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2011/01/23 カップル(彼関連)

といっても今週の話。普通のカップルの会う頻度というのがいまいちよくわかりません。とりあえず僕たちは、家が偶然にも近いこともあって頻繁に会っています。週に3-4日ぐらい。
最近彼は学校での発表があるらしく、日々勉強に励んでいるようです。そして結果的に僕とは会えないと。
この感覚、実は僕には無いんです。だから理解に苦しみます。
僕の場合、忙し時にはなるべく会うようにと考えます。だって忙しく働いているってなんのためでしょうか。たくさん稼いでプライベートを充実させるためのはずです。しかし忙しいを理由として会わないのであればそれは何のためだろうという疑問につながります。
そのため、すごく忙しい時こそ会うように心がけるのが僕の考えです。ちなみに忙しい事を理由に機嫌が悪くなったりしません。そういったことでも、会うことについては何ら問題ありません。
彼は違います。会っても短時間であれば、充実しない。そのような考えで、忙しい時には会わないで、仕事などをどんどん片付けてしまい、ちゃんと会うための時間をつくろうとします。不機嫌というのは彼もありません。僕に対する扱いが若干ぞんざいになることはありますが。もちろんそのような考えがあることは十分に理解しているつもりです。
かつて激務の1ヶ月がありました。このときは本当に忙しくて朝の6時ごろから深夜の2時ごろまで毎日のように働いていました。このときは、さすがに会う頻度は減りましたが、0時すぎぐらいから会ったりすることも、2時ぐらいからということもありました。(当時彼は健気だったんです)
それが最近では0時ルールというのができてしまいました。0時を過ぎたら寝るだけだからその日は会わないようにしようと。
で、結局のところもっとたくさん会おうなどという主張をしたいわけではありません。そもそも僕は会わなくても大丈夫な方です。
僕の一番いいたいことは、忙しいことを理由に会わないという選択をする場合、これから仕事などで、もっと大きなプレッシャーや責任と戦う事になります。この時に、会わないという選択をすることが考えられるので、本当に大丈夫か!と、心配している。という話なのです。
なお、これが公開されている今頃は一緒にスキー行っています。
※画像は彼です。冬の寒い時期なのに足首でてます。彼がいうにはおしゃれはガマン!だそうです。本日と昨日は僕と彼との画像を掲載しました。
※ 2011-01-24 追記
画像で、彼の服装(後ろ姿)を掲載する予定でしたが、直前になって彼からNGが出ました。ということですいません。急遽画像を差し替えたので、文章が変になりました。
2011/01/22 フェチ/好み/タイプ

昔に比べてマスクを利用している人が増えように思います。恐らく花粉症にかかっている人が以前に比べて増え、その結果マスクが身近なものになり、風邪を引いた時やその予防でマスクをするようになったのではないかと考えています。
僕はこの、なんでもかんでもマスクを利用するという風潮を大いに推奨したく、大賛成です。
なぜそう考えているのでしょうか。
不思議なことに、マスクをするとイケメン度が増すと考えているからです。正直なところ、これはもうメガネの比ではありません。まあそれは当然です。だって目元しか露出しないわけですから。でもだから不思議に思います。僕はその人がタイプかどうかを判断するときに、目元がそこまで重要なのかと。マスクをしていればたいていの人は僕にとってイケメンという判定になってしまいます。つまり僕にとっては普段露出している鼻や口は減点対象にしかならないということなのでしょうか。
マスクをした状態の殆どの人を僕はイケメンと判断するのに、顔全体が見えている人のほとんどをフツメンと判断している。でもみんな鼻とか口が単体で変ってことはまずありません。だから組み合わせで減点判断をしているということになるのだと思います。
友人で、風邪を引きやすいということでいつもマスクをしている人がいます。この友人は別にマスクが無くてもイケメンなのだが、マスクをしていてるとさらにイケメンに見えるのです。
ちなみに、メガネと決定的に違うのはマスク自体には性的な要素は全く存在しないということです。コスプレ的な要素としてのマスクはありえるかもしれないが、そこにはメガネのような興奮の要素は存在してません。僕としても、ぶっかけたいなどとは夢にも思いません。
マスクがフェチの範囲にあると便利なことがあるんです。
