過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 月別アーカイブ:2011年02月 」 一覧

  2011/02/28    ブログ

げんやさんとお会いしたとき、書き手と読み手のギャップについての話が少しだけ出ました。
げんやさんは、かつてブログ内でも言及されていましたが、自身が何時間もかけて考えた記事よりも、その恋人であるりふくんが、つたない文章だとしても、まるで思いつきで書いたような一言だとしても、拍手やコメントでものすごく評価される、と。もちろん喜ばしい感情と共に、普段の記事は何時間もかけてるんだぞ!という気持ちと。複雑でしょう。

さて僕。僕は彼が記事を書くことは今のところまではありません。だからりふくんのように、彼の書く記事がどのような評価を受けるのかはわかりません。しかし読み手の方と、僕の書きたい記事との違いというのは感じることがあります。

僕のブログで、有意にアクセス数に差があるのが、カテゴリーでは微エロとカップル(彼関連)なのです。この二つだけは読者の方が欲しているようなのです。これはアクセス解析を見ていると、顕著に現れています。

一方で、僕自身は何度か書いていますが、過去の自分の経験から今の考え方の礎となったことをまとめたいと思っています。比較的充実して書けたのは年齢のことでしょうか。年齢は何度となく書いていますが、それぐらい僕は30代になるまでに色々と考える場面に遭遇しました。

もちろん他のことも同様に色々とありますし、それらについてはこれからしっかりと記事にしていきたいと思っています。

しかし、それはきっとカテゴリーでは、考え(自分関連)などに分類され、そしてそれらの記事は有意にアクセス数が少ないと。つまり読者の方は、それをそこまでは望んでいないのではないか。という判断ができてしまいます。
げんやさんではありませんが、僕も目を血走らせて、寿命を削りつつ書くような魂を込めた記事よりも、彼のちょっとした言動を紹介したほうがウケがいいというのはなんという皮肉でしょうか。

「抹茶ラテを頼んだけどこのお店のは甘くない!おいしくない」と彼が言っていました。といった、このような一言に何の意味があるのか・・・とやっぱり僕は考えちゃうのです。

エロネタについては、書きたいですがいかんせん経験が・・・。ということで少しずつしか増やせません。思い出したときに記事にするぐらいです。ちなみにげんやさんの方では、エロ記事は人気が無いって言っていました。読者層の違いなんでしょうか。
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  2011/02/27    ブログ

今まで誤読という事は難しい表現や微妙な表現をしている場合にのみ発生すると考えていました。だから僕は平易な言葉を使って、なるべく物事を簡単に表現することに注意していました。それにあわせて、結論もちゃんと一定の方向を向くようにしていました。

確かにブラックユーモアなど、その表現を楽しめるほど文章を理解するのはすごく難しいことですし、また勇気のいることです。それにそのような誤読できる表現の裏を読み取ることによって、「オレって文章ちゃんと読めてるぜ!」っていう事にも疑問が残ります。僕は誰が読んだとしても、文章から得られる感想や結論は似るように、なるべく僕の意見が読み取っていただけるように書きたいと思っているのです。
もちろんどのように書いたとしても、結論の部分で意見が違うことはあり得ると思いますし、それは書き手・読み手ともに尊重するべきところです。

しかしそのように書いていても、明らかに違う視点で読まれてしまう記事がありました。今回はそれについて。

こんにちは。かわいいですねという挨拶」という記事があります。これは趣旨だけどざっくり書いてしまえば「褒めることはいいことだ」という趣旨です。そして肉付けとして、とりあえず手当たりしだいに褒めて、褒めることに慣れておこう。そして本当に必要な時にはバシっと決められるように。という内容で書いたつもりでした。

しかし読み手の一部の方は、「褒めて勘違いさせ、裏で笑ってやろう」そのように読んでしまったのです。これはその後、どのように弁解しても読者の方の読み方が変わることはありませんでした。

