過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

「 月別アーカイブ:2011年01月 」 一覧

  2011/01/14    考え(自分関連)


今まで「アメンバを解除します」という通知が来て解除されてしまったことが2回あります。連絡なしで解除されたのも、何回かあります。もちろん把握していることだけなので、他にもたくさんあるかもしれませんが思いつくのはこのぐらいです。

そして通知されたときは「自分のアメブロの基準に該当しないので解除します」という理由でした。

この基準というのが、完全にその方の主観だと思っています。もちろんそんなことは主観であるべきです。しかしなぜ「イヤだから」という理由、もしくはそのように受け取れる直接的な表現をしないのでしょうか。僕はとても不思議です。
僕に原因があって、それはこうして一方的に理不尽な主張ばかりしているので、かんにさわったりだとか、無知だとか心ない表現や発言が原因となって、相手を傷つけてしまうことに結果的になりました。だからこそ、そういうイヤだとか、受け付けないという直接的な表現で理由で解除される覚悟がありましたし、それは仕方のないことだと思っていました。だけどそういう理由での解除ではなく、「基準に該当しない」と言われてしまいました。

とても不思議でした。そのような曖昧なことを基準とすることは自身の気持ちとして何とも思わないのかなぁ、と。何も自分に対して厳格である必要は無いんだけど、基準が曖昧だと、コロコロと変わりそうな気がしてしまいます。少なくとも僕の考えだと、適用するルールの基準は、自分も他人も大きく変わりません。だからこそ、そういう曖昧な基準を掲げるのが不思議です。
もちろんその「基準」として公表されている中には、「不快な人はお断り」といった、運用の自由度が高い表現はなされていませんでした。
もしそのような表現がされていれば、「不快な人に該当するので解除します」というルールが適用されたのかもしれません。

こういうことはルールじゃなくて感覚でいいじゃん!と。効率とかそういうのを意識ばかりしている僕ですが、こういうことについてはもっと感情的でいいんじゃないかなぁと思ってしまいました。

色々失礼なことをしてごめんなさい。解除されて当たり前です。と深く頭を下げつつ、そう思った次第です。
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  2011/01/13    考え(自分関連)


考えている「将来」って具体的に何歳頃のことでしょうか。僕は明確な将来を考えたことはありませんでしたが、ある程度将来がわかるような年齢 – 20歳前後・大学入学前後 – の時に考えていた将来というのは、まさに今・・・30代のことなんじゃないかと振り返ってみて思うのです。
将来の夢とかって多分大学卒業ぐらいの年齢のこと、もしくは卒業後何年か社会人を経験してから、場合によっては転職をして何社か経験してからの事(つまり30前後ぐらい)じゃないでしょうか。

まず30代って不思議なことに、将来の定義から外れていたような気がします。40代とか50代の歳のことを、将来と思うわけじゃないけど、その年齢の時にはきっと何かをしているだろう、というような想像はしたことがありました。
しかし30代ってなんにも考えたことが無かったなぁと改めて思ったのです。

僕の話ですが、30代はとりあえずとして、40代はきっと存在していないだろうと。自殺なのか事故なのか、病気なのかわかりませんが、生きていないんじゃないかと。漠然とそのように思っていました。と、いう事を大真面目に思うほど、なーんも考えていなかったのです。まあ20歳のかつての僕にとって、40歳なんて0歳を思い出すのと等しいぐらい難しくて無意味なことでした。もう一歩踏み込んでみても、35歳ぐらいの時に神隠しにあって、社会からパッと消えているんじゃないか、とかもう具体的とは程遠い馬鹿げた将来でした。

その一方で、20歳のころの自分にできる小さな日々の目標というのはありました。とはいっても、残念なことに能力の低い僕です。目標も本当に低くて、パソコンの知識を習得すること、大学の勉強をすること、アルバイトに精を出すこと・・。ぐらいでした。
その日々の努力というか当然のことを積み重ねていったとき、26~27歳ぐらいのころに、こうなっていればいいなぁという「将来」はありました。

パソコン関係の仕事に就くことができなければ、きっと僕は社会から隔離されてしまいます。それほどまでにパソコン意外の仕事というのは僕にはありえないことでした。だから僕にとっての目標であり、なおかつ唯一想像しうる将来はパソコンに絡んだ今のような状態でした。細かい目標は都度5年ぐらいを範囲としてあるんですが、それを将来というのは違うような気もするし・・。