ニコニコ動画、というのを恐らくみなさんはご存知だと思いますが、顔の一部を露出する方法として、マスクを利用するパターンが非常に多いのです。だから僕には全員がイケメンの天国のように思えるのです。
確かにマスクを外したときにがっかりすることが多いというのは仕方のないことです。でもあなたは僕に夢をみさせてはくれないでしょうか。
2011/01/21 日常

僕は SE なので英語のメッセージをよく見かけます。もちろんマニュアルなども英語の場合があるし。そして僕は英語が大の苦手です。何を言っているのか聞き取れませんし、何もしゃべることができません。読む事もできないので、仕事のそれは雰囲気だけで頑張ります。神様は僕に語学の能力は与えてくれませんでした。
ちなみに彼は TOEICのスコアなどを見る限りでは、日常会話は問題なさそうです。
そんな僕ですが、彼と一緒に歩いていると、外国の人から話しかけられました。片言の日本語で、「すいません。ワタシ高輪まで行きたい。歩ける?」と。それを聞かれたのは新宿でした。「まずは新宿駅から電車に乗ったほうがいいですよ。」そのように僕は答えました。まさか新宿から高輪に歩くなんて思いもしなかったからです。
彼が横から「違うよ。ここから高輪まで歩けるか?ってことじゃないの?」と。「ここから?」と聞いたら「そう、ここから。電車つかわない。歩ける?」と外人さん。それを聞いて、「いやいやちょっとまって。ここから歩くの?10キロぐらいあるよ?7マイルぐらい?。歩いたら2-3時間かかるんじゃないの?遠いから電車乗った方がいいですよ」と僕。
外人さんはそれを聞いて「2-3時間?そんなに遠いの!」と言いました。そしてそのあとがびっくりしたのですが、「can you speak english?」と。
僕は日本語でびしっといいました。「ちょっとまって!いくら今の話を英語で話しても結論かわんないよ!オレはあなたの言っていることの意味が分かるし、オレの答えの意味も通じてるでしょ?英語で言っても結論は同じ。遠い。電車乗れ!だよ」と。
で、結局驚いたのは、彼がせっかく英語が分かるのに、一言も受け答えをしなかったことです。「英語でって言ってるから答えてあげてよ」と伝えましたが、彼はそれをしてくれませんでした。
いずれ海外に一緒に行ったときがとても心配です。
2011/01/20 考え(ゲイ関連)

彼と知り合う前から。漠然とではありますが、結婚して子供を作ることを夢見ていました。もちろん彼と知り合ってからも、ゲイとしての恋人関係が長期的に維持されることは難しい事を知っていましたし、26歳ごろ結婚するのかしないのかを決断するのは、現実的にとても重要だと考えていました。僕はそうした考えが夢で終わることはなく、まだ出会っていない相手かもしれませんが、結婚しない将来よりも、家庭を築く将来をどちらかと言えば強く信じていました。
もちろんそれは、僕がバイという理由を掲げてゲイを一時的な通過点としている訳ではありません。彼氏をパートナーとして長くいるよりも、女性と結婚するほうがまだ想像しやすかったのです。
女性とセックスができるかどうかとは別に、子供を作る能力があるのかは当然分かりません。しかし女性を愛することもできるし、性的なこともできます(というよりしたい)。収入も万全ではありませんが何とかなると思えるようにもなりました。後はその相手と出会うことだけだったのです。
子供が大好きな僕は、ぜひとも自分の子供が欲しいと考えていました。
彼と知り合ったのは26歳ぐらいの時です。30歳までに結婚を含めてある程度の方向性が見えてくるだろうと思う事に何ら不自然なところはないはずです。それは彼との別れを示しているのかもしれないし、女性と出会い、結婚するという結論を出すことかもしれません。彼のことを適当に考えている訳ではないけど、自分の一生のこと、まだ見ぬ子供に対する責任などを考えると、結婚を選択する可能性は十分にありました。
しかしもう30になりました。そして彼とも4年目です。今までは子供が、結婚が、と言っていましたが、今となってはそのような事も言えなくなってしまいました。例えば彼女ができたとしても、数年つきあってから結婚するというのでしょうか。その頃僕は30も半ばです。
そして今の彼以上の女性と出会える自信も正直ありません。それは年齢的なこともありますし生活面の事もあります。性的な魅力のことも無視できません。もちろん身体の相性もです。30を迎えた僕に「僕の考える魅力的な人」が言い寄ってきてくれるような奇跡はまずおきないでしょう。