実際に全員にあまねく褒めることは無理でしょうから、現実的には「ちょっといいな」ぐらいから褒めることになると思います。そしてそれは、容姿だけではなく日常の様々な部分で行われていると思います。料理を作ってもらって「おいしい」などはいい例でしょうか。料理は日々のことですから、おいしいとまずいだけに短絡的に分類されるわけではありません。いわゆる普通という料理も多いと思います。そして普通と美味しい料理はおいしいと表現し、まずい料理については、ノーコメントという運用になるでしょう。まずい料理をおいしいと褒めて調子づかせることに意味はありません。

それぞれに受け取り方があるので、何かを強制したいとは思いません。しかし読み手の人のほとんどが持った意見は、「手当たりしだい全員は無理ですが、ほめるのはいいことだと思います」という、至極もっともな、僕の一番表現したいことを読み取ってくれました。もちろん人によっては「本当に心から思わないと褒めることができません」そのような意見もありました。

それぞれの意見なので別に全く問題ないと思います。ただし共通して言えるのは、「勘違いさせよう」とか「もてあそんでやれ」などと、一言も書いていません。そのように読み取ることのほうが難しいはずです。

実際、その方が自身のブログでそのニュアンスの記事を書かれたことがありました。「ブサイクにかわいいと言って勘違いさせて裏で笑うような心無い人もいるけど・・・」と。そのような酷い書き方をされてしまった記事にも関わらず、その記事には読者の方が「私は結構褒めるようにしてたんですが、いけないことでしたでしょうか。気をつけます」というコメントをされていました。するとブログの書き手の方は、「あなたが褒める時は心があるからいいんです。ブログに載せた人は、わざと勘違いさせて裏で笑うようなヤツだから」そのように返信していました。

このような、あなたはいいけど、アイツはダメという、矛盾を含むやりとりは僕は大好きです。(今では残念なことにその記事は非公開になってしまいました)※注) すべてニュアンスなのでもうちょっと柔らかいor酷い表現になっていたかもしれません

なぜこのような事が起きたのが、僕はとても不思議です。しかし一つ言えるのは、その読み手の方が結論ありきで読み過ぎではないかという部分です。こういう意味のはずだ!という思い込みから文章を読むと、どのように書いている文章でもそのように読めてしまいます。だからこそ一度落ち着いて、しっかりと文章を読みなおしてほしいなぁと切実に願っていますし、僕も誤解を受けるような表現については相当に気をつけなければならないと思っています。

長くなるけどもう少しつづけます

年齢について書きたいと思っていたことの大半は書き上げることができたように思っています。そして年令についてはとても多くのご意見やご批判をいただきました。ロリコンだとか、ろくな人生を歩んでないだとか、表面しか見ない薄っぺらい人だとか。

今年の1月ごろでしょうか、なんとなくご批判をいただきやすい記事というのがおぼろげながら予感がするようになってきました。
という中で、スタバの記事だったんですが、批判をいただかなかったのは不思議でした。(批判的な意見をいただくと思っていたのですが・・)ということで、予感の精度はまだまだ甘いようです。

先日の記事顔でのより好みについて、かなり柔らかく書いたんですが、やっぱりご批判をいただいてしまいました。でもこれはある程度予想通りでした。

ということで、引き続き頑張っていきたいと思います。
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  2011/02/26    日常

僕たちのカップルはケンカをしません。それは僕も彼もあまり腹が立たないってこともありますし、特に彼の場合は、他人よりも自分に怒りが向くタイプって言うのもあります。

だから僕達がケンカをするときは、きっと最初で最後なのではないか、という恐怖さえ感じます。滅多にないからこそ、その破壊力は計り知れることがなく、復旧が困難であることが恐怖なのです。

僕は色々なカップルのケンカ話を聞くのが大好きです。

ということを書くと、きっと各方面から「また始まった」と。そのような声が聞こえてくるようです。なにも自分が安住の地に居ながら他のカップルの仲違いを楽しもうなどといういやらしい考えは微塵もありません。
崇高な意図がそこにはあるのです。

