誤読。

今まで誤読という事は難しい表現や微妙な表現をしている場合にのみ発生すると考えていました。だから僕は平易な言葉を使って、なるべく物事を簡単に表現することに注意していました。それにあわせて、結論もちゃんと一定の方向を向くようにしていました。
確かにブラックユーモアなど、その表現を楽しめるほど文章を理解するのはすごく難しいことですし、また勇気のいることです。それにそのような誤読できる表現の裏を読み取ることによって、「オレって文章ちゃんと読めてるぜ!」っていう事にも疑問が残ります。僕は誰が読んだとしても、文章から得られる感想や結論は似るように、なるべく僕の意見が読み取っていただけるように書きたいと思っているのです。
もちろんどのように書いたとしても、結論の部分で意見が違うことはあり得ると思いますし、それは書き手・読み手ともに尊重するべきところです。
しかしそのように書いていても、明らかに違う視点で読まれてしまう記事がありました。今回はそれについて。
「こんにちは。かわいいですねという挨拶」という記事があります。これは趣旨だけどざっくり書いてしまえば「褒めることはいいことだ」という趣旨です。そして肉付けとして、とりあえず手当たりしだいに褒めて、褒めることに慣れておこう。そして本当に必要な時にはバシっと決められるように。という内容で書いたつもりでした。
しかし読み手の一部の方は、「褒めて勘違いさせ、裏で笑ってやろう」そのように読んでしまったのです。これはその後、どのように弁解しても読者の方の読み方が変わることはありませんでした。
実際に全員にあまねく褒めることは無理でしょうから、現実的には「ちょっといいな」ぐらいから褒めることになると思います。そしてそれは、容姿だけではなく日常の様々な部分で行われていると思います。料理を作ってもらって「おいしい」などはいい例でしょうか。料理は日々のことですから、おいしいとまずいだけに短絡的に分類されるわけではありません。いわゆる普通という料理も多いと思います。そして普通と美味しい料理はおいしいと表現し、まずい料理については、ノーコメントという運用になるでしょう。まずい料理をおいしいと褒めて調子づかせることに意味はありません。
それぞれに受け取り方があるので、何かを強制したいとは思いません。しかし読み手の人のほとんどが持った意見は、「手当たりしだい全員は無理ですが、ほめるのはいいことだと思います」という、至極もっともな、僕の一番表現したいことを読み取ってくれました。もちろん人によっては「本当に心から思わないと褒めることができません」そのような意見もありました。
それぞれの意見なので別に全く問題ないと思います。ただし共通して言えるのは、「勘違いさせよう」とか「もてあそんでやれ」などと、一言も書いていません。そのように読み取ることのほうが難しいはずです。
実際、その方が自身のブログでそのニュアンスの記事を書かれたことがありました。「ブサイクにかわいいと言って勘違いさせて裏で笑うような心無い人もいるけど・・・」と。そのような酷い書き方をされてしまった記事にも関わらず、その記事には読者の方が「私は結構褒めるようにしてたんですが、いけないことでしたでしょうか。気をつけます」というコメントをされていました。するとブログの書き手の方は、「あなたが褒める時は心があるからいいんです。ブログに載せた人は、わざと勘違いさせて裏で笑うようなヤツだから」そのように返信していました。
このような、あなたはいいけど、アイツはダメという、矛盾を含むやりとりは僕は大好きです。(今では残念なことにその記事は非公開になってしまいました)※注) すべてニュアンスなのでもうちょっと柔らかいor酷い表現になっていたかもしれません
なぜこのような事が起きたのが、僕はとても不思議です。しかし一つ言えるのは、その読み手の方が結論ありきで読み過ぎではないかという部分です。こういう意味のはずだ!という思い込みから文章を読むと、どのように書いている文章でもそのように読めてしまいます。だからこそ一度落ち着いて、しっかりと文章を読みなおしてほしいなぁと切実に願っていますし、僕も誤解を受けるような表現については相当に気をつけなければならないと思っています。
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長くなるけどもう少しつづけます
年齢について書きたいと思っていたことの大半は書き上げることができたように思っています。そして年令についてはとても多くのご意見やご批判をいただきました。ロリコンだとか、ろくな人生を歩んでないだとか、表面しか見ない薄っぺらい人だとか。
今年の1月ごろでしょうか、なんとなくご批判をいただきやすい記事というのがおぼろげながら予感がするようになってきました。
という中で、スタバの記事だったんですが、批判をいただかなかったのは不思議でした。(批判的な意見をいただくと思っていたのですが・・)ということで、予感の精度はまだまだ甘いようです。
先日の記事顔でのより好みについて、かなり柔らかく書いたんですが、やっぱりご批判をいただいてしまいました。でもこれはある程度予想通りでした。