子供の話となれば、とたんに彼との限界が来るような雰囲気を出してしまいます。なぜならそれは、「期限付きの恋人関係」に非常に似ているからです。「大学の間だけ」ということで4年間限定の恋人関係を一般的に良しとできるのか。期間という終わりが見えている恋愛で幸せになれるのか非常に疑わしいところでもあります。
僕の場合。「子供」が一人歩きし、さも限界がそこにあるように感じられてしまいます。結局子供を作るために結婚するんでしょ。いずれは別れるんでしょ。みたいな感じ。
だから僕はもう子供の事は覚悟を決めました。いちいち主張し無ければならないのが非常にもどかしいです。が、あえて書いておきます。
僕にとって彼の魅力は、子供などで左右されるようなものではないということです。おそらく彼は「どうせいずれは結婚するんでしょ」という心配をしているかもしれません。しかし僕は少なくとも、彼がそばにいてくれる限りは結婚をしないと決めています。さすがに30になったんだから、将来を大きく決めるような決断をするのはちょうどいいタイミングなのかも知れません。
ただこれから彼の就職があったり、おそらく同棲も視野に入ってきます。そうなってくると何が起こるか分からないのがとても怖い事でもあります。どんな困難もきっと二人で乗り越えられるはず。そう信じているんだけど、どうなることやら。
2011/01/19 微エロ

着エロという言葉があります。服を着ているのにエロイということです。もちろん一般的な着エロは相当にエロを意識して作っているので、裸かそうじゃないかという違いぐらいしかありません。そこまでエロを意識されていれば、何かで隠されているというのは、本当に些細なことでしかないと思います。
確かに着エロは僕の趣味としても、かなり良いと思います。モザイクもそうだけど、やはり想像力というのはエロの源泉だと思うのです。
しかしゲイ向けの着エロというのはほとんどありません。いくつか市販されているようですが、やはり全体としては相当少ないです。ジャンルも今はまだかわいい子やショタレベルであって、いわゆる主流の筋肉の人のそれはほとんど無いようです。(単に知らないだけかも?)、もちろん僕のタイプの範囲は、非実在少年から年下全般なので大歓迎ではあります。しかし市場としてのミスマッチは無視できません。
とはいっても現在発売されているコレはこれでとても素晴らしい。ゲイ向けのは見たことがありませんが、女性の着エロはサンプル程度だけど見たことがあります。そして大変素晴らしいと再認識した次第です。
しかし、いや、だからこそと言うべきか、ゲイ向けのそれが少ないことが非常に残念でなりません。
ただ、先日の記事の通りでですが男性は上半身までは脱ぐことの抵抗が少ない。しかも脱いでない状態というのは、着エロというよりもはやそれは着でしょう。要するに普通に服を着ている状態です。
僕は女性の着エロは男性にとっての「着」だと考えています。確かに女性を見た場合グラビアというとても素晴らしいものがありますが、男性の場合はどうしてもグラビア(水着)にはエロさがない。だったらいっそのこと服を着ていてもいいのではないかと。
男性に必要なオカズ。ビデオなどの直接的なエロもいいですが、たまには普通の状態をオカズにしてみるのもおすすめです。僕はビデオなども好きですが、HPなどに掲載されている、ごく普通の写真も十分オカズになっています。僕にとっての着エロはもはや着だと思っています。
というこの記事なんですが、僕は顔だけでオカズになるという重要な要素があると思います。以前オカズについて記事にしたときには、みなさん結構直接的なものをオカズとしているようでした。僕の場合これが顔だけで大丈夫です。そういう意味では、着エロといっても、まずは顔を見せてって言うことになるのかもしれません。
2011/01/18 考え(自分関連)

アメブロから移転をしてきました。そして移転のゴタゴタというか、色々なご意見をいただきました。大体は今のままアメブロで続けてください!というものでした。
移転を決断する「何か」というのは特にありませんでした。中傷を受けたわけでは無いですし、逆に中傷を受けたとしても、それを移転の理由にはしません。
このようなブログですから、賛否両論あって当たり前ですし、何度となく書いているようにそういう意見の一つ一つはやはりうれしいものです。
じゃあなぜ。ということで、これについて少し僕の考えをまとめておきたいと思います。
アメブロの一番イヤだと僕が考えるところ、それは読者との距離感の近さです。去年末の記事でも書きましたが、SNSのように距離が近いのです。これはメリットが多く、コメントだとか交流だとか活発になります。