「どんな喧嘩をしますか」とか「どんな理由でケンカするんですか」と、今まではそのように聞いていました。大抵の場合、「くだらないですよ」とか、「ささいなことなんでいちいち覚えていないぐらいです」と返答されることがとても多いのです。

最初に挙げたとおり、僕はケンカの仲違いを楽しもうとしているわけではありません。一番重要なことは、「どれだけくだらないことでケンカをしたのか」に尽きるわけです。ケンカは必要かもしれませんが、きっと少ないほうがいいはずです。だけどケンカをしてしまった場合、そしてそれが修復できた場合。であれば、それは他人におもしろおかしく伝えるのもアリではないかと僕は考えています。

特に僕達がケンカをしないので、尚更それはそのように思っています。

だから最近、他のカップルにケンカの話を聞く場合、「どんな些細でくだらないことで喧嘩しましたか」とか、「ケンカの理由でくだらなくて面白かったことはありますか」と聞くのです。

僕が学生だったころ、校内で付き合っていた男女のカップルは、本当に些細なことでケンカをしていました。いわく「休み時間にトイレに行くのに言わない!」など。休み時間はいつも一緒に過ごしているのに、勝手にトイレに行くな、どこに行ったかわからなくて不安になる。っていうことで、怒っていたのです。

また道路の車道側を歩くのか歩道側を歩くのかでケンカをしたこともあると言っていました。

ここまでくだらない理由でケンカができるのであれば、きっとそのケンカはケンカ以上の意味があるのではないかと。僕はそのように考えるのです。

だから僕がケンカの話を聞いたとき。それは深刻なケンカの話をしたいのでは決して無く、むしろ「くだらねー」と笑って話せるようなことを聞きたいのです。
どうぞ皆様よろしくお願い致します。
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※昨日の記事、顔についてだーーーーいぶ柔らかく書いたんですが、やっぱりご指摘を頂きました。(スタバの記事もご指摘頂くかと思っていたんですが大丈夫でした)
だいぶ分かるようになってきたので、今後もこの調子で頑張っていきたいと思います。ご指摘を頂きましてありがとうございました。

  2011/02/25    考え(ゲイ関連)

今までさんざん年齢について書いてきました。年齢は僕自身がとても大きな要素として考えていることの一つです。
それと同じように顔も避けられない大きな要素を持っています。残酷な言葉で言うのであれば、ブサイクは去れ!と。

これは僕自身が顔では全く評価されないので、本当に辛いことです。僕はブログでは本音と建前などということはしません。すべて本音です。だからこそ顔は今まで一度も触れることさえ無かったように、非常に無慈悲で残酷な意見しか持っていません。

もちろん顔がすべてじゃない。という意見もあると思います。そして一部では事実ですが、やはり大多数では残酷な結果が待っているのです。
(ただし捨てる人がいない、というのは僕が最初の頃の記事で書いたとおりです。誰でも必ず誰かが拾ってくれます。)

そんな残酷な意見しか持たない僕ですが、加齢とともにこれは非常に興味深いことを生みます。

僕の友人でとてもカッコイイ人がいます。僕より少し年上ですが、本当にかっこ良くて、それは、童顔ということも大きいですし、おしゃれや会話力など、魅力がとても多いのです。その友人がまだ20代だったころ、イケメンの友人が選ぶ恋人はおそらく顔で選んでいるか、もしくは重要な要素として顔があったのではないかと僕は勝手に思っています。
しかしその友人が30代を少し超えて、相手を捜すときにはほぼ完全に性格を重視しているのです。確かに写真を見せてもらっても、今までとは明らかにちがって、さすがにカッコイイとは言えないような外見の人ばかりです。

「なんで?」と聞くと、顔とかはもういいと。そんなことよりも一緒にいて楽しいとか、、その人のために何かをしたいと思えることが大切だと言ってました。

かっこいい友人が、御世辞にもかっこ良くない人と付き合っているのを見ると、業界の懐の深さを感じます。また顔意外の部分を重視すると、以前のように飽きがこないというか、長く続く場合が多いなぁと思います。そして言うまでもなく長く続いてほしいなぁと願っています。
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  2011/02/24    ブログ

