信じる勇気。

みんな勇気がある。それは人を疑う勇気である。
信じる勇気をオレは持ちたい。今まで色々な事があった。裏切り、ウソ、騙されたり。人を信じられなくなる事は今までの経験の中で多い。
それは恋愛の中でもそうだし、もちろんプライベート、仕事でもそうであった。ある一定の年齢を重ねることによって、人は信じることよりも疑うスキルを身につけるようになる。
ゲイは裏切りが日常である。仕方が無い側面もあるのだが、結果として裏切りになるのは事実である。男性の世界では性欲は非常に大きな理由となり得る。俺自身の事もあるが、身体の誘惑というのは非常に多く、なびいてしまうことは仕方が無いとさえ思う部分がある。。
恋愛もそう。若いときには特に、身体の関係が感情を高ぶらせることはよくある。二股をする人もいるだろう。
身体の関係の終わりは、恋愛関係の終わりでもある。
こうした、身体を中心に考えた時、身体以外の結びつきは非常に弱いものとなってしまう。信頼によって結びついていたわけではなく、身体によって結びついていたことに気づくのだ。
若いとき、、、10代から20代前半の頃には、仕方のないことであるが、こうして恋愛のスキルと性的なスキルを積んでいく。
これが繰り返されると、どうしても疑うことしかできなくなってしまう。どうせ身体だけが目的なんでしょ、身体が飽きたら離れていくでしょ。モテそうだから他にもいるんでしょ。疑いの目を向けたら限りが無い。そしてそれは疑心暗鬼になっているわけではなく、過去の経験からそのように判断しているのだ。
その気持ちは非常によく分かる。オレだって疑いたいし、過去の経験から、信じたときに裏切られる事になることをよく知っている。でもだからこそオレは信じる勇気を持ちたい。確かに怪しいことだってあるかもしれない。疑わしいことだってあるかもしれない。