今日の○○はおいしかったとか、自作の詩です。とか、そういうのを公開しているならそれでいいと思います。きっとコメントには、「今度は○○を食べてみてください」とか「すごくきれいな詩ですね。涙が出てきました」など、とてもうれしいコメントが書かれると思います。逆にアメブロ意外でそのようなブログを書けば、よっぽどのことが無い限り、一日のアクセス数自体が無く、コメントなんて1年やってもつかない。そしてようやく付いたコメントは広告だったりするのです。
これを批判しているわけではありません。そういう日常などを公開するのに適した場所だと思っているという話です。
アメブロのそうした交流のしやすさや、ユーザーごとの距離感が、逆に問題となる場合もあります。それが僕のような記事を書いているブログです。SNSなので人のつながりが強いと、どうしても○○さんと繋がっている○○くんのブログということで、アクセスする機会も増えるだろうし、何か考えることがあればそれについてコメントもしたくなるでしょう。
最初のうちは、遠慮がちに遠まわしなコメントが、徐々に直接的になり語気も強くなる。そして次は自分のブログで批判記事を書き始め、自分のブログにアクセスしてくれる読者を見方にして。最後に中傷を加える。そのようなプロセスが目に見えるようです。
実際にはそこまで大きな問題には発展しませんでしたが、決して大げさではないでしょう。
そういう状態になることを避けるために僕は移転を決めました。といっても12月の頭にはもう決意していたので、とくに迷いというのはありませんでした。ただ通知をどのように行うのか、については未だに判断が難しいと思っています。結局アメブロでは大々的な移転の告知はしませんでしたが、数ヵ月後には移転する旨の記事を掲載しようと考えています。
で、じゃあFC2なら大丈夫なのか。という話。それはわかりません。としか言いようがありません。ただSNSのような雰囲気の中での距離感ではなさそうです。アメブロで色々なことを学んだように、ここでも色々なことを学びたいと僕は思っています。
2011/01/17 カップル(彼関連)

元カレから連絡がありました。どうやら東京に遊びに来ると言うのです。
その人の経緯を簡単に。今は26ぐらいでしょうか?今のカレと付き合う前の前ぐらいです。当時はカレが20~21ぐらいだったと思います。タバコを吸います。お酒を飲みます。
という感じです。あまり楽しくでかけたりはしていませんでしたが、それでも仲良く過ごしていました。
カレは僕と別れてからしばらくして、実家に帰りました。四国です。理由を聞くと、恋愛について色々とあったようで、また仕事もあまり想像通り進んでいなかったようです。そのためカレは一度実家に戻り、ある意味では東京の人間関係もリセットし、また実家の方でやりたい仕事を探すといっていました。
カレとは別れてからも、定期的に連絡をしていました。メールをするといつも楽しそうにしているカレでしたし、ややお酒を飲み過ぎじゃないかという心配する気持ちとともに、仕事や恋愛のことについて、心では応援していました。若干考え方が不幸を背負うような感じがしていて、それについてはもうちょっとなんとかしてあげたいと思うのですがなかなか今となっては難しいと思います。
一度相手に会いに行ったこともあります。夜行バスに乗って、相当大変でした。しかし向こうで過ごした数日間は、とても楽しかった思い出です。
さて、そんなカレが東京に来るというのです。こっちに来る理由は、なんだか昔から相当に仲の良い友達の誕生日を祝うためだそうです。おそらく僕と遊ぶのは僅かな時間だと思います。
しかし当時のことを思い出しながらお酒を一緒に飲むというのもまた楽しいだろうなぁという楽しみな想像をしています。
2011/01/16 ブログ
アメブロユーザーのみなさんこんにちは。
僕はアメブロから移転してきました。今までアメブロであれば、記事の更新は、アメブロのトップ画面に表示されていました。
きっとみなさんは、これを見て僕の記事をチェックしてくれていたことでしょう。
今ではFC2に移転してしまったので、きっとみなさんは更新の連絡が無くて不便に感じていると思います。
ということで、アメブロのトップページから更新情報を表示させるようにしてみてください。
■手順
・アメブロにログインし、「アメブロ以外のお気に入り」をクリックする(中央下段です)
・右上のボックスに、このブログのアドレス [ http://kaokao111.blog136.fc2.com/ ] を入力します