昨日のことです。にほんブログ村のゲイカテゴリー上位を安定的にキープしている、人気ブロガーのげんやさんと会いました。>>国境、非在、あるいは百年の祈り

もともとの経緯として、げんやさんが日本に帰省するということで、新宿に飲みに来ると言うのです。僕も彼も比較的日程が合わせやすい生活をしていますので、じゃあ!ということで、ぜひお会いできたら。という流れになりました。

本当にぶっちゃけた、正直なことをいってしまうと。身も蓋もない事なのですが、僕はこういう出会いに結構なストレスを感じるのです。そもそもコミュニケーションが苦手な僕はたとえ仲の良い人であっても、会うということには身構えてしまう自分がいます。

とはいっても、やっぱり会いたい好奇心も強いですし、ブログを通しての交流もしております。そして文章から感じるげんやさんは、とても精力的で人柄が良さそうなことがにじみ出ています。

これらのことから、僕と彼と一緒にお会いしました。ちなみに彼はブログを僕のも含めてほとんど読まないため、ちんぷんかんぷんのようでした。彼は僕がブログを書いていることを知っているぐらいで、実際にはほとんど読んでないようですし、当然げんやさんのブログもほとんど読んでいません。僕が面白いと思った記事を一緒に読むぐらいです。

エフメゾというお店に行き、げんやさんはすでにそこにいました。そこには、すでに写真でさんざん拝見している人の実物がいたのです。
今回は、げんやさん+僕達+さとしさんカップルでした。さとしさんはげんやさんのところでコメントを頻繁に書かれている方です。さとしさんカップルには大変興味深い話が聞けたのでこれはまた別記事ですね。ちなみにさとしさんはコメントの雰囲気とはまたちょっと違って、落ち着いた大人の人でした。その恋人のみのるさんはとても若くて年齢差のあるカップルでした。とても仲がよくてもう12年も付き合ってるそうです!

さすがにげんやさんはブログの通りの方で、話も面白いですし、また視点もとても豊富であると思いました。また一部分においては僕らのカップルとげんやさんのカップルには共通点があるように思いました。
さすがに僕の彼は、げんやさんの恋人であるりふくん程までは女性っぽくは無いと思います。考え方も行動も、です。
しかし発想に至るプロセスというか、行動の中で大切にする部分というのに共通項があるようなのです。

僕は合理的であることや、結果を大切にします。しかし彼らは自分の気持ちがとても大切で、気持ちがあればたとえ合理的でなくても、結果が出なくてもいい。
しかし僕はとても怖いのです。りふくんと僕の彼が仲良くなって乙女談義などが始まったら・・・、と。

年末にもまた帰ってこられるそうです。そしてその時にはりふくんも一緒らしく、今からすでに楽しみですね。
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※そういえば、げんやさんはやっぱりカメラを持っていました。そしてさとしさんもカメラを持っていました。すごく立派な高いであろうカメラ。みなさんすごいです。

  2011/02/23    カップル(彼関連)

彼は理系の学生です。理系といえば勝手な想像ですが、理論や実験を積み上げて、予想や想像よりも、理論や現実を重んじる。そのように僕はイメージしています。

事実「理系」と呼ばれる人たちはそういう人が平均的に多いのではないかと思っています。彼の勉強を見ていると、確かにレポートなどでは最初に結論を持ってくるように言われたり、仮説やら目的やら・・・と、理路整然としています。このような論理的思考を繰り返せば、非科学的なものよりも、科学的・現実的なことに傾倒するのはよくわかります。

僕は文系と呼ばれる方に分類されます。パソコン関係の仕事なので、多少は理論的ではあると思いますが、数学は苦手ですし、複雑なことに考えを巡らすのも苦手です。
とはいっても、経済を学んでいたので「経済的にどうか」という意味ではかなり合理的ではないか、とも考えています。