そして当時考えていた「将来」になった今、今考える将来っていつなんだろうって思います。そして次の目標ってなんだろうと。
結婚とかがあればまた違ってくるのかもしれません。僕は特にそれが無いのでなんとも言えません。とりあえずはこのまま行けばマンションを買うとかそういうことでしょうね。

とりあえず今思っている事は、35歳になっても今の彼と続いていたら友人にゲイであることを伝えていかなければならないと考えています。多分そこからオレは人生の後半戦になるんじゃないかなぁと。
不確定な要素が大きいから将来なんでしょうけど、不確定な状態というのはどうも苦手です。
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  2011/01/12    考え(自分関連)


秘密。なんだかとても艶(ツヤ)のある感じがしませんか。ごく普通のことであっても秘密にしたとたんに、なんだかとても見てはいけないもののような、知ってはいけないことのような雰囲気がただようから不思議です。

秘密には大きく分けて2種類あると考えています。
それが「教えたくない秘密」と「伝えない秘密」です。
※”状態” なのかもしれませんが・・。

教えたくない秘密というのは、おそらく一般的に使う意味での秘密だと思う。秘密の状態を維持するために、隠したり欺いたり。とにかくそれを教えないために積極的な隠匿活動を行います。

もうひとつの、伝えない秘密というのは、積極的に秘密にしなくても、あえて公開するような事でも無いこと、です。自分から伝えないという方法を取ることによって、相手が隠していると感じることもあるでしょう。しかし大半はあえていう必要もない程度の事であることがほとんどです。

そしてオレはこの伝えない秘密が結果的に多いような気がします。
例えばオレは子供の頃からタオル的なものが無いと寝られません。まあよだれやら鼻水やら涙やらの体液もろもろからガードしてくれて、便利ではあります。しかしタオルが無いとどうも落ち着かなくて寝られないのです。で、まあこのような話題の記事だったのであえて書きましたが、そうでもない限りわざわざ伝えたりしませんよね。だからこういう類を秘密だと言えば秘密だし、伝えていないだけとはいっても、相手からすれば隠していると受け取られる可能性があります。

秘密というのは、たまに交渉事でカードにされることがあります。ゲイをバラす!みたいな感じで。(もちろん例です。オレはこのセリフをかつて1度しか言われたことがありません)
ただ大半がオレにとって伝えない程度なので、むしろ交渉事のカードに使われるぐらいであれば、ちょうどいい機会なのでみんなに伝えるかぁとむしろ肯定的に思えることがほとんどです。

※ちなみにオレはちょっと前にゲイとは関係のないところで、裁判沙汰の一歩手前まで行きました(まぁ一歩手前とは言っても訴えられたんですがw)。そして先方は恐らく交渉のカードとして、このまま裁判沙汰になると裁判の事が会社にバレますよ。会社での立場もあるでしょうから、争っていることは公にならない様にして・・・和解を・・・などという事を本当に言ってくるのです。あぁ。そういえばわざわざ会社に隠すような悪いことをしたから裁判になるわけじゃないから、ちょうどいいので、裁判になりそうなことを伝えようと。そして結果として会社の何人からか協力をいただけたのは、今となってはいい思い出です。そして相手からは裁判のことが会社にバレるという交渉のカードがなくなり。オレとしては「伝えなかった状態」を解消できました

脱線しました。
ということで秘密には2つの種類があります。そして「伝えない秘密」というのは、受け取り手の善意によって成り立っているのです。聞けば教えてくれるだろう。でも聞かない。と。で、今後「知らない勇気」という感じの記事にしたいと思いますが、すべてを知ることはとても素晴らしいことだと思います。しかし何も知らないという状態も、同じぐらい素晴らしいことだとオレは思っています。
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  2011/01/11    親/家族


僕が10年近くこうやってブログに記事を残すようになって、大きな死別が2回ありました。祖母と祖父です。おじいちゃんの家と僕の住んでいた実家はとても近くにありました。30分ぐらいの距離です。

そのため昔から僕は祖父の家に遊びに行くことがよくありました。大学生ぐらいまでは週1回ぐらい行くことを目標としていました。それぐらい僕は祖父・祖母と仲良く過ごしていました。

しかし当然のように死というのは、まずは祖母に。そして数年を経て祖父に訪れました。

僕はかねてから、「今の気持ち」を書き表すことはとても重要だと考えていました。そのため死別という大きな出来事は、絶対に書き残さなければならない事柄でしたし、そうしたいと考えていました。