これでアメブロにログインしたときに、中央の一番下に更新通知が出るようになりました。
2011/01/16 日常
2011/01/15 考え(ゲイ関連)
一部引用をさせていただきながら、オレの意見を述べたいと思います。なおこれは完全な私見であり、一方的な暴論です。おそらくこの記事は読み手を不快にさせるということを最初に注意しておきたいと思います。読まないで欲しいとは言いませんが、話半分ぐらいに考えてもらえると大変助かります。

一年おめでとうのチュウ「国境、非在、あるいは百年の祈り」 以下引用
> もっとも、りふ子の言い分もわからないではない。僕は、ともすれば
> 「りふ子のこと愛してるからずっと一緒にいようね」と言うよりも、
> 「もしふたりが別れたとしても後悔しないように、ゲンのことだけ
> じゃなくてじぶんのことも考えなさい」という言葉が口をついてしまう。
> 「愛してるからずっと一緒」という言葉は、その瞬間の気持ちを表現する
> 方法としては真実かもしれないが、失敗に終わった夫婦生活を目の当たり
> にして育ってきた僕としては、うまくいかなかった可能性をあらかじめ
> 考えて人生設計を組み立てていかなければならないと考える。
この気持ち。非常によく分かります。かつては僕もそうでした。・・・今でもそのような考え方が抜け切れていないので変えるように注意しています。
この手の話題の時に、ありがちなんだけど何も夢物語の話をしたいとか、理想の話をしたいわけではありません。僕はどちらかと言えばより現実的で責任のとれる、また確実性の高い話をしたいと常々考えています。だからこのときに「うまくいかなかった可能性をあらかじめ考える」ということにとても理解できるし、共感できます。最初に読んだとき、まるで自分自身の言葉を代弁されているのかとさえ感じました。
とりあえず「もし別れたら~」などのネガティブな言葉を取り上げて、言葉がよくないと言うことではありません。むしろ愛と責任を強く感じているからこその発言なんだろうと考えています。
ご本人も書いていますが、その発言の根底の部分。「失敗に終わった夫婦生活を目の当たり(略)」この部分というのは相手はそれを知らないはずです。つまり、うまくいっている夫婦生活を目の当たりにして成長してきただろう相手にしてみれば、ネガティブな発言に至る真意をまったく理解できない可能性が高いのです。
どちらがどうだと言うことではありませんが、相手がもし成功している夫婦生活を見て育ち、今の考えの基となっているのだとすれば、そこで失敗の例に合わせる理由は特に無いような気がします。むしろこういう場合には成功体験に合わせた方がいいのではないか、と。
また「自分のことを考えるように」というのは一種の保険とも捉えることができてしまうように思います。
相手が自立してるんだから、自分がいなくなっても大丈夫だろうということになりかねず、それは結局のところ自分に対する(別れるための一種の)保険とも受け取られかねませんし、そのように受け取る人がいても、責めることはできないのではないでしょうか。一般的にはこういうのをざっくりと「後ろ向きな発言」と表現するのでしょうか。
せっかく自分の愛や想いの強さからの発言なのにその真意が伝わらないどころか、逆に受け取られてしまうのがこの種の発言なのではないかと考えています。
じゃあ。どうするのか。
僕は結構前から考えている言葉があります。
「自分のことも考えなさい」と言った後に、「でもオレはいつまでも一緒にいたいと考えているよ。」と。これが相手にも自分にとっても最も責任のある発言だと、今の僕は考えています。
※ちなみにたとえば相手が疲れているだろうことが予想できるときに「会いたい」そのような場合、「疲れているから今日は無理だよね?」という発言だと、相手にとって「会いたくないんだ?」というニュアンスを伝えてしまう場合があります。でも会いたいっていう事を常に言うのが問題なのも事実ですよね。
だから僕は上記例と同じ手法を使います。「今日は疲れているから会えないよね?」その後に「でもオレはそっちが大丈夫なら会いたいよ」と。
※もう一つ付け足し。ゲンヤさんのブログに「かわいそうだ」というコメントを僕はしました。ということで、お互いの気持ちが強いのに、このようなすれ違いが起きてしまう。そして個人的には幸せな環境に合わせたいという意味ではりふくんに近い考えなのかも?ということ。さらに、好き同士が好きを理由にけんかするのはなんだかなぁっていう感情をうまく記すことができなくて、かわいそうという一言だけをコメントしました。