さて、そんな彼ですが、「宝くじを買う。」そのように言うのです。僕からすれば、宝くじを買うのはどうかと思っています。それはギャンブルであること(胴元が儲かる/ゼロサムゲーム)、合理的という意味では、無意味なこと(期待値の問題です)。などそれを買わない理由はたくさんあります。※僕は株を少しやりますが、こちらはギャンブルではないと考えています。
そして彼が買うという行為は、損をすることを積極的に行っていることや、彼は合理的じゃないのか。という事など、色々考えてしまいます。

今までも彼は宝くじを何回か買っていました。夏と年末には賞金額の大きな宝くじ(グリーンジャンボ・年末ジャンボ)が発売されるので、その時に買っているようなのです。
そして買う枚数が3枚(900円)です。僕はそもそも1枚単位で買えることを知りませんでした。

宝くじは保管方法があるそうです。暑がりで寒がりで寂しがり屋という訳のわからない理屈で、暑くもなく寒くもなくて・・・という保管方法がいいらしいのです。という理屈があることを知って、ある意味そこまで突き抜けていると、娯楽としておもしろいですね。
※ちびまる子ちゃんで、宝くじの話がありました。宝ちゃんという名前をつけて、散歩に連れて行ったりするんです。この回は相当おもしろかった。

買わなければ当たらない。そのように彼はいいます。買っても当たらないのが宝くじなのではないでしょうか。
1000円ぐらいいいじゃなん。と彼は言います。金額の高低ではありません。合理的な判断かどうかが問題です。

と、僕は買うという話を聞くと都度言っているのですが、結局今回も彼は3枚買うようです。じゃあ宝ちゃんのベッド用意しなくちゃ。彼女のご飯もつくらなくちゃ。お風呂一緒に入るよ。散歩に連れて行くよ!と言っているだけなら楽しいんですが。

当たったらマンションを買う!と言っていました。
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  2011/02/22    日常

僕の友人で介護職に就いている人がいます。様々な職業の中で医療や介護というのは、とても壮絶であろうことが想像できます。そのためその職に就いている人というのは、綺麗事だけじゃない、達観した考えを持っていることが多く、とても刺激を受けています。

仕事としてお金を稼いでいる以上、プロであると考えています。仕事によっては、日常から仕事が生活で役に立つ場合もあると思いますし、逆に仕事は日常において全く意味が無い場合もあるでしょう。研究職などは日常からプロを感じることは少ないと思いますし、料理人だったらきっとプロを感じる場面は多いと思います。

僕はPC関係ですが、詳しい人も多いのであまりプロをアピールする場面は残念なことに少ないです。

その友人ですが、介護職というのは、それを日常から感じることは滅多にありません。僕も年をとってきましたが、まだ食事も排泄もギリギリ自分でできます!

その友人の家におじゃまして、お酒を飲んだことがあります。こういう時にありがちな、ソファーで飲んでいる間にいつの間にか寝てしまう・・・。この時もそうなってしまいました。
布団用意したから、ちゃんと布団で寝てよ!そのように言われました。しかし僕は、気持よく寝ていたので「うーん」とか「わかった」とか適当な返事をしたまま、スヤスヤと寝ていました。

すると友人が僕に手をかけて、「んじゃ起こすからねー」といって、すっと僕の上半身を持ち上げたのです。僕は抵抗する意図もありませんでしたが、あまりにもスッと上半身を起こされたので驚いてしまいました。「え?え?今何したの?」と。

今まで起こされるということは、腕を引っ張られたり、力づくでムリヤリ起こされることがほとんどでした。もちろん身体が大人になってからは、直接起こされようにも重たかったりで不可能です。
だからまさか、手をかけられた時も次の瞬間に起きているなどとは思いもよりませんでした。

後日色々話しを聞きました。寝ている状態から起こすのは、もちろん介護でよくあることで、自分一人で起き上がるときの動きと同じように補佐すると、だいたいはスッと起こせるというのです。
ソファーに座った状態から、立ち上がるときも介助してもらったところ、驚くようにスッと立ち上がれたのです。