しかし祖母・祖父の死についてだけ、今までブログを書いていて唯一記事にできない出来事でした。今まで書いているように一つのことをいろいろな方面から光を当てて、その中で自分の考えや主張に近い角度を決め言葉で表す。そういう慣れた、今まで何度もやってきたあたり前の作業がなぜか祖母・祖父の死についてだけはできませんでした。

そのため死については、常におぼろげながら考えているだけで、結論というか考えをまとめることができていません。
一つ言えることは、悲しいという感情が出てきても、悲しいだけじゃないとか、本人にとっての死と周りにとっての死とか。若くして死んでないことなど、Aという結論を出そうにも、それをひっくり返すBという別の感情が出てくることがそれを複雑にしています。
僕としては、例えば極端ですが「老衰による死は幸せだ」というように結論を出したいのです。しかしそのように論を展開しても、残された周りの人間や、夫婦であれば残された方の残りの人生などはまた別です。自分を主体として考えた場合には、ひょっとしたら幸せな死かもしれませんが、残されたものにとっては、必ずしもそうではありません。そういう色々な事が僕の頭を巡っています。

未だに死については、あまり突っ込んだことが書けそうもありません。ただ、こうやってこの記事をここまで書けたのは、めちゃくちゃすごいことだと自分でもびっくりしています。
しかしもし祖父・祖母が僕に教えてくれる身体を使った最後の教育だとしたら、間違いなく僕にとって相当に大きな血や肉になっていると考えています。
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  2011/01/10    カップル(彼関連)


正直このような記事は書かないと思っていた。だって彼から距離を置いたところで改めて自分を見つめ直したいと思っていたし、何よりも目的は若い頃の記憶をとどめておきたかったのだ。とはいっても、一番最初のそのような漠然とした目的もだいぶ変わり、若い頃の記憶を留めるのは相変わらずだけど、「彼から距離をおいたところで」というのは関係無くなっている。
ブログの記事は書きたいと思ってすぐに書くことが、いい結果を生まないことは多い。今回のこれはどうなるのだろうか。

彼と知り合ってからもう4年目に入った。当時、もともと恋人を全く探していなかったオレは、日々のメールのやりとりを簡単にできるようなメル友で十分だった。
仕事が忙しかったし、なによりも仕事が一番でありたかった。オレにとっての恋人は感情の増幅器のようなもので、幸せなときには一人の時よりも何百倍もハッピーにしてくれるが、落ち込む原因になるときには、立ち直れないほどのガケに突き落とされる。

恋人という得体の知れない幻想を追い続けるよりも、友達を作りそれを足がかりとして仕事に打ち込みたかった。

だからしばらくの間、彼とメールをするだけの関係が楽しかったし、それで十分だった。そのために恋愛になることが無く、相手に対する期待や妄想だけで続けることができるような年下がいいと思っていたし、相手の顔や体型、はたまた性格にもほとんど興味がなかった。

知り合った時はオレもやや若かったし、彼も非常に若かった。7歳差ということで、オレが26で相手は19だったのかな?まさかこのような出会いの中で、ここまで続くなんて事は想像も、ましてや期待もしていなかった。
そんな出会でしたが、今ではオレにとってはかけがえの無い存在になりました。それが伝わっているかは自信がないけど・・・。
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  2011/01/09    ブログ


「こう書きたい」と思っているブログがある。そのブログでは書いている当人が、グレー・灰色の雰囲気のブログであると書いていた。

文章がうまいなぁとか、こう書きたいなぁと思うブログは、雰囲気が灰色であるような気がする。そのブログには、迷いや過去の体験談が書かれており、そういった葛藤や迷いといったものは、文章を通して伝わるだけではなく、色として雰囲気も一緒に伝わるのだろう。

オレも迷いなどを書くことが出来ればいいと思うのだが、元来の性格のせいなのか迷いというよりは、一定の結論に(間違っていても)達することが多く、またオレはそれで満足するために、灰色がでているとはどうも思えない。

他のブログを読むと、明るく書いている人は明るい色に。暗く書いている人は、暗い色に思える。しかし中には、暗いことを書いていても雰囲気が明るかったり、その逆もあるから不思議だ。
オレのブログは何色に見えますか。
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  2011/01/08    親/家族


