過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

今年も終わり。

   




毎年、年初にはその年の目標を。年末にはその年の総括をしている。ここ数年は過去と相対的に考えても充実しているのではないかと思う年が多い。
理由はいくつかあるが、そのうちの一つは、とても幸せなことにやりたい仕事ができていること、会社や仕事の付き合いを通してそこそこ評価されていることなどだろうか。もちろん不満を挙げればキリがないが、オレはポジティブなので、小さな幸せをとても大きく感じることができている。

30歳になって、こうしてブログに書き記したいと思うことが増えたように、20代にはその時に考えなければならないことがあるし、また30代になれば考えなければならないことがある。たまにそれを相当早い時期に体験し、考えねばならない状態に陥ることがあるが、これは決して幸せなことではないとオレは思っている。やはり相応の時期に相応のタイミングで、相応なことを考えるのが大切なのではないか。

そういった意味では、オレはちょうどいい時期、タイミングで考えることができているように思う。例えば死について考えるにはまだ早いと思うし、結婚を含めた恋人との長期のつきあいを考えていくにはちょうどいい年齢ではないか。仕事の充実なども、若い時の充実も大切だが、この時期のこの状態というのも今後を考えていく上でとてもいいタイミングだと思う。

今年を振り返ってみると、今年は充実と慢心だったように思う。
いくつか思い当たるところを綴りたい。

充実させるには当たり前だが本人の努力が不可欠である。そしてオレはこうやってブログの内容からも、その一端が伺い知ることができるように、必要とされない状態になってしまえば、とたんに孤立する。オレみたいな口先だけの人間が信用されないのは、いつの時代もそうである。
そこで一般的には、考え方を変え性格を変えて社会に適合させていくのだろう。オレも少しはそうだが、どうにもそのような考え方が馴染まなかったし、できなかった。しかし個人の付き合いと違って、社会は性格とは別の、必要性だけで生きて行くことができる。技術者であるオレは、性格に問題があっても必要性の部分は相応に持っていた。この部分を深める事によって、社会にはギリギリ適合でき、なおかつ性格をそこまで変える必要がなかった。

もちろん年令と共に、オレが社会で役に立つだけではなく、オレと一緒に働く人も同様に社会で必要とされなければならない。それはチーム制などの組織であれば、一人の努力も重要だが、チームの成績も評価の対象になるのである。
そしてこれが転機の一つであった。オレはオレのしている作業はさして難しいことではない。だから教えることは比較的簡単である。そして教わった人間は、持っている人間性がオレよりも上。社会で必要とされる術はオレがテクニックとして教える。つまり失敗する理由などどこにもないのである。だからオレは、自分の教えることはできるまで教えるし、やらせる。教わる人は最初はネガティブな言葉とともに弱音を聞くこともあるが、なんてことはない。すぐに出来るようになるし、オレを抜いていく。

この方法は簡単に結果が出る一方で、オレ自身の慢心を生んだ。「やれるんだからやって」「できるんだからやって」そのように押し付けるように教える手法で、なおかつ必ず結果がでるので、押し付け方も強い。もちろん3ヶ月もすれば、本人が一番メリットを享受するわけだから、文句はでない。だけど、オレは「オレの手法は正しかったんだ」と、さらなる向上をストップさせてしまう。

自分に利害のある関係者ならともかく、同期や他部署であれば、オレのやり方は傲慢にさえ映ったであろう。このブログを通じてもそうだし、社会で生きて行く中でも自分の傲慢さを感じることは多々あった。

謙虚がすばらしいことだとは思わないが、今のような状態がベストだとも思っていない。そしてこのことに気づき、実感することができれば、次の目標がおぼろげながら見えてくるのではないかと考えているのである。
にほんブログ村 恋愛ブログ 同性愛・ゲイ(ノンアダルト)へ 人気ブログランキングへ

 - 日常