと体型ではないかと僕は考えています。
昔に比べて食事は脂っこい物を避けるようになりました。そして魚が食べたくなります。ラーメンも油が少ない物を選んでしまいます。彼と一緒の食事をしたときに、僕だけ胃もたれしていることだって多々あります。
体型は僕の油断というのも大きな要素です。だけどやっぱり年齢とともに太りやすくなりました。結局これに対抗するためにジムに通うことになりましたし、体型モテを少しはするようになりました。でも彼は僕よりも食べるし、運動もきっと僕の方が頑張ってる。なのに体型は彼の方がぜんぜんいいのです。
2011/02/10 考え(ゲイ関連)

信じる勇気を持ちたいという話に関連して。出会うプロセスの中で最初は疑われています。。疑う理由は色々あるので仕方のないことです。もしプロフィールがウソだったら。もし画像がウソだったら。もしストーカーみたいな粘着気質な人だったら、と。
疑われている事は色々なところで気づくことになります。メールアドレスは携帯のアドレスではなく、匿名メール・転送メールであったり、画像が不鮮明であったり。住んでいる場所や地域をハッキリ示さなかったりなどでしょうか。
会うまで疑うのは仕方が無いことです。信じると思えるほどの情報が不足しすぎているからです。
しかし会ってからも疑っている場合があります。会っていれば話をして表情を見ているはずです。そこまでしてもまだ疑っている場合があるんです。僕は正直な所、第一印象というか、会話をしてみてある程度判断して、信頼できると思ったらすぐに信用してしまいます。少なくとも今までそれで怖い思いをしたことはないですし、これを読んでいるあなたがそうであるように、悪い人は意外と少ないと信じているからです。
数少ない悪い人から身を守ることができればいいと考えているので、基本的に信じるというスタンスで今まで問題はおきませんでした。
疑っているときというのは、当然それが相手にも伝わってしまいます。質問の回答が曖昧だったりとか、もっと突っ込んだ話をしてもいいのにそれができなかったりとか。場合によっては、「それは今はまだ言えない」という直接的な表現をすることもあります。
その人が、過去どのように騙されたのかは僕は知りません。しかしその失敗に学んで、僕をを疑うというのはそもそも話が違うのではないかと思ってしまうのです。
かつて、疑うべきを疑わずに失敗したのであれば、今まさに、信じるべきを信じない心配をしているのではないかと。
どうせ失敗するなら、騙されない方を優先するので、すべてを疑うという気持ちは分かります。だけど僕は「信じない」というリスクを他者に転嫁しているような気がしてならないのです。
2011/02/09 フェチ/好み/タイプ

この記事は こうではなくて、こうなんです[2011-02-09] の解説記事です。
本当はもっと画像を載せたかったんですが、思いつきなんで2種類しか用意できませんでした。
フェチや好みの画像です。
同じ状態の2つですが、微妙に違いますよね。そしてこの違いは僕によって、あまりにも大きいと考えています。
最初の画像。
セーターと手首。もうこれ以上の解説はいらないと思います。そうです。ちょっと手が隠れているのが最高にいいんです。そしてこのまま口元に手を持って行ったら・・・。もう襲いたくなります。
次の画像。
お願いできる人がいなくて、大変申し訳ないのですが、僕自身です。そして僕のイメージに合うちゃんとした帽子も無くてもう妥協しまくっています。
帽子のツバです。まっすぐじゃなくて傾いているのが最高にいいんです。かつて帽子好きの友人に、ツバをまっすぐかぶってもらった状態から、徐々にずらしてもらいました。するとおもしろいように、ツバが斜めになるにつれて、アソコがぴくりとしたんです。
あぁ。オレはなんて。。。という感情が芽生えたことを鮮明に覚えています。
今回はフェチそのままの画像に対して、あれこれ文章を載せるのがなんだかすごく野暮な感じがして別掲載にしました。
みなさんもこの文章を読んで、身体を清めてから前掲の画像を改めてかみしめて頂ければと思います。
※僕自身に関する顔は掲載しない予定でしたが、今回のフェチ記事はのイメージを分かりやすく伝えるために仕方なく・・。
※本日の画像は、マルチビタミンです。肌が若返ります。(この画像の使い勝手が悪くて、本日の記事に無理矢理使いました。)