親の「老い」について話をするとき、やや遠回りになりますが、まずは祖父・祖母の話から。

記憶にある、身近な年輩者というのは、おそらく祖父/祖母だと思う。当然のことであるが、祖父 > 父 > 兄 > 自分 という年齢の順番である。もちろん死別や、一人っ子の場合など若干違うかもしれないが、これを一応の標準とさせて欲しい。

ちなみにオレは、祖父、父、自分の順番です。祖父はハッキリとは覚えていませんが、オレが20歳のころ、祖父は85歳、父は60歳という感じでしょうか。ちなみに父は結構年を取っていて、オレは父が40歳の時の子供です。

で、オレの記憶にあるもっとも若い頃のおじいちゃんは、オレが10歳頃。つまり祖父が70歳ごろとなります。つまりオレの感覚にとって、身近なおじいちゃんというのは70歳ぐらいからを指しているように思います。

親の話。同じようにオレが10歳の時の記憶の父は、50歳です。つまり親というのはこのぐらいの年齢をオレにとっては指しています。

そして今。祖父は亡くなりました。父は70歳になりました。つまり記憶のある祖父と同じ年齢に父親はなったのです。

オレは70歳になった父を見て、一つの葛藤が心に生まれました。目の前にいる父は父なのか、祖父なのか、と。
何歳であっても、父は父です。しかし当時のような力強く、非常に存在感のあった父はそこにはいません。目の前にいるのは、記憶に残っている祖父とむしろ重なるのです。男性というよりは老人というか、そんな感情。

残酷な話かもしれませんが、いずれ死別という大変大きな出来事を体験しなければなりません。そして目の前にいる父が感情の中で祖父に変わるとき、これはひょっとしたら死を受け入れる準備の一番最初のように思えてならないのです。

母もきっと同じでしょう。なぜなら母は今は60歳です。だからオレの中ではまだおばあちゃんという感情が芽生えていません。でもきっと、あと5年もすればこの感覚は変わってくるのではないかと考えています。

死生観というのはまた記事で書かねばならない大きな事ではありますが、年齢とともに受け入れなければならない残酷な、大きな試練の一つです。ただ一つオレが思っているのは、突然来る死ではなく、それを受け入れるための準備が「年齢」とともにできるというのは、ある意味で幸せなのではないかと。
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  2011/01/07    親/家族


オレは家族円満だった。もちろん今も円満。とはいってもすべてが順調ではなく、家族は5人もいるし、大なり小なりのトラブルは経験をしてきた。これはどの家族にもあるだろう。そのトラブルの中では、今の自分の性格を形成するのにすごく重要だと思うような出来事もあったし、またそういったトラブルは家族と共に、そして自分の意識の中で乗り越えてくることができた。もちろんこれは他者の関わりなくては乗り越えることができなかっただろうし、第三者からはたいしたことが無いように見えても、オレや家族にはとても大きな試練でもあった。

とはいっても、振り返ってみると結果的には円満だったと言えるような環境だと思う。なぜならそれは、社会人になってから家庭や家族のあり方次第ですごく影響を受け、また受けすぎているように見える人が相当数いると知ったからである。

当然のことながら、不仲で育った家庭の壮絶な出来事をオレは知らない。話を聞く限りの中から想像することはできるが、こういう場合においてありがちな、想像の範囲を脱することはできないし、また深刻さも理解はできない、もしくは限界があると思う。

どうにもよく分からないのだが、そうして影響を受けすぎることについて、前向きな状態になることはできるのだろうか。これが思春期や養われる年齢の範囲であればまだ理解できる。お金を稼いでない立場というのはどうしても弱く、稼いでいる親にたとえ精神的な問題点が大きかったとしてもそれに頼らざるを得ない。生きていくためには、精神よりも金銭の方が優先されるのは仕方が無い。
もちろん頼らない方法もあるが、人それぞれで頼るのも頼らないのも(苦渋だと思うが)選択だと思う。

しかしいい年齢になって。自立することも可能な環境になったときにも、相当な影響を暗に受けているのである。ある種のトラウマとして。
そしてその人が抱えている精神的な部分は他人に伝わりやすいという問題がある。

いろいろなトラブルを乗り越えて自立した人は、もちろんそれですごいことだと思う。しかしその方法論が世間の中で本当に受け入れられているとは限らない。そして親の不仲の場合に、そのことでとても強く出るのが、「甘え」に関する部分だと考えている。