普段馬鹿なことばかり言っている友人です。酔っ払っている印象がほとんどです。しかしやっぱりプロはすごいなぁと改めて関心しました。
「下半身も介助してー。」「それは彼にやってもらいな」 / 「下半身も介助してー。」「そういえば、かお。は排泄が一人じゃできなかったね」というのは絶対必要なお約束の会話です。
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  2011/02/21    カップル(彼関連)

つきあって4年もたつので、日々はマンネリです。華やかなことはまったくありません。
ということで、なーんもない日常を少しだけ書きたいと思います。

平日の話。(夜)
僕が仕事が終わるのがだいたい21時ごろです。そして「終わったから今からいくよー」というメールとともに、バイクで向かいます。
僕の働いている会社や家から彼のところまではバイクで15~20分ぐらいです。
途中スーパーに寄ってビールを買ってからいきます。

「おつかれー」と言いながら相手の家に帰ります。「今日のごはんは?」という感じで着替えたりビールを飲む準備をします。
彼は「んじゃごはん作るよ」といってごはんの準備をします。僕はその間ビールを飲んで待っています。(今は一緒に作るようなことはありません)

そしてご飯ができあがって、一緒に食事。僕は食べる速度が早いのですぐに食べ終わります。もちろん食事中は、今ってきゅうり高くない?とか、これって味付けに何使ったの?とかそういう他愛もない話をしています。

僕:「さぁ食べ終わったよ!」「まだ半分しか食べてないの??!!遅い!」
彼:「あんたが早いんんでしょ。だから太るんだよ」

もしくは
僕:「ほらテレビ見すぎ!あんたはテレビに夢中になりすぎるんだよ。チャンネルかえるよ。しょーもないドラマでしょどうせ。」
彼:「だってみちゃうんだもん。テレビぐらい、いーでしょ」

もしくは
僕:「ほらまたご飯が茶碗についてる!ちゃんと粒も残さずに食べて。コメはあんたのお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんが一生懸命つくってるんでしょ。僕なんて親から『お米はお百姓さんが1年かけて作ってるんだから・・・』って言われてキレイに食べるように言われてたんだよ。実家でコメ作ってるくせにそんなんじゃ、オレはいったい親から何を教わってきたのかわからんないじゃん!今度あんたのお母さんにいいつける!」
彼:「コメ作っているウチがなんにも言われてないんだから、あんたのお父さんが間違ってるんでしょ」

というやりとりが頻繁にあります。書いたおりですが、僕の話す言葉の3分の1ぐらいしか彼は話しません。

食べ終わったら、お風呂に入るか、僕は追加でもう少しお酒を飲むか。しばらくぐうたらします。
そして耳かきです。僕がしてもらう方です。耳にはよくないんでしょうが、会うたびにしてもらっています。
「はいじゃあ耳やってもう寝よー」という感じ。

布団に入ってからは
僕:「んじゃ今日は先に寝てね」
彼:「無理。すぐは寝れません」
僕:「しょーも無いこと考えているからでしょ。布団に入って目をつぶってれば5分しないで寝られるはずだから。そうやって」
彼:「あんんたじゃないんだから無理でしょ。そんなすぐ寝られたら苦労しないの」
僕:「じゃーすぐに寝られるように少し身体揺らしてあげるから」
彼:「そんなんしたら余計に寝られません」

というやりとりもほぼ日課です。

こうやって文章に書き起こしても、また実際にそのように生活している僕にとっても、まったくつまらない、そして安定した毎日です。

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  2011/02/20    考え(自分関連)

僕はスタバがとても好きです。しかしスタバを利用している客層がどうも好きに慣れません。これはスタバができた最初の頃から感じているなんとなくの疑問です。

スタバは非常に面白い客層を開拓しました。大学の時に僕は経済を学びました。そのとき授業では、各企業がどのように自社のブランドを構築していくのかということに焦点が当てられることがありました。そしてスタバというのは当時いわれていた、ブランドの構築セオリーを忠実に守るような方法で自社のブランドを確立させました。スタバの成功はみなさんがご存知のとおりです。