甘えてはいけない。誰がそんなことを言うのだろうか。むしろ社会に出てからは、甘えることによって世の中をうまく渡っていけることは多いし、甘えはむしろ活用するべき部分であるように思う。オレの場合だと「優しさに頼る」とか「優しさに甘える」もしくは「優しさにつけ込む」っていうのもあるかもしれない。

みんな優しい。だから甘えても大丈夫だと思う。逆にオレに甘えてもらってもいいし、もちろん協力できる事とできないことはあるから、無条件というわけには行かない。でも自立や対等という立場の他に、甘えながら、へりくだりながら下からというつきあい方もあるのではないか。

結局のところ、親の不仲が与える影響は問題が多い。それは直接的なそのとき(幼少期)だけではなく、むしろ成長してからの方がより強い影響を気づかないうちに受けることになる。
そしてそれは不信という、とても大切な部分に闇を落とすのである。
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  2011/01/06    考え(自分関連)


よく小さい男だと言われる。よく言われちゃだめなんだけど、よく言われちゃう。オレのことを快く思ってない場合もあるだろうし、そういう悪い部分を治したいという気持ちもあっての(ありがたい)指摘なのかもしれない。

自分の心が小さいと思う部分は多々ある。お金にはうるさいし、自分勝手でわがまま。様々な欲もあるし詭弁も使う。性格が悪いと言うこともできるだろうし、心が小さい、狭いと表現することもできるだろう。

じゃあと、心を成長させたいと思うのか。正直なところ、今までずっと考えていながらも、実感は全くなかった。日々の糧を得るために、心が大きくなることよりも利益を出すことが重要であったから。
しかし最近になって、より心の成長を身近に感じることが増えてきた。一つは尊敬する人達が、オレぐらいの年齢になると、一度心と向きあう人が多いこと、進められる書籍で、精神に関することがあったことなどである。

もちろんすぐに考えを帰ることなど絶対に無理で、また精神の強化はオレの今までの行為を相当程度否定する必要がある。極端な例ではあるが、例えばトイレをキレイする過程で気づきを促すというような考え方の場合がある。オレは今までそれだったら1円でも多く稼いで、トイレを掃除しなくてもいい状態になりたい。そのように本気で考えていた。だからこそオレは色々なことから気づきを得なければならないだろうし、時間もかかると考えている。

その結果として、今のようなとげとげしい考え方が丸くなるかもしれないし、違う考えがでてくるのかもしれない。

しかし今まで大きく違うのは、「時期が来た」という実感があることだ。これからは心の成長を目指したいと思う。
今年の目標はそれを中心にしたい。
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  2011/01/05    カップル(彼関連)




好きという感情。これは量ではないので単純に何かと比較するのは非常に難しい。だけどおそらく恋愛を経験しているほとんどの人が、何かの尺度で比較することができるのではないかと疑問に思っているのではないだろうか。オレの方がより相手を愛しているとか、この気持ちは海より深いとか、比喩だけど量という基準で表現する言葉はたくさんある。

オレは単純にそれを数値で表すようなことはできないと考えている。食べ物のおいしいという度合いを数値にできないのと同じことである。だけど相対的な尺度としてはそれを表し、なおかつ簡易な説明ができるのではないか、そのようにも思うのである。

どういうことか。

オレは彼とつきあっている。その期間もそこそこ長い。そしてオレの彼を好き具合と彼が俺の事を好きな具合が微妙に違っている。追う立場・追われる立場があるように、50:50とはいかないのが難しいところである。

あまり具体的に表現しすぎるのもどうかと思うが、オレの彼に対する思いが100。彼のオレに対する思いは0。おそらくそして残念な事に、現在の相対的な比は100:0である。普通の恋愛感の人、そして過去のオレだったらこの恋愛は破綻しているかもしれない。

この比の特徴的なところは、双方の気持ちとはあまり関係無く、度数の少ない方に行動が左右されるということである。たとえばオレが24時間会いたいと思っているとする。そして彼が半分の12時間だったとする。この場合現実的に会うことのできる時間は少ない方に予定を合わせることになるので12時間である。

つまりどちらかの気持ちがさめてしまった恋愛は、非常につらいモノになるのだ。絶対的な数値で表すことはできないが、対比はできるのではないかと考えています。

そして主題が違うので、あまり詳しくは書かないが、この恋愛がなぜ続いているのか。それはおそらく彼が愛という感情から違う感情に変わっているということがある。オレはこの愛が違う感情に変化するというのを受け入れたくない。だからそれを否定するための様々な言葉をいま頭の中でこねくり回しているところである。
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