スタバは1杯のコーヒーが結構高めに設定されています。その理由として、セレブリティというのか、お金に多少余裕がある人の余裕やその生活をコーヒーを通して、いわゆる一般人にも提供したい。という目的があるそうです。日本の場合は貧富につてあまり大きな格差が無いので正直なところ、その理念に対する実感というのはありません。しかし、外国だったらその企業理念というのはとても有効なのかもしれません。(なーんもわからないので想像ですが)

そしてスタバの成功を見ると、その企業としての考え方と、実際の客層がマッチしたのだと感じます。

なんとなくスタバの客層のイメージは、人目に付くような場所で読書をしているような人だったり、犬を連れて道を行き交う人を眺めているような人だったり、ノートPCを広げている人だったり。。。

僕の勝手なイメージなんですけどどうにも客層の大半が上品といえばいい表現。悪い表現をすればプライドが高そうとかそんなイメージなんです。もちろん僕もスタバ好きですし、すべてのお客がそういうわけじゃありません。(というよりもそんなお客はいないかも。。。)
スタバの企業理念が好きだった僕は、(特に禁煙がいい!)、昔からスタバのことが好きで、昔から客層が苦手でした。関連して僕は下品だっていう記事も書いているぐらいです。そんな上品さとは無縁な僕だから苦手としているのかもしれません。

今でこそタリーズとか、競合が出現しイメージも柔らかくなったし、客側の意識も変わったように思います。そしてゲイには、ベローチェとスタバがとても重要なんです。深夜はデニーズかジョナだけどね。
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  2011/02/19    カップル(彼関連)

幸せ太りって本当にあるんです。これはとても恐ろしい僕の実体験です。

彼は米作りの盛んなところの出身です。(ちょっと前に彼の写真を掲載しました。このときは夕日+田んぼだったと思いますが、彼の家の田んぼです(もちろん辺り一帯ってわけじゃないですよ))

お米は実家から送られてくる。そのように言って日々ご飯を炊いていました。知り合って(付き合って)最初のころ、彼はもっぱら冷凍食品ユーザーで、炊いたご飯と冷凍食品の組み合わせを好んでいました。

僕はお米があまり好きではありませんでした。実家で食べるご飯は、コメがまずくとても食べたいと思えるようなものではなかったのです。僕は未だにその影響で、一人暮らしをしてから、一度もご飯を炊いたことがありません。炊飯器も持っていません。
彼と知り合った時も、彼は冷凍食品を好んでいたので一緒に食事をする回数は少なかったのです。

が、ご飯を作るようにお願いをしていく中で、徐々に一緒に御飯を食べる回数が増えてきました。もちろん炭水化物ダイエットという言葉があるように、コメがあまり好きではない僕にとっては、日々お米を食べる理由など無く、オカズがメインでよかったのです。

しかし彼から出されるお米を初めて食べたとき、コメのウマさにすぐに虜になりました。コメってこんなにうまいの!。やばい。オカズなんて無くてもどんどん進む!と。すっかりお米が好きになってしまいました。とはいっても、もちろん彼の家で食べるコメが美味しいんですよ。相変わらず実家のはあまり好きではありません。

そのころ、彼は日々の練習の結果なのか、料理の腕はどんどんと上達しました。そしてお米のおいしさを知った僕は歯止めが効かなくなりました。結果として5kg近く太ってしまったのです。52kg ぐらいだった僕の体重は 57kgにまで近づきました。服を脱げばメタボと言われるようになってしまいました。

もちろん太ったという状態をのぞけば、食事が美味しいのはとても嬉しいことです。幸せです。しかしこのころの体重は今思い返してもとても怖いことだと思っています。美味しい食事を食べたいだけ食べる。そのためにちゃんと身体を鍛えたいと思います。

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※本日はスキーに行っています。そのため、予約投稿です。日曜の夜に帰